京都の夏は半端なく暑かった。今年はなおさら暑いけど京都の人達は大丈夫だろうか。学生時代、もう44年も前の事。空手の試合で遠征費を稼ぐ為に日雇いの現場仕事をしたり、警備会社で交通整理なんかをしたっけ。同志社に入っても体育会の空手部とバイトと麻雀の毎日。恥ずかしながら勉強は試験前に一夜漬け程度だった。これくらいでも大学くらい卒業出来るはずだと自惚れていたんだな。卒業はギリギリだった。自惚れていた自分なのに、今でも単位が足らなくて焦ってる夢を見てしまう。夜中に「あ〜、もう学生じゃないや。良かった〜」。吊り橋の上をよろよろと歩くような心もとない学生生活だった。後悔しきりだ。その後に入った会社が京都のセラミック製造メーカー。仕事は朝から晩までが普通だった。そんな会社は今でこそブラックだけど40年ほど前は普通にあったし、多くがそうだったから変だとは思わなかった。自虐的に自分の会社を「狂セラ」だという者もいた。そんな具合だから、当時、土日を家族とゆっくり過ごした記憶はない。会社員生活は定年は過ぎたと言えども今も続いている。そして同志社の岩倉にある道場から始まった空手も縁が切れる事はなく今だに続いている。空手のお陰で多くの方々との新たなご縁に導かれていることに感謝しかない。