玉手箱
子供達はいつの間にか大人の背を超えていた。 はじめはみんな白帯、そしてオレンジ帯、、、 それが今では黒帯になっていて、大人の人達もスパーリングでは 歯が立たなくなっている。この子達、7年前は年中さんと1年生 だったのに今は3人とも中学生になって、みんな背が高く170cmを 越えている。マスターズの試合に出ている大人も気を抜けない存在だ。 私の息子達に空手を習わせていたのは25年前。小学校に通ってからだった。 その子達も今は大学を卒業し1人は28歳で羽田空港国際線に従事、もう1人は 31歳で循環器系内科医。来年4月に大学院に戻って医学博士号をとるらしい。 医者になったんだからそれで十分じゃないか? と言っても「医学博士号」が 欲しいらしい。これから大学院研究の道で4年、そのあと系列の病院でお礼奉公 を3年こなすようだ。なんと長い道のりかと思ってみても自分で決めた道なら、 やり通すだろう。今までもそうだったから。 2人とも9月が誕生日なので久しぶりに家族で食事に行った。 思えば会社員として、そして空手の師範として子供達を育てるのに 精いっぱいだった。子供達が産まれた時、幼稚園の頃、小学生、 中学生、高校生、大学といろんな思い出が詰まった玉手箱を空けたら 家内は60歳、私は61歳のじいちゃんになっていた。 玉手箱の蓋の裏に自分で書いた文字があった。 きっと、その頃の自分と将来に不安を抱えている自分に宛てた言葉だ。 「明日のことまで思い悩むな」 そうだった。 自分はそうやっていろんな峠を乗り越えてきたんだ。
きっと出来るから
すべらず、ころばず、登れる山などない。 すべってもいい、ころんでもいい。 何度も立ち上がって また歩き出せばいい。 悩んでこの先どうしたらいいか 分からなくなったら、いつもそう思うようにしている。 ころんでも、太陽は沈んだままじゃない。 また熱く輝いてくれる。 だから安心してころんで、安心して立ち上がればいい。 そして自分は、頑張れば、必ず出来ると信じるんだ。 人生にとって大事なのは、そう思い込むことじゃなかろうか?
審査会
9月6日はコロナ禍の中、感染防止対策を取りながら審査会を行った。 参加者は108人。三ヶ所に分かれて、そして時間を分けて開催した。 去年の9月6日は台風15号が近づいていたから蒸し暑い1日だった。 今年の9月6日は台風10号が九州に近づいていて横浜もゲリラ豪雨。 9月6日はその日で終わり。翌日はまた違う1日が始まる。そう考えると 明らかに去年の6日と今年の6日は違う。すべてのものが刻々と変化 する地球に我々は生きている。そんな変化の中にあって私は空手の稽古 を積んできた。暑い日も、寒い日も同じ事を繰り返してきた。 刻々と変化する中で変わらない事を繰り返す事は実は意外と難しい。 しかし、その事にこだわりたい。そしてその事を極めたい。 華やかなこの時代にそんな姿勢がなければ空手の道など続くものではない。
頑張れKWF日本
今日は午前中に長津田クラスの稽古指導を終えてから千葉に向かった。 お世話になった千葉田中道場の田中師範が癌で亡くなられたのは5月。 コロナ禍にあってお別れの会は今日になったのだ。 今日の千葉田中道場の幹部の方々は水野副代表と幕張支部支部長を中心 に代表になられた奥様とユーリとケンをしっかりサポートして行こうと する思いがひしひしと伝わって来た。ユーリとケンには4年前、浜井派 中国大会の時に約束していた事があった。「2mm 130kgになって世界 で有名な選手になるんだぞ」「奥様がロシア人なんだから田中師範、 大丈夫ですよね」って聞いたら「僕の実家はみんな福岡の田舎の出だから 小さいんですよ」と冗談まじりに話されていた。 今日、最後の写真撮影の時、ちょうど奥様スウェトラーナさんとユーリ、 ケンが座ってる後ろに立つことになった。「ユーリ、ケン頑張れよ」と 肩に手を置いて囁いた。大連で約束した時、ケンは5年生、ユーリは中1。 早いものだ。 元々、8月30日は昇級審査会の予定だったけど、このお別れの会と重なった ので審査会は来週9月6日にずらした。今回の受審者は108人の予定。 浜井派神奈川県支部の頃は60人ほどだったから、浜井会長に相談して 独立させて頂いてから2年。なんとか順調に会員様が増えている。この コロナ禍でも、先週、そして昨日、今日も新規入会者が入って来て頂いた。 大変有難い。今いるメンバーが新しい人達を引き寄せてくれているに違いない。 それは体験、見学の時の印象なのかもしれない。さもなければ広告も出さない のに会員様が増える理由がない。と言うことは今いるメンバーに感謝しないと ならない。と言う事だ。稽古が終わると決まって「今日もよく頑張ったな、 偉いぞ。」と声を掛ける。これからはもっと心を込めないとバチが当たるなあ。 そうだ生きてるうちに感謝しておかないと。 「ありがとうよ、ガキ大将ども」 「アッ、間違えた。ありがとうございました。おぼっちゃま、おじょうちゃま。」
熱中症
昨日、コロナがピークを越えたと新型コロナウィルス対策分科会で報告された。 確かに昨日の資料を見ると感染者数が右下がりの傾向にある。 (コロナ感染者数グラフ) covid19tokyo 先月7月16日、国会で東大先端科学技術研究センターの児玉名誉教授が 8月には目を覆うような状況になると言っていたけど、その内容とは逆の 方向に世の中は落ち着き出した。コロナ恐怖を煽って、今の政府に問題があると 言うためいろんな人達を使い、世間を煽る。そんなメディアと政治家がいる。 結局のところ、疾患のある患者さん以外は風邪の症状で終わってしまうのが コロナウィルスのようだ。コロナの死者は昨日は全国で13人。 今は、コロナより熱中症の死亡者の方が多い。東京だけでも180人 が亡くなっている。コロナより熱中症に注意しないとね。 空手クラブの子供達は手洗い、うがい、検温を忘れない。いい習慣だ。
一生懸命
授業と試験に追われて、焦っている夢を何度となくみた。 授業にろくに出てないものだから教授の顔すらも知らず、単位だけをどう やって取ったらいいのかずっと悩んでいる大学4年の自分がいた。 授業に出てないから試験日も分からず、テキストも持ってない。あ〜どう しようと頭を抱える場面で、いつも目を覚ます。そんな夢をだった。 大学生じゃないし、何とか卒業してるし、あ〜良かった。 思い起こせば、卒業にはギリギリの単位数で崖っ淵だったような、、、。 若い頃、何をやってたんだろうと後悔しきり。授業料の無駄遣いだった。 両親に申し訳なかった。ただ今だに夢に出ると言うことは相当悩んだり 教授に相談したりしながら、首の皮一枚綱がって辛うじて必要単位数を 確保したんだと思う。留年が出来るほど親に余裕はなかったことはうっすら 記憶に残っている。危なかった。空手と麻雀、そして夏目漱石の小説に 明け暮れていて、SEプログラムのゼミに出ることもなくなっていた。 プログラミングのテキストを見るだけで眠気が襲ってくるもんだからゼミから 遠ざかってしまうのは無理もない。でも良い点数を教授は下さった。理由は 聞いてない。同志社大学は夢幻のように過ぎて行った。卒業、入社、結婚、育児、 転職、出世、家のローン、子供達の受験、親の見送り、定年。あまりに多くの 事が毎日訪れては去って行った。変わらない事と言えば読書と空手くらい。 サラリーマンをしながらこの2つだけは続けてきた。小説は読むのも書くのも好きだし 空手は極真芦原道場→芦原会館→正道会館→極真城西→極真浜井→独立し極真の 道場を設立。一生懸命生きて来たらいつの間にかこうなっていた。 先日、型全国大会に出場するマスターズ男女のメンバーと会食した。 コロナウィルスを意識しての短めの会食だった。 マスターズの男女の健闘を祈る。 まだまだ若々しく生きて欲しい。 まだまだカッコよく生きて欲しい。 一生懸命努力するその姿、きっと子供達の記憶に焼き付くはずさ。
8月12日
35年前の8月12日、仕事から帰って来たら、家内がテレビに釘付けだった。 飛行機が山に墜落して500人を越える人が亡くなったと言っていた。 去年の8月11日に新石川本部の階段にひさしを作った。35度の暑い日に 3人で作ったひさしは9月9日の台風15号で飛んで壊れてしまった。 大家さんが見かねてひさしを作ってくれたのは10月12日の台風19号が 通り過ぎて、ラグビーワールドカップで日本がスコットランドに勝った 13日から10日ほど経った10月24日だった。今でも、このひさしの 有り難さは身に染みている。 去年の8月12日は新石川本部の階段にペンキを塗ったら、色が良くないと 何人か言われて結局グレーに塗り替えた。これも蒸し暑い1日だった。 今年の8月12日は子供達と新石川本部にいた。 2月からコロナ、コロナ の日々が続いて、今では手洗い、うがい、検温を欠かさない習慣が子供達 に宿ったようだ。熱中症を避けるためマスクは運動する時には外し、運動の 後には必ずうがい、手洗いをするようになった。ウィルスとともに生きて行く 術を子供達は身に付けたのかもしれない。
ポビドンヨード
日本とスウェーデンはコロナウィルス対応はゆるいと言われている。 イタリア、フランス、スペイン、ベルギーは厳しい対応を取って来た。 亡くなった人が多いのはベルギー、スペイン、イギリス、イタリアだ。 今の日本のコロナウィルスは弱毒化して来た。明らかに4月のコロナ とは違う。人間は600万年前からこの世に生まれて50万年前の 氷河期も生き残り、ペストも、天然痘も経験して生き残った子孫が 今、生きている我々だ。日本では毎月10万人の尊い命が亡くなって いる。その中で先月、7月におけるコロナウィルスの死者は僅か31人 だった。0.002%。SARSウィルスの致死率は14ー15%だった。 致死率が1番高い癌は毎年37万人が亡くなる。毎月3万人だ。先月の 新型コロナウィルスの死者は31人。新型コロナウィルスはSARSの ように強毒ではなく、4月のコロナとも同じでもない。 コロナウィルスは2週間に1度、変異する。激しく変異したウィルスを 体内に吸い込んだ人は確かに亡くなってしまう。しかし人が死ぬ為 ウィルスが他には移る前に消滅しており蔓延してない。ところが弱毒 ウィルスは人を殺さないから、人から人に転移して蔓延していく。 自然界のウィルスは弱毒化する方向に動いて人と共に生きている。 強毒化するウィルスは危ないけれど広がり難い。日本のコロナウィルス はそのように変異している。進化論からも弱毒化する種が生き延びている。 決して楽観視している訳ではない。 ただ現実を正確に分析し無闇やたらと 煽られないようにしているだけだ。 空手クラブの子供達には、そんな中でも手洗い、うがい、検温は続けて もらう。もちろんマスク着用も。これは今の日本の慣習だ。 ポビドンヨードは今日4日15時にお店から姿を消した。 空手クラブ の子供達には、このポビドンヨードでうがいをしてもらう。ずっとコロナは 喉から入って来ると言って来た。だからゴロゴロペーなんだな。大阪府が証明 してくれた事に感謝!
型大会開催に感謝
国立病院機構仙台医療センター ウィルスセンター西村センター長と 京大ウィルス・再生医科学研究所宮沢准教授がコロナのエアロゾル感染 について明確に伝えていた。「エアロゾルとはウィルスを含んだ5μm以下 の細かな気体と粒子の事。粒子の大きさはまちまちだが日本の夏は湿度が 高いので水分を含んだ粒子が直径が大きい。10μm以上のものは鼻や喉で 大体、引っかかってしまい、ほとんどが無症状や軽症で済んでしまう。 ところが冬場や欧欧米のように乾燥した環境だと粒子がごく短時間で乾燥 して5μm以下迄小さくなり一気に肺の奥まで入り込んで肺炎を発症する。」 なあるほど。このお二人の見解で少し納得することが出来た。 また 埼玉医科大学の奥真客員教授の見解も理解出来る。それはこう書いてあった。 「昨年9月から中国、韓国、台湾、日本で流行った風邪がコロナウィルスS型 であった。つまりそのS型で既にアジア地域の人達は免疫を有したという。 今の日本はこの弱毒のS型が多数を占めている。逆に欧米のウィルスは悪性度が 高いL型で重篤化しやすい。日本人はこのS型で得た自然免疫の中にあったことが L型にも効果があった。」という。 ん〜、何となく理解出来た。 先生方の見解をまとめると、やはり、手洗い、うがい、マスクが対策である。 という事か。特にマスクなんだ。フェイスシールドではなく。 乾燥した冬場 でもマスク着用しておけば喉は湿ってウィルスを含んだ粒子は直接、肺には至らず 重篤化し難い。 今年の秋から冬にかけて起こるであろう第2波も少し安堵でき そうな気がする。 この先、香港、台湾、ベトナムの状況を見ておこう。 このコロナ禍でも空手の型大会が行われた。極真坂本派に感謝だ。事前に坂本師範 と会話した際に、スタッフの意識を落としたくないとも言われていた。多くの大会が 延期か中止になっていたので開催は素晴らしい。その大会でマスターズ男子で優勝、 マスターズ女子は準優勝。10月の全国大会に3名が選ばれた。緊張、頭真っ白の 状況で本当の自分に出会えたはずだ。よく頑張った。
香港、台湾、ベトナム
昨日の新聞でコロナ感染者の死亡率とBCG接種の効果に関する記事が目に付いた。 アメリカ国立衛生研究所の調査結果だという。 人口100万人あたりの新型 コロナ死者数を国別に表記。BCG接種国の日本=8人、中国=3人、台湾=0.3人。 非接種国のベルギー=845人、イタリア=580人、アメリカ=432人。 BCGの接種実施期間が長く、接種率が高い国ほど死者数が少ないという論文を 7月に発表した。つまり幼少期にBCGを接種する効果はあるという事だ。 この結果は驚くものでもないし、日本ではコロナ感染はすれど死に至るケース は稀であって、今の日本人のコロナ感染者数と死者数のグラフに表れている。 6月12日から7月19日迄の間にアメリカでは99,700人が亡くなった。 ブラジルは37,853人、インドは18,318人と今だにかなり多い。 ところがイギリスは3,994人、スペインは1,284人、イタリアは875人と 大幅に減少してきている。ドイツは315人、フランスは806人だ。 日本は57人、香港は3人、台湾は0、ベトナムも0。 たかだか5週間でも これだけ国によって差が出ている。 この差を解明することが大切であって、闇雲にコロナ感染を怖がる必要は ない。ソーシャルディスタンスが2mに満たなくとも、手洗い、うがい、 マスク、規則正しい生活をしていれば普通に暮らせる。私はずっとそう 言ってきているし、メディアに煽られ、踊らされる事のないように 生きていきたいと思います。