4月 2014

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人間は他人のことをネタにしゃべるのが好きだし、そんなことしないと言う人でも人のことをああだ、こうだと言ってしまう。  そして、また気の合う人と過去の出来事をほじくり返して、これまた、ああだ、こうだと言って過ごすのも楽しい。  それが普通だし、ダメだなんて誰も言えるものではないでしょう。 ならば自分の心が正しいと思うことをやりながら 人の目など気にせず生きていく、勝手気ままな人生もいいものだ。 たとえ、いい結果が訪れたとしても、そうでなかった としても、いずれにしても人の批判にさらされるのだから、そのようなことは気にせず生きて行かねばならないのだろう、 などと偉そうなことを考えて生きたら25年という長い年月が、あっという間に過ぎていました。  四半世紀も、あっという間の出来事でした。 平成元年に生を受けた子が25歳になるとは、そういうことなんだ。  いつの間にか幼稚園に入り、小学校も入学式が済むと、やがて6年が過ぎて卒業式。 真新しい学生服姿の写真も 6年が過ぎると高校も卒業。 初心を忘れずなど言っているうちに大学生。 こうして10年、15年、20年があっという 間に過ぎていきます。 振り返ると長い長い時間も一瞬の出来事でした。  春は新しい旅立ちの時。 善いことはカタツムリの速度で動くものだと信じて、じっと待つしかない。  過去の記憶を手繰るように、未来の記憶を創りあげよう。  それをするにはカタツムリは打って付けの速度を 刻んでいるのかもしれない。 春はゆっくりが似合う。 梅雨の頃にはカタツムリがピッタリ。   そんな地球は秒速500mで毎日自転し、秒速30kmで太陽の周りを1年をかけてまわり続けている。 46億年も前から。 周囲4万kmの球体は生き続けている。 我はその一瞬に生きた塵のようなものだ。 そう思うと25年も一瞬のこと。 全てのものが高速で移動して来たから、その流れを止めることはできない。  カタツムリも高速の中でゆっくり生きている。 そうあらねばならない流れの中で生きている。 我らも同じこと。  そうあるべきものを心で捉え、しっかり伝えて生きていきたいと思っている。  人を見るのではなく地球を観ていると些細なことは気にしなくなるからと。  あっという間の人生。 おおらかに生きようではないか。

大きな木を移植して植えてみると大事に手入れをしていても枯らしてしまうことがあります。折角いい樹木が 見つかったと思ってみても長い間植わっていた土地と、新しい土地では樹木なりに微妙な変化を感じてしまい 生きながらえることが難しくなるらしいのです。 どれほどの水をあげればいいのかも大事で、勝手な思い込み は禁物なのでしょう。  夏だから水をいっぱいあげればいいという単純なものではありません。 それは季節にもよるし、その樹木自体 の保水力にもよるのでしょう。 結局のところ「木の声」を聞くしかない。 その樹木がどれほど水分を欲しがって いるのかを自分で感じ取らないことには、かえって水を上げ過ぎて根を腐らせてしまうことにもなりかねません。  面倒を看るとはこういうことなのでしょう。 過保護、過度の教育も子供の心の根を腐らせてしまうかもしれない。  良かれと思い、子供の将来を想い、勉学向上のため学習塾に入れることは、それだけで解決できるものではない のです。 その子の「心の根っこ」 がどこを向いているのか? 果たして水分を欲しているのか、いないのかを よく看ていかねば、無理の上に無理を上塗りしてしまうことにもなりかねません。  樹が枯れないように、そして子供の心が閉ざさないように、そこにあるものの声を自分の心で感じ取りたい。

三十代には三十代の空手があるように、四十代には四十代の空手がある。 そして五十代にも、それ相応の 空手人生がある。五十代の人が二十代の若者たちと同じ稽古を続けたとしたら、数日のうちに身体を壊してしまう でしょう。 という訳で、いつもここの稽古生には、如何に生きて行くのかが大事だと説明しています。 試合は二の次。 まずそれぞれの人生をまっとうに生きること。つまり家庭を大事にして、仕事でも手を抜かず、前を向いて生きる活き方 それが大事なのだと伝えて来ました。 そんな中で続ける極真空手を通して健康な身体を手にして、精神的にも健康な 人がこの空手クラブに増えていくこと、これが大事だと考えています。 ですから短期的に無理をして身体を壊したり、 怪我で仕事に影響が出るようであれば、それは本末転倒です。 求めるものは健康と、より素晴らしい充実した人生を 送る為の空手であって欲しいと思うのです。 しかし、そうは言えども極真空手は同好会的なものではなく、余暇を楽しむ スポーツとは一線を画しています。 つまり、苦しさや、辛さ、痛みと言うものがついて回るものであり厳しさを伴うものなの です。 ですから出来るだけその人のレベルにあったものを提供しようと思い、皆さんに無理をさせない内容の稽古も考え たりもしています。 そして、その極真空手の稽古の中から、苦難を乗り越えて行くのはご自身であり、自分を向上させて 行こうとする意識もご本人になければ続くものではありません。 社会人として空手を続けて行くことの難しさは自分自身 が経験してきたこと。 ですから、ある意味、誰よりも、その難しさは理解出来ます。 仕事に追われ、また 家庭のこと、子供の進学と教育のことで休日も返上するのが一般的な社会人であり、総じて三十代、四十代は空手どころ では無ったというのが正直な気持ちです。 疲れて帰ってくれば一杯飲んでくつろぎたい、やっととれた休日は休みたい、 何で好き好んで、あえて痛い思いをしなければならないのか? と考えるのは、むしろ一般的な価値観でしょう。 しかし、 それでも、あえて仕事の合間を縫うようにコツコツと稽古に励む人を見ると心の底から敬意を称したくなったものです。  そして子供達の為に身をもって我が背中を見せて、生き様を見せる姿には心打たれるものがあり、それこそが真の 教育だと思うのです。 それでも尚、何の為に空手を習うんですか? との問い掛けに「ただ強く成りたいから」 と 男としてのやんちゃな心を忘れないオヤジさんたちに出くわすと、我ら、オヤジたちの人生も決して満更ではないぞ と愉快になり、一杯飲んで夜を明かしたくなるのです。  三十代以上の空手家に、そういう生き方があってもいい のではないかと勝手に思っています。  男なんだから決して男の本分を忘れまじ。  男なんだからやんちゃな人生を送るもよし。  男なんだから何事も一所懸命に生きるべし。 さあ、男なんだからズルをしないで泥臭く生きてみようじゃないか。  勇敢であれ!  明日は我らのためにあるんだ!

長男が医学部に入ってからのことをブログに書いてきました。その医学部に関わるブログも、今回で15回目。 長男が医学部3年生の時に留年が決まった暗黒の3月17日から2年が経ちました。私立の医学部の授業料は 年間500万円ほど。 なので私立の医学部では浪人よりも留年は避けて欲しいというのが親の本音です。  そんな暗黒の日からもう2年が過ぎました。 早や2年なのか、もう2年なのか。 親からすると年月が経つ というのは、何と遅々たる動きの中にあるものかというのが実感です。 そして、今日が5年生への進級が決まる 発表の日でした。 今日のこの日は本人よりも親が気にしていたのではないかと思います。 そんな土曜の昼。  ちょうど先ほど長男から簡単なメールがありました。 「進級したよ」  なんとそっけない簡単なメールだこと。  でも正直言って嬉しい。 4年次は追試もなかったので単位は一つも落とさずに来たとは言えども、進級発表までは 心が落ち着かず、そわそわしていたのです。 あぁ、 やっと5年生かぁ。  そういえば空手クラブの小学4年生達も5年生になるんだ。 この子たちが6年を卒業するころに、うちの長男も 医学部6年生を無事に卒業し、2月の医師国家試験を終えてもらえたら、ようやく我が家にも春が来るというもの。  あと2年。 指折り数える心境とはこういうものか。 息子を医者にするために小学校4年生から学業と極真空手を 両立させ、これでまる14年。あっという間の出来事でした。 さあ、あと2年。 第四コーナーを周った直線まできた からには、やるっきゃないでしょ。 小学5年生になる子供たちと一緒に2016年の卒業式を無事に迎えられるよう 頑張ってもらいたい。  今日のうららかな天気の日が2年後にも訪れますように! 

サッカーの試合を見ていて思うことがある。それは強いと前評判の高いチームが勝つとは限らないということ。 それと、素晴らしいオールスターを集めたチームが勝つとも限らない。 最後に勝つのは、我々は出来るんだと 考えているチームが勝つのだ。 力の差なんて極わずか。 それより大きいものは心。 大胆な心を用意して いるかどうかだ。 相手をも飲みこんでしまう度胸があるかどうかなのだ。 相手がこう来たらどうしようか、 こっちがこうなったらどうしよう。などと考えてる暇はない。 世の中を見てみろ。 最後まで成功したいと思い 続けている人が成功してるじゃないか。 同じことだよ。 俺たちには出来る。必ず出来る。そんな予感がする。 そんなチームに負ける要素は微塵もない。 あきらめるな! 勇敢に挑め! 全てはあとからついてくる。 我々は誰かが成し遂げたことを見届けるために生きているんじゃない。 自分たちで、これから新たなものを 成し遂げる為に生きているんだ。 目を星に向けて大地を踏みしめるんだ。 歴史は読むためにあるんじゃない。 創るためにあるんだ。 歴史に楔を入れろ。 純白のキャンバスに力強くイニシャルを刻むんだ。それが人生だ。   それが楽しいのさ。  自分の夢の実現を信じよう。 さあ、一歩前へ。 その積極性で世界が変わるはずさ。 

今どき、小学校4年生で学校を中退する人はいない。 それも米相場に父親が手を出して家と土地を売りに出して しまうなど耳にしたことがない。 小学校2年生の時に、その父親が単身、田舎から都会に出て、小学校4年生の 秋に9歳で学校を辞めて、都会の火鉢屋で小僧として働いている子供は平成の世の中ではいないはず。その後 3か月ほどで自転車屋さんで働き、17歳までそこで働いた。その後セメント会社の運搬作業員を経て、電燈会社 で働くようになった方がいる。 その後22歳で結婚し、7年間で会社に辞表を出し、24歳で自分の会社を創った。  今、その人の奥さんが書いた自伝を読んでいます。 井植むめのさんと言います。のちの松下むめの。幸之助さん の奥様です。 経営の神様のことは多くの方が知っておられます。 しかし奥様のことは、あまり知られてません。 この方あっての幸之助様。 明るくおおらかな人。 明治の人。 素晴らしい心を持った人でした。 その方の兄弟が創った会社が三洋電機。 すごい家族、親せき一同です。 「難儀もまた楽し」  ・・・  松下むめの これを読みながら「夢を育てる」  ・・・  松下幸之助 を読んでいます。 同時に読んでいるとお二人の様子がうかがえる。  今から100年ほど前のご結婚。  幸之助さんが生まれて今年で120年。 その記念に出されたこの本を大事に読ませて 頂きました。  過去の記憶をたどり、それぞれの未来の記憶を頭と心に鮮明に描いて来た生きざまを参考に自分の歩みを 進めて行こうと思った次第です。  何を考えているか、何を知っているか、そして何を信じているかなどどうでもいい。 大事なのはこれから何をするかなのだ。 トップであるか、ビリであるかは関係ない。 それが自分の道であるのかが大事。 当たり前のことを、バカみたいにちゃんとやって活きてやろうじゃないか。  その一手、その一歩から人生は始まるんだ。

宝くじが当たったり、じゃんけんに勝ったり、アイスクリームの棒に当たりが出る事。それは運。 振り返ってみればホッと胸をなで下ろして「あの時は運があって助かった」と思うこともある。 何か事をやり始めたとして、あともう少しのところで成功が逃げてしまうことだってある。  不思議なくらいに大事な局面で運に助けられて来たという人もいる。  2005年4月25日に起こったJR西日本の福知山線脱線事故。1両目は駐車場に突っ込み、 2両目は大破し原型を留めない凄まじい事故。この事故は107名の尊い命が奪われた事故。  しかし、当時、この1両目の座席に座っていながら軽傷でいたという方がいる。そしてその方は その10年前の大震災の神戸でも生き延びていたという数奇な人生を送っていた。これは運。 たまたまいつも乗る電車に寝坊して乗り遅れた人にもいた。 これも運。  5年、10年のスパンでみなければわからないもの。それが運。 ただ一つの事柄や事象だけでは判断できないもの。それが運である。  我はそれを我が人生で試すために心してることがある。それはそべてのことに誠実でいること。 運命の女神は積極果敢で誠実な人間に味方する。そして運命は我々の行動の半分を支配し 残りの半分を我々自身に委ねている。だとしたら人生のヘッドライトを前方に向け50m進めば また次の50mが見えてくると信じよう。 自分自身が望みさえ失わなければどんな目的地にも たどり着けると信じよう。人生を変えようじゃないか。運命を変えようじゃないか。 そして 運命の女神さまを引き入れて、チャンスを呼び込もう。 その絶好の日が明日だと信じよう。

懐かしい方のお名前を2月25日の紙面で見かけた。 クイズダービーのあの人だ。 懐かしいじゃないか。 そんな軽い気持ちしかなかった。 しかし読んで行くにつれ、目が離せなくなった自分がいた。 80歳を迎え重い病を抱えていても、心は折れていない人。 そんな強い人だったんだと しみじみ感じ入る自分がいた。  たまにひょうきんなことを言ったり、「ゆかい、ゆかい」と頭がいいのか、わるいのか何だか わからない変わった先生がいるもんだなどと昔は見ていた。 その方が当時、前妻を 交通事故で亡くし、ご長男も部活の合宿で失くされていたとは。 まったく思いもよらなかった。  その方の連載記事が3月2日まで続くという。 全6回らしい。 今、重い病の中書かれた 「患者を生きる」を最後まで読んでみたい。そんな思いでいる。 そしてその方の生きざまを 感じてみたい。  日曜までの連載か。 あと少しなんだ。 心待ちにする連載や小説は あっけなく終わってしまう。 これがいつも寂しい。 雑多な文字の氾濫。スマホの表面的な 記事の羅列では心が疼かない。 ましてや今日の自分を大切に生きようなんて思いを馳せる ものなどには出くわすことは稀だ。  心が欲すると何事も疲れやしないんだから。 そう思いながら、そんな文字を目で追っている。  この教授の生き方に刺激を受けた我は、今をしっかり活きてみようと思うばかりなり。

1万パーセント以上の思いでその日のために準備してきた人。 その人を1万パーセント%以上の思いで 勝たせてあげたいと思うサポーターを一人でも多く抱えている人。  消しゴムが使えない一発勝負に 精神的に耐えられる人。  出される課題1ページ1ページにストーリーを仕上げられる人。  100点満点 のための準備では終わらず、テスト範囲以上の事を学びいつでも全ての課題にどんな角度からでも答え られる準備をしてきた人。  そして、そのテストを受けられることが心から楽しいと言える人。 オリンピックの晴れ舞台はそんな人たちの試験場だ。  番狂わせや、実力をそのまま出す人の実地試験場。 そんな今を生きる人たちの臨場感が堪らない。  本番に挑む顔がいい。 この先の自分を実感している ような番狂わせ野郎の顔がいい。  今を活きるとはそういうことなんだろう。そんなことを考えながら我は 今日も活きている。  さあ、君もそんなワクワク感の中で一緒に生きてみないか?

たとえば試合に出るとしよう。 体調が万全でなく、怪我により稽古もままならず、とても試合どころでは 無かったとしても、一切の言い訳をせず、色んなものを背負いながら、その場に挑むことが出来るだろうか?  逆に言うと、そのような試練を自分に与え、それをまっとうすることで魂の浄化を図るとでも言った方が いいかもしれない。 その魂の次元を一段でも上げて行くために、それぞれの試練の意義があるのだろう。 試合の後でも言い訳をせず、勝って驕らず負けて腐らずという姿勢を貫くことも忘れてはならない。 つまり、こうした一貫した姿勢を養うことが、実は心の練磨であり、そういう心の成就をこの道場では 目指している。 どんな局面においても「折れない心を創る」、または「言い訳をしない生き方」 をまっとうするのだ。勝敗は二の次で良し。そうでなければ心の成長には行き着きそうもない。 努力に対する最も価値ある宝は、努力の末の成果ではなくその過程で創られる我々自身の姿そのもの。 挫折と敗北、どん底の経験から学ぶものがある。人の失敗こそ、その人の人生を輝かせる第一歩なのだ。  今は出来なくても、いつかは必ず出来る。どんな道でもチャンピオンは、その肉体で勝ち取れるのではなく その人の精神力によって創り上げられるのだ。 たかが人生。何が起こったっていいじゃないか。 そう思わねば思い切ったことは出来ないはずさ。 人生、どん底から這い上がる時が面白いんだ。 そう思わねばやってられない。

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