2月 2013

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強いって 何? どういうこと? 強靭な身体を持つこと?  空手の試合で勝つこと?  いやそんなもんじゃない!!   本当の強さは 優しさ。 生きる力。 逆境に耐える力。 弱い人を助けてあげる心。 ありがとうと素直に言える心。  自分より相手を大切に思う心。  そんなものがなくて外見だけ形を作ってみてもお飾りに過ぎない。 私が教える空手とは ただ技を教えるだけ? 本当に学んで欲しいのは、あきらめないこと。  逆境に打ち勝つ前にあきらめているとしたら、 立ち止まってその子の手を私は引いて一緒に歩いて行きたい。 空手の技はその後。 いくらでも強くなる技は教えられる。   生きる力、あきらめない心が大事なんだと私は伝えて行きたい。  多くの子供たちに。   「With…若き女性美術作家の生涯」というドキュメンタリーはもう12年前のもの。 その主人公:佐野由美さんはもういません。 まだ24歳でした。 そんなドキュメンタリー映画を作っていた会社員が、また映画を作りました。 もうすぐ上映されます。 「うたごころ」 というの映画。   「生きる力」ってどういうこと?  外見の強さなどどうでもいい。   生きるんだよ、いずれ一人で。  脱落しそうな子供がいたら、そこまで戻って一緒に歩んで行こう。 震える心があれば 温めてあげよう。  私の能力はそいうことに活かして行きたい。

私自身が巡らす思いの全てがエネルギーとして外側に出て行きます。 そしてそれは同じような思いを巡らす人の心を 引き寄せたり、周囲の人たちの同種の思いを刺激したりするでしょう。 その思いは、結果として自分の元に何らかの良い 反応や、悪い反応として戻ってくるでしょう。 人の心と心の間には思考エネルギーの絶え間ない交流がなされているようで 自分が気にしていない場所でも、そして遠く離れた場所であっても多くの化学反応を引き起こしているように思えます。 私自身の荒々しい身勝手な思いは、破滅的なエネルギーを生み、他の人たちの心の中にある悪いものに刺激を与え 、それらを増殖させてしまう。 そしてそれはお天道様に吐いたツバのごとく自分の身に混乱を与える為に舞い戻ってくる。  一方、思いやりに満ちた穏やかな思いを抱いた途端、不安と悲しみの荒波に喜びを振り撒き、傷ついた心に癒しの雨を 降らせることが出来るように思えます。 まるで目に見えない暖かいエネルギーが伝わって行くように。  こんな私に何が出来るのだろう? たまにそう思う事があります。  先月31日の木曜のすすき野での稽古のことでした。 9月に入ってくれた3年生が他の子供に比べて基本が出来ていない ことが改めて気になりました。 早速その日の夜に、その子の御母さんに自分の思いお伝えし、「2月の末からでも30分 づつ、稽古が終ってから1対1の個人レッスンをさせてもらいたい」と私の方から申し出ていたのです。2月は昇級審査や 演武会を控えていたので、そのような一人ひとりの些細な出来不出来を気にしていては前に進めないと思う気持ちと、 どうしてもそのままにしておけないという相反する気持ちが交錯し私は立ち止まって居ました。 しかし結論はすぐに 見出せました。 一人の一歩を喜べないで、また一人の成長を見いだせないで指導などする価値はないと。  お母様には率直に感じたことをメールに書かせて頂き、その翌々日、お父様から今までの御苦労の御様子などもお聞かせ 頂き、私からの申し出も快くご了解頂くメールを頂戴したのです。 そして演武会が終わった翌週の23日の土曜のみすずが丘 で17時から17時半までをマンツーマンレッスンとして始めることとしました。これからの土曜日はその子と30分間を一緒に 過ごします。 基本も。そして集中力を高めるための稽古も。また空手以外のことも一緒にやろうと思っています。  私の提案は読書。本を読むことを楽しんで欲しい。本に親しみを感じる子であって欲しい。身体を鍛えて筋肉や骨に刺激を 与えるのと同じくらい、脳に刺激を与えたい。 読書をして感動し感性を磨いて欲しい。そこから何かが生まれるはず。  そんな思いで土曜の17時からの30分をどんな時間にするのか知恵を絞っています。  第1回目の23日。覚えの悪さにキツイ言葉。反復。地味な稽古。しかし1対1なのでやはり集中しているのが見て取れました。  これからどんな有効な時間に出来るだろう? 私にはまったく分かりません。 しかし、演武会も子供たちの顔を思い浮 かべながら工夫をして構想を練ってみんなで練習をやったら初めてにしてはいいものが出来たと思います。 ならば、 どんな成果があるかは分かりませんが、一人の子の成長を見る為の時間に知恵を出してみよう。 今はそんな気持ちで います。 私は優しく輝くその子が、自信に満ちた片鱗を見せてくれる日まで、このマンツーマンレッスンをやり続けようと 思っています。 

児童手当の申請・受給を受け、高校授業料無償(年間約11.9万円)を受ける前提でも、幼稚園から高校まで公立に 通い私立文系を4年で卒業したとすると約900万円。国立大学を卒業した場合でも760万円。これに大学生の高価な 教科書代、下宿代、交通費、生活費が加算される訳です。 5万円の仕送りを4年間すると、それだけで240万円。 ということは国公立・私立を問わず、文系の大学を出るということは子供一人に1千万円ほどの負担はかかるということ。 これだけ見るとウンザリ。しかし毎月の収入と出費を細かく見ながらやっていくと出来るものです。実際には、この費用 に加えて小学校・中学校・高校の間には受験の為の塾代、予備校代も加わってくるということと、家を購入したり、車を 買ったりするので、出費はかさむ方向にあります。 ざっと子供一人につき1千5百万円。しかし、これは16年間の合計。 月々では約7万8千円。 これなら何とかなりそう。 子供が二人でも15万円ほど。 しかし、これだけお金をかけて、 いい大学を出て、いい会社に入ってもリストラされる世の中。 今は荒波の平成。右肩上がりの昭和ではないので、 どの道を選ぶかは迷うところです。 教育費をかけて開成・麻布・双葉に入れて国家公務員? 学校の先生? 教育委員会?  弁護士? 超有名企業? ボートレーサー? 競馬のジョッキー? 将棋の棋士? 消防士? 警察官? 自衛隊?  ごく普通の一般企業? カジノのディーラー? マジシャン? 音楽家? 落語家? 漫才師? 保育士? 看護師?  医者? はたまた代議士? いずれにしても、その道に進むには、どの年齢(段階)で何をすべきかをしらないとその道には 入れないということ。 しかし、多くの場合、教育にお金を費やす割りに、自分たちが関わって来た職業以外の選択肢の 情報が少ないために、その子供は親の経験則を超えられないのです。 ならば親が世の中の他の職業選択肢に興味を 持って吟味し、子供の才能・性格などを考慮すれば適切な時期に適切に生きるアドバイスを出来るはず。  まさに、このプロセスが大事。 またもう一方、こういう生き方もあります。それは子供がやりたいことを探すのを待って、 それまで教育資金にお金をかけず、その分をそっくりそのまま子供の為に預金をしておいてあげるのもお金の活かし方 です。 今は過去の日本の生き方や成功パターンから距離を置き、自らの手で起業することも子供の可能性として 視野に入れておくべき時代なのかもしれません。 大切なのは何を考え、どういう一歩を踏んで生きる人間に育てあげるか ということ。 つまり子供の脳のどこの分野に刺激を加え続けるかで、その子の人生設計が決まるのであって教育費用 の大小では決してないのではないかと思えてなりません。

過ぎ去りし日の夢     希望に満ちていたあの頃      とわの愛を夢見て      神もお許しになろうと でも虎は夜やってくる     雷のように低くうなり      希望を八つ裂きにし      夢も恥と変わる 私は夢見る あの人が    共に人生を歩んでくれると    でも かなわぬ夢もある    避けきれぬ嵐もある こんなはずじゃなかった     こんな地獄で暮らすとは     こんな哀れな姿で     夢破れし 我が人生 Anne Jacqueline Hathaway が Fantine として歌う "I dreamed a dream"は Susan Boyle ほど上手く心に響きます。 Susan Boyle の歌で一番いいのは、Britain's Got Talent の予選会で歌った「夢破れて」。 有名になったあとの歌は 洗練され過ぎて、上手いのですが感動はありません。 何かを打ち破るものではなく、綺麗に整った感じ。 あの予選会 で世間をあっと言わせた空気はどこに行ったのでしょう。 人は夢が叶うまでが美しく、輝いているのかもしれないと つくずく思います。 夢が現実のものになる瞬間、私はそんな感激に触れていたい。  神山昌子さんは 何度、夢破れたことでしょう。 世間に埋もれながら 夢を忘れない人が世の中にはたくさんいます。 出産後に離婚。 34歳で法律に触れ、37歳から司法試験に挑戦し、一人息子に背中を押されながら23年目に合格。 すでに60歳。 いったいどれほどの涙を流せば夢はかなうものなのでしょう。 夢の途中で挫折する人がどれほど多い ことでしょう。 でも私は夢はかなうまでの道のりが大事だと思っています。 かなうか、かなわないかは問題ではない。 それを成し遂げようとする姿が尊いのだと思うのです。 そこには輝いてる心があるから。 アン・ハサウェーの歌と スーザン・ボイルの予選会の歌には、そんな心があるように思えます。

1962年、ノーベル文学賞を受賞したがアメリカ国内の批評家からの評価は必ずしもよくなく晩年の生活は決してめぐまれた ものではありませんでした。1968年、ニューヨークで心臓発作をおこして66歳で死亡した作家はモントレーのサリナス 生まれでした。モントレーからサリナスまでは車で30分。 1950年、そのサリナスとモントレーを舞台に書かれた小説は 映画化され日本でも有名です。  1955年、ある映画の撮影終了1週間後の9月30日、サリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士 と共に愛車のシルバーのポルシェ・550 スパイダーでカリフォルニアの道を走行中、午後5時59分にコレームあたりの 46号線と41号線の東側の分岐点で、横からはみ出してきた車と衝突。整備士は車外に投げ出されて骨折、相手の 運転手も軽傷で済んだが、24歳の若者は、ほぼ即死状態でした。サリナスの事故現場にはその後、モニュメントが 建てられました。そこには事故の起こった夕方5時59分を永遠に忘れないために∞で括られた文字が書かれてます。 「James Dean 1931 Feb 8 - 1955 September 30 PM5:59 ∞」 BSで録画してあったその人の映画 East of Eden を久しぶりに観ていたら、夜中の3時過ぎ。アメリカの昔の映画は中身が あって面白い。 日本の昔のものとは大違い。 このアメリカの映画を観ているとサリナスがどんな場所なのか知りたく なって、この原作も読んでみたくなります。 もちろん、その方の書かれた『怒りの葡萄』も、『二十日鼠と人間』も読まず にはいられなくなります。私はこうやっていろんなノーベル文学賞の受賞者の作品を読みふけるのです。 でも今日はもう寝ないと。 明け方の3時39分。 世の中はすでに深い眠りの中です。 

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