出口のないトンネル
また新聞記事を読んで身につまされる想いがしました。 記事にはこうあります。 「一浪して大学に入り単位が足りず一年留年。大学院に進み就職が内定して安心した頃、実は 大学院に通ってない事が分かりました。〝連絡が取れない”という教授からの電話で夜中に 大阪へ車を走らせ、初めて事実を知りました。その後、息子を連れて帰って5年半、家で 引きこもりの生活を続けています。周りの期待が重すぎる荷物だったのではないか、、、 発信されるSOSをなぜ私は見逃してたのか、、、と後悔する毎日です。自分を悪く思う方が 楽である事を初めて知りました。明けない夜はない、やまない雨はない、出口のないトンネル はないと自分を励ます毎日です。私の大好きな子だからと信じて過ごしています。」 三重県四日市市 パート 58歳 今日、電車に乗ると満員電車の中に一歳くらいの赤ちゃんが泣いてました。母親は我が子と 周りの人への気持ちで小さくなってました。ところがどうしたことでしょう。みんな子供の事を 心配な目付きで暖かく見守っています。それでも子供はわんわん泣いてました。新宿に着く頃 には子供は泣き疲れて眠ってました。みな、子を持つ親として、大好きな子のために必死に 生きている。 そして毎週出会う空手クラブの子供達一人一人も、そんな愛情の中で育っている。 この子たちの将来にどんな困難が訪れ、どんな長いトンネルの中に沈み込んだとしても 必ず出口を探しだせるよう小さな灯火を点けて置いてあげよう。 未来の子らの心に残れ我が想い。
賢者の贈り物
日本では、だいたい20歳前後まで教育を受けて60歳近くまでの40年間を仕事に費やし それから10年から20年近くの老後を過ごして人生を終える。多くは18歳まで学校の勉強 、部活、塾、習い事に費やし、子供ながらプレッシャーの中で懸命に生きて、必ずしも自分の 好きなことに時間を割いて来れた人は多くない。その後の人生も、就職、結婚、出産育児などが 立て続けに起こり、受験の失敗、留年、失恋、仕事のプレッシャー、上司と部下との人間関係に 悩み、近所付き合いに気を使ったかと思うと、親の介護に出くわしたりして、下手をすると 定年の60歳まで自分の思うように時間を謳歌できる人はほんの一握りなのかもしれない。 そう考えると少しでも早くお金を貯めて、少しでも早く仕事を引退し自分の好きなことに充て ようと考えても不思議ではない。しかし、だからと言って、金のことばかり考えた人生を送り出し 分不相応な出世や分不相応な金持ちになることを夢みて、転職を繰り返す人生は危なっかしい。 宝物を積んだ小舟の行き先は海の藻屑と決まっている。子供達には失敗して分かることもあるから 好きにやってみなさいと言ってきた。でも、いざ、その場面に出くわすと「何でもっ早く相談しないの」 と叱るだろう。すると子供達はじっと見つめてこう言うのだ。「親に心配を掛けたくなかったから」 子供は親が心配してくれることに耐えられないから親には決して言わない。子供が辛く悲嘆に くれてる時に、何をさておいても飛んで行ってあげたいのが親心。子供の親を想う情けの深さに 親も心が揺さぶられ涙する。 子供は叱られても親を愛し、親はどんな失敗をしでかしても子を 愛してやまない。 街のクリスマスツリーに心暖まるこの季節。人の出会いとは言葉では言い表せない偶然の中にあって 言葉では書きつくせない感動を与えてくれる。毎週空手の稽古で出会う子らに、いつか「賢者の贈り物」 と「最後の一葉」を読んで聞かせてあげよう。この子らの尊い人生が多くの愛情に支えられますように。
昇級審査会
昨日は神奈川県支部の昇級審査会でした。 参加者の真剣な眼差しは何物にも代えがたいものでした。 毎回、三ヶ所で審査会を行い、その最後の締めの言葉で、こんな話をしました。 「一人一人の人生は、良いことも悪いことも必ず半分半分起こるからね。空手は厄落とし。 辛いこと、やりたくないこと、そして怖いことにも耐えて稽古に励む。その事自体、それが厄であり その悪いことを先食いしてると考えれば、あとは良い事だけが残るものだよ。」と。 一人で生きていると勘違いしてる若者が少なくないこの世の中。しかし何らかの形で他人と 関わりを持ちつつ社会の恩恵を受けている子供達に、その有難みを悟って欲しい。 そして 恩に報いる子供であって欲しい。 自分の好きな事だけしか興味がなく、他人の事は気にも 掛けない生き方よりも、社会のため、他人のために、嫌なことでも進んでやり遂げる人、 迷う人に手を差し伸べる人に育ってくれることを願い、そのことを悟るきっかけになればと 心を込めて話をしています。 君はたった一人で生きている訳ではない。 そして、君の生き様が誰かの役に立っていると伝えてあげよう。 そう思えば、ただそれだけで人は生きていけるものだ。 そんなことを思いながら真剣な眼差しの子ら一人一人の心模様を眺めていました。
いつの日か
11月6日の新聞に、こんな投稿記事が載っていた。 「次男が今春やっと大学を卒業し国家試験にも合格して研修医になった。」 「これまでに高校を2度、大学を1度中退し、2度目の大学も入学後すぐ2年間休学した」 とある。医学部だと卒業まで、順調にいって6年。 だとするとこのお子様は現在30歳を 過ぎたころだろうかと思い、ふと投稿者欄に目をやる。 群馬県みどり市在住、無職 69歳。 「息子はコミュニケーションがうまく取れず大学の飲み会に行く前に酒を飲んでテンション を上げないと参加出来ない気質だった。無理して努力して我慢して必死に耐えて、国家試験の 目標に向かっていたが、それが達成でき研修医として勤め始めて2ヶ月半後、とうとう ギブアップした。社会不安障害とも発達障害とも言われ九州の病院に入院している。」 遠い地にいるため、頻繁に様子を見にくことも出来ず、毎日、胸のつぶれる思いだという。 子を持つ親として共感するとともに身につまされる思いだ。が、しかし、よくよく読むと 何やらおかしな事に気がついた。元々、人と接することが苦手で高校を3回代わり、大学を 2回も代わること自体普通ではなく、幼い頃から外遊びを嫌い家の中で過ごす事が多かった 子供だという。 ならば尚更、医局の中の人間関係に苦労する医者の仕事には無理があったの ではないかと誰もが気付くはず。それが近親者は、子供に近すぎて分からなくなるのだろうか。 振り返ればうちもそうかもしれない。研修医2年目の子は病院近くに住み半年に1度しか家に 帰って来ない。果たして自ら描く夢と希望が今の仕事と合っているのか皆目分からない。 今となっては大きな望みはない。ただただ健康でいることだけを願っている。 医局の中で上手く立ち振る舞ってるだろうか? 風邪は引いてないだろうか? 今度、いつ帰ってくる?
連合会全日本大会
11月5日は駒沢で極真連合会の全日本大会が行われ、浜井会長と共に観戦させて頂いた。 試合前は正直なところ新極真レベルとはかなり差があって地方大会レベルとたかをくくっていた。 しかし、違った。特に少年部から上がってきた選手達の動きが早くしなやかだった。 決勝戦の宮崎県山下道場の重松選手と大阪の芦高選手はお互い100kg級。 しかも動きが早い。新極真全日本大会に出ても良いところまで行きそうだ。素晴らしい。 この連合会は華やかさがないが昔からの支部長方が多く参加されている貴重な大会。 私が芦原道場で稽古していた頃の全国支部長一覧。 故芦原館長の稽古が懐かしい。
運命
まさかこんな人生になるとは思ってもいなかった。 今の境遇は自分が自分で選んだ結果のようでもあり、人の出会いと偶然の積み重ねで 出来上がったようでもある。しかしよくよく考えてみるとどっちに転んでもこうなるように なっていたようでもある。 この先、どんな人生になるのやら皆目分からず、良い事も 悪い事も、過酷な現実に出くわす事もあろう。 でもそれは、こうなるようになっていたのであれば、すべてを受け入れるしかない。 それが運命に対する対処法と心得、それに従いつつも、自分なりに精一杯のことを 続けるしかない。 たとえ困難に陥り、不本意な状況に身を置いたとしても、ヤケになって 自ら不幸を招くようなことだけは避けたい。 悔いを残さず、最後の最後に、あ〜、生まれてきて良かったと心から思える人生であったと したら、この上ないことではなかろうか。 空手の辛い稽古を通じて、子供達にも、そんなことを伝えられたらと思っている。