「弱い者をいじめることは人間として絶対に許されない。いじめる側が悪い。また、いじめを傍観したり
する行為も同様に許されない」というのが文部科学省の見解。それを子供たちと保護者に徹底させる
ことが必要だというのです。また学校の断固とした姿勢も必要だということも書いてありました。いじめ
は決して許さないという断固とした姿勢を学校が示し、場合よっては停学などの厳しい措置をとること
を知らせることが必要だというのですが、私にはこのような第三者的な言い方は大津教育委員会の
対応と大差ないように感じられました。公に省の見解を提示するとなると、このような表現になるのも
、やむを得ないのでしょうが。 しかし、学校の教育現場で、そういう対応があったとしたら、現場の
改善には至らないように感じます。子供たちに距離感がある言い方では何も解決は出来ません。
全ては自分の子供に対するのと同じです。目を看て褒めて、やらせて、また褒める。
泣くこともあるでしょう。でも出来ないことを何度もやらせて、また褒めてあげます。子供の純真な
気持ちは目に現れているから私もあきらめず、そうし続けます。もちろん文部省や学校が唱える
建前に異論がある訳ではありません。 しかし大事なのは、子どもの名前を呼んで、目を看て、
語りかけること。そういうことを繰り返す中で、次第に微かな灯りが見えてくるように思えるのです。
子供たちに空手を教えながら心の目を看るようにしているとかなり疲れを感じる時があります。
幼稚園から小学校低学年の子供たちが集中出来るのは、せいぜい30分くらい。 それはどんな
子供でも同じです。 そういう子供たちを飽きさせず、しかも自信をつけさせるように時間を使うには
、工夫が必要になってきます。一人一人の顔色と目と動作を看ながら気持ちを感じて、それに応えて
行く訳ですから、気を抜くことはできないのです。
稽古の最後には 道場訓を唱和して黙想をします。私はこの時間が一番好きです。黙想の時の一瞬
の静寂。汗が静かに伝わる時間。心が満足する時間。道場訓の唱和から、ほんの2-3分の時間の
為に、昔から稽古に参加してました。 仮病で休もうとした時でも勇気を出して稽古に出た時などは、
この最後の静寂の中の黙想で、いつも心の垢が落ちたように感じました。 まだわからないと思い
ますが、いつの日か子供達にも、そのことを感じて欲しいと思っています。 今日もこれで貴重な
1日を終えることが出来たという実感が子供たちの心で感じられる頃には、いじめられた思いは、
頭から消えているでしょう。そして子供の成長を感じられるのは、たぶんその頃からだと思うのです。