大連の稽古の後の飲み屋でいきなり、「田中先生、これ知ってる?」
浜井会長はいつも唐突だった。
「高天原に神届り坐す 神漏岐神漏美之命以ちて」
「皇御祖神伊邪那岐之命筑紫日向の橘の小門之阿波岐原に」
「禊祓ひ給ふ時に生坐る 祓戸之大神等諸々禍事罪穢れを」
いきなりこれを聞いて何の事か分かる人は少ない。当時、私は浜井会長に自分が真言宗の阿闍梨で、修験道の先達である事は伝えてなかったから、禊祓の言葉を奏上しても分からないだろうと思われていたと思う。しかし、真言密教と修験道は私の領域だった。でも完璧に暗記されていた事には多少驚いた。
大連の日本料理屋のカウンターに座ってる2人を、周りの人達が変な目で観ていた。そりゃそうだ。「禊祓の詔」を大きな声で唱える訳だから薄気味わるがるのも当然だ。聞けば浜井会長は神道に帰依されていたようで、禊祓の詔を丸暗記されていたのだった。「大山総裁が神道なんだよ。だから禊祓いを覚えたんだ」。本当に何から何まで大山総裁、一筋の方だった。まるで男が男に惚れてるようにも思えた。「『大山総裁は道場生の声を聞きながら死ねたら本望だ。』と言ってたから私はね、大連本部で寝起きしてるんだよ。」
大連本部道場に2千万円かけて創っただけあって大連本部道場は400平米ほどの広い道場に仕上がっていた。シャワー室、トイレ、そして事務所。浜井会長はその事務所で寝起きされていた。その部屋はDVDと本棚に本がびっしり。「田中先生、欲しい本があったら持って帰っていいよ」、「押忍、ありがとうございます」。ビジネス書から武道書からあらゆる本があった。私も本が好きでカバンにはいつも本が2冊入ってるので、ワクワクしながら興味ある本を取ってみた。しかし、もらって帰る本はなかった。全部の本には大事な箇所にマーカーや鉛筆の線が引かれていたり、コメントが書かれていてとても読める物じゃなかった。何というか勉強家なんだろう。そんな気持ちで机に座っていた浜井会長を振り返ると、別の本を読みながら鉛筆で線を引いていた。私はこんな勉強家を見たことがなかった。
