今年の7月25日 木曜日 なでしこジャパンのサッカーの試合を見ながら書いたブログは、この先、子供達が活きる
世の中がどうなっているのだろうと空想しながら書いたもので表題は「2050年」としました。 昨日、ふと、ある雑誌
の9月号 「ふしぎの地球のサイエンス」という特集に目が留まり、そこにある大学教授が「今月のお題」に対する
見解を書いていた文章に唖然としました。 内容はこういうものです。
「あなたは二人の父母がいて、四人の祖父母がいて、八人の曾祖父母がいる。一世代を三十年と仮定すれば、三十年
をさかのぼるごとにあなたの祖先の人数は二倍になっていくわけである。そうすると三百年前の江戸時代には、あなた
の祖先は約千人いたことになる。六百年前の室町時代には百万人の祖先がいて、九百年前の平安時代にはなんと
十億人となる。平安時代の日本の人口は一千万人ほどだっただろうから、この数は当時の人口の百倍である。こんな
ことになってしまう理由は世代をさかのぼればさかのぼるほど分岐したはずの系統図が同じ人に戻ってしまうことが
しばしば起こるからである。このような事実から推測できることは、もしあなたがタイムマシンで平安時代へ行ったと
したら道行く人々は誰もかれも、貴族であろうと、乞食であろうと、皆あなた自身と血のつながりを持つあなたの祖先
なのです。ーーー」
この文章は、SF作家であり、山口大学客員教授でもあり、相愛大学の教授でもある方が9月号のある雑誌のコメント
として書かれたものです。私が一世代を25年と書いたのに対し この教授は30年としてる部分には違いがありますが、
この発想は私が7月25日に書いたブログの内容に酷似しているというのが実感でした。雑誌には印刷に廻す期限があり、
その期限までに文章を提出しないとなりません。そして、その内容も誰も書いてないことを世に出さねば出版社も
喜ばないでしょうから、こういう事態になるのでしょう。 私も自分の考えや生き方などをブログでオープンにしている以上、
内容の流用はある程度、目を瞑らねばならないと思っていますので、それは大きな問題ではありません。 しかし、
先生の、その後の文章には、いささか賛同できかねます。 「九百年後には、あなたの子孫は十億人となる。---
おそらくあなたは九百年後のすべての日本人の「アダム」と「イブ」となっているであろう」 と。 しかし、これでは面白く
ありません。 つまり、こうなります。
「九百年先の話は、現実的でないので、少なくとも二十年~三十年、五十年先はどうなるのかと言い切った方がいい
のです。そう思いませんか? きっとその方が読者には現実味を与え、引き付けるはずです。また、この先の日本には
『青い目の日本人が増えるだろう』というのも私の自論です。駅のトイレに洋式トイレが増えたように、ジワジワと和式が
姿を消してしまうでしょう。マイカル映画館でアメリカを身近に感じ、浦安のディズニーに行けば、日本にないものを感じる
ことが出来ます。そんな若者が増え、時代を担う立場に立って行く時代が来るということです。 つまり、そういうiphone
世代の若者は、良くも悪くもアメリカ風の生き方に慣れ親しんでいます。 いずれ和式文化が徐々に廃れていく時代が
間違いなく訪れ、30年もすれば日本には着実に『青い目の日本人』が増えているのです。」 この私の考えについて、
どう思われるか、一度、大阪に行って橋元淳一郎先生のご意見を拝聴してみたいと思います。
ぶしつけですが「ノルウェー人のアンネシュ・ブレイビクが有罪である理由」も教えて下さいませ。但し、そのお答えは
今ではなく、30年ほど経ってから聴かせて頂きたく思います。どうぞ、その時までくれぐれも、質問内容とお答えを
お忘れなきようお願い申しあげます。