5月 2014

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宅急便を持ち込んで宛先を書いていたら、通りで急ブレーキと罵声が飛び込んで来た。 ぶつかった訳では なさそうなので、そのままお金を支払って宅急便屋さんを出てきたら、また怒号と罵声が。 聞けば罵声を浴びせ ている男性の車の前に急に割り込んできた車があったらしい。 見ると相手は30-40歳の女性。 罵声の本人は 40前後で175cm 90kgくらいの小太りで声の大きな男性。 車を停めさせて運転席に怒鳴り散らしていた。 女性はもう無抵抗で許して下さいと怯えている。 この男性、相当、腹立たしかったのか一向に怒りが静まらない様子。  夕方19時前の出来事。 服装からどこかの現場で仕事を終えて家に帰る途中らしい。 女性は何度も謝り男性は 「謝るくらいなら警察はいらない」と感情的に怒鳴り返す。 流石に手を上げるところまではいかないにしても それは恫喝に近いもの。 女性も左右を確認せずハンドルを切ってしまったことは事故の元。 しかし、恫喝に 近い汚い言葉は聞くに堪えない。 しかも相手は同年代の女性。 そこまで言う相手ではないのは一目瞭然。  この女性が運が悪いのか、この男性に運がないのか分からない。 しかし自分がやったこととまるで同じことが いずれ自分の身に降りかかってくるというのは世の常。 何で其処まで脅すのかと、傍らで観ていた私に気づくと 漸く、男は捨て台詞を残してその場をあとにした。  空手では、自分より下の帯の人をとことん遣り込めるのはルール違反。 しかし、逆に下の帯の人が 突っかかってきたらば受けねばならないし、その時に逃げるようなことは絶対にあってはならない。   今日の一件、女性や自分より弱そうに見える相手に罵声を浴びせることをやめなければならないのは明白。 人は外の世界に与えたことや、与えた作用と同じ力の反動を、そのまま自分の身で受ける覚悟を持たねば ならない。 狭いプールに勢いよく飛び込むんだ時のような激しい反動が時を経て自分自身に還ってきてしまう。  ちょうどそんなもの。 プールで泳いでみると水の抵抗が大きいことと、それに抗うと思いのほか体力を消耗して しまうことも分かる。 悪意を溜め込んだプールで泳いでいたとしたら悪意の大波を受け、 施しの心に満ちたプールで 泳いでいたら、いつもそれと同じような波の中に身を置くことになる。 どうせならそんな時間を過ごしてみたいもの。 人生に辛さや苦しみはつきもの。 生活の苦しみ、 働く苦しみ、 勉学の苦しみ、 恋愛の苦しみ、 介護の苦しみ。  順調なときは何でもうまく行く。 でもそんな春はあっという間に消えうせる。 その頂点だなと思った途端に人生は下る。 大事なのは、そこをどう乗り切るかであり、そこを堪えることが出来るのかに尽きる。  あの男性も家族を持っていたとしたら、それを背負いながら頑張っているはず。 重い荷物はたまには下ろして 休みたくなるもの。 しかし、それは決して下ろさず必死に生きねばならないと思う。 その方がこの先どう生きるかは 分からないし、また、どう生きようと私が口を出すものでもない。 ただ易きに流れ、背負うものがない男の顔には 魅力はない。 ただそれだけのこと。  この男気、わかるだろうか。

毎日が同じようなことの繰り返し。 こんな単調な日々なんてとウンザリして不満を抱く。 しかし、一旦 何かが起こってしまうと、それまでの平凡な毎日がかけがえのないものであったことに気づかされる。 人生で出遭う様々な事件や事故を見るにつけ、当たり前に過ぎて行く怠惰な日々がどれほど幸せな ことかを思い知ることになる。 昨日と変わらぬ朝を迎え、昨日と同じ様な夜の時間を過ごしていることに ただ感謝したい。 やがて、溶けてしまいそうな真夏を迎え、昨年と変わらぬ風鈴の音を聞いて涼しさを 感じる。 今年もそんな夏に出くわすだろう。 そう思うと蒸し暑さの中で聞く凛とした風鈴が待ち遠しくなる。 しかしそんな風情の音を聞くことすら、かなわない人もいる。 56歳で、くも膜下出血で寝たきりになり伊豆の病院 で植物人間の状態で生きながらえている方。 ご主人の数億円の借金を、彼女は懸命に働いて返済した挙句の 入院。 手足は曲がったままで口も利けず、反応もごくわずか。 日頃から海が見えるところが好きと言っていたので ご主人が伊豆の病院に入院させたようです。 この方、くも膜下出血で脳が大きく損傷し回復は難しいと言う。 「いい時だけ夫婦じゃね。悪い時も、いい時も夫婦」と。 この世は理不尽なもの。 あんな意地悪な人なのに、どうしてあの人に、いいことばかり起きるんだろう?   私の方が頭がいいのに何であの人ばかり、、、。 マイナスの状況で、どん底を経験すれば、あとは上がるだけ。  今、辛い思いをしている人も、仕事や生活の 中で、真正面からその辛さや環境に向き合い、全力を尽くしましょう。 明日を切り開いていくために。 伊豆の病院で横たわる奥さんの闘病を綴るブログを見るにつけ、そのような思いが胸を突き上げるのです。

自分ではどうしようもない領域があるように思えてしようがないのです。 それはどの分野でも体験する日常の事。 たとえば、その筋書きをいじることが出来ないというような感覚の時もあります。 そんな時は流れに任せるしかない。 緊張して、焦って、あがけばあがくほど自分を見失ってしまいそうな時もある。 人前で話をするのが苦手で準備は すれども、あがってしまって頭が真っ白。 私の30歳台はそんな日の連続でした。 何度もそんな場面に直面し 自己嫌悪と情けなさと、たまに出くわす、ちょっとした成功が入り乱れた日々。 それは仕事と家庭と子供の育児 とがギュウギュウ詰めにされた日々でした。 それしかない精一杯の日々でした。 余裕がすべてにない毎日。 そして夜更かしと朝駆けでも何とか誤魔化しながら生きているという日々。でもそんな中でもふと気が付くと、 いつの間にか長いトンネルの出口が見えていたようで、何事も失敗の繰り返しから逃げないでいたら、知らぬ間に いくつもの峠を越えていました。 今思えば、あっという間の30歳台でした。 いつしか話下手だった自分が、人前で しゃべりたくてしようがない性格に変貌していたことにも気が付きました。 先天的な性格はいくらでも変えられるのだ とその時、実感しました。 粘土をこねて創るようなもので何度もやり直しているうちに、それ相応のものが出来るように なっていて炉の温度や雰囲気も自分なりにわかるようになってくる。 克服するというようなものではなく、やり込んでいくと それが出来るようになっていた。 峠は越えられるというか、そこに意志がある限り、ごく自然なものとして何とかなるの だろうと、何だかそんな風に捉えています。 しかし、その中でも自分ではどうしようもないものがある。 いくら頑張っても 出来ないものと言えばいいのだろうか。 たとえば実力があっても勝てないサッカーの試合。 冬のスケートのショートトラック 競技でトップ争いをしてる集団がみんな転倒している間に、一番後方に居た選手がゴールに入る場面。  偏差値では間違いなしと言われていた学校に落ちることも。 そんな時にどう挑めばいいのでしょう。  トップ争いをしていたショートトラックの選手はどうすべきだったのでしょう。  重圧のかかる大勝負にどう挑めばいいのでしょう。 超一流企業の新卒採用、最終社長面接。 胸は張り裂けんばかりでしょう。 どうしたらいいというのでしょうか。  手には汗をかき、周りの人が自分よりも素晴らしく見える時。 いったいどうすればいいのでしょう。  それには答えが一つだけあります。 誰かが、そっと耳元でささやいてあげればいい。 「もう結果は決まってるから」と。  自分の出せる力は決まっている。 だから、その先は運を天に任せるしかないのだと。  WHISPER WORD OF WISDOM   "LET IT BE"   「あるがままを あるがままに 全てを受け入れるのです」  メアリー・マッカートニー 45年前の言葉です。 

気が付けば、今年も1/3が過ぎていた。 庭の木香バラの黄色い花は咲いたと思ったら、もう散り出していた。 桜が咲いたのは、もうずいぶん前の事のようだ。 1年365日の1日1日が大切な宝の山であるはずなのに 私は小判の前の猫のようであり、真珠を与えられた豚のように無駄に時を浪費してきてしまったように思える。 それでも、そんな時の価値を忘れた放蕩息子にも宇宙は、一向に惜しまず、また浪費をとがめず、新たな年を また与えてくれる。 そして、春には桜を咲かせてくれる。  人に会うのも、これが最後と思えば、言葉も動作もよくなるものを、、、。 私は何をしてきたのだろう。 この一食で最後だと思えば、梅干しとごはんでも味わい深いものだと感じるものを、、、。 1日1日を大切に生きねば。 大切な、そして平凡な生き方に感謝しなければ。  何不自由ない時が続くと、そんな宝をも忘れて日々を惰性で送ってしまう自分がいる。  私の身体に血液が流れているのは知っている。 しかし、それは当然だと思っている。 当たり前だと、、。 さっき夕食で食べた物が消化され、それが栄養となり身体の隅々まで行き渡ってくれている。当たり前、、。 しかし私の知らないうちに胃や腸、すい臓、肝臓、腎臓は全力を挙げて懸命に働いてくれていることには気が 回らない。 そこまで暇ではないのだからしようがない。 そんなことを思う横柄な自分がいつも顔を出す。  自分の身体なんだから何とかなるだろうという気持ちで蓋をしてしまう毎日。 ずーっとそうしてきたのだから。 「これで絶対大丈夫なんだ」と言いきかせている自分がいる。 自分の身体は自分のものだから何とかなると 粗末に扱ってしまう。 しかし病気になりたくない時に病気になるし、下痢をしたくない時に限って下痢をする。  咳き込みたくない時に必ず咳がでてしまう。 そして死にたくない時に死ぬだろう。  だから、そういう意味からも自分の身体は自分のものではない。 いわば借り物の身体なのに不平・不満 を並べてしまう。 誰でも、いつかは、お返ししなければならないこの身体。 よもやそのことを忘れてはなるまい。  そういう生き方を毎日送らねば。 一期一会を大切に毎日を送らねば。 そんなことを思いながら、この四か月を 振り返ってみると、それはひいき目に見ても、やはりまるで猫に小判の生き方に近いものでしかない。  今日、5月11日は「母の日」。 この身体を生んでくれた母を思う日。 宝塚で一人でいる母。 そんな母に感謝 している。 今日、電話してみよう。 川口の実家から関西に移ってもう長い。 川口を思い出す懐かしい思い出話 がいいかな。 生きている母にただ「ありがとう」を伝えてみよう。 今年7月には81歳になる母。 生きているうちに 何度も「ありがとう」と伝えたい。 ぶっきらぼうで扱いにくい子供であっただけに猶更だ。 今日の母の日、空手クラブの子供たちの「お母さん、ありがとう」をどれくらい聞けるだろう?  10年経っても20年、30年経っても、何年経っても母を大切に思う子供であって欲しい。 そして素直な心を忘れない子供であって欲しいと、一人一人の顔を思い浮かべながら願うばかり。  私もそんな子供たちの心のように素直に活きてみようか。 あらたむるに遅きことなし。なのだから。

何で卓球の選手の足は陸上の選手みたいにカモシカのように細くないのだろうとずっと思ってました。  私は運動はテニスと卓球、ゴルフ以外は何でも好き。 野球はタイガース。 サッカーはザックとなでしこ。 ラグビーは正月の高校ラグビー。 大学の時、大八木、平尾が2年あとに入ってきて一躍、関西の大学ラグビー も陽の目をみたのです。 埼玉出身で何で関西なのかと言われても大学が関西だから、そうなのです。  昔、野球は巨人しかないと思って居たのに関西に住んで「おはようパーソナリティー中村鋭一です」、 「おはようパーソナリティー道上洋三です」を聴いてるうちに、あの六甲おろしが人間味のある歌のように思われて、 あっさりタイガースファンに転身してしまいました。 1985年には、本当に涙がでました。  その時、「もう20年は優勝はないな」とも思ってました。 その通りでした。 でもそれがタイガースらしくていい。  エリートじゃなくてもいいんだって思ってました。 タイガースが勝つと、そのラジオ番組の冒頭は、いつも六甲おろし から始まってました。 ところが負けるとスポーツニュースの時間が一言二言で終わってました。 昨日、野球やって ましたっけ?ってな具合です。 関西のラジオはこれでいいの?  凄い。 関西人は、みんなそんな感じなんだ。 東京ではあり得ない自由さが気に入りました。 そんな関西が大好きです。 話を戻すと、それ以外のスポーツ ではバレーボール。 これは中学・高校と6年間やってきたので、今でもお手の物。 という訳で空手以外では テニスと卓球とゴルフを除いて何でも好きでテレビもよく見るし観戦にも行くのですが、 好きでもない卓球は 全く興味が湧きません。 世界大会がやっていようが、何をしていようが私には何も関係ありませんでした。  なんだこのチマチマした、弾けるものがない、暗いスポーツは。 と思いながらうわの空で観ていたものです。 今回、たまたまリモコンのボタンを押したら卓球がやってました。 でも意外と動きが速い。 体勢が崩れていない。  日本人が好きそうな熱戦につぐ熱戦もある。  あれれ、そうだったの。 夜、空手から帰ってきてなんとなく20時から 観ていた卓球が23時まで釘づけに。 動きがいいじゃん。不要な動きをしていないじゃん。微妙なコントロールが されているし。いいじゃないの。 これって何? 卓球? 何で、もっと早く教えてくれなかったの? 面白いじゃん。  カットマン?っていうの。 気に入った。でもウェアーが、ちいーとダサいかも。あれは垢抜けしてない。良くないなあ。   もっと斬新でカッコイイスタイルを創ればいいのに。  ボディービルダーの身体はカッコいい。 でも空手ではそんな体型では強くないのは感覚でわかります。 腹筋は割れているのが見栄えはするけどそういう腹筋は当たりに意外に弱い。経験則でそれはハッキリしてます。  まれにプアカーオのような人もいるにはいるけど、体脂肪率数パーセントの人より、程よく脂肪がある人の方が 格闘技は強い。 卓球の選手の足を観ていて、同じような感覚がありました。 カモシカの足じゃなくて、みんな 意外にズンドウというか、か細くない。 でも、だから早いし軸がぶれないのだろうと感じました。   ボディビルダーには回転運動の軸がないので筋肉を収縮させて伸ばす運動だけ。 そこに速さも要求されず 回転も求められない。 ただ筋肉の見栄えを競うもの。 それはそれで極めれば素晴らしいのだけれど運動神経 とか運動能力とかを求める競技では、そういう筋肉の付き方ではなくなります。 卓球選手は正にそんな感じです。 今回、興味のなかった卓球、明日も観ようかと思ってます。 なぜかって?、 それはね連日、23時過ぎまでライブ 中継があって、劣勢を挽回する絵にかいたようなストーリーが続いているから目が離せなくなるからだよ。  よくここまで勝負事なのに観客を引きつける展開を創れたものだと思うくらいでした。日本生命も、ANAも、全農も ここまでは想定してなかったでしょう? と言いたくなるほどの熱戦でした。 日本女子が決勝に残るなど誰が予想 できたものか?  今回のテレビ枠をあれだけ取ったテレビ東京も運があるし、全農も捨てたものじゃない。 今年の3月にはこの全農って、なんという酷い会社なのか。と思っていたのに、この変わりよう。  「JAバンク横領横行」 9年で861件。 187億円も。あり得ない企業だと私は思ってました。 就活では 難易度の高い企業ではあるものの日本の企業とは思えないほどの横領が全国展開されてるイメージがあった のです。 でもそれが今回の卓球に魅せられて、イメージがちょっとだけ変わりました。  全農というとJA。 JAというと農林中央金庫となってしまう。 変な不祥事の構図がイメージされてしまいます。 でも今日の香港戦の平野選手や石川選手の涙を見るとそんなイメージなんて吹っ飛びましたがな。   ところで、顧客の定期預金を無断で解約し着服したJAおおいたと、JAながさきの元支店長は今頃どこで 何をしているのだろう?  2014年にJAがこんな素晴らしい「世界卓球2014東京大会」のスポンサーに なっていると分かっていたら、あこぎなことに手を染めたりはしなかったかな? どうだろう?  2008年には76件、2012年には54件。 いまだに返済されてない額が54億円もあるなんてある意味凄い。  きれいな、そして純粋な卓球の汗が横領という文字で穢れないことを祈るばかりです。  そうか。 私のように「JAの金融事業」のイメージが「不祥事」という文字につながる人にとって「全農」と 言われると不祥事のイメージも薄れるのも事実だ。 そうだ、そう思って明日の決勝を楽しもう。 JRAが競馬なら、JAが横領。 いや、そんなことはない。 卓球だ。 そうだ。 卓球だ。 カットマンだ。  明日は中国戦だ。 決勝だ。 それでいい。 もうなんだかわからなくなってきた。

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