4月 2014

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花粉症の薬を久しぶりに飲んだものだから昨晩は眠くて食事前に寝てしまい起きたら24時。ぼーっとした頭で テレビを観ながら食事をしました。 初めて観た番組でした。「言いにくいことをハッキリ言うテレビ」とかいう もので”不動産は気をつけろ”と言ってました。 それでも頭はまだ寝たままでした。 断片的な言葉と映像 が浮かんでは消えていました。 何やら大島てるという方が日本全国の事故物件をホームページ上にアップしてるらしい。 その言葉だけは覚えていました。 今朝、検索してみてビックリ。 凄いデータ量です。 いまだ、安い不動産に巡り合ったことはないのですが、実際に出くわした時に、果たして借りるだろうか? 先月、長男が池袋で一人住まい。 不動産物件をすぐに決めたので早速調べてみました。  大島てるさんのホームページは本当に細かく観れて凄い。 場所によっては写真までアップしてます。  長男は「何も気にしないから大丈夫」とか言ってました。 O型人間らしい、無頓着な言葉。 そうだ自分も大阪に単身で行くというときに、自分でインターネットで場所だけ見て、それでいいかと安易に 決めて会社にここでお願いしますと言った記憶があります。「現場を見なくていいんですか?」と聞かれ ましたが「全然、大丈夫」 とか言ってました。 親子、まったく同じです。 さあ、この事故物件。何で気をつけないといけないのだろう。 何か不都合があるのだろうか? 私も気にしない方です。 ビジネスホテルに泊まるときに何度か、気持ち悪い部屋だなと思うことはあった けど、いつも睡魔が優先されて起きると朝です。 恐いと感じません。魂があるとしてもそれは同じ人間の魂。 たまに動物のものもあるかもしれないけど、それがどんな悪さをするのか感じることが出来ません。 同類だと自分で思っているからかなぁ。 みんな同じではないかといつも心の底にあります。 いつか自分も 死ぬだろうし、死んだら、化けて出て来た奴を探し出してとっちめてやるからな。なんて思ってるレベルなので そういう事故物件で悪さをすると目されている魂には相手にされないのかもしれない。  横浜青葉区の青葉台やすすき野のあたりはどうかなと観てみました。 燃えてる表示はあったけど 意外と少ないです。 でも何でこれで安心なんだろう?  京都など歴史のある場所では昔から戦いがあったり、河原町の三条から四条、五条の川べりでは 処刑された人の生首が並べられた場所。 そこが400年も経つと夜は若者カップルが1m間隔で座って デートする場所に早変わり。 京都にはそんな場所がたくさんあります。 実は人間の脳が左右してるのではなかろうかと思うことがあります。 たとえば恐いという自分の気持ちが 自分の腕を鳥肌にさせたり頭を痛くさせる。 すべては自分の気持ちから脳がいろんな信号を出して結果的に 自分自身の恐怖心を煽っている。 心霊の事象とは意外にそんなものではなかろうかと思うのです。  宇宙の膨張が4次元でなされる中では、心霊現象というものも論理的に見つめないといけない。 上海では3次元で創る家が発表されました。 3Dプリンターとは3D造形する事で費用を抑えるもの。 通常、これは試作で使うものなのに上海では6mの造型機を創ってしまい、家自体を、その装置で創って 通常の1/10の値段で住宅販売をするらしい。 いかにも中国人らしい発想だし、それで実際に創ってしまう のは日本ではありえないこと。 世の中は動いています。 新しものが生まれ新しい発想が世の中を変えています。  そんなことを考えている頭の人や、そういう新しいことに興味があってのめり込んでしまう子供のような頭で いる人にとって、気の淀みがどうだとか、霊がいるとか、人が亡くなった場所だからとか、そのような類の ことは無頓着にやり過ごしてしまうもの。  ですからそんな訳で、昨晩テレビで観た事故物件なるものは私にとって安価な掘り出し物としか映らないのです。

今日の昼、家に居たら宅急便屋さんが来た。 何だろう? 心当たりがないのですが。という気持ちでした。 忘れてました。 1月末に「福岡ダビングセンター」に送った25年前のビデオの事を。 ビデオテープが劣化する というのでブルーレイに保存しておきたくて頼んでいたんだ。 そうだ。すっかり忘れてました。  1枚980円は決して高くない。45本のビデオをブルーレイに変換してサムネイルや、年月も入れてくれました。  とても自分ではできないもので映像も予想以上に綺麗に仕上がってました。 今夜は観たのは17年前のもの。 そこに居た5歳の次男と8歳の長男の声としぐさが懐かしくて、どの映像を観ても胸が熱くなるのです。  45本はあっという間に観終えてしまうかもしれない。 忘れていた子供たちの映像にこれから会えるのが楽しみだ。   もう二人とも大学生。 家には居ません。たまにメールでやり取りをするだけ。 そんなものだと思っています。  自分がそうだったから。 しようがない。 あの子供たちが、もう大学生。 つい今しがた観た子供たちがいつの間にか大学生だなんて。 信じられない。  なんて早いんだろう。 時間っていうものは、あっという間に過ぎて行ってしまう。  38歳の自分もそこに居た。 長男に野球を教えている自分がいる。 いい球を投げるまでやり直させている自分が。 長男が可哀想。 でも何かを背負って生きて行くんだから、辛い事があっても乗り越える心をもっていて欲しいと思って 居たそのころの自分の心に出会えた。 子供たちはまだこれから先がある。 だから私は距離をちょっと置いていつも 見守っていようと思ってきたし、これからも、ずっとそうしようと思って居る。  1枚のブルーレイを見終えると、テレビではニュースが流れていた。 胸が痛むニュースだ。 韓国の高校生が まだ沈没した船の中にいるという。 何ということか。 17年で彼らの映像が止まってしまうと思うと胸が痛い。  今、私は多くの子供たちと時間を過ごしている。 そしてこの子供たちの映像がこの先も途切れることなく末永く 続いて欲しいと心から願っている。   69歳の船長も昔、子供だったはず。 どんな悪人も昔は純粋な子供でいたのだと信じたい。  高校生たちが生まれた17年前、当時52歳の船長が善人でいたかは知らない。  大切な心がいつなくなったのかもわからない。 助けられた時の毛布にくるまった映像だけが頭に焼き付いている。 ただ、あれは自分ではなかろうか。自分にもそんな弱い部分があるのではなかろうか。 そんな弱い心をもった 醜い人間と自分とがいったい何が違うのか私にはわからない。 世間はバッシングしている。 この惨事を起こした のだから、それは当たり前のこと。 しかしバッシングする人も韓国の大臣や大統領も、そして自分自身も一切合切が 実は同じような弱い人間なのではないかと思えてならない。

光が1年間に通過する長さは約9兆キロらしい。 しかし、いきなり9兆キロと言われてもピンときません。 太陽系の直径が約60億キロ。 それをゴマつぶ1個の大きさ例えると1光年という長さは約1メートル。な~んだ。  高々1メートルほどのことか。 大したことはありません。 え~っと。 え~。地球は、、。 そうだ光年って、もの凄く 遠くの場所を表す時に使う長さの表し方でした。 でも、その1光年が500個もつながる距離に地球そっくりの惑星が あるらしい。 それも地球とほぼ同じ大きさの星。 それがケプラー186f なんだとか。  でも光の速さのロケットで500年もかかるのか。 生きてられないって言う事は天体望遠鏡でしか観れないって ことなんだ。 月から地球に光を放つと2秒で届くのに。 それが500年も。そんなに離れている惑星か。しようがない。  ケプラー186f に行くのはあきらめるとするか。 いや、待て待て。 ドラえもんに頼めばいい。 ドラえもんが生まれた22世紀にはタイムマシンがあるんだ。 それで行けばいい。  日本の漫画家の見る目は大きく外れていないというのはアトムやスーパージェッタ―で証明されているし、 24世紀には航時法の違反を取り締まる組織タイムパトロールがあるってドラえもんが言ってました。  ということは今、あなたの隣にタイムマシンに乗った人が来ていてもおかしくない。 出来るだけ今の人間界に 痕跡を残さないで現れては消える存在が未来の人ならば、必ず未来の人は、そばにいる。  そんな未来と過去の中を移動する時代が来るならば、意外とケプラー186f も身近なものなのだ。 たった15年前の固定電話の時代が、今はスマホとライン。 だとするとこの先の進化は加速度的なものに なるのは明らか。 実は私の知らないところで、すでにケプラー186f に行ってきた人がいるかもしれない。  それがタイムマシン。 タイムマシンが生まれるのはロケットが光の速度を超える時。 それが22世紀なんだ。 今、我々は、この大きなうねりの中にいる。 そしてサイエンスの進化は飛躍的だ。  だから思う。 浦島太郎やかぐや姫の2次元の世界を4次元の世界で観ることになる日はそんな遠くないと。

自分の仕事のカバンには必ず単行本が2冊入ってます。暇なときに読んだり、移動中の手持無沙汰を埋めて   くれる大事なものとして、小汚い単行本は大切な存在なのです。 純文学から歴史小説。今は司馬遼太郎さん   の「項羽と劉邦」。 昔、読んだものをまた飽きもせずひっくり返して読んでます。 やっぱり面白いし2千2百年   も前の物事が、というか、その当時の中国が、手に取るように感じられるのでワクワクして読んでます。実話だから   猶更です。 栄華を極めて宰相にまで登っても失脚すれば一族郎党皆殺しにされるという具合に人の命の価値   が軽かった時の話。 調べてみると秦が滅亡した紀元前200年の中国の人口は59,594,978人だったそうです。   それが約250年後の紀元後50年の頃の人口は21,007,820人。なんと六千万人から二千万人へ激減。   わずか一世代の間に人口が半減したようです。今の日本では考えられないことが昔の中国で起こってました。   「三国志」の蜀が940,000人(西暦263年)、魏が4,432,881(西暦263年)、呉が2,300,000人   (西暦280年)で三国合計でも人口は一千万人に届かなかったようです。 それが隋になると人口は   46,019,956人(西暦609年)、唐のころには人口は52,919,309人。でも前漢末の数字に及ばず   その人口を超えるのは西暦700年ころ。前漢末から実に千年も後の事。  中国って何だか凄いです。   100年4世代とみると、今から88世代前の中国は6千万人。同じころ、日本は弥生末期で60万人ほど。   ということは何と中国の百分の1しか人がいなかったということ? 全然知りませんでした。   司馬遼太郎さんの歴史小説を読んでると、88世代前の人も今の人も、考えていることはそんなに変わってない   ように思えます。 サイエンスは格段の進歩があるのに。 人の心は何も変わってないのか。 ずっと同じことを   繰り返すんだ。 親の年代は古い考えで祖父母の年代なんて、遠い昔の人のようでも、高々、2世代前の人。   あくせく受験戦争に明け暮れても、仕事に忙殺される日々を送っていても、ほんの1世代のうちの取るに足らない   事ことなのかもしれない。 そして今から186年後の2200年の日本の人口は4000万人らしいです。今から   わずか8世代後には明治の人口に逆戻り。1億2千万人の人口が3分の1となると多くの人の子孫は絶えて   しまっているかもしれないし、それとも日本から離れて他国で生き永らえているか、月にでも日本の子孫が   生きているかもしれない。 もしかすると国という単位自体がなくなっていて、宗教で分かれているかも。   しかし人間の考えることは、いずれにしても大差ないのでしょう。 88世代前と今が変わらないのだから   8世代後など変わりようもないはずです。    歴史小説を読んでいると、いつも自分は長い長い過程の中で一瞬、姿をあらわすほどの微生物に過ぎず   顕微鏡の中の耐性を帯びる細菌のようなものなんだろうと思えてなりません。

4月8日の夜の番組で詐欺師に騙された被害者が弁護士、探偵らと姿を眩ました詐欺師を探し当て、被害 を受けたことの謝罪と弁済計画の締結まで終えるという番組を見ていた。 お蔭でお風呂に入る時間が遅く なってしまったではないか。 面白い番組ではあったが、困ったものだ。  夜の時間は何かと忙しいのに。 「論文のミスで騒がれたが、STAPそのものは間違いなくある」 「たまたま一つだけできたのではなく、幾つも作っている。何度も見たし、他にも見た人がいる」 STAP細胞のことが取りざたされて、もう3か月。 急転直下のまさかの小保方さんが明日コメントをするらしい。 しかし、理研上層部の対応は自らのチェックを怠ったにも関わらず、 若き研究者個人の未熟さが問題だった などと言っていた会見を思い出す。 よくもしゃあしゃあと言えたものだ。 開いた口が塞がらないとはこういう事か。 どこの研究機関がSTAP細胞を発表したというのか?  そして誰が責任者なんだい?   自らの保身が見え隠れする会見をまた思い出してしまった。 STAP細胞に可能性があるなら日本を出て、海外の投資家の手を借りてでも研究を続けて、記者会見を 行った理研の上層部の面々を見返してもらいたい。 そして当の本人の本当の研究成果を聞いてみたい。  まだ期待している。 というか願っている。  日本と世界を沸かす研究であって欲しい。 だから、ハンゲキに 出て行って欲しい。 出来るか否かは小保方さん自身の問題。 不正行為に直接手を出していなくても、 指導的立場にあったシニアの研究者たちの責任は、小保方さんと同等以上に重いはず。 そんな彼らに ハンゲキするにはSTAP細胞を再現するしかないでしょう。  だから明日の会見を見てみたい。 男たちに 翻弄されないで自分の道を切り開いて欲しい。  決して、ねつ造や不正をした詐欺師であって欲しくはない。  ハンゲキを見ていて、そう思いました。

春は何かが始まる予感がする。 新たなこと。 新たな出会い。 それはそのはずだ。 18年もの間、幼稚園から 大学まで新しい学期を春に迎えて来たものだから、身体に染み込んでいるのかもしれない。 仕事においてもそうだ。 転勤はどこもこの春に多い。 決算期は3月。 すべて春に場替えするみたいに気持ちを入れ替えてきたんだ。 麻雀の場替えは流れを変えてくれる。 それを待たねばならない時もある。 耐えて忍んで場替えを迎えると 意外に流れが好転する時もあったりもした。 それが頭に残っているのかもしれない。 心機一転自分を変えて みるのもいい。 それが期の変わり目ならやり易い。 人はいくらでも変わることが出来るはずさ。 このままではいけないと感じたら、そのきっかけを見つけたらいい。  明日、新しい学校、新しいクラス、新しい職場に出向く人がいる。  今までの自分とお別れしてみるのもいい。自分の殻を破るきっかけかもしれない。 それが春なんだと思う。  桜の樹が鮮やかに咲き誇るこの時期に過去の自分の衣を脱いでみるのもいい。  前を向いて生きる自分がそこにいる。 そんな予感がする。 それが春じゃないか。 目をまっすぐ前に向けてみよう。  今までと違った世界が広がっているはずだから。 きっと思うだろう。 こんな春を待っていたんだって。

人間は他人のことをネタにしゃべるのが好きだし、そんなことしないと言う人でも人のことをああだ、こうだと言ってしまう。  そして、また気の合う人と過去の出来事をほじくり返して、これまた、ああだ、こうだと言って過ごすのも楽しい。  それが普通だし、ダメだなんて誰も言えるものではないでしょう。 ならば自分の心が正しいと思うことをやりながら 人の目など気にせず生きていく、勝手気ままな人生もいいものだ。 たとえ、いい結果が訪れたとしても、そうでなかった としても、いずれにしても人の批判にさらされるのだから、そのようなことは気にせず生きて行かねばならないのだろう、 などと偉そうなことを考えて生きたら25年という長い年月が、あっという間に過ぎていました。  四半世紀も、あっという間の出来事でした。 平成元年に生を受けた子が25歳になるとは、そういうことなんだ。  いつの間にか幼稚園に入り、小学校も入学式が済むと、やがて6年が過ぎて卒業式。 真新しい学生服姿の写真も 6年が過ぎると高校も卒業。 初心を忘れずなど言っているうちに大学生。 こうして10年、15年、20年があっという 間に過ぎていきます。 振り返ると長い長い時間も一瞬の出来事でした。  春は新しい旅立ちの時。 善いことはカタツムリの速度で動くものだと信じて、じっと待つしかない。  過去の記憶を手繰るように、未来の記憶を創りあげよう。  それをするにはカタツムリは打って付けの速度を 刻んでいるのかもしれない。 春はゆっくりが似合う。 梅雨の頃にはカタツムリがピッタリ。   そんな地球は秒速500mで毎日自転し、秒速30kmで太陽の周りを1年をかけてまわり続けている。 46億年も前から。 周囲4万kmの球体は生き続けている。 我はその一瞬に生きた塵のようなものだ。 そう思うと25年も一瞬のこと。 全てのものが高速で移動して来たから、その流れを止めることはできない。  カタツムリも高速の中でゆっくり生きている。 そうあらねばならない流れの中で生きている。 我らも同じこと。  そうあるべきものを心で捉え、しっかり伝えて生きていきたいと思っている。  人を見るのではなく地球を観ていると些細なことは気にしなくなるからと。  あっという間の人生。 おおらかに生きようではないか。

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