12月 2015

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毎年、この時期になると年賀状のことで家内ともめるから サラッと済ませたいなと思いきや また同じような会話になってしまった。 「どのデザインがいいかなあ?」 「ねえ、見てくれない?」 「どれでも同じさ」 「何で見ないで分かるのよ」 「分かった、じゃこれでいいんじゃない」 「それはダメなのよね、申の字がないじゃない?」 「自分で決めてるなら、聞かないでくれないかな?」 なんだかんだある。 これはいつもの通りだ。 一応、全てプリンターで印刷してから見せてあげると これまたいつものように色がかすれてるだの なんで印刷がうまく出来ないの、とか言ってくる。 だから言ってあげた。 「なら自分でやればいいだろう」 「私は嫌なの。ちゃんとしてないと。ちゃんとしたものを出したいの」 「受け取った人は、そんな違いなんかわかりゃしないよ。」 「ダメなの。私は嫌だわ。そんなの」 「いいわよ、なら印刷の仕方・やり方教えてよ。」といってプイッとふくれてしまった。 なんて細かく、うるさい奴なんだと嫌気がさした。 これくらいのことで何で口うるさく言うんだろう。 男子と女子の違いなのか。 何なんだろう。 ちゃんとしたと思えばいいじゃないか。 少しくらいヘマもあるさ。 そんな年賀状でもいいじゃないか。腹の虫がそういう。 つっけんどうな言葉にはつっけんどうな態度が返って来た。 しかし、冷静に考え直してみると家内の言う通りかもしれない。 だんだんそんな気持ちになって来た。 受け取る人の気持ちを考えるとそうかもしれない。 他愛もないことでもちゃんとしないといけない。 多少、汚れがあったっていいじゃないかではダメなんだろう。 そう思って、もう一度家内の年賀状をすべてやり直してあげた。 どうやらプリンターのクリーニングをやってなかったことでカスレ、ニジミが出ていたのだ。 たかが年賀状。 されど年賀状だった。 長男は来年2月の医師国家試験を受けるために勉強中。のはずだ。 でも何だか卒業旅行の段取りと、勤める病院への引っ越しの手続きやらで 時間が過ぎてしまってるようで本当に勉強をしてるのか疑わしくなってきた。 昔なら、「おい勉強時間だぞ」って叱るところだ。 しかし、もう高校生の頃から頭は親を越えているのは感じ取れた。 勉強のことで親が出る幕はなくなったのだ。 そうなると距離を置いて見守るのがいい。 大学では勉強に専念してると思いきや、これもビックリ。 大学の体育会空手部の道着と黒帯が部屋に置いてあったのだ。 医学部6年生、空手をやってる場合じゃないだろう。 大丈夫なのかい? 次男は大学を卒業し社会人1年生だ。 しかし1月1日の実業団ニューイヤー駅伝のために今日も駅伝の練習中。のはずだ。 最近顔を見てない。 元気なのだろうか? 連絡がないのは元気な証拠だ。 この子たちが幼稚園、小学校の頃が懐かしい。 年賀状に子供たちの写真を添えることはもうない。 親は子離れをしないと。 これが意外と難しい。

あなたみたいに付き合いづらい人はいないと面と向かって言われた。 学校の給食も一人ぼっちだった。 もちろん登下校もぼっち続き。 その人の話はまだ続いた。 世間のクリスマスの盛り上がりには背を向けたくなった。 やがてスマホから眺める世間が純粋な世間だと思うようになって 人と話す事が苦手で一人でいる事が当たり前の人生を歩むようになって行った。 そんな人生を何年も過ごしたという。 自分の心に閉じ篭って生きることはどれほど辛かろう。 平然として聞き流したように振舞っていても、実はぬかるみの世界に落ち込んで 抜け出せなかったらしい。 積り積もったあきらめの山は手の施しようもないほどだった。 広い世の中には、さまよえる心の持ち主は少なくない。 仕事を追われ自暴自棄な人。 回復の見込みのない難病を宣告された人。 身を粉にして貯めたお金を騙し取られた人。 人混みの中にたった一人生きる人。 そんな人に私が出来ることは、先のちびった鉛筆で心のスイッチを押してあげること。 生きてる限り、言葉を紡ぎだすことは誰にだって出来る。 一枚の紙と、ちびった鉛筆とさえあればいい。 あとは心を込めてこの手を広げて君の胸のスイッチを押してあげるだけだ。 絶望に細る心を前に、この世に生まれ落ちた訳など説いて聞かせてなるものか。 「水の流れに逆らって泳いでご覧。」 「それが活きるという事なんだ。」 「水の流れに身を任せて生きるのは死んだ魚のようなもの。」 「大地と海の川に力いっぱい生きてみないか」 「それでも君は活きた魚かい?」 風に乗って届けよ、響けよこの声が君の心を熱くするまで。 あきらめないで。 だからいつまでも響けよ。 そして君の心に暖かい血潮が蘇れ。 凍える海の粉雪が舞う真冬の夜でも いつだって、この想いを届けてあげよう。 出遭うべき人と出遭うべき場所に君が辿り着くまで。

今日、不可能と思える事の大半は100年も経てば現実のものになっている。 過去を振り返ると、この先の100年は想像もつかないほど進歩するということだ。 それには高い目標を持ち、その目標に挑戦しようとする気構えが必要だ。 努力とその継続を怠らず、七転び八起きの精神を貫けば一時の挫折やつまずきなど 生きて行くための栄養に転化する絶好のチャンスと捉える事も出来る。 そしてその生き様の中に心を熱くし、心を震わせるような感動を探し求めて 生きて行けば、大方の道は安泰だ。 果たして一人一人の目標がどこまで達成できたかは分からない。 しかし分からないながらも一生懸命に希望と勇気を振り絞って自分の人生を生きて行く事が 与えられた寿命というものを生かしきる道なのだろう。 人の一生は大きな運命の渦の中で、ご縁の糸に操られている。 人と人とのつながりも、一人の意思や、その時々の感情によって簡単に切れて しまうものではなく、もっと大きな流れの中で、もっと次元の高いものに 左右されているように思える。 こうして自分の思い通りにはならない渦の中に私は生きて来た。 絡まり合う衝動に足元をすくわれたり、つまずいたりして生きてきた。 人格など整然と秩序の取れたものではなく外からも内からも無秩序につまずく日々だった。 失敗は私の周りでいつもお手ぐすねを引いて待ち受けていた。 しかしこの思い通りにならない無秩序の連続が将来の危険から身を守る確率を高めている ように思えてならない。 何でこんなことが起こるのだろうという「つまずき」が将来のある事柄に辿り着く時間の リセットであったりもする。 大事な時に靴の紐が切れたり。 急いで連絡を取りたくなった時にスマホのバッテリーが切れたり。 電車でウトウトしていて荷物を網棚に忘れてしまったり。 一番短い列を探して並ぶと、列が進まなかったり。 お昼に雨が降ると思って500円傘を買ったら一度もささずに食事をした場所で忘れてしまったり。 バーゲンに並んで買い物をした帰りに得をした分以上の交通違反切符を切られたり。 世の中まったく思った通りに行かないものだ。 しかし思い通りにはいかない人生でも振り返ってみれば案外悪くはない。 つまり、この「不自由なつまづき」の連続が実は大きな価値があったということなのだろう。 だとすると、どうやら無秩序の連続の中で、つまづくばかりのこんな自分でも いつしか危険を察知しながら生きるすべを身に付けていたということになる。 人は100年前の過去に生きることは出来ないし昨日に戻ることも出来ない。 だから前を向いて明日に生きるしかない。 つまづきと挫折を真正面から受け止めてみよう。 そして明日の失敗を楽しんでみようという気持ちが心の底から沸々と湧いてくる。 さあ、そんなワクワクする明日がやって来る。 私は明日、多くの不安と多くの心配の顔に出くわすことになるだろう。 私は、そんな一人一人の刻一刻の勇気を奮い立たせてみようと思う。 そして一人一人の心に火を灯してみようと思って居る。

兜町では株価の上下に一喜一憂するらしい。 しかし、これらは偶然ではないし、もっと大きな筋書きの中での一コマに過ぎない。 だから偶然など存在しない。 しかし偶然なる物の一つ一つが乱流のごとくに存在し その一つ一つが大なり小なり因果的連鎖を起こしてると捉えた方がいい。 だからこの先の出来事はだいたいは後になってはじめて、そうだったのかと気付くものだ。 まるで雪の中を飛ぶ飛行機のようで、留まる事を許さない風に吹き飛ばされながら 白い粉雪は、心に浮かぶ断片的な記憶とともにあるべき所に落ちていく。 自分のその時その時の記憶など後から思えば全く定かではない。 自分が何を思い、何を感じていたのか、いちいち振り返ることも難しい。 いずれにしても意識の奥底にある自分の過去の感情は、絡まり合い、混じり合って 疑わしい記憶となって心に浮かんで来る。 この混ざり合った記憶の連鎖の先に、これから起こり得る複雑な未来が待っている。 これが人生だ。 日経平均株価の変動を観ていて、そんなことを感じた。 今日、東芝は一旦、303円の値を付けた。 過去5年の変動は5年前から損失の水増しを行っていた3人の社長のように 東芝の株価はあるべき姿となって、あるべき所に落ちて行った。 因果の連鎖とはそんなもののように思える。 一昨日、久しぶりに長男が帰って来た。 先週、3日間の卒業試験が終わったらしい。 医師国家試験は来年の2月。 結果発表は来年の3月18日。 今、幼虫期に何年も地面の下に潜っていたセミたちが成虫に成ろうとしている。 世の中で数えられない程のセミたちが羽化の段階に入っている。 オドオドする必要はない。 腹を据えて強く生きて行けばいい。 偶然ではない未来はもう君たちのものだ。 さあ、未来を引き寄せるんだ。 絶好の舞台は君たちの出番を待っている。

BSで20時から昔の番組が再放送されているので録画して深夜に観ている。 もう43年も前のドラマだ。中学2年生のころのドラマなので何となく覚えている。 水前寺清子さんが看護婦、石坂浩二さんが医者で二人は夫婦役だ。 もう43年も経ったのか。 どおりで服も部屋の造りも、そして脚本の言葉も何だか昭和そのものだ。 当時、私は親の転勤で大阪に居て、放課後はバレーボールに明け暮れていた。 高校もバレーボール漬けだった。 つい2年ほど前、水曜夜間は小学校で地域のバレーボール練習に参加していた。 参加しようと思ったのは、空手の動きにばねを持たせたいという思いからだ。 久しぶりにやってみるとふくらはぎが痛い。 その部位への負荷が空手とは、まるっきり違っていた。 それと空手の足はベタ足でスリ足の動きだ。 やはり日頃と違うスポーツをやってみると課題も見えてくる。 たまに目線を変えるのもいいものだ。 バレーボールは中高の6年間でやめた。 その後ジムで筋トレをやったり空手の稽古を年がら年中行っていたら 50の半ばを過ぎても一向に筋肉や骨の衰えは感じない。 先日、天龍源一郎さんが引退試合をされていた。65歳。凄いことだ。 テリーファンクとスタンハンセンが最後の天龍の勇姿を応援に来ていた。 テリーが71歳、スタンが66歳。テンガロンハットが今でも似合う二人だ。 プロレスは65歳くらいまで現役らしい。 そうなると57歳はまだ若い。 中学時代テリー・ファンクとドリー・ファンクの試合をよく観ていた。 彼らのプロレスがカッコ良くていつも観ていた。 黒人のボボ・ブラジルは入場の際の花束贈呈の場面が欠かせない。 その花を毎回食い散らかしていたのは彼だけだ。 それも怪獣みたいにウーハー・ウーハー言いながら花束を食い千切っていた。 それが面白くてたまらなかった。 花がそんなに美味しいのかと思って自分も食べたくなった。 後で家の近くに咲いてた花をボボのように食い千切って食べたら苦くて顔が歪んだ。 花束を持ってきた女性達もキャーキャー言いながら毎回逃げ惑う。 吉本のベタなギャグを観るのと同じだ。 また食い散らかすぞと思ってワクワクして観ていると、やっぱり汚らしく 大胆に食い散らかしてくれた。 肩透かしはない。 中学生ながらプロってこいうものかと薄っすらとした何かが心に残った。 ボボ・ブラジルのことはこの事しか覚えていない。 プロレスをやっていたのかどうだか記憶にない。 当時、歴史で習っていた北京原人とボボ・ブラジルの写真が重なって どちらが本物なのか定かでなくなってしまった。 しかし、それでいい。 今では北京原人はあのようにものを食べていたんだという記憶だけが残っている。 だから、あの頃から私の頭の中では北京原人と言えばボボ・ブラジルなのだ。 一番の英雄はミル・マスカラスとジャック・ブリスコだ。 こんな強い人に成りたいと思っていた。 夜も22時を過ぎる頃、43年も前のドラマを観ながらミル・マスカラスを思い出している。 ジャックや、テリー、ドリーファンクのように生きたいと思っていた自分が蘇る。 あと10回ほどでドラマの再放送も終わりだ。 結末は忘れてしまった。 43年も前の結末が今、待ち遠しくてしようがない。

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