6月 2015

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男性と女性が出逢い、恋に落ち愛を交わす。 互いの人生が重なり合い喜びを分かち合う頃に精子と卵子が結合する。 しかしこうして奇跡の確率の出逢いによって結ばれた受精卵でも、この世に生まれて 来るのは、僅かに3割しかない。 残りの7割の受精卵は誕生までには至らない。 この生まれ出でた3割の中にも染色体に異常があったり、重大な疾患を持ったまま 生まれて来る子供がいる。 僅か1年の命の赤子もいる。 ご両親は治る見込みのない我が子の小さな手をさすり、頬を撫でてあげるしかない。 たった1年の命と分かっていても神に祈る。 そして必死に看病する。 たった1年でも、その子は親にいろんなものを与えてくれた。 若い新米夫婦にかけがえの無いものを残してくれた。 その子はその二人を選んで、その二人に会いに来たのだ。 またこういう事もある。 毒矢に刺さって苦しむ子供がいるとする。 そこに医者達が集まって論じ始める。 誰が矢を射ったのか? この子は誰の子で何で射られたのか? 身長と体重と血液型は? この子はいったい何歳なのか? その矢の材質と刺さった角度は? その矢にどんな毒がどれ程ついているのか? 苦しみ悶える子供の周りで論じられていた。 やがて、すべての疑問に答えが出た頃には、その子の息は絶えていた。 医者もいろいろいるものだ。 でも医者は評論家では困る。 分析や議論が不要とは言わない。 でも、その場で必要なことは一刻も早く患者の毒矢を抜いてあげること。 そして人として生きる事ではなかろうか。 誰でもわかりきっていること。 でも、多くの場合、そんなことが進まない。 人の一生のうち、困難や逆境に遭わずに暮らしていける人は稀だ。 ほとんどの人は、その状況は違えど様々な苦労を背負って生きている。 孫を抱いて涙する祖母がいて、子供を叱って抱き締める母がいる。 台風が来ると家族揃って、肩を寄せ合い息を潜めて台風が過ぎるのを待つ。 天気予報の無い時代は、そうやって家族の心を確かめあっていた。 今、してあげられること。 今、出来ること。 いったい私に何が出来るのだろうか? それを昨日も今日も思いながらデコボコ道を生きて来た。 明日もそんなことを心に抱きながら地べたを這って生きていくだろう。 私の前には、そんな道がどこまでも続いている。

行き過ぎやり過ぎは、何だかしっくり来ない。 8年前、急に駅前留学のNOVAうさぎが姿を消した。 豪華な社長室だけは印象に残ている。 一度は経営破たんしたNOVAは今、また出直して頑張っている。 いい時には、すべてがうまく行くから調子に乗り過ぎてしまうのだろう。 頭が良くて、勢いがある人は、そこに突然曲がり角が現れることに気づかないのかもしれない。 最近、昔のNOVAと同じ匂いがする広告を何度もテレビで観るようになった。 社長はやはり若い。 勢いがある。 だから、危ない。 感覚的にそう思う。 夜の静寂の中で考えごとをするのは至福の時だ。 真夜中がゆったりできる。 そういう時を大事にしたい。 音楽を聴きながら目を閉じてもの思いにふける。 人生には、自分でコントロールできない出来事が突然現れるもの。 そんな出来事に押しつぶされ、パニックを起こしてしまいそうになる。 でも、「この後には必ず良いことが起こる」と信じたい。 いや、「そう信じること」が生き方のコツかもしれない。 やがて良い土地の縁と、よい時の縁、そして良い人の縁が何かを結び付けてくれる。 それを信じ、その何かが結びつく時を待つしかなかろう。 「帝王切開での出産、特に障害を持った子を出産した親は出産前、妊娠前の食と生活を 乱したことの証であり、一生かけて反省しなければならない」とつぶやいた医師がいた。 この辛辣な文字を残す医師は筑波大を出た41歳の内科医。 身勝手で強烈な言葉はダイオキシンに等しい。 梅雨の季節。 毎日暗い空が覆う。 降らば降れ。 吹かば吹け。 と自然の流れの中に身を置きたい。 人は、やがて狂奔の日々を振り返って自然とともに歩む道を探すことだろう。 以前、昔育った街を歩いてみた。 幼いころの記憶が蘇り、懐かしく、またすっかり変わってしまった風景に物寂しさを感じた。 同時に家族や友達の姿や言葉が思い出され、それらが自分の物の見方・考え方の原点になり その後の自分を支えていたことに気づかされる。 時は過ぎ、時代は変わった。 私は時に過去をたどり、いつまでも変わらない自分の原風景に立って来た。 そうすることで明日に希望をつないで人生を紡いで来た。 自分の生きた証もまた消えることがなく、きっと誰かの心の風景に刻まれているかもしれない。 できることなら、その人達が苦しい時、逃げ場を見失った時、どうしようもなくなった時に 立ち返る拠り所になって、勇気を与えられるような、そんな生き方をして行きたい。 今は、そう思って生きて居る。 大切な人の心に届け。 今日の努力する姿が明日の喜びにつながるはずだと。

あなたは過去を許せますか? あなたは、もう自分の過去を許してあげたのですか? 人は自然に守られ、人に支えられて生きている。 人を蔑み、人を裏切り、そして人をあざけりながら生きている。 あなたは憎んでいた過去を忘れられますか? そして憎んでいた人の事を忘れられますか? あなたは何に背を向けて生きて行くのですか? 「人は、人によりて、人になる」 「子供は、大人によりて、良き社会人になる」 子供は感受性豊かに大人を観ている。 関心があるから観ている。 そして観ているその人の様な人生を送るようになる。 だから気を抜いてはいけない。 肩書や年収で人を判断する子供は、その親がそういう人だったのかも知れない。 一生懸命努力する子供は、きっとその親の後姿を観てきたのだろう。 でも悪口も、陰口も、重箱の隅を突っつく攻め口調も子供がやり始めた事ではない。 積乱雲と雷、雹や突風、そして地震とつなみ。 先の天候など誰にも分からない。 自然の中に人は生きている。 自然に守られ、また苦しめられながら生きている。 憎む人も、許す人も、大いなる宇宙の中に居る。 太陽は、いつもあなたを照らしている。 許すあなたも、憎むあなたも。 あなたは自分の過去を許せますか? 答えのある問題を解くのは大事な事。 しかし答えのない問題を心で反すうすることはもっと大事。

昨日、おとといがあって、今日の自分がある。 三か月、半年前の自分があって、今の自分がある。 3年、5年、10年、15年、そして20年、30年前の自分があって、今の自分がある。 1時間は3600秒。 1日は86,400秒。 1か月は約260万秒。 そして1年は約3110万秒。 30年では約9億3300万秒。 気の遠くなるような間、着実に砂時計は時を計っている。 だから、この1秒、1秒を無駄にしてはいけない。 人には固有の砂時計があって、一人一人の砂時計の大きさ、砂の量は生まれながらに差がある。 そして蝋燭が消えるように、その砂時計も最後の一粒が尽きたら、それでその人がその身体で生きる ことは出来なくなってしまう。 おもちゃの電池がなくなるように、砂時計の砂もいずれなくなってしまう。 だから、その一粒一粒、一秒、一秒を無駄にしてはならない。 私には無駄にしてはならないことがある。それは私が今まで味わった苦しみ、悲しみ、妬み、痛み。 それから何よりも人に与えて来てしまった苦しみ、悲しみ、妬み、痛みである。 若かりし頃、私は人の世話になるものかと思いながら生きて来た。 しかしもはや、その過去に立ち戻って、過ちを悔い改めることは出来ない。 今日、6月12日 二つの事件の判決が出た。 一つは、2014年3月に起きた柏の通り魔事件の判決。 「これでまた殺人ができる」という声が残った。 もう一つは、2014年9月に生活苦から実の娘を絞殺した判決。 「本当は私が死ぬはずだった。可純に申し訳ない」という声が残った。 失敗も、後悔も、そしてどんな嫌な事柄も、一つとして無駄なことはない。 人はその生涯の中でいったい何千人、何万人の人に出遭っていることだろう。 「もう、あの時には戻れない」 という過去をどれほど観て来たことだろう。 今日、私はいろんな経験をした。 そして明日の私はどんな経験をするのだろう。 今日、私はいろんな人に出遭った。 そして明日の私はどんな人に出遭うのだろう。 昨日の自分があって明日の自分がある。 今日の道端の蟻んこにも明日がある。 そして、田んぼに生まれる名もなきミジンコにも陽のあたる明日はきっとある。

人は条件で幸せになれるほど、簡単な代物ではない。 お金があって、いい学校を出て、容姿はもちろん悪くない。 しかし、人間は、そんな条件だけで幸福な日々を送れる訳ではない。 でも、それが大事だと人は言う。 お金がないから喧嘩するんだ。と。 果たして本当にそうだろうか? お金があっても、卒業した学校が良くても、そして見た目がカッコ良くても あなたを大事に思ってくれている人かどうかは分からない。 人は誰しも幸せになりたいと願っている。 お金がある人もない人も。 そして自分の幸せだけを願っている。 親兄弟が自分をかけがえのない人だと思っているように 自分が嫌いなその人にも、その人をかけがえのない人だと思う親兄弟がいる。 その人を愛して、その人の幸せを願っている人たちがいる。 人の性格は千差万別。 顔も姿もおなじ人などこの世には存在しない。 71億分の一の存在だ。だからその存在自体が尊く愛おしい。 この71億人の人は、人と関わって生きてこそ、一人一人の幸福感は増す。 しかしそれも歳を取るに従い、人との関わりも減り孤独の中に生きるようになる。 まだ間に合う。幸せは逃げやしない。 いったいこれから世の中はどうなるのだろう。 自分はこのままでいいのだろうか? そんな時代だからこそ、今日一日を精一杯頑張った自分を労ってほしい。 よく頑張ったじゃないか。 失敗しても大したことじゃない。 いったい、何を欲張って生きているの?

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