125年前は小学校卒業でも21歳で医者になれた。野口清作は小学校卒の学歴で1897年に医者になっている。彼の生家は福島県猪苗代にある。一間の部屋と厩がくっ付いたようなの貧しい家だ。口が上手く借金を繰り返し自堕落な生活をしていた清作は翌年1898年に名前を英世と変えている。その戸籍上の名前を変える手口と経緯までわかってしまうと、どうも好きになれない。1900年、医師を志す女学生:斉藤ます子さんとの婚約を決め、その持参金をもらうとアメリカへの渡航費に充ててアメリカの大学の助手になっている。どうもここまで破天荒すぎる生き方を知ってしまうと腹立たしくもあきれてしまう。1905年婚約持参金が野口の懐ではなく血脇もりのすけ氏から斉藤家に返えされようやく婚約が破談となる。これではまるで結婚詐欺ではないか。1911年梅毒スピロヘータ純粋培養論文で京大より医学博士の学位を授与され、アメリカ人女性と結婚する。その後黄熱病により1928年に死去。その間3度もノーベル賞候補になり2004年から千円札にもなった。しかし今は医学の分野で彼の発見の多くは否定され医学の歴史では野口の名前は消えている。博士号を東大大学院でもらうとにわかエリートのような学歴を縁取ることができる。野口清作も木下博勝氏もどうも同じ穴のムジナのように思えてしようがない。