東京・神奈川の中学受験難関校の受験本番が今日2月1日から始まった。身体はまだ子供なのに睡眠時間を削って受験に立ち向かうのは酷なことだし、高校受験や大学受験より厳しいものがある。保護者も気が気じゃない。20年前の今日、私も長男の受験の真っただ中にいた。日能研のバッグを背負って2年間頑張ってきただけに目指す学校に行かせてあげたいと神様に祈ってたっけ。でも無常にも長男の感触で「絶対通ったはず」と言っていた第1志望の桜は咲かず、空気が淀んでいた。親の前では涙を見せなかったけど泣きたかったはずだ。合格発表を見に行った私は結果を妻に伝えるのが辛かった。一番、落ち込むのは長男でなくで妻に決まってる。あれだけ入れ込んでいたんだからと想像が出きただけに言葉を選んで伝えた。案の定、妻はそれから1週間寝込んでしまった。それでも第2志望の中高一貫校に合格したんだからと慰めても、あの子が通ってなんでうちの子は行けないのと泣いていた。長男はそれを見ていて責任を感じていたのかもしれない。お母さん、ごめんねとしょぼくれながら言っていた。日能研の受付も先生たちと保護者と子供達でごった返していた。泣いて泣いて悲嘆にくれる親子。笑顔で結果を伝えに来た親子。泣いても笑ってもいいじゃないか。がんばったわが子を褒めてあげよう。2月はそんな親子の晴れ舞台なのだ。
空手を通し我慢や辛抱の心を学んだのかもしれない。そして1日10時間の勉強に耐えた体力も養うことが出来たのかもしれないなあ。よく頑張ったよ。そんなねぎらいの言葉しか私には見当たらなかった。あれから20年。長男は今、循環器内科の医師となって6年目。本当に辛抱強く妥協せずに生きてきたと思う。人知れず悩んだこともあったろうに。
平気で噓をつき、法を犯しても金が儲かれば成功者と呼ばれる世の中で、そしてお金の力で人の価値を計れると口にする愚かな輩があふれる世の中で、君たちはまた揉まれて生きていくことになろう。そして君たちは、この世の中に価値ある生き方をしている大人なんかいるのかと思うかもしれない。誇れる生き方をしている大人なんているのかとも思うだろう。しかしそこは断じて伝えておく。この世の中にはそういう生き方をしている大人はいるし、誇れる価値ある背中を見せてくれる大人はいる。見えない明日を信じて懸命に生きてきた、そんな大人の人にいつかきっと会えるだろう。今日の受験の失敗なんて大したことないぞ、と笑って背中を押してくれる人がきっと君の周りにいるはずだ。明日を信じて頑張れ。何とかなるからね。