大晦日
大晦日と言えば格闘技番組を2つ掛け持ちで、お笑いの「ガキの使い」を観ていたのに、すっかり変わってる。さいたまアリーナでRIZIN が行われてるのにテレビ放映はない。紅白では演歌が減ってよく分からない若い人たちが歌ってる。あまり気にしてなかったけど、世の中がどんどん変わってる。小学生の間で「小学生ラッパーの戦い」が流行ってる。国語の辞書を買ってどうすんのって聞いたら、ラップで勝つため。それで辞書を買う世の中になってるんだ。すごい速度でいろんなものが変わってる。テレビで紅白がやってる。ちょうどイルカさんがなごり雪を歌ってた。「イルカがミニスカートをはいてる」って妻が言った。私は「なんで?」と、とっさに口から出た。私より年上の方で70は過ぎてるはずなのに。観てると若い男の子たちはだいたい化粧をしてる。世の中が知らず知らず変わってきている。 今日、新石川で自主トレをやってきた。また明日ももちろん筋トレ、サンドバッグの自主トレ。毎年やってることだから変わらずやる。世の中が変わっても私は何も変わらない。私はある意味、おかしいのかもしれない。でもこれが自分の生き方だから、それでいい。 私はまるでエディット・ピアフ。彼女の言葉にいつも背中を押される。 「人が私にした良いことも、悪いことも自分にとっては同じこと。私は悔やんでいない。過去の思い出をくべて火をお越す。悲しかったこと、嬉しかったこと。そんなものはもう要らない。私はいつもゼロから出発する。いいことも悪いこともすべてを私は悔やんではいない。私の喜びは、今、あなたと始まるのよ。」 テンプレA3 校正
108人スパーリング
今年最後の稽古は108人スパーリングで締めくくりました。今年の参加は5歳から66歳迄。そして108人とのスパーリングを終えるのに1時間20分かかりました。最後はみんな汗だくでした。お疲れ様でした。みんなよく頑張ったね。修験道の山伏が、みんなが完遂できるよう見守っておりました。
献体
そもそも内科でも、眼科でも、皮膚科でもなく、ましてや外科でもなく美容外科を選ぶ医者は医者の中でも金至上主義の人が多いと聞く。その中で獨協医科大学を出た東京美容外科の女医が今、ネットを騒がせている。献体写真をネットに挙げて、しかもピース写真を投稿するとは。そもそも献体とは医学の為に我が身をゆだねる尊い方の亡骸であって、その献体の前でよくそのようなことが出来るものかとあきれてしまう。東京美容外科の院長は麻生 泰氏(キム・ボクテ氏)。この親にしてこの子あり。医師を目指す学生たちにはこの黒田愛美氏の行動は反面教師であって欲しい。
長嶋
稽古前のしばしの間、6年生の子と野球をやってみた。「阪神のファンなんだよ、先生は」と言ったが、本音は長嶋茂雄選手の大ファンだ。ただ今の子供達にはそんな名前を言ってもピンと来ないだろうと思って、言わなかった。 長嶋茂雄選手は私のスーパーヒーロー。何も面白いこともなかった小学生時代に唯一ワクワクさせてくれた私の憧れだ。父親が巨人ファンで日曜日になるとテレビは巨人の試合。それが終わると兄と三人で近所の広場で野球をしていた。左利きの兄はGIANTS背番号1、右利きの私はGIANTS背番号3を着ていた。中学生の頃、「巨人の星」が最終回を迎え、高校生になると長嶋茂雄選手が引退した。信じられなかった。私の中で何か灯が消えていった。夢も希望もなくなった。 今日、相手をしてくれた子は来年中学校で野球部に入るらしい。野球部に入ると聞いて、少し嬉しかった。今はサッカーか、バスケットボールか、卓球、吹奏楽部らしい。でも野球か、いいじゃないか。どうせやるならワクワクさせる人になって欲しい。
医学部受験
12月ともなれば受験モード。今年は久しぶりに医学部受験の声を聞きます。私はサラリーマンをやりながら息子の医学部受験を経験しました。今はその経験から保護者の方々からの質問に自分の経験則をお話出来るようになりました。私立医学部の受験料と授業料、医学部予備校、医学部浪人、医学部留年、医師国家試験、医学博士、専門医。息子のお陰でお伝え出来る範囲が広がった。医学部受験に必要なのは体力。そして忍耐力、辛抱強さ。毎日、机に向かって5時間、座って居られる高校生に育って居たら素晴らしい。そういう目線で子供達を診て居ます。
一周忌
力謝会から離れることを決めたのは8月5日。この力謝会は遺族にお返しすべきと思い力謝会代表からも身を引かせて頂き、自らの道場である極真会館横浜田中道場の運営のみに関わっている。 故浜井識安に会ったのは2011年10月。昭和33年生まれの私とは4つ違い。当時、会長は極真空手を中国に広めるべく大連に住んでおられた。年が近かったせいか何故か馬が合って、いつの間にか大連出稽古は23回にも及んだ。汗を流した後の二人で行く居酒屋とカラオケが楽しくて大連出稽古に傾注して行った。会長は異国の地で一人でいるのが寂しかったのかもしれない。私は会長の豪快なしゃべりが好きだった。いつも会長が一方的にしゃべって私は聞く側だった。延べの旅費・滞在費は200万円ほどになった。故浜井会長は一方的にしゃべるものだから、それを嫌ったり、陰口をいう人もいた。昔の浜井派支部長の何人かも会長が居ないところで批判的だった。私はそれを耳にするたびに、そんなに嫌なら辞めたらいいのに。と思っていたが彼らは自ら別の道を歩む度胸はなく大樹の陰に隠れていた。月日が経ってみると、そういう方々は、総じてしかるべき状況になっているようだ。 会長と出会ってから13年が経ち、お陰様で極真会館横浜田中道場は10か所の道場を抱える組織になった。想像すらしてなかった現実に、ただ感謝の気持ちしかない。私は会長が亡くなってから「ビルマの竪琴」の水島上等兵のように僧侶として供養の機会を増やしている。 得度をして41年。真言宗開祖弘法大師空海様から数えて47代目。 そして空手を始めて47年。護身空手は、浜井会長の意向を反映し手探りで試合を創って行った。主審をしては外部から様々な批判も受けたりもした。しかし、今は、いいも悪いも護身空手は会長そのものだと思っている。私はある期間、力謝会の代表として、会長の護身空手立ち上げに寄与して来た者として、このご縁に感謝の気持ちしかない。
RISEと一般部忘年会
昇級審査会に続いて夜は一般部忘年会。その忘年会では私の誕生日も祝ってくれました。有り難い事です。先日の少年部の稽古でも誕生日を祝ってもらい「ようやく39歳になりました」と答えたら、「足す40歳だろうが」という声が、、、。その子を引っ捕まえてやろうと追いかけ回しても、逃げ足の速い事。大人気ないと言われようが、意地でも捕まえてやるからなっと言っても少年部の子供達はマグロのように速い。 結局、66歳だとは言いそびれました。そして8日はなんと言ってもショーヤのRISE NOVAのキックボクシング試合。今まで4戦4勝で挑んだRISE。自分より10数kg重い重量級と2戦。17歳なりたてのショーヤは結局、重量級相手に2戦2勝。キック通算6戦6勝。本当にダイヤモンド💎の原石です。