9月 2016

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昨日、金沢、平塚など幾つかの場所で空手の大会が開かれた。 私はどこの会場にも行けず、その結果をメールやラインで教えてもらうばかりだった。 緊張し手足が鉛のように重く感じられ、汗は身体中から噴き出していたことだろう。 高々2分、されど2分。 そんな2分に多くの人が全力を尽くしたはずだ。 まずは、その緊張感や脅迫感から逃げずによく戦った事に敬意を表する。 下は幼年部から上は50代まで、自分に嘘をつかず試合当日を迎えたのだ。 その事自体を褒めてあげたい。 試合結果は時の運。勝って奢らず、負けて腐らず。 ただ多くの子供達に伝えて置きたい事がある。 それはお互いの人生を歩む上で志を持つ事だ。 それもより大きな志を持って欲しい。 何故なら、棒ほど願って叶うのは針程であるからだ。 高い目標を掲げてこそ事は成るのであって、初めから志を低くし 目標を易きに置いてしまっては叶うものも叶わなくなってしまう。 誰であっても人生の主役はその人自身。 志を高く持って自分を大切に、そして自分の人生をしっかりと 生きて行って欲しいと願っている。 志を立ている人にとって空手の試合はその過程の一部であって その結果に一喜一憂するものではない。 あえて言うならば空手とは自らの志を叶えるための心と身体を整える場である。 君達はまだ長い人生の助走路に出たばかり。 大空を思う存分飛ぶがいい! 高い志を持って舞い上がれ! 高い所からじゃないと見えない景色もある。 さあ、誰も見た事もない景色を見に行こうじゃないか? 明日はそんな君達のためにあると信じている。

二日間のサマーキャンプ、無事に終わって何より。 試合稽古あり、プールあり、花火大会あり、そして肝試しまで。 子供達の記憶に残るキャンプであればいい。 子供達の成長はその過程でどんな経験をするかによって大きく変わる。 去年より成長した子供の目を今日も観た。 その子は来年も成長した姿を見せてくれるだろうか。 107名の参加だった今年のキャンプは多くの方々の協力なしには出来なかった。 中でも花火大会と肝試しは最高だ。 Fさん、Aさん、そして貞子のYさん お疲れ様でした。 Yさんは生まれ持ったものがあるので今後、型の試合などはこの格好で出てもらおうかと。 試合稽古は結構キツイものがあった。 でもみんなよく頑張った。 最後の部屋の清掃と後始末も出来ていた。 子供達は成長していたんだ。 それをサポートしている指導の方々ご父兄の尽力も一方ならぬものがあった。 感謝、感謝のキャンプはこうして無事に終わった。

次男が仕事に悩み、上司や年配の女性に厳しい言葉を浴びせかけられ 悩んでいたのは4ヶ月ほど前のことだった。 転職の話も チラホラ出ていた。 身体の具合が良くなくなったらその仕事は辞めたらいいからと諭した。 此処を堪えて欲しいという気持ちと、その仕事は辞めて家に帰って来ていいからという 複雑な思いで次男を励ました。 そう言えば高校の陸上部も、大学の駅伝部も、いつも練習が辛く弱音を吐いていた。 親心はいつも揺らいでしまう。 陸上部の寮から逃げるように去っていく先輩の話も聞いた。 でも辞めない我が子が居た。 そして四年が過ぎていた。 頑張った次男に胸が熱くなった。 その後、実業団に入り、今もまだ陸上をしている。 陸上ではメシは食えないんだから、早く辞めたらいいじゃないかと言っても 辞める気配はない。 そんな慣れない仕事も1年半が過ぎていた。 仕事に弱音を吐いて4ヶ月。 久しぶりに家に帰ってきた次男が少し男らしく見えた。 どうしたことかと話を聞いてみると 今年入った新人が仕事に慣れず見てられないという。 そんな事を言うようになったかと次男の横顔を見てみると 心なしか、たくましくなったようであった。 何事も親が手を差し伸べない方が子供は成長するのかもしれない。 困難は自分で乗り越えるものなのだろう。 長い人生、得意な時もおごらず、絶望の淵にもあきらめず 悠々たることで時を得る。 自らの道を切り拓いて行くとはそういうものなのかも知れない。

こうしてる間にも大変な速さで時は動いている。 植物が日々成長するように。 子供達がいつの間にか育っているように。 時間は瞬く間に物事を変えてしまう。 天も地も高速で動いている。 その中で私は今日も精一杯活きた。 今を耐えれば何とかなる。 いつもそう感じる。 だから格好悪くても、もがいて、その場をしのいでみようと思う。 亡き父と一人で暮らす母の力が私という苗木を通じて 一つの華を咲かせようとしてくれていた。 今、出会う多くの子供達もご両親の力を通して苗木に華をつけようとしている。 この世に生まれて来た限り、困難の只中にあっても明日を信じて生きて欲しい。 だから、あえて子供達の背中を押しながら、こう願うのだ。 「幾多の試練と向き合い、それらを克服出来ますように」と。 そして天と地と我の鼓動に耳を澄ましてこうも願うのだ。 「子供達の苗木が人と運に恵まれて大きな華を咲かせます様に」と。

よく夜9時過ぎに日能研へ長男を迎えに行ったものだ。 小学生なのに進学塾で勉強に追われて可哀想だと思いながらも いずれこの子の将来の為と目を瞑った。 土曜日には空手の稽古に行かせた。 そういう生活が高校生まで続き念願の医学部に行かせる事が叶った。 医学部に入ってからは、それまでの勉強よりも更にハードだったかもしれない。 そして今、研修医としてある地域の総合病院に勤務している。 やっと楽が出来るかと思いきや自分の部屋に戻るのは月に4日ほど。 宿直やらが重なり時間がないから病院のソファーや床で寝ているという。 昔からリビングのソファーで寝たりしていたことが今になって活きている。 家賃10万円のマンションに月4日ほどでは高過ぎるかもしれない。 その病院で研修医を2年経過すると大学院に戻って3年を費やし 医学博士号を取得する。 開業医なら医学博士号は不要だ。 しかし勤務医なら博士号がないと肩身が狭かろう。 まだ先は長い。 体力勝負の日々は続く。 無理に天に抗い、功名を急ぐ必要はない。 遠い道のりを迂回しているくらいが丁度いい。 それがかえって近道の本道だ。 極めて自然に巡りくる運命のもとに進めばいい。 一人の親として子供の在り方をそう捉えている。

他の空手道場と比べて試合への参加が少ないのが、この道場の特徴かもしれない。 試合よりも大事なものがあるという思いから、常日頃からそう言って聞かせている。 それはひとえに学業とのバランスである。 夏休みには稽古の時間を勉強時間に入れ替えたりする。 但し、全く出ないのではなく春と秋にはチャレンジしてもらっている。 ところが、困った事に以下のような言葉に出くわすこともある。 「僕はまだ、そのレベルではありません」 「今回は調整しきれてないので来年の春に出ようかと、、、」 何という心根だろうか。 何という事なかれ安全主義の子供達になっているのだろうか。 私はそんな時にはこう聞き返すことにしている。 君達は何をやってきたのだろう? 君達は楽にまたげるハードルしか越えようと思わないのかい? エベレストを登頂しようとする人は初めから成功すると思って登るのだろうか? この道場では強い心を養うために日々稽古をしている。 いつもチャレンジする中で自信も備わり強い心も養われて行く。 試合は緊張もするだろう。 痛さと怖さで逃げたくなるだろう。 しかし、そこで逃げずに前を向いて立ち向かう。 実はそういう経験は稽古では体験出来ないものなのだ。 試合とは、そこに価値がある。 なので二の足を踏んで前に出れない子供達には、背中を押してあげている。 迷った子供達には、進むべき道を指し示してあるべき姿を教えてあげている。 人としてチャレンジしなくなってどうするか? このままチャレンジしない大人になってどうするか? 子供達の真剣な眼差しには、こちらも手を抜く事はない。 泣いて、笑って、明日をつかめ! 苦労をいとわず雑草のように生きてみよう。 そんな1日1日を大事にする人になろうじゃないか。 さあ、遅くわない。 今から始めよう。 私はそんな子供達の心に一本ぶれない筋を入れてあげるだけなのだ。

総極真からは南京、上海から精鋭が集まり新極真からは上海の精鋭が集まった。 日本からは武神の精鋭達とKWF日本、ビクトリーカラテスクール、そして浜井派から 各クラスの上位入賞者達が集まった大会が8月14日に行われた。 もちろん各師範方にもお会いする機会もあり大変ありがたい大会だった。 極真千葉 KWF日本の田中師範ご夫妻、ビクトリーカラテスクールの山本師範、 究道会館の堀池師範、武神の酒井師範、上海からはゴンファン師範、 そして浜井代表、並びに浜井派の各師範方にもご挨拶させて頂いた。 審判交代のわずかな合間しか試合は見る事が出来なかったけれど ゴンファン道場上海の陳選手やビクトリーカラテスクールの宮原選手 浜井派吉村道場の大野選手、浜井派羽場道場の麻井選手、 浜井派中島道場の泉選手など素晴らしい技と強い心を見る事が出来た。 若い力がここでも台頭し日本の高校3年生の泉選手が大山倍達杯無差別の優勝し 同じく高校3年生の軽量級の大野選手が準優勝だった。 17歳で一般部を制するとは素晴らしい。 彼らが優勝、準優勝出来たのは指導された吉村師範、中島師範の真摯な態度と情熱、 それから人としての魅力なのだろうと思う。 重量級で優勝した宮原選手はビクトリーカラテスクールに所属している選手。 素直さが顔に出ているのは、そこの山本師範がまさに素直、実直の人柄なのだ。 KWF日本の田中先生もそのご家族もしかり、強い選手が集まるのは、指導者の 人柄なのかもしれない。 またこの素晴らしい大会の裏にはこの大会を支える中国人スタッフ達が居た。 極真の芽は、ここ中国でも花開こうとしていた。 そんな第1回大会に参加させて頂いた事を浜井代表、並びに各師範方に感謝申し上げます。 ありがとう御座いました。押忍

熱海に樹齢2000年を超える大木があるとは知らなかった。 劉邦が生きていたころに、この樹が芽を出したのだろうか? 更に遡って神武天皇のころなら、2600年も生きていることにもなる。 手に触れた感覚は岩そのものだった。 2千数百年もの間、天変地異に動じることもなく変わらずその大木は生きている。 その間、人は120代~125代も入れ替わった。 熱海は、この100年で栄枯盛衰を繰り返し、また復活し出した。 伊東園ホテルは熱海にいぶきを与えたのかもしれない。 熱海の駅前が変わろうとしていた。 いずれにしてもいいものは残り、そうでないものはメッキが剥がれる。 縁起がいい、運がいい。 これは意外と大事なことなのだろう。 そんなものが事業や人に宿っているかを感覚的に感じ取る人がいる。 鳥越さんになくて小池さんにあるものを直感したように。 それが伊東園ホテルにあるかどうかは5年で分かる。 人の成長も実は、こういう運の良さ、悪さの上にある。 そんなことを考えながら岩のような大樹に触れて、いつも出会う子供達の未来を想像した。 100年後の未来などこの大きなクスノキには手に取るようなものだったかもしれない。

日本人の寿命は男女差はあれど大方80年とみていい。 その間、小学校に6年行く。1日5時間学校で勉強したすると春休み、夏休み、冬休み と土日を引いて6年間で小学校に居る時間はだいたい6000時間ほど。 中学校では4000時間、高校の3年間でも4500時間、大学の4年で6000時間。 つまり学生生活は約2万時間とみたらいい。 延べで約2年と3カ月。受験にあてる時間を 同じくらいとみても1人の人が精一杯勉強したとみても延べで勉強する時間は4年半。 80年の人生でたかだか4年半しか人は勉強に当てないのだ。 睡眠に23年、食事に10年、仕事には延べで9年程しかあてていない。 お風呂に2年と7ヶ月、トイレに1年半。 そして何よりも大事な余暇に25年、移動時間に4年は当てている。 女性の場合、そこに育児が加わってくる。 人の人生を左右するのは、この時間の使い方なのだ。 今朝、日本の男子体操団体がリオオリンピックで金メダルを取った。 そして日本のバスケット女子が2連勝という快挙を成し遂げている。 明らかに彼らは余暇を自身の競技に当てて移動時間を工夫し睡眠を削っていたのだろう。 決して平々凡々の時間などあるはずがない。 平凡に生きる事も意義がある。 しかしそれだけでいいのだろうか? 一人の人間として誰もが自分の人生の終焉を迎える時に出くわす。 そんな折、果たして自分の人生は満足行く人生であったかと振り返るだろう。 だとするなら今からでも、この余暇の使い方を見直してもいいのではないだろうか。 オリンピックの勇姿を見ていてそんなことがふと頭を過ぎった。 この夏休み、また多くの子供達の頭を撫でてあげる。 その時に伝えてあげよう。 「なあ、やってみないか」 「今からでも遅くはない」と。

人間は宇宙に生かされる限り生きるし 仕事も人も精一杯やれば、その先にご縁がある。 にっちもさっちも行かなくなっても時が魔法の力で治癒してくれる。 時の魔力は信じ難い。 時勢は生き物だ。 この先どうなるか誰にも分からない。 3年先どころか半年先も視えない。 だから両手両足を駆使して、そして杖を使ってでも しっかりと前を向いて誠実に生きようと思う。 度胸1つで世渡りをする事になったとしても誠実でいたい。 時の魔力の力を受け止めるには、それしかなさそうだ。 誠実そうに見えて裏がある人も とっつきにくそうでも根が正直な人も 時の魔力を感じ取れる人も 半年先どころか明日が視えないのだから 誠実であるしかなかろう。

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