長津田クラス再開
10月2日から長津田クラスが再開しました。6月から4カ月の間、長津田地区センターがワクチン接種会場になったために長津田クラスの活動が出来なくなっていました。その間、子供たちは青葉台クラス、新石川本部、みすずが丘クラスなどに出て頂いていたので長津田クラスの保護者の方々には大変なご面倒をお掛けしていたことを心よりお詫び申し上げます。そんなご不便をお掛けしたにも関わらずその4カ月で長津田クラスで退会されたのは僅か1名のみでした。また新石川本部にその間、多くの会員様にご利用いただくこととなり暗闇サンドバッグ稽古などのメニューを経験して頂き、結果としてその4カ月の間の試合に出場し準優勝した子供が2名、3位入賞の大人の方が2名と輝かしい結果を出して頂きました。多くの長津田メンバーが心身ともに成長した4ヶ月ではなかったかと思います。今では地区センターが狭く感じられるほどのメンバーとなっていますことを心より感謝申し上げたく思います。
極真拳武会トーナメント
9月20日は横浜武道館で拳武会様の試合が行われて、一年生1名がベスト8、二年生2名がベスト8、三年生重量級で準優勝、四年生軽量級で準優勝、3位、五年生1名ベスト8、シニア中級3位、シニア上級3位という結果でした。それにしても上位に行くとことごとく当道場は拳武会さいたま浦和道場様に負けてしまった。そのさいたま浦和の子供達に追いつけ追い越せという思いでまた一からチャレンジして行こうと思います。光誠会様にも感謝です。工夫して頑張って行こう。シニアもよく頑張ったよ。仕事に、家庭に、そして空手に手を抜かず頑張った証だよ。おめでとう。
夏季審査会
今日は106名の審査会を3箇所に分かれて行いました。コロナ禍でもあり体温測定、アルコール手洗いなどを徹底し無事に終える事が出来ました。検温、手洗いにご協力頂きました付き添いのご家族の方々、そして会場で駐車場対応し、円滑に検温、アルコール手洗いを推奨してくれていたスタッフのみんな、ありがとうございました。 家に帰ったら長男が当直明けから戻って来ていた。半年ぶりで家に帰って来た。昨日が誕生日だったのに容体が悪化した患者さんがいて急遽、先輩医師のサポートに回っていたらしい。循環器内科なのにコロナ患者の対応していたりするのは大学病院は日常茶飯事。どうか身体だけは大切にして欲しい。審査会の子供達と長男の子供の頃が重なってみえてしまう。この子達もあっという間に32歳になって久しぶりの実家にひょっこり顔を出したりするんだろうか。親の子離れはなかなか出来そうにない。
9年前
年中さんが今は中2になった。この春からまた背が伸びて180cmになってる。 もう一人は小1の冬に入ってきて今は高1。背丈も伸びて176cmになった。この二人の スパーリングはステップの速さ・上手さと突き・蹴りの速さで何人もの大人がうずくまって しまった。早いものだ。年中さんだったのに。
全極真関東選抜ジュニア大会
八王子で8月1日に行われた全極真関東選抜で3人が全国大会出場権を獲得しました。おめでとう。2年女子 準優勝、3年男子重量級 準優勝、4年男子重量級 4位。3年男子は今年の出場大会では優勝か準優勝。これからは警戒されて勝ちにくくなるかもしれない。この子のいいところは立ち直りが早いとこ。忘れる力?も大丈夫なんだよ。くよくよしないとこがいい。 2年女子は初出場で準優勝、負けるのが悔しくて自分からママに稽古に行きたいと言ってきていたっけ。何かやり返したいものがあるんだろうか? 4年男子は強いローで価値ある4位。最近、よくしゃべるようになってきてみんなに馴染んでると思っていた矢先の入賞。何か吹っ切れたものがあったのかなあ? 5年になったら笹井先生より背が高くなってるはず。目指せ! 1m 90cm
自分の役割
道端に咲いてる花は明日も咲こうと思って咲いてるんじゃない。今日を精一杯、今を精一杯咲いている。 鳥は明日も精一杯鳴くぞと思って鳴いてるんじゃない。今日を精一杯、今を精一杯鳴いてるだけだ。 今を命いっぱいに生きている。今を精一杯生きている。それが自分の役割なんだ。 今日のオリンピック開会式、みんな精一杯生きてる人たちがそこにいた。 今を、そして今日を、命いっぱい生きてる人はカッコいい。
極真護身空手道選手権大会
茨城県で全日本ジュニアチャンピオンシップ選抜大会が行われていた頃、私は大森にいた。極真会館 力謝会主催の顔面あり・金的あり第1回プレ全日本大会が行われたのだ。士道館から添野総帥、大久保館長、村上竜司最高顧問、佐藤館長代行、国際F・S・A拳真館羽山館長らが列席の元、55kg~130kg迄の選手が対戦した。副審は仁心道場柚井知志師範、日本拳法の師範方で顔面あり・金的ありの試合が始まった。バッティングによる流血はあれど大きな怪我もなく終えられたことに感謝です。優勝は51歳、94kgの山本雅樹選手(ビクトリーカラテスクール代表)、準優勝は24歳、55kgのラスタ選手(キックボクシングRISEバンタム級2位)でした。 人がどんな試合を成せるかは、人がこれからどんなふうに生きていくかにかかっている。人を押し倒して生きていくのか、弱者に手を差し伸べて生きていくのか。今日、私はほとんどの試合の主審をこなした。試合前は喧嘩同然になってしまうのでないかと危惧していましたが蓋を開けたら参加された選手一人ひとりの真剣な眼差しと相手への尊厳を忘れない態度に救われました。浜井会長、菊〇先生、スタッフの方々、皆様に感謝です。
まぶしい自分
今日は茨城県で開催された全日本ジュニアチャンピオンシップ選抜大会で小学3男子重量級でケイタ優勝、大人初級40歳以上の部体重無差別でツヨシさんが3位入賞。一般中級に出場したトシヒロさんは惜しくも敗退。でもよく頑張った。 私はいつも思う。まぶしい自分になることも、良き友を得ることも、信念を発見することも、1年や2年じゃできやしない。いいものは時間がかかる。すぐに手に入るものは砂のように零れ落ちていく。本物を手にするのはなんて難しいんだろう。 今日の4人と、そして一緒にいてくれた陽子先生、同行したご家族にささやかな乾杯をしたい! よく頑張ったよ。
カタツムリの速さ
2003年1月の新聞の全面広告にガンジーの写真とともにこう書かれていた。「善きことはカタツムリの速さで動く」ーーーガンジー。当時私は44歳だった。心打たれた広告だったので今でも覚えている。学校の成績は中ぐらいで臆病な生徒だったガンジーは並外れた道徳心の持ち主だったと書いてあった。仕事に明け暮れ、出張・出張の毎日。道徳心という言葉すら使うことを忘れていた頃だった。到底、ガンジーのようなことは出来そうにないけど、この言葉だけは何度も噛みしめて行こうと心に決めて仕事と空手に打ち込んでいた。会社では昇進・出世の波にも乗りたかったし、子供の医学部受験もうまくいって欲しかった。そんな時に、一息入れて、あたりをゆっくり眺めてみなさいと言われたような気がした。 1日一歩、3日で三歩、三歩進んで二歩下がるという歌がある。そのころの私は二歩も下がったら、悔しくて夜も眠れず、二歩の遅れを取り戻そうと必死になっていた。成功を焦っていたのだ。あれから18年が過ぎ、今、キッズ空手の保護者の方々を見ていて、ふとこの言葉を思い出した。 カタツムリの速さは見落としがちで、それでは足らなさそうに思えて、じれったく思えて、もどかしいという顔に見て取れた。ちょうど自分も三十代、四十代はそんな感じだった。子供の成長に一喜一憂し、ハラハラドキドキしてしまう。私もまったく同じようだった。しかし安心しましょう。子供たちはカタツムリの速さ成長しているのだから。