人間は他人のことをネタにしゃべるのが好きだし、そんなことしないと言う人でも人のことをああだ、こうだと言ってしまう。
そして、また気の合う人と過去の出来事をほじくり返して、これまた、ああだ、こうだと言って過ごすのも楽しい。
それが普通だし、ダメだなんて誰も言えるものではないでしょう。 ならば自分の心が正しいと思うことをやりながら
人の目など気にせず生きていく、勝手気ままな人生もいいものだ。 たとえ、いい結果が訪れたとしても、そうでなかった
としても、いずれにしても人の批判にさらされるのだから、そのようなことは気にせず生きて行かねばならないのだろう、
などと偉そうなことを考えて生きたら25年という長い年月が、あっという間に過ぎていました。
四半世紀も、あっという間の出来事でした。 平成元年に生を受けた子が25歳になるとは、そういうことなんだ。
いつの間にか幼稚園に入り、小学校も入学式が済むと、やがて6年が過ぎて卒業式。 真新しい学生服姿の写真も
6年が過ぎると高校も卒業。 初心を忘れずなど言っているうちに大学生。 こうして10年、15年、20年があっという
間に過ぎていきます。 振り返ると長い長い時間も一瞬の出来事でした。
春は新しい旅立ちの時。 善いことはカタツムリの速度で動くものだと信じて、じっと待つしかない。
過去の記憶を手繰るように、未来の記憶を創りあげよう。 それをするにはカタツムリは打って付けの速度を
刻んでいるのかもしれない。 春はゆっくりが似合う。 梅雨の頃にはカタツムリがピッタリ。
そんな地球は秒速500mで毎日自転し、秒速30kmで太陽の周りを1年をかけてまわり続けている。
46億年も前から。 周囲4万kmの球体は生き続けている。 我はその一瞬に生きた塵のようなものだ。
そう思うと25年も一瞬のこと。 全てのものが高速で移動して来たから、その流れを止めることはできない。
カタツムリも高速の中でゆっくり生きている。 そうあらねばならない流れの中で生きている。 我らも同じこと。
そうあるべきものを心で捉え、しっかり伝えて生きていきたいと思っている。
人を見るのではなく地球を観ていると些細なことは気にしなくなるからと。
あっという間の人生。 おおらかに生きようではないか。