つかの間の出来事
今を生きる誰しも、自分が生きるこの大地に永遠の平穏を願っている。 しかし、そんな平凡な毎日が一変することもある。 昨夜までの元気な身体も歪な動きに喘ぐかもしれない。 そして突然、医者から暗黒の病名を告げられることだってないとは限らない。 ジムでたまに見かける男性に今日も眼が向いてしまった。 年の頃は60歳過ぎ。周りに迷惑をかけるほど 動作は遅く、多くの人は遠巻きにその方を眺めている。 靴を脱ぐのも、服を着替えるのも一苦労のようだ。 見るからに病気を患ったようでもあり、フィットネスジムには似つかわしくない動きをしていた。 観れたものじゃない。 でも誰も手を貸そうともしない。 それどころか、どこか疎ましく眺めている。 異質なものを観るように遠巻きで目は合わそうとしない。 だからそうなのか、その人自身が元々そんな方 なのかわからない。でもその人自身も誰とも目を合わすことはなく、黙々と、そしてゆっくりと鍛錬を繰り返す。 両膝の白いサポーターが痛々しい。 今日、声をかけてみた。 「あまり無理をされない方がいいです。 怪我をされますから」と。 聞けば昔はボートをやっていたらしく、そのころ覚えたサーキットとやらをやっているという。 しかし、それは傍目には、とてもサーキットトレーニングと言えるものではない。 今は体重も50kgそこそこらしい。 「パーキンソン病を7年前に患って、その為のリハビリです」という。 私は周りに気兼ねせず会話を続けた。 動きからして、たぶんそうだろうと思ってはいた。 しかし実際にご本人から伺うと多少、声が詰まって言葉に窮した。 ゴトウさん 65歳。 パーキンソンを患ったのは50歳台後半、自分では自覚症状はなかったらしい。 友人に「何で足を引きずって歩くようになったんだ」と言われて、病院で診察を受けてわかった事。 その日から風景が白黒に変わり、病魔は毎日進むようだと聞くと、励ます言葉を見失ってしまった。 58歳まで普通の人生を歩んでいた方が、あとどれほど生きられるのだろう。 いくら足掻いても止められない何かを感じている人に私は何が出来るだろう。 受け入れるしかないものが世の中には、まだ山のようにあることを私は改めて思い知らされた。 世の出来事は、すべて泡のように湧き上がっては儚く消え、稲妻のように煌めいては、あっという間に 姿を消してしまう。 夢うつつの、つかの間の出来事に、私はまた心を留めようとしている。
必死の心
部屋の本棚を整理していたら大学生の頃に読んでいた空手の本が出て来た。 34年~39年も前の本なので 色も年代物だとわかる、そんな色をしている。 同志社という京都の大学で学業の傍ら、剛柔流を学んでいた頃 のことだ。 剛柔流の基本稽古や移動、型などは極真の稽古に近い。 私の三戦立ちは剛柔流からのものだ。 剛柔流の転掌の型は大山総裁のものとは比べものにならないほど、こじんまりした型だった。 また当時の組手 では回し蹴りは、あまり使われていなかった。 前蹴りと順突き(追い突き)の連打がベースになっていたので、先輩 との組手に回し蹴りと後ろ廻し蹴りを組み合わせて入れてみたら 「お前、ウルトラマンか?」 と言われるくらい 廻し蹴りは珍しがられたものだ。 背足で蹴る蹴り自体が少なく、廻し蹴りも多くの人は、中足で蹴っていた。 そんな時代に読んでいたのが、この本なのだ。 ただ山崎照朝先生の本は、誰かに貸したまま戻ってきていない。 私はその後、剛柔流から極真に移った。 極真の胸の文字に憧れて、極真会館京都芦原道場の門を叩いた。 そんな頃に黒崎健時先生の「必死の力、必死の心」を読んだ。 戦後の日本の激動を活きた凄さを思い知った。 一人の人間として、凄い。 ただ凄いの一言だった。 そんな凄い先生たちがおられたころ、芦原道場の先輩方 も凄かった。 というか、怖かった。 中山猛夫先輩の左の回し蹴りと下突きは天性のもの。 私が極真会館 芦原道場に入門してから数年して看板が変わった。 芦原会館京都道場になり、その後、石井先輩(k1創設者) と中山先輩が来られて正道会館を立ち上げると言われた。 どういう経緯かわからなかったけど、練習は同じで 指導者も変わらない訳だから、ということで私は、そのまま京都道場で稽古を続けた。 胸の「極真会」の文字は いつしか「芦原会館」となり、その後、「正道会」と文字が変わっていた。 という経緯があり、今がある。 ふとしたことで出くわした、かつての本を読んでみると、あっという間に20代の 自分に舞い戻っていた。 剛柔流から始まり、極真会館芦原道場、芦原会館京都、正道会館京都、そして 極真会館城西、極真会館浜井派へ。 企業人として仕事をしながら、よくここまで極真空手を続けてきたものだ。 そして、また思うことは、この黒崎先生のムエタイの敗北なしに今の日本の格闘技はなかっただろうし、やはり大事 なのは「心の強さ」や「必死の心」なのだということだ。 昔、私はこの「必死の力、必死の心」を何度も読み返した。 30数年を経て、再び読み返してみると、自分が武道として捉えている「あるべき姿」は、この本に根差していた のではなかろうかと思えるほどに、その一文字一文字が、自らの血肉に染み込み、心を打つのである。 その本の冒頭は、こういう言葉で書き表わされている。 「私は自分で思うのだが、意地っ張りで負けることが嫌いである。 自分でそう感じているくらいだから、 人の眼から見れば、大層頑固な人間に映るかもしれない。 その上自分でいうのもおかしいが、 向意気が強いから、確かに敵をつくり易いし、人と衝突することも少なくない。 しかし、その性格は 一方では私を現在の私につくり上げた原動力でもあると私は確信している。 さまざまな格闘技に 取り組みながら、より強く、より高いものを求めて来た私の半生には、意地っ張りで、負けず嫌いで 頑固で向意気が強くなければ乗り切れなかったことが山ほどあった。 人がどのように思ったとしても 武道家黒崎健時は、その性格によってはぐくまれて来たのだと思っているのだ。」ーーー黒崎健時
蝋燭の灯
戦争が終わって来年、70年を迎える。 戦争に負けてバラックの中で日本人は生きて来た。 そして今は 飽食の国になった。 これは一重に祖父母、父母などの先人方の弛まぬ汗と涙の結晶なのだろうと思う。 今、多くの方々がそのあとを継いで、それぞれの立場で、自らの仕事や、なすべきことに誠実に向かい合って いる。 地道な、ひたすらなお蔭で今がある。 人生には、辛いこと、悲しいことが突然目の前に現れる。 連日、ニュースで伝えられる悲しい出来事。 心が痛む出来事。 人生、自分の力ではどうしようもない理不尽な出来事が平然と起こってしまう。 でも、いつも思う。 たとえどんなことがあっても、そこで投げ出したり、自暴自棄になったりしてはならないと。 今の世の中、まだまだ景気は安定せず、職を失う人も多い。 一生懸命会社に尽くしてきても、ある日突然 リストラに出くわしたりもする。 やりきれない理不尽さに立ち尽くしてしまう。 でも、だからと言って、「もう人生は終わりだ」 とはならないのだ。 執着する心を開いてみれば出る目も変わってくる。 会社に執着し、今までやってきた仕事に執着する。 自分にはこれしかないと勝手に思い込み、妄想に駆られたごとくに、必死にしがみ付こうとする。 だから苦しむのだと思う。 世の中には違う生き方があると知りえるまでに多少の勇気と時間が必要な だけなのだ。 少しくらいの回り道は進んでした方がいい。 人生は長いのだから。 そして人生は何歳でもやり直せるのだから。 人生の下り坂に直面すると、不思議なことに不幸は束になって訪れてくる。 怪我や病気、事件、家庭不和 など、誰しも、なんで私だけと思うような暗闇のような経験をする時期がある。 一つだけでも大変な出来事が それも、半年の内に、または1年の内に立て続けに起こったりすると、「この世に神なんていやしない」と斜に 構えるようになる。 しかし、忘れてはいけない。 束になって不幸が訪れたあとには、束になって 幸せな出来事が、必ずやってくるということを。 人生のめぐり合わせとは、こんなものかもしれない。 だから不幸続きに打ちひしがれている暇はないのだろう。 言い換えれば不幸も幸せも、いつまでも続かない ということだ。 自分だけが苦しんでいる訳ではない。 そしてそれが永遠と続くものでもない。 苦しみや喜びは誰のもとにも訪れるもの。 さあ、周りの世間体に流されることなく、自分自身の幸せの道を 探そうではないか。 今からでも遅くはない。 人生、今日が始まりなのだから。 74人が亡くなった広島市北部の土砂災害から49日目の今日10月7日、東日本大震災や阪神大震災の 被災者支援に取り組むボランティアや僧侶らが集まり、四十九日法要が営まれた。 御嶽山では、明日 また1000人規模で捜索するという。 我に出来ることは何もない。 出来るとすれば日々誠実に活きることくらいだ。 そして思う。 蝋燭の灯を眺めていて思う。 この微小な灯の光でも闇に覆われた世界を照らすことは出来る。 どんなささやかな灯でも、そこの闇を消し去ることは出来る。 一瞬の、ほのかな希望は、そんな灯から始まるのだ。 我は活きる。 前を向いて活きる。 たとえ、それがほのかな灯であっても。 じきに多くの人の心を照らす光になる。 次の世代のため、我は、そう願ってやまない。
ジャングル
短気、ぐず、陰気、怠惰、わがまま、甘え、粗雑と言った性格的な欠点は、大抵、自分で欠点だと意識さえ すれば、少しは良くなるものだ。 本当にそうである人とは、自覚さえもしない人。 壁にぶち当たって、どうしようもない時は、こんなはずじゃなかったと、無様に酒に酔いしれて大声で嘆く のもいい。 そんな嘆きの声は、次第に低く、小さくフェイドアウトしていくものなのだから。 失敗なんて、当たり前と思えるまで泣けばいい。 そしてそんな経験は若いころからするに限る。 失意や挫折の耐性を養うのは大事な事。 雑草のように生きねば。 だからくじけず己の心を鍛えるのだ。 前を向いて歩くとはそういう事ではないかと思う。 けれど、いったい、自分自身の道はどこに向かってるのだろうと悩む時もある。 それは、振りかえってばかりの道じゃない。 前に伸びているいばらの道のことだ。 人が綺麗に整えたような舗装道路なんかじゃない。 自分で切り開いていかねばならないジャングルの道。 今の社会で、あくせく働いている人の7割くらいは、祖父か曽祖父、もしくは、その前の世代において、太陽の下で 草をむしり、額に汗して農作業をしていたはずだ。 それがたった2世代、3世代、または4世代で大変革を起こし このコンクリート社会で平気で生きているというのは滑稽なほど。 だから、心の奥底には、やっぱりかつての人間らしい生き方や、そういう社会へ戻りたいという思いがある はずなのだ。 一人の才能が土を割って、芽を出して行くというのは、そんな道を我武者羅に切り開くに近い。 たとえば、羅針盤片手に小舟で海を渡るようなもの。 太陽に焼かれることに耐えられるだろうかと不安になる。 そして、おそらく持ち水も絶えてしまう。 だから、どこの浜にも上陸して水を補給しようと考える。 でも途中、海の上でスルメの様に干からびてしまうか、蠟のように身体がとけてしまうかもしれない。 万に一つの可能性に掛ける、そんな航海も悪くないと思う。 心の中で何かが弾けて何かが光る。 そんな勇敢な航海でも、もうダメだと思う事が幾たびかあるだろう。 そして、助からないと思って居ても、助かっている。 そんな航海もある。 天がその人を必要と思えば、その人に運と時を与えるものだ。 要は、そんな天の寵を受ける資格があるかどうかであって、 目の前を切り開いて、通って行かなければ ならないジャングルが存在するのは、そんな訳なのだろうと思って居る。
北陸最大の大会
いしかわ総合スポーツセンターで第32回北信越空手道選手権大会、第15回百万石杯 空手道選手権大会、そして少年部帯別最強決定戦大会が開催されました。 700名を超える大会でした。極真坂本派、極真手塚派、新極真、連合会、桜塾、 中園塾、空手塾、その他フルコンタクト団体様が多数参加された北陸最大の大会です。 来年3月に北陸新幹線が開通します。東京~金沢が2時間半。これなら行き易くなる。 また今後も最低、年に1回は審判として浜井派の試合のお手伝いをさせて頂こうと思う。 帰りの浜井代表の車の中で観た金沢テレビでは、早速、今日の試合の模様がニュース で取り上げられ「極真県下一番を争う」とキャスターが解説してました。 が、しかし、これ、 何か違う。 あれれ、これはさっきの会場と違うぞと思いきや、同じ日に行なわれた松井派 の北信越大会の映像でした。700名を超える北陸最大の極真浜井派の大会映像でなかった のが残念です。 しかし高校1年生が準優勝とは素晴らしい。 キレとスピードのあるパンチと蹴り。そしてガッツがあった。 どこの支部長のところの お弟子さんであろうかと探していたところ、女子も浜井派を代表する強い選手がいる 支部らしい。 私は金沢の地理も、金沢の先生方のことも詳しく存じ上げてる訳ではない。 いや、寧ろ全く知らないと言った方がいい。 そのような中で今回感じたのは、やはり 大事なのは、そこにおられる指導者なのだということ。 この大会を運営できるのも、素晴らしい選手を輩出するのも、そして素晴らしい組織 を創り上げるのも、やはり、そこにおられる指導者の存在なのだと思う。 北陸には、私自身、教えを請わねばならない先生方が多い。 空手のこと、そして私にとって大事なのは、というか、私自身大事にしていることは、 「人としての生き様」である。 私は言葉巧みな人間ではないので、代表と一緒に居ると9割は聞き手に廻る。 当然、気の利いた言葉など持っている人間ではない。 ただ心で感じいる人間だ。 また金沢には行かねばならない。 新幹線が開通すれば、「遠路はるばる」 ではなくなる。 極真を通して、 浜井派を通して、 私はまだ学ばなければならないことが沢山ある。 そして大切な経験を糧に、人生の応援歌を胸に どんな時でも、自らの心を奮い立たせ 自らの人生が終わる、その一瞬まで、私は前を向いて歩いて行こうと思う。
瀬戸際人生
昔々、中国に華陀という人がいました。 今から70世代も前の人。 彼は疾病がもし腸の部位にあったなら 患部を取り出し、それを薬液で洗い病巣部を切除し再び縫合しなおし、さらに腹部の傷口を縫合し創傷の癒合 を促進させるため神膏と呼ばれる薬を塗布した。 その後4、5日で患者の病状は好転し1ヵ月以内に患部は 癒合し手術は成功したという。 中国は沛国の人。その医療技術は、当時としては非常に珍しい外科手術も 出来るほどでした。 紀元220年ころにすでにブラック・ジャックのような人がいたということです。 いつの世も死を直視すると、生きていることの意義を見出すことに変わりはない。 華陀は、多くの人を 死の淵から救い、生還させました。 しかし彼は投獄され獄中で亡くなっています。 彼の意思ではなく。 理にかなわない流れだと思います。 でもこの理不尽も当時の中国では自然な流れだったかもしれない。 何故か分からないけれども、自分は、この世に生まれてきました。 そして生まれて来たのは自分の 力によるものではない。 何かの力がそうしたとしか思えない。 それと同じように死ぬのも自分の力に よるものではないだろうと思う。 昨日まで元気な人が事故に遭遇したり、 風前の灯で死にそうな 人でも持ち直し生きながらえたり。 何かの大きな力が、自分を産みだしてくれて、また死なすのだろう。 そう思うと、この与えられた命は、そしてこの身体は、よっぽど尊いものなのだろうという気がします。 冒険をせず安全な道を歩んでいる人が、無意識のうちに危険な落とし穴に落ちたり、 また逆に全智全霊 を掛けて、一所懸命に活きながら、一日一日が綱渡りのようにして冒険の毎日を生きる瀬戸際人生の人が 怪我もせず、病気にもならず生きながらえることもある。 生きていることの意義って何だろう? 安全な道を選んで生きることなのだろうか? いや、それとも勝つか負けるか分からない瀬戸際人生で、いつもメラメラ、ガムシャラに活きるべきなのだろうか? その答えは私には、まだわかりません。 ただ、大きな力がうごめく中で、その力を尊ぶ生き方がいいのだろうと いう気が漠然と自分を取り巻いて居ます。 何事でも、苦しいから、嫌だから辞めるのは簡単なこと。 でも下手でも、微力でも、社会に影響がなくても 続ける事が大事。 苦しい道のりでも、それにへこたれず、一歩一歩前に進んで行けば、視界が急に開ける 時が来る。 その時に、ふて腐れた、弱虫の自分に、戻らなくて良かったと初めて思えるのでしょう。 生きている意義や尊い力の存在を悟るというのは、たとえば、そんな時なのかもしれない。
内なる声
韓国では日本よりも厳しい受験戦争がある。 日本でも、やはり有名な中高一貫校に入る時、または大学受験で 国公立に入ろうとする時には、少なからず狭き門を意識することになる。 小学校の受験でもそういうものだ。 しかし、国公立の有名大学を出て、官僚や、超安定企業として一部上場会社に入社し、高い地位につき、高収入 を得ることが、ただちに幸せに直結するというものではないと思う。 これは言わば流行性の錯覚と言うより ほかない。 入社する時には一流企業でも20年も過ぎて、マネージメントをする立場になる頃に倒産する 企業では迷惑千万、ということになる。 しかし、こういうことは少なくはない。 ならば、生きがいや幸せという ものは、やはりその人の人生観や人間関係に尽きるのではないだろうか。 そのように考えれば、周りに惑わ されることもなく、また世間体にも縛られることもなく、そして見栄や体裁にキョロキョロ、アタフタすることもなく going my way を自信をもって貫くことが出来、満足いく生き方が出来るのではないだろうか。 このことは自分自身の55年の経験則からの思いではなく、幼少から見聞きしてきた事柄のみならず、書物の 言葉や、先人の尊い教え。 そして、自らが体内に宿すDNAをたどることであり、今から230万年前に アフリカに生きていた猿人のような、原人のような祖先が延々と渡り歩いてきた苦難の記憶と、それを 乗り越えて生き抜いてきた記憶が歴然と存在することに目を向けているということなのだ。 少なくとも16万年前に生きていたアフリカのイブからの記憶は今、生きている人類すべての人が持って いるもの。 しかし、残念ながら、その暗室の中に深く閉じ込められているその記憶を呼び起こす前に 自らの命を閉じてしまう人も多いのではないだろうか。 特に、高い地位や収入のみに目が向いてしまう流行病にかかってしまうと、そんな自らの内なる声を感じ取る 感度が消えうせてしまうのではないかと思えてならない。
夏の終わりに
先月8月24日、インド北部ウッタラカンド州で、ヒョウに襲われた女性が農具で反撃、30分かかって撃退する という出来事があった。襲われたのはカムラ・デビさん(56才)。スリナガルの病院に運ばれたが、骨折や打撲や 引っかき傷、頭には深い切り傷をいくつも負って50針も縫ったという。 デビさんはヒョウに襲われてまず左手を骨折。そこで鎌をつかんだ右手でヒョウをひたすら殴った。 デビさんは疲れ果てるまで30分間にわたってヒョウを殴り続けた。その後、1キロほど離れた村まで血を流し ながら歩いて行き、助けを求めた。 そして村人たちが現場に行ったところ、ヒョウは死んでいた。 「勇気を振り絞って反撃した。今ここで死んではいけないと自分自身に言い聞かせた」という記事だった。 いつもならサラッと斜め読みして目に留まらないような記事かもしれない。 でも自分の気持ちと重なるようで 妙に感銘を受けた。 同年代の人であることも心を引きつけたと思う。 こんなことは私には出来そうにない。 それが読み終えた後の感想だ。 でもヒョウに食われて死を受け入れるのかと言われると、それはそういう訳 にはいかない。 たぶん恐怖に直面したら人はなりふり構わずとなるのが普通なのではなかろうか。 極真では苦行が待っている。 やらなくてもいい。 しかし極真で黒帯を締めるということは、その苦行に耐えた人 であるということを意味する。 苦行、それは連続組手だ。人は年齢と共に体力は落ち、持続力もなくなる。しかし、 上の帯を目指す人には避けては通れない。 今回、私は40人組手完遂を目指したけれど結果は30人だった。 これが昭和33年生まれの自分の身体の 限界だった。 あともう少しと思うかも知れないけれど、振り返ってみても、あれが限界だった。 集中できない 自分がいた。 心と身体が一つにならない状態では危ない。 5-6人目で「これは続きそうもない」と感じ。 10-12人で「これ以上無理だ」と思った。 そして20人。「もういい。」 下段も効いてしまっているから動くに動けない。 25人目、集中力が落ちていた。 上段をかすめられ出した。 危ない。 28人目。「何とかあと3人をこなしたい。」心が折れている自分と何とか30人はクリアーしたいという欲。 そんな気持ちが入り混じりながらパンチと蹴りを浴びていた。 30人目。 強い相手がまた目の前にいる。 応援の声も聞こえる。 「前に出て」、その通りなんだ。 前に出ないと相手は更に追い込んでくる。だから前に 出ないと。 心は冷静であったけど、相手の圧力と下段蹴りで後退していた。 しかし、一歩詰める。 サウスポウに 構えをかえて一歩出る。 でも足が上がらず蹴りが出ない。 パンチだけの応戦が精一杯。 ぶざまな30人組手だった。 昔のように動けない。 守勢に回った連続組手だった。 そこから更に10人は無理だ と感じた。集中力に欠けた組手は危ない。 30人組手が終わってロッカーで着替える。 足が効いてる。 ベンチに座れない。 やっとシャワーを浴びて、着替える。 痛み止めの薬を代表からもらって足と手に塗りたくった。 ロキソプロフェインは飲む痛み止め。 これを代表は常備されていた。 それも早速、2錠飲んだ。 胸や腹もキツイ 蹴りやパンチがいくつか入った。 しかしダメージはそうでもない。ベンチプレスのお蔭か。 効いたのは足と腕。 下段払いと外受けで肘から前腕の色が変わっていた。 足は言うまでもない。 左足の指も赤く変色している。 いつどこでやったのかわからない。 ロッカーのベンチで休んでいても、その後道着を脱いでも汗があふれて来る。 必死だったんだと改めて思った。 カムラ・デビさんには及ばないにしても自分のレベルでは一所懸命の時間を 過ごしていた。 長い長い今年の夏が漸く終わった。
神様
自分が欠点だらけの人間だから、もっと良い人間になれるように神様助けて下さいと祈る。 こんな自分でも見守ってくれている神様を信じ、いつかは、今よりは良くなるだろうと自分に望みをかけて 自分を見捨てずに行こうと思う。 そんな生き方を大事にしたい。 こちらが悪ければ、悪い人間が寄ってくる。 こちらが信用することによって、信用される人間が周りに増える。 だから悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、つねに素直に味わおうと思う。 きっとそんな人達が集まるはずだから。 人生の成功と幸福は、青少年の時の汗と涙の量に比例するかもしれない。 しかし、世の人の成功不成功には あまり大差はないように思えてならない。 ただ成功を逃がす人はいずれも、いま一息というところで肝心な 打ち込み方が足らないだけで、実際には、その差というものは実は紙一重の差なのではなかろうか。 たとえば、チャンスが誰にでも同じ顔をして平等にやってくるとしたら、それに気づき、掴むかどうかだ。 しかし、そのためには、日頃から真面目にコツコツ努力をして力をつけておかねばならないだろう。 ほほ笑んでくれるはずの女神さまが自分の前まで来てスルリとすり抜けて行かぬように。 自分の気持ちが萎えて、めげそうになる時には、努力を惜しまない人の姿を思い起こすのもいい。 夜通し仕事に明け暮れる人。 病床の家族を介護し続ける人。 金銭でなく人のために自分の時間を使う人。 そんな人達の姿を思い起こすだけで、萎えた心に背骨が入る気がする。 どんな落ち込む目に遭っても神様が自分を鍛える為の試練と信じて何とか奮起したいものだ。 命ある限り、男は男盛り、女は女盛りなのだから、せっかくの人生、一瞬でも疎かにはできないだろう。 先週の稽古のあと、少年部の子供が「先生、神様はいるの?」と唐突に聞いてきた。 何でそんなことを汗を流したあとに聞いてくるんだろう。 稽古のあとは、なかなか一人一人とじっくり話を している余裕がない。 多くの方々にご挨拶し、子供達の頭を撫でながら声を掛けるという時間なのだから。 でも、心に残っている。 「先生、神様はいるの?」
たじろぐことはない
多くは自分が意図したことではない。 何でそんなものを買ってしまったのか、ハッキリしない時もある。 なぜそんな本を買っていたのかわからない。 駅でも書店でも、気になる本は一応、買って来たからだ。 いつか読むだろうと思って。 自分に影響を与えるものの多くは自分の意図する範疇を超えている。 株価、円相場、鉄道や飛行機の運行状況、自然の猛威、人の感情、人との出会い、子供の成長、病気、怪我 そして事故との遭遇。 無数のことが絶妙のタイミングで自分の前を通り過ぎ、自分に即時の判断を委ねる。 そんな無数のミクロの要因の中で私は生きている。 すべてが偶然のようでもあり、必然のようでもある。 何でこんな場所でネズミ取りをするのかと恨んだこともあった。 しかし、若かりし頃に出くわした交通機動隊と それらの事象のすべてが、自分に自重を促すものであったことに間違いはない。 うまくいかないことはつながるものだ。 そんな星回りに出くわす時もある。 どうして自分ばかりと思う。 そんな時は苦労が更に圧し掛かってくる。 不幸は幸福の糧と思うまで、その星回りから抜け出すことは出来ないのだろう。 不幸に感謝する気持ちが出てこない限り、苦労はまたすぐそばにあって出番を待っているのだろう。 でも、たじろぐことはない。 それが人生なのだから。 命あるものは必ず滅びる。 会えば必ず離れる時が来る。 すべてのものはみな移り変わる。 悩んでも 迷っても 苦しくても 不安でも 落ち込んでも 死のうと思っても それは一時の事。 そんな思いも すべて変化して行って やがて勇気や希望があなたを包む。 幸福も不幸も プラスもマイナスも 我が人生 たじろぐことはない。 --- 篠原鋭一