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BSで20時から昔の番組が再放送されているので録画して深夜に観ている。


もう43年も前のドラマだ。中学2年生のころのドラマなので何となく覚えている。


水前寺清子さんが看護婦、石坂浩二さんが医者で二人は夫婦役だ。


もう43年も経ったのか。


どおりで服も部屋の造りも、そして脚本の言葉も何だか昭和そのものだ。


当時、私は親の転勤で大阪に居て、放課後はバレーボールに明け暮れていた。


高校もバレーボール漬けだった。


つい2年ほど前、水曜夜間は小学校で地域のバレーボール練習に参加していた。


参加しようと思ったのは、空手の動きにばねを持たせたいという思いからだ。


久しぶりにやってみるとふくらはぎが痛い。


その部位への負荷が空手とは、まるっきり違っていた。


それと空手の足はベタ足でスリ足の動きだ。


やはり日頃と違うスポーツをやってみると課題も見えてくる。


たまに目線を変えるのもいいものだ。


バレーボールは中高の6年間でやめた。


その後ジムで筋トレをやったり空手の稽古を年がら年中行っていたら


50の半ばを過ぎても一向に筋肉や骨の衰えは感じない。


先日、天龍源一郎さんが引退試合をされていた。65歳。凄いことだ。


テリーファンクとスタンハンセンが最後の天龍の勇姿を応援に来ていた。


テリーが71歳、スタンが66歳。テンガロンハットが今でも似合う二人だ。


プロレスは65歳くらいまで現役らしい。


そうなると57歳はまだ若い。


中学時代テリー・ファンクとドリー・ファンクの試合をよく観ていた。


彼らのプロレスがカッコ良くていつも観ていた。


黒人のボボ・ブラジルは入場の際の花束贈呈の場面が欠かせない。


その花を毎回食い散らかしていたのは彼だけだ。


それも怪獣みたいにウーハー・ウーハー言いながら花束を食い千切っていた。


それが面白くてたまらなかった。


花がそんなに美味しいのかと思って自分も食べたくなった。


後で家の近くに咲いてた花をボボのように食い千切って食べたら苦くて顔が歪んだ。


花束を持ってきた女性達もキャーキャー言いながら毎回逃げ惑う。


吉本のベタなギャグを観るのと同じだ。


また食い散らかすぞと思ってワクワクして観ていると、やっぱり汚らしく


大胆に食い散らかしてくれた。


肩透かしはない。


中学生ながらプロってこいうものかと薄っすらとした何かが心に残った。


ボボ・ブラジルのことはこの事しか覚えていない。


プロレスをやっていたのかどうだか記憶にない。


当時、歴史で習っていた北京原人とボボ・ブラジルの写真が重なって


どちらが本物なのか定かでなくなってしまった。


しかし、それでいい。


今では北京原人はあのようにものを食べていたんだという記憶だけが残っている。


だから、あの頃から私の頭の中では北京原人と言えばボボ・ブラジルなのだ。


一番の英雄はミル・マスカラスとジャック・ブリスコだ。


こんな強い人に成りたいと思っていた。


夜も22時を過ぎる頃、43年も前のドラマを観ながらミル・マスカラスを思い出している。


ジャックや、テリー、ドリーファンクのように生きたいと思っていた自分が蘇る。


あと10回ほどでドラマの再放送も終わりだ。


結末は忘れてしまった。


43年も前の結末が今、待ち遠しくてしようがない。

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