8月 2014

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多くは自分が意図したことではない。  何でそんなものを買ってしまったのか、ハッキリしない時もある。 なぜそんな本を買っていたのかわからない。  駅でも書店でも、気になる本は一応、買って来たからだ。  いつか読むだろうと思って。  自分に影響を与えるものの多くは自分の意図する範疇を超えている。 株価、円相場、鉄道や飛行機の運行状況、自然の猛威、人の感情、人との出会い、子供の成長、病気、怪我 そして事故との遭遇。 無数のことが絶妙のタイミングで自分の前を通り過ぎ、自分に即時の判断を委ねる。 そんな無数のミクロの要因の中で私は生きている。 すべてが偶然のようでもあり、必然のようでもある。 何でこんな場所でネズミ取りをするのかと恨んだこともあった。 しかし、若かりし頃に出くわした交通機動隊と それらの事象のすべてが、自分に自重を促すものであったことに間違いはない。  うまくいかないことはつながるものだ。 そんな星回りに出くわす時もある。 どうして自分ばかりと思う。 そんな時は苦労が更に圧し掛かってくる。  不幸は幸福の糧と思うまで、その星回りから抜け出すことは出来ないのだろう。  不幸に感謝する気持ちが出てこない限り、苦労はまたすぐそばにあって出番を待っているのだろう。 でも、たじろぐことはない。  それが人生なのだから。 命あるものは必ず滅びる。  会えば必ず離れる時が来る。  すべてのものはみな移り変わる。   悩んでも  迷っても  苦しくても  不安でも  落ち込んでも  死のうと思っても  それは一時の事。   そんな思いも  すべて変化して行って  やがて勇気や希望があなたを包む。  幸福も不幸も   プラスもマイナスも  我が人生  たじろぐことはない。 --- 篠原鋭一

何の為に空手をするんだろう。 そしてスパーリングは何のためにするんだろう。 好んでこんなことをしなくても 暮らして行けるはずだし、家の事や仕事の事にもっと時間を取った方がいいんじゃないかと思う人もいるでしょう。  健康の為、子供に身をもって生き様を見せる教育の為、女性であればダイエットと運動不足解消の為。  子供には礼儀を学ばせ、落ち着きを持たせる為。 全てはそこから始まる。 それはそれでいい。  但し、極真空手の道場に通う以上、強く成りたいと言う純粋な気持ちがなければならないと思います。  今の自分を変えたい。将来の自分の為に。我が子を変えたい。我が子が出くわすであろう困難をいつの日にか 子供達が乗り越える為に「心を鍛える」。 それがこの道場の意義。 ですから決して肩で風切る勇ましさを良し とせず、むしろ弱弱しい風貌で見るからに頼りない人柄で結構。 心の強さとは外見ではわからない。  日常の生活の中でにじみ出る生き様なのだから。  雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダを持って、 東ニ病気ノコドモアレバ     行ッテ看病シテヤリ  西ニツカレタ母アレバ  行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ  南ニ死ニサウナ人アレバ     行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ  北ニケンクヮヤソショウガアレバ  ツマラナイカラヤメロトイゥ     ミンナニデクノボートヨバレ  ホメラレモセズ  クニモサレズ、、、、 。     雨が降ったから、、、風が強いから、、、多くの場合、そういう事情を見つけ出しては、安きに流れるのが世の常。   だから私は、この宮沢賢治の心を大事にしたい。 的を外していない生き方だと思う。     極真ではスパーリングもあれば基本稽古も移動も、型もある。 そして型を極めることも大事。 しかし極真から 切っても切り離せないものはスパーリング。 このスパーリングは誰しも怖い。 みんな同じように恐怖を感じ、 みんな同じように追いつめられる。 自分と同じくらいか、自分よりも強い人の蹴りやパンチがいつも心をかすめ 逃げたくなる。黒帯の人でも白帯の頃があり、みんな同じ思いを抱いていたはず。オレンジ帯の頃には黒帯とは ほど遠い存在のように思えるもの。 青帯になると黄色帯の人が上手く、強く壁になってくる。 黄色になると緑帯 の人が途轍もなく強く思える。 しかし緑帯になってみると逆に黄、青に強い人がいることに脅かされる。 だから稽古 に励まざるを得なくなる。 そして一日一日を積み重ねていると茶帯に成る。 茶帯になると茶帯はその道場の看板 であることに気付く。 その時から恥ずかしいことは出来ないと自らを叱咤激励するようになる。 黒帯の先輩を手本 に一から基本を見直すようにもなる。 決して飾ってなんかいられない。 そんな余裕はない。 自分が下手に 思えて、後輩よりも劣って見える。 何をやっても、いくら叱咤激励して励んでみても、前に進まず後退しているように 思える。 そんな頃に「黒帯の審査を受けなさい」と声がかかる。 そういう弱さを知る過程を経なければ前に進んでは   いけないのではないだろうか。 悩んで、落ち込んでみなければならない時期がある。 優等生が逆境に弱いのは、   この過程を経験しないからだろう。 雑草の強さは、一旦踏みにじられる過程に耐えて生き延びるところにある。 他の色に染まらない黒色の帯を締めるとは、正に、そういうことではないかと思う。 振り返ると怖さが自分を創り、 怖さに慣れ、 怖さを楽しむ自分がいる。  人生、そのものではないだろうか。  緊張感や恐怖感を味わい、そこから逃げられない所に自分を置いてみて、自分の心を洗いざらいさらけ出す。  人と叩き合い蹴り合ってのみ真の痛みを知ることが出来る。 そして自分が痛みを知ってこそ人の痛みを知る ことが出来る。  道場とは人生の厳しさを学び、その厳しさから逃げず勝ち抜いて行く力を養う場所。 悔し涙は尊いもの。 人の為に流す涙は暖かいもの。  そんな涙を大事にしたい。   夏の暑さの中に自分をさらけ出してみる価値はそこにある。  

「夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。 お送りしておりますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように。」 昔、この番組を聞きながら受験勉強をしていたので、その習慣からかブログもそんな夜更けに書く時が多いのです。 もう一日経つと心も落ち着いてきて、またチャレンジしてみようかと思うように心が戻って来ました。 しかし昨日は 絶対に登りたくないと心に決めて家に帰って来ました。 何もかもがずぶ濡れであることに慣れてなかった事や 山小屋の中二階の狭い寝床。 何ではしごで登らないといけないのと思いながら中二階に行けば一枚の布団に 二人づつの寝床。 これじゃまわりが気になって寝れやしない。 それに輪をかけて狭い山小屋の中の団体行動 がどうにも堪えがたく、機械のように扱われることに抵抗感を抱きました。 みんな一斉に靴を履けだの、ゴミは 持ち帰れだの、玄関に留まるなだの、軍隊のような行軍を終えたあとに、人を物のように扱う一言一言がまるで お客さんを泊まらせてあげてるかのような、上から目線の、雑な言い回しに何か引っかかってしようがなかった。  もちろん若いアルバイト達に責任はないにしても、夏の2カ月間で元を取ろうとする山小屋のすし詰めビジネス は世界遺産に似つかわしくないと思う。  富士山には登りたい。 でもベルトコンベヤー式のすし詰めビジネスを行うツアーには二度と参加したくはない。  29年前に行った新婚旅行のハワイのツアーも何だかそんな感じでした。 十羽ひとからげで丸儲けはないだろう。  次はフリーで登りたい。 そう思いました。 一回行けば雰囲気は掴めたし次への改善点も見えてきた。  今回は3200mの八合目で20mの強風のために0時に頂上を目指す予定が登頂禁止となり止む無く 翌朝6時に下山となった訳です。 翌朝は雨。 真っ白な靄の中を軍隊の行軍のように歩いていました。  ずぶ濡れです。 靴下も、靴も、リュクもすべてが雨と砂交じり。内側までびしょびしょの雨合羽とグショグショ で重い靴を引きずって降りて来ました。 降りながら未明の強風を思い出してました。 3200mの高さで頂上から 吹き降ろす20mの強風は身体ごと飛ばされそうな初めて経験する身の危険でした。 でも山梨県がなんと言おうと、お役所が何を言ったって登りたかった。  せっかく来たんだから。   「落石の危険がありますから。 先日もお一人意識不明の重体に、、。」  悶々としながらもしようがない。 「富士山に出直して来なさい」 と言われたんだと思って、ふて寝をしていました。 身体は元気。 怖いのは 高山病だけでした。 寝ている間に呼吸が浅くなってしまいそうで、それだけが気にかかってました。 2300mの五合目から900m登っただけでした。 眺めは六合目も、七合目も、もちろん八合目も最高です。 息は切れました。 七合目から八合目の延々と続く岩登りは心肺機能の鍛錬にはもってこい。 しかし本八合目の浅間大社の境内には行きたかった。あと200m。サンシャイン60の50階までを1階から歩いて 登れば済んだほどの距離でした。 それが叶わなかった。 出直さねば。 あと3時間登れば頂上だったんだから。 1132年に29歳の末代上人は初登頂してから数百度も登頂されたと聞きます。 末代上人の前にも 金時上人・覧薩上人・日代上人らが登頂され遺品が残っていた場所に私は必ず行くと決めた。 雨が降ろうと、槍が降ろうと先達の道を登ってみようと思う。 ただ本来は何日かかろうと麓から行かねば ならない。 1132年は麓から登ったはず。 今はバスで五合目まで。 3万円払えば馬の背中で七合目まで 行ける。 しかし、それでは、、、。   いつかきっと麓から登る。 寝袋を持って。 自分の道を創って。 自分は甘かったと思えてならない。  末代上人のように生きてみようと思う。 末代上人のように登ってみようと思う。  雨の日でも。 強い風の日でも。

家を持てば家にこだわり、会社に就職すれば会社にこだわり、ある地位につけば、その地位にこだわる。  いい学校、いい就職先に、いい立場にと。 そして築きあげてきたものを崩したくはないと。  仮の宿の人命の何と短く そして理想の何と多いことか。  必然なる力と、人力を超えた或るものの力があるとすれば、その両方の力によって人は生かされている。 そんなことを思いながら8月9日を過ごしていた。 まだ広島も長崎も行ったことがない。 「雨 潸々と この身に落ちて わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして 人は哀しいものですね。」 「それでも過去達は 優しく睫毛に憩う人生って 不思議なものですね。」 「風 散々と この身に荒れて 思いどおりにならない夢を 失くしたりして 人はかよわいものですね。」 「それでも未来達は 人待ち顔して微笑む 人生って 嬉しいものですね。」  「愛 燦々と この身に降って 心秘そかな嬉し涙を 流したりして 人はかわいいものですね。」 「ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う 人生って 不思議なものですね。」 30歳の銀行員の神田紘爾さんに聞いてみたい。 「12年後のあなたを観てみないか?」って。 「過去達は 優しく睫毛に憩う。」 「愛 燦々と この身に降る」 って思っていた銀行員がいたなんて。  凄い。 ただただ、こんな言葉が湧いてきたなんて、そのことが凄い。  わずかばかりの運の悪さをいつも恨んできたものだから。 その言葉に圧倒されてしまう。 もう一日寝て、目が覚めたら夏山の頂きに向かう。  出来れば銀河が天に横たわる姿を観たい。  露が澪ちた夜の静寂の中に佇んでみたい。  雨 潸々と この身に落ちる不思議な人生を 天に任せてみようと思う。 

人は、どんな時にでも笑うことは出来るはず。 でも笑っているからと言って機嫌がいいとは限らない。  恐怖でも、屈辱でも、そして突然の悲惨にだって、笑いだしてしまうかもしれない。 そんな事件が夏は目に ついてしまう。  起こってみると、いつかはこういう惨事が起こるような予感が心の底に引っかかっていたり  もする。 いつか突然、何か取り返しのつかない事態が起こり、自分たちを叩きのめすのではないかという 悪夢のように。 病気、怪我、事故などは不意に目の前にその姿を現してくるものだと後になってつくづく思う。  穏やかな川の流れが一瞬にして大きな濁流となってすべてを無に帰してしまうようなことだってある。 夏は子供達が成長する時間。  その子供達のひと夏が無事であるようにと願っているのは、そんな訳からなのです。  「左」という漢字の「ナ」の部分は人の手を表し、「エ」の部分は祈りの道具。  「右」という漢字の「ナ」の部分は、同じく人の手を表し、「口」の部分は祈りの文書を収める器。 左右ともに、漢字の成り立ちは、「人が祈りをささげる姿」とは、ある学者の説。   そんなことをふと思いながら、今朝も両の手を合せていました。

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