内なる声
韓国では日本よりも厳しい受験戦争がある。 日本でも、やはり有名な中高一貫校に入る時、または大学受験で 国公立に入ろうとする時には、少なからず狭き門を意識することになる。 小学校の受験でもそういうものだ。 しかし、国公立の有名大学を出て、官僚や、超安定企業として一部上場会社に入社し、高い地位につき、高収入 を得ることが、ただちに幸せに直結するというものではないと思う。 これは言わば流行性の錯覚と言うより ほかない。 入社する時には一流企業でも20年も過ぎて、マネージメントをする立場になる頃に倒産する 企業では迷惑千万、ということになる。 しかし、こういうことは少なくはない。 ならば、生きがいや幸せという ものは、やはりその人の人生観や人間関係に尽きるのではないだろうか。 そのように考えれば、周りに惑わ されることもなく、また世間体にも縛られることもなく、そして見栄や体裁にキョロキョロ、アタフタすることもなく going my way を自信をもって貫くことが出来、満足いく生き方が出来るのではないだろうか。 このことは自分自身の55年の経験則からの思いではなく、幼少から見聞きしてきた事柄のみならず、書物の 言葉や、先人の尊い教え。 そして、自らが体内に宿すDNAをたどることであり、今から230万年前に アフリカに生きていた猿人のような、原人のような祖先が延々と渡り歩いてきた苦難の記憶と、それを 乗り越えて生き抜いてきた記憶が歴然と存在することに目を向けているということなのだ。 少なくとも16万年前に生きていたアフリカのイブからの記憶は今、生きている人類すべての人が持って いるもの。 しかし、残念ながら、その暗室の中に深く閉じ込められているその記憶を呼び起こす前に 自らの命を閉じてしまう人も多いのではないだろうか。 特に、高い地位や収入のみに目が向いてしまう流行病にかかってしまうと、そんな自らの内なる声を感じ取る 感度が消えうせてしまうのではないかと思えてならない。
夏の終わりに
先月8月24日、インド北部ウッタラカンド州で、ヒョウに襲われた女性が農具で反撃、30分かかって撃退する という出来事があった。襲われたのはカムラ・デビさん(56才)。スリナガルの病院に運ばれたが、骨折や打撲や 引っかき傷、頭には深い切り傷をいくつも負って50針も縫ったという。 デビさんはヒョウに襲われてまず左手を骨折。そこで鎌をつかんだ右手でヒョウをひたすら殴った。 デビさんは疲れ果てるまで30分間にわたってヒョウを殴り続けた。その後、1キロほど離れた村まで血を流し ながら歩いて行き、助けを求めた。 そして村人たちが現場に行ったところ、ヒョウは死んでいた。 「勇気を振り絞って反撃した。今ここで死んではいけないと自分自身に言い聞かせた」という記事だった。 いつもならサラッと斜め読みして目に留まらないような記事かもしれない。 でも自分の気持ちと重なるようで 妙に感銘を受けた。 同年代の人であることも心を引きつけたと思う。 こんなことは私には出来そうにない。 それが読み終えた後の感想だ。 でもヒョウに食われて死を受け入れるのかと言われると、それはそういう訳 にはいかない。 たぶん恐怖に直面したら人はなりふり構わずとなるのが普通なのではなかろうか。 極真では苦行が待っている。 やらなくてもいい。 しかし極真で黒帯を締めるということは、その苦行に耐えた人 であるということを意味する。 苦行、それは連続組手だ。人は年齢と共に体力は落ち、持続力もなくなる。しかし、 上の帯を目指す人には避けては通れない。 今回、私は40人組手完遂を目指したけれど結果は30人だった。 これが昭和33年生まれの自分の身体の 限界だった。 あともう少しと思うかも知れないけれど、振り返ってみても、あれが限界だった。 集中できない 自分がいた。 心と身体が一つにならない状態では危ない。 5-6人目で「これは続きそうもない」と感じ。 10-12人で「これ以上無理だ」と思った。 そして20人。「もういい。」 下段も効いてしまっているから動くに動けない。 25人目、集中力が落ちていた。 上段をかすめられ出した。 危ない。 28人目。「何とかあと3人をこなしたい。」心が折れている自分と何とか30人はクリアーしたいという欲。 そんな気持ちが入り混じりながらパンチと蹴りを浴びていた。 30人目。 強い相手がまた目の前にいる。 応援の声も聞こえる。 「前に出て」、その通りなんだ。 前に出ないと相手は更に追い込んでくる。だから前に 出ないと。 心は冷静であったけど、相手の圧力と下段蹴りで後退していた。 しかし、一歩詰める。 サウスポウに 構えをかえて一歩出る。 でも足が上がらず蹴りが出ない。 パンチだけの応戦が精一杯。 ぶざまな30人組手だった。 昔のように動けない。 守勢に回った連続組手だった。 そこから更に10人は無理だ と感じた。集中力に欠けた組手は危ない。 30人組手が終わってロッカーで着替える。 足が効いてる。 ベンチに座れない。 やっとシャワーを浴びて、着替える。 痛み止めの薬を代表からもらって足と手に塗りたくった。 ロキソプロフェインは飲む痛み止め。 これを代表は常備されていた。 それも早速、2錠飲んだ。 胸や腹もキツイ 蹴りやパンチがいくつか入った。 しかしダメージはそうでもない。ベンチプレスのお蔭か。 効いたのは足と腕。 下段払いと外受けで肘から前腕の色が変わっていた。 足は言うまでもない。 左足の指も赤く変色している。 いつどこでやったのかわからない。 ロッカーのベンチで休んでいても、その後道着を脱いでも汗があふれて来る。 必死だったんだと改めて思った。 カムラ・デビさんには及ばないにしても自分のレベルでは一所懸命の時間を 過ごしていた。 長い長い今年の夏が漸く終わった。
神様
自分が欠点だらけの人間だから、もっと良い人間になれるように神様助けて下さいと祈る。 こんな自分でも見守ってくれている神様を信じ、いつかは、今よりは良くなるだろうと自分に望みをかけて 自分を見捨てずに行こうと思う。 そんな生き方を大事にしたい。 こちらが悪ければ、悪い人間が寄ってくる。 こちらが信用することによって、信用される人間が周りに増える。 だから悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、つねに素直に味わおうと思う。 きっとそんな人達が集まるはずだから。 人生の成功と幸福は、青少年の時の汗と涙の量に比例するかもしれない。 しかし、世の人の成功不成功には あまり大差はないように思えてならない。 ただ成功を逃がす人はいずれも、いま一息というところで肝心な 打ち込み方が足らないだけで、実際には、その差というものは実は紙一重の差なのではなかろうか。 たとえば、チャンスが誰にでも同じ顔をして平等にやってくるとしたら、それに気づき、掴むかどうかだ。 しかし、そのためには、日頃から真面目にコツコツ努力をして力をつけておかねばならないだろう。 ほほ笑んでくれるはずの女神さまが自分の前まで来てスルリとすり抜けて行かぬように。 自分の気持ちが萎えて、めげそうになる時には、努力を惜しまない人の姿を思い起こすのもいい。 夜通し仕事に明け暮れる人。 病床の家族を介護し続ける人。 金銭でなく人のために自分の時間を使う人。 そんな人達の姿を思い起こすだけで、萎えた心に背骨が入る気がする。 どんな落ち込む目に遭っても神様が自分を鍛える為の試練と信じて何とか奮起したいものだ。 命ある限り、男は男盛り、女は女盛りなのだから、せっかくの人生、一瞬でも疎かにはできないだろう。 先週の稽古のあと、少年部の子供が「先生、神様はいるの?」と唐突に聞いてきた。 何でそんなことを汗を流したあとに聞いてくるんだろう。 稽古のあとは、なかなか一人一人とじっくり話を している余裕がない。 多くの方々にご挨拶し、子供達の頭を撫でながら声を掛けるという時間なのだから。 でも、心に残っている。 「先生、神様はいるの?」
たじろぐことはない
多くは自分が意図したことではない。 何でそんなものを買ってしまったのか、ハッキリしない時もある。 なぜそんな本を買っていたのかわからない。 駅でも書店でも、気になる本は一応、買って来たからだ。 いつか読むだろうと思って。 自分に影響を与えるものの多くは自分の意図する範疇を超えている。 株価、円相場、鉄道や飛行機の運行状況、自然の猛威、人の感情、人との出会い、子供の成長、病気、怪我 そして事故との遭遇。 無数のことが絶妙のタイミングで自分の前を通り過ぎ、自分に即時の判断を委ねる。 そんな無数のミクロの要因の中で私は生きている。 すべてが偶然のようでもあり、必然のようでもある。 何でこんな場所でネズミ取りをするのかと恨んだこともあった。 しかし、若かりし頃に出くわした交通機動隊と それらの事象のすべてが、自分に自重を促すものであったことに間違いはない。 うまくいかないことはつながるものだ。 そんな星回りに出くわす時もある。 どうして自分ばかりと思う。 そんな時は苦労が更に圧し掛かってくる。 不幸は幸福の糧と思うまで、その星回りから抜け出すことは出来ないのだろう。 不幸に感謝する気持ちが出てこない限り、苦労はまたすぐそばにあって出番を待っているのだろう。 でも、たじろぐことはない。 それが人生なのだから。 命あるものは必ず滅びる。 会えば必ず離れる時が来る。 すべてのものはみな移り変わる。 悩んでも 迷っても 苦しくても 不安でも 落ち込んでも 死のうと思っても それは一時の事。 そんな思いも すべて変化して行って やがて勇気や希望があなたを包む。 幸福も不幸も プラスもマイナスも 我が人生 たじろぐことはない。 --- 篠原鋭一
何のために
何の為に空手をするんだろう。 そしてスパーリングは何のためにするんだろう。 好んでこんなことをしなくても 暮らして行けるはずだし、家の事や仕事の事にもっと時間を取った方がいいんじゃないかと思う人もいるでしょう。 健康の為、子供に身をもって生き様を見せる教育の為、女性であればダイエットと運動不足解消の為。 子供には礼儀を学ばせ、落ち着きを持たせる為。 全てはそこから始まる。 それはそれでいい。 但し、極真空手の道場に通う以上、強く成りたいと言う純粋な気持ちがなければならないと思います。 今の自分を変えたい。将来の自分の為に。我が子を変えたい。我が子が出くわすであろう困難をいつの日にか 子供達が乗り越える為に「心を鍛える」。 それがこの道場の意義。 ですから決して肩で風切る勇ましさを良し とせず、むしろ弱弱しい風貌で見るからに頼りない人柄で結構。 心の強さとは外見ではわからない。 日常の生活の中でにじみ出る生き様なのだから。 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダを持って、 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイゥ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ、、、、 。 雨が降ったから、、、風が強いから、、、多くの場合、そういう事情を見つけ出しては、安きに流れるのが世の常。 だから私は、この宮沢賢治の心を大事にしたい。 的を外していない生き方だと思う。 極真ではスパーリングもあれば基本稽古も移動も、型もある。 そして型を極めることも大事。 しかし極真から 切っても切り離せないものはスパーリング。 このスパーリングは誰しも怖い。 みんな同じように恐怖を感じ、 みんな同じように追いつめられる。 自分と同じくらいか、自分よりも強い人の蹴りやパンチがいつも心をかすめ 逃げたくなる。黒帯の人でも白帯の頃があり、みんな同じ思いを抱いていたはず。オレンジ帯の頃には黒帯とは ほど遠い存在のように思えるもの。 青帯になると黄色帯の人が上手く、強く壁になってくる。 黄色になると緑帯 の人が途轍もなく強く思える。 しかし緑帯になってみると逆に黄、青に強い人がいることに脅かされる。 だから稽古 に励まざるを得なくなる。 そして一日一日を積み重ねていると茶帯に成る。 茶帯になると茶帯はその道場の看板 であることに気付く。 その時から恥ずかしいことは出来ないと自らを叱咤激励するようになる。 黒帯の先輩を手本 に一から基本を見直すようにもなる。 決して飾ってなんかいられない。 そんな余裕はない。 自分が下手に 思えて、後輩よりも劣って見える。 何をやっても、いくら叱咤激励して励んでみても、前に進まず後退しているように 思える。 そんな頃に「黒帯の審査を受けなさい」と声がかかる。 そういう弱さを知る過程を経なければ前に進んでは いけないのではないだろうか。 悩んで、落ち込んでみなければならない時期がある。 優等生が逆境に弱いのは、 この過程を経験しないからだろう。 雑草の強さは、一旦踏みにじられる過程に耐えて生き延びるところにある。 他の色に染まらない黒色の帯を締めるとは、正に、そういうことではないかと思う。 振り返ると怖さが自分を創り、 怖さに慣れ、 怖さを楽しむ自分がいる。 人生、そのものではないだろうか。 緊張感や恐怖感を味わい、そこから逃げられない所に自分を置いてみて、自分の心を洗いざらいさらけ出す。 人と叩き合い蹴り合ってのみ真の痛みを知ることが出来る。 そして自分が痛みを知ってこそ人の痛みを知る ことが出来る。 道場とは人生の厳しさを学び、その厳しさから逃げず勝ち抜いて行く力を養う場所。 悔し涙は尊いもの。 人の為に流す涙は暖かいもの。 そんな涙を大事にしたい。 夏の暑さの中に自分をさらけ出してみる価値はそこにある。
雨と風の中で、きっと
「夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。 お送りしておりますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように。」 昔、この番組を聞きながら受験勉強をしていたので、その習慣からかブログもそんな夜更けに書く時が多いのです。 もう一日経つと心も落ち着いてきて、またチャレンジしてみようかと思うように心が戻って来ました。 しかし昨日は 絶対に登りたくないと心に決めて家に帰って来ました。 何もかもがずぶ濡れであることに慣れてなかった事や 山小屋の中二階の狭い寝床。 何ではしごで登らないといけないのと思いながら中二階に行けば一枚の布団に 二人づつの寝床。 これじゃまわりが気になって寝れやしない。 それに輪をかけて狭い山小屋の中の団体行動 がどうにも堪えがたく、機械のように扱われることに抵抗感を抱きました。 みんな一斉に靴を履けだの、ゴミは 持ち帰れだの、玄関に留まるなだの、軍隊のような行軍を終えたあとに、人を物のように扱う一言一言がまるで お客さんを泊まらせてあげてるかのような、上から目線の、雑な言い回しに何か引っかかってしようがなかった。 もちろん若いアルバイト達に責任はないにしても、夏の2カ月間で元を取ろうとする山小屋のすし詰めビジネス は世界遺産に似つかわしくないと思う。 富士山には登りたい。 でもベルトコンベヤー式のすし詰めビジネスを行うツアーには二度と参加したくはない。 29年前に行った新婚旅行のハワイのツアーも何だかそんな感じでした。 十羽ひとからげで丸儲けはないだろう。 次はフリーで登りたい。 そう思いました。 一回行けば雰囲気は掴めたし次への改善点も見えてきた。 今回は3200mの八合目で20mの強風のために0時に頂上を目指す予定が登頂禁止となり止む無く 翌朝6時に下山となった訳です。 翌朝は雨。 真っ白な靄の中を軍隊の行軍のように歩いていました。 ずぶ濡れです。 靴下も、靴も、リュクもすべてが雨と砂交じり。内側までびしょびしょの雨合羽とグショグショ で重い靴を引きずって降りて来ました。 降りながら未明の強風を思い出してました。 3200mの高さで頂上から 吹き降ろす20mの強風は身体ごと飛ばされそうな初めて経験する身の危険でした。 でも山梨県がなんと言おうと、お役所が何を言ったって登りたかった。 せっかく来たんだから。 「落石の危険がありますから。 先日もお一人意識不明の重体に、、。」 悶々としながらもしようがない。 「富士山に出直して来なさい」 と言われたんだと思って、ふて寝をしていました。 身体は元気。 怖いのは 高山病だけでした。 寝ている間に呼吸が浅くなってしまいそうで、それだけが気にかかってました。 2300mの五合目から900m登っただけでした。 眺めは六合目も、七合目も、もちろん八合目も最高です。 息は切れました。 七合目から八合目の延々と続く岩登りは心肺機能の鍛錬にはもってこい。 しかし本八合目の浅間大社の境内には行きたかった。あと200m。サンシャイン60の50階までを1階から歩いて 登れば済んだほどの距離でした。 それが叶わなかった。 出直さねば。 あと3時間登れば頂上だったんだから。 1132年に29歳の末代上人は初登頂してから数百度も登頂されたと聞きます。 末代上人の前にも 金時上人・覧薩上人・日代上人らが登頂され遺品が残っていた場所に私は必ず行くと決めた。 雨が降ろうと、槍が降ろうと先達の道を登ってみようと思う。 ただ本来は何日かかろうと麓から行かねば ならない。 1132年は麓から登ったはず。 今はバスで五合目まで。 3万円払えば馬の背中で七合目まで 行ける。 しかし、それでは、、、。 いつかきっと麓から登る。 寝袋を持って。 自分の道を創って。 自分は甘かったと思えてならない。 末代上人のように生きてみようと思う。 末代上人のように登ってみようと思う。 雨の日でも。 強い風の日でも。
愛 燦々と
家を持てば家にこだわり、会社に就職すれば会社にこだわり、ある地位につけば、その地位にこだわる。 いい学校、いい就職先に、いい立場にと。 そして築きあげてきたものを崩したくはないと。 仮の宿の人命の何と短く そして理想の何と多いことか。 必然なる力と、人力を超えた或るものの力があるとすれば、その両方の力によって人は生かされている。 そんなことを思いながら8月9日を過ごしていた。 まだ広島も長崎も行ったことがない。 「雨 潸々と この身に落ちて わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして 人は哀しいものですね。」 「それでも過去達は 優しく睫毛に憩う人生って 不思議なものですね。」 「風 散々と この身に荒れて 思いどおりにならない夢を 失くしたりして 人はかよわいものですね。」 「それでも未来達は 人待ち顔して微笑む 人生って 嬉しいものですね。」 「愛 燦々と この身に降って 心秘そかな嬉し涙を 流したりして 人はかわいいものですね。」 「ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う 人生って 不思議なものですね。」 30歳の銀行員の神田紘爾さんに聞いてみたい。 「12年後のあなたを観てみないか?」って。 「過去達は 優しく睫毛に憩う。」 「愛 燦々と この身に降る」 って思っていた銀行員がいたなんて。 凄い。 ただただ、こんな言葉が湧いてきたなんて、そのことが凄い。 わずかばかりの運の悪さをいつも恨んできたものだから。 その言葉に圧倒されてしまう。 もう一日寝て、目が覚めたら夏山の頂きに向かう。 出来れば銀河が天に横たわる姿を観たい。 露が澪ちた夜の静寂の中に佇んでみたい。 雨 潸々と この身に落ちる不思議な人生を 天に任せてみようと思う。
左右
人は、どんな時にでも笑うことは出来るはず。 でも笑っているからと言って機嫌がいいとは限らない。 恐怖でも、屈辱でも、そして突然の悲惨にだって、笑いだしてしまうかもしれない。 そんな事件が夏は目に ついてしまう。 起こってみると、いつかはこういう惨事が起こるような予感が心の底に引っかかっていたり もする。 いつか突然、何か取り返しのつかない事態が起こり、自分たちを叩きのめすのではないかという 悪夢のように。 病気、怪我、事故などは不意に目の前にその姿を現してくるものだと後になってつくづく思う。 穏やかな川の流れが一瞬にして大きな濁流となってすべてを無に帰してしまうようなことだってある。 夏は子供達が成長する時間。 その子供達のひと夏が無事であるようにと願っているのは、そんな訳からなのです。 「左」という漢字の「ナ」の部分は人の手を表し、「エ」の部分は祈りの道具。 「右」という漢字の「ナ」の部分は、同じく人の手を表し、「口」の部分は祈りの文書を収める器。 左右ともに、漢字の成り立ちは、「人が祈りをささげる姿」とは、ある学者の説。 そんなことをふと思いながら、今朝も両の手を合せていました。
遠くの声
もうだいぶ前からある脚本家のドラマを好んで観るようになっている。 最近ではBSでも再放送があるので 楽しみにしています。 「泣いてたまるか」、「二人の世界」、「ふぞろいの林檎たち」、「男たちの旅路」、 「岸辺のアルバム」。 この他にも見たいものが山のようにあります。 どれも、その方独特の色があって 面白いのです。 もう80歳のこの方は脚本家でもあり小説家でもある。 実はその小説も映像が頭に浮かぶ ような構成でグイグイ引き込まれてしまう。 最初に手にしたのが「異人たちとの夏」。 その後、「遠くの声を探して」。 何だかこの二つの作品、変わった感覚になりました。 安部公房さんの本を読んだ時以来の感覚です。 「壁」のような「砂の女」のような「棒」、「R62号の発明」のような。 ところで、この安部公房さん、24歳で東大医学部を卒業して27歳で芥川賞を受賞された方。 東大医学部では、優秀とは言い難く「医師国家試験を受けない」という条件で卒業を認められたようです。 人間の妊娠月を2年と卒業前の口頭試験で言ってしまった時点で、医学の道から文学にと踏ん切りもついた のでしょう。 こんな面白い経歴と斬新な小説が好きでたまらない。 夏が来た。 読書の夏が。 本に親しみ、本に戯れる。 歴史小説も、純文学も面白い。 夏になると畳の部屋でごろんとしながら本を読んでいる時間が嬉しい。 蝉の声は読書によく似合う。 川辺の日蔭で読むのもいい。 そんな時間が待っている。 さあ、この夏、どんな本に出遭えるだろうか。
3776m
今から11年後の2025年には65歳以上の老人が3656万人にも増えるらしい。 2010年からみると731万人 も増加。 15年の間に731万人も増えるとは凄い増加だ。 日本では1年で48万人が65歳以上になっていく。 日本はそんな流れにあるらしい。 たぶん、様々な事件や事故がこれからもあるだろうし、ある一線を越えて しまうかもしれない。 でも日本は、そのままの持ち合わせた力の曲線を描いていくことに変わりはないのだろう。 どんなひどい戦争や事件があろうと、地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、薄青色の円光にかこまれている ことには変わりはない。 53年も前のこと。 人類は初めて100km上空の大気圏を越えて、地球は青かったことにも気づかされた。 「ここに神は見当たらない」という言葉が心に残る。 地球から38万kmの先に月があって、1億5千万km先に太陽があることはここしばらくは変わってない。 東京駅に置いたリンゴが地球なら霞が関の距離に置いた1.4mの大玉が太陽。 地球はその周りを46億回 も回っている。 どんな力が加わって、延々とそこを回るのだろう。 46億年を365日で割ると一日は1200万年。 1200万年を24時間で割ると、一時間は50万年に相当する。 こんな強力な遠心力の中で人間の力が及ぶ ところなど極わずかだ。 2億5千万年前から生きていた恐竜が6500万年前に隕石が原因で絶滅。1億8500万年 も生きていた生物が絶命するという絶大な力が宇宙にある。 ホモサピエンスはそんな流れの中で今から10万年前 に地上に現れた。 人類は、この地球に極最近生まれた生物であって、宇宙の力に生かされている1固の物体 に過ぎない。 今年の夏、そんな宇宙に近づいてみようと思う。 8月11日に3776mを体験しようと計画している。 もちろん3776mの夜の星を観てみたい。 横浜で観る星は数えるほど。 だから手に余るほどの星を体験したい。 自分の足で登ってみようと思う。 雲の上の様子を伺ってみたいという思いが沸々と湧いてきた。 ちっぽけな人間。 されど宇宙の一員である。 形をなしては滅び、滅んでは生まれる。そんな大生命の流れ の中で1万5千年ほど形を変えてない場所。 今年の夏、 自分もそんな天意を味わってこようと思って居る。