「田中先生、今度、飲食の店をやろうと思って、不動産業者に場所探しをしてもらってるんだよ」 だいたい、いつも唐突だった。コロナが出した頃、浜井会長は大連本部を引き払って帰国された。その後は初台の道場で寝起きされるようになった。たまに初台に出稽古に行くと決まってホルモンを食べに行った。「昔は金沢でもどんどん新規会員が入って来たんだけど、今は初台もまったくだ。横浜が増えてるのは信じれん。不思議だわ。」、聞かれた質問にはお答えしないとと思って喋りだすと、「今後、キッコちゃんのとこに行くから付いて来てくれるか?」、「押忍、、、」
話はどんどん切り替わる。
「ここのホルモンは美味いよなあ。飲食をやるからには銀座に出ようと思うけど、どう思う?」、「家賃が高いから、やめた方がいいです。新宿の方が家賃は安いし回転がいいと思いますよ。」、「介護もいい話があってな、田中先生も何かいい話ない?」、「私はもうやってますよ」、「エッ、介護やったの?」、「いいや、介護じゃなくて児童発達支援事業です。ちょうど事業計画書を15ページ書いたら事業再構築補助金が採択されたので」
浜井会長は事業の話になると、少しだけ静かになって私の話に耳を傾けた。当時、横浜市認可を受けて施設をオープンしていて1年が経っていた頃だった。約2千万円の開設費用は空手の収益と補助金でまかなった。「田中先生、今度、詳しく教えてくれるか。アルコール入ってない時に」、「押忍」
その後、この事業について尋ねられる事はなかった。浜井会長は悪気がある方ではなく、いろんな事に首を突っ込むものだから、どんどん枝葉に分かれて出口を見失ってしまうのだ。これまた浜井会長らしく、何とも憎めない人柄だった。
