「夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。
お送りしておりますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように。」
昔、この番組を聞きながら受験勉強をしていたので、その習慣からかブログもそんな夜更けに書く時が多いのです。
もう一日経つと心も落ち着いてきて、またチャレンジしてみようかと思うように心が戻って来ました。 しかし昨日は
絶対に登りたくないと心に決めて家に帰って来ました。 何もかもがずぶ濡れであることに慣れてなかった事や
山小屋の中二階の狭い寝床。 何ではしごで登らないといけないのと思いながら中二階に行けば一枚の布団に
二人づつの寝床。 これじゃまわりが気になって寝れやしない。 それに輪をかけて狭い山小屋の中の団体行動
がどうにも堪えがたく、機械のように扱われることに抵抗感を抱きました。 みんな一斉に靴を履けだの、ゴミは
持ち帰れだの、玄関に留まるなだの、軍隊のような行軍を終えたあとに、人を物のように扱う一言一言がまるで
お客さんを泊まらせてあげてるかのような、上から目線の、雑な言い回しに何か引っかかってしようがなかった。
もちろん若いアルバイト達に責任はないにしても、夏の2カ月間で元を取ろうとする山小屋のすし詰めビジネス
は世界遺産に似つかわしくないと思う。
富士山には登りたい。 でもベルトコンベヤー式のすし詰めビジネスを行うツアーには二度と参加したくはない。
29年前に行った新婚旅行のハワイのツアーも何だかそんな感じでした。 十羽ひとからげで丸儲けはないだろう。
次はフリーで登りたい。 そう思いました。 一回行けば雰囲気は掴めたし次への改善点も見えてきた。
今回は3200mの八合目で20mの強風のために0時に頂上を目指す予定が登頂禁止となり止む無く
翌朝6時に下山となった訳です。 翌朝は雨。 真っ白な靄の中を軍隊の行軍のように歩いていました。
ずぶ濡れです。 靴下も、靴も、リュクもすべてが雨と砂交じり。内側までびしょびしょの雨合羽とグショグショ
で重い靴を引きずって降りて来ました。 降りながら未明の強風を思い出してました。 3200mの高さで頂上から
吹き降ろす20mの強風は身体ごと飛ばされそうな初めて経験する身の危険でした。
でも山梨県がなんと言おうと、お役所が何を言ったって登りたかった。 せっかく来たんだから。
「落石の危険がありますから。 先日もお一人意識不明の重体に、、。」 悶々としながらもしようがない。
「富士山に出直して来なさい」 と言われたんだと思って、ふて寝をしていました。 身体は元気。 怖いのは
高山病だけでした。 寝ている間に呼吸が浅くなってしまいそうで、それだけが気にかかってました。
2300mの五合目から900m登っただけでした。 眺めは六合目も、七合目も、もちろん八合目も最高です。
息は切れました。 七合目から八合目の延々と続く岩登りは心肺機能の鍛錬にはもってこい。
しかし本八合目の浅間大社の境内には行きたかった。あと200m。サンシャイン60の50階までを1階から歩いて
登れば済んだほどの距離でした。 それが叶わなかった。 出直さねば。 あと3時間登れば頂上だったんだから。
1132年に29歳の末代上人は初登頂してから数百度も登頂されたと聞きます。 末代上人の前にも
金時上人・覧薩上人・日代上人らが登頂され遺品が残っていた場所に私は必ず行くと決めた。
雨が降ろうと、槍が降ろうと先達の道を登ってみようと思う。 ただ本来は何日かかろうと麓から行かねば
ならない。 1132年は麓から登ったはず。 今はバスで五合目まで。 3万円払えば馬の背中で七合目まで
行ける。 しかし、それでは、、、。 いつかきっと麓から登る。 寝袋を持って。 自分の道を創って。
自分は甘かったと思えてならない。
末代上人のように生きてみようと思う。
末代上人のように登ってみようと思う。
雨の日でも。 強い風の日でも。