中国、明の時代に袁了凡(えんりょうぼん)という人が自分の運命を変えた実践方法
を息子のために書き残した「陰隲録(いんしつろく)」という書物があります。
私が空手クラブを立ち上げようとした時に、この運命を変える方法なるものが本当ならば
この私でも空手クラブを繁栄させることができるかもしれない。嘘か真か一度試してみようと
思ったのが2012年4月でした。しかし、うまくいきません。初めの3ヶ月は閑古鳥がなき
やっぱり無理だとあきらめムード満載。早めにやめた方が傷は浅いと思いました。
しかし、陰隲録を思い出し、あと少しやってみようか、あと1か月、と続けていくうちに
徐々に人が増えはじめ、能力の欠ける点はそれを補う人にも恵まれ大きな流れを創って
きたように感じます。今日は「令和初日」。初心に立ち返り、再び陰隲録を読み返してみました。
この文章はなかなか難しいので、あらすじを書いておきます。嘘か真か、皆様の人生でも試す
ことは出来ます。 私はこのポイントを、かいつまんで子供達にも伝えて来ています。
その答えは10年後に分かるはずです。
ある時、慈雲寺で仙人のような孔という老人に出逢った。孔老人は 「あなたは官吏になる
はずの人なのにどうして医学を学んでいるのか」と尋ねた。袁了凡が経緯を話すと孔老人は
「私は易学を使うが、あなたに会う為に遙々と来た。 どこか泊まる所はないか」と云うので
袁了凡は孔老人を家へ連れ帰った。孔老人は袁了凡の一生の吉凶を占って「何時の何の
試験は何番目で合格する。何時の年に貢生の地位となり、何年後には四川省の長官になり
二年半で帰郷する。五十三歳の時、八月十四日丑の刻に座敷の表で一生を終わることとなろう。
子供はいない」と告げた。 その後、その占いの通りに試験に合格し、四川省の長官にもなって
しまうと袁了凡はそれぞれの事には時期というものがあるということを信じるようになり運命論者
になってしまったのである。そんな折に訪れたある禅寺での話が、こう続きます。
雲谷禅師は「私はお前を優れた人物であると思ったが、今の話を聞いてお前が凡人である
ことが分かった」と大笑いしながら云った。その後、袁了凡は雲谷禅師に諭され教えられながら
運命論者から転換をなすのであるが、日々に反省してみると猶、我が身には過ちが多くて悔やまれる
ことばかりであった。人の難儀を救おうとしながら心が籠もらず中途半端で終わったり、礼儀に
反することを言ってしまったり、或いは酒を飲まない時には堅固に身を保つことが出来ても
酒に酔うと気儘に振る舞ったり投げ遣りな行動をしたりなどということで折角努力に努力を重ねて
積んだ善事もこれらの過ちを差し引きすると後には幾らも残っていないのである。それでも一生懸命に
善事を積み重ね精進し、その結果、運命を変え、子供を授かり八十三歳まで生きた。」
という実録である。
運命はたしかにある。しかし「原因と結果の法則」もある。 いいことを積み重ねていたら、少しづつ
人生の運が啓けてくる。この令和という時代に今一度「立命」を意識して生きてみようと思っています。