Author: kyokushin

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去年11月に宮崎市で開かれた空手大会で、小学生が試合中、背後から後頭部を蹴られる反則行為でけがをする動画がSNSに投稿され、波紋を呼んでいました。反則をした選手が所属する道場は「いけ」と攻撃を指示したセコンド役の指導者を無期限の謹慎処分とする事態となってます。今ではその道場指導者がみな、全身入れ墨をしてることがクローズアップされ、見た目で判断するのが世の中の風潮となっているようです。 ただ、その試合から約半年が経過しましたが、これら一連の流れの中でも、勝ち負けだけの試合偏重主義や、主催者側の姿勢・体制はあまり大きくは変わってないように感じられます。 当道場ではもちろん試合に出たい子供達にはその道を閉ざすことなく背中を押してあげてますが、試合に出ない多くの子供達に日々の稽古で、「一歩前へ出る強い心」を育み、子供の「健康や命」が最優先される道場でありたいと願っています。

大連本部へ出稽古に行く時は毎回焼酎を空港で買って行った。「出稽古参加費用、ありがとう」。浜井会長はいつも焼酎を月謝のように受け取っていた。「大連で買うと高いから助かるよ」。こうやって2011年から2018年頃までの7年間で23回大連まで出稽古に行った。日本から何度も来てくれる人が居なかったようで、いつも大きな声で歓迎してくれた。 大連本部での稽古でキツかったのは30kgの重りをつけたサーキットトレーニング。プロレスラーがやってる内容を取り入れていた。浜井会長はマットに座ってトランプを並べ1枚づつ裏返しながら、ジャンピングスクワット30回、次、拳立て20回、、、とやる事と回数を言っていく。これが延々と続いて、最後には足も動かなくなって唇が紫色に変わってしまった。終わりが見えない練習ほどキツいものはない。会長が裏返すトランプがどこまで行ってるのか見る余裕はなかった。一通り練習が終わると決まって、「田中先生、飲みに行こう。いい焼肉屋があるんだよ」。そう言いながら、会長は毎回、先の尖った靴を履いて事務所をでた。「これで一発で倒せるんだよ」。まるで中学生が喧嘩に行くように言っていた。2人で焼肉を食べたら決まってカラオケだった。女性目的の中国カラオケではなくて、歌🎤を歌いに行くだけのカラオケだ。2人で毎回2時間は歌って帰った。 若かりし頃、大山総裁のお供をして、黒○明さんという裏社会の親分さんに可愛がってもらった事や、その道の方々とのお付き合いの事など大山総裁に付いていた頃の話をよく話して頂いた。ほぼ会長が喋って私は聞き役だった。 浜井会長の大連での指導は中国語だった。大きな声で喋る中国語を聞いてると中国人そのものだった。ビルのオーナーと会食をされていた時、その方が実は反日の中国人ヤク○だと言って来たらしい。「中国では人の命は5万円くらいだ。そいつが目配せしたら、若いのが自分を殺していただろう」。「田中先生、ヤツらに弱さを見せたり、ビビってるのが分かったらおしまいよ」、「中国人は相手が強いと思ったら手は出して来ないんだよ。これが分かってないと全部、持ってかれちゃう」。「ある時はこんな事があった」「タクシーに乗ってる時に全然違う場所に下ろして、携帯で仲間を呼ぶ運転手がいたんだよ。金を取れると思ったんだろうね。運転手の仲間が6人、取り囲んでだもんだから、自分も呼称ワイヤン(元ヤク○の道場主)に電話して、事情を説明してすぐ人を集めさせたんだ。そしたら10人くらいすぐに集まってきちゃって、それを見た相手の6人が小さくなっちゃって逃げ出そうとしたんだ。そしたらワイヤンが「こいつらやっちゃいますか」って言うから、「いいよ。そんな事は」。「タクシー代を払おうとしたら運転手がびびって受け取らなかったよ。田中先生、中国って面白いよなあ。」 浜井会長の話は実話だから面白い。私はそんな面白い話を聞く為に何度も大連に行った。当時の浜井派の支部長で大連まで出向く先生は居なかった。それが不思議だった。

今日は大森にある極真会館大森鈴木道場の審査会に笹井代表と参加しました。 代表の鈴木先生の人柄がわかる元気のいい子供達が居ました。 中学生、壮年部の方々にいいものが垣間見れました。 この1年、大森では、いろんな事がありましたが、何があっても決して人を悪く言わない先生に感心していました。こういう人が代表でいるところは上手く廻っていくんだろうな、と漠然と感じていました。 だからか。大森が落ち着いて、活気ある道場になってきている。 大森道場と鈴木代表のこれからが楽しみです。

出会ったのは14年前。当時、中国大連は日系企業が多く、仕事柄大連への出張が多かった。ホテルは毎回、日航ホテルだった。ホテルの近くに極真の道場があるのは知っていたが、なかなかタイミングが合わない。ある時、仕事の終わりに時間が空いたので、フラッと道場に立ち寄った事がある。声が大きく、話したら止まらない、人懐っこい大雑把な人がそこに居て、出会ったその日から奥の事務所兼自宅で2人でビールを片手に第10回全日本大会の動画を観ていた。年齢は4つ違いで、どちらかというと2人とも異端児のようなものだ。そんな2人の出会いはこんな感じだった。その後、何度か大連本部に出稽古をしているうちに、しまいには関東で浜井派の支部をやってくれんかと言われた。当時、浜井派は石川県、静岡県、愛知県、長野県、和歌山県だけだったので会長は首都圏に出たがって居たようだ。私は会社勤めをしながら土日だけならできそうかなと軽い気持ちで聞いていたが、いつしかその話だけが進んで行って、成り行きに任せていたら、浜井派神奈川県支部長になっていた。とは言え、練習場所探し、生徒探しは遅々として進まなかった。「これはどこの先生もぶち当たる最初の難関だ」。そう思って自分自身を慰めてはみたものの、3か月経ってもなかなか人が集まらない。やっぱりゼロからでは無理だ。と思ってるうちに徐々に人が増えだした。するとあれよあれよといううちに1年目で50人、2年目で75人。3年目では100人を超え、会社員の副業としては順調過ぎるくらいだった。その後、150人、200人へと増えていくうちに黒帯も育ってきた。そんな中、浜井会長とよく事業戦略について話をした。浜井会長自身も事業家であったために、私達は話が合った。当時、私は会社では半導体・電子部品事業の営業統括を担う立場にいたために空手も一つの事業ととらえてランチェスター戦略で広める考えに浜井会長も納得されて2人で大連の飲み屋でカラオケを歌っては極真空手を首都圏でどうやって広めて行くかを語りあっていた。浜井会長は極真空手は「全日本で入賞してない人」はいくら強くても認めてなかった。「入賞する人は何かあるんだよ。いくら体がデカく腕っぷしが強くても極真のトーナメントでは勝ち上がれない。入賞するには武運がないとダメだ」と飲む度に言われていた。「私は入賞してませんよ。」「田中先生はいいんだよ。空手道場をたくさん創って生徒数も凄く増えた。今では吉村君の次くらいに多いんじゃないか」と褒めて頂いた。吉村先生は熱心な先生であったが、他の金沢の先生方々と折り合わず、結果として浜井派を追い出される羽目になってしまった。私は「何か流れがおかしいな」と感じて、少し会派の本流からは距離を置いて静観していく日々を送っていた。会社が忙しく空手だけに専念できなかったのが逆に、頭をリフレッシュする結果にもなり、新鮮な思いで空手に取り組めた。 思い返せば大連出稽古のときも、初台に浜井会長が引っ越してこられてからも私は一度も浜井会長から𠮟責をうけたことはない。ところが近くに居る他のメンバー達には会長は、きつい言葉で罵ることもあったが浜井会長に心酔する人たちに取っては大きな声で発せられる暴言も苦じゃなかったのだろう。私は横浜だったので、静観できる距離に居て全体の流れを見ながら自分の道場の拡大発展に注力できた。

令和7年4月1日より代表師範を笹井陽子先生に委ねました。 笹井代表の紹介文は戦歴とともに道場概要ページの下部に記載してます。 18歳と12歳の男の子のママ。 「挑戦」する姿が素晴らしい。 型と組手双方で入賞実績があること。(極真連合会・IBKO) 人としてみんなに慕われる存在であること。 強い少年部を育て上げてくれていること。 率先して子供たちのセコンドについてくれること。 シニアの方々のアイドルであること。 誰もが認める存在であること。 そんな笹井代表を私もサポートして行こうと思ってます。

昇段審査に向けて頑張ってきた3か月。 移動と型がどうしても納得いくものでなかったので何度もやり直しを伝えました。 本当に間に合うのだろうか。毎週そう思って見守ってきました。 4月1日から新体制の中心になる笹井代表。そして代表を支える小林副代表、 前田顧問、福西事務局長。今回、その4人の総意で6年生2名と壮年部2名を 新たな黒帯として迎え入れることとなりました。この昇段審査と同じ日に開催されていた IBKO選抜大会では4年男子軽量上級のカズフミが準優勝。試合組の少年部の子供たちも よく頑張ったと思います。私は今後、会長として、海外の対応、問題が起こった時の対処 など側面から、執行部の4人をサポートしていく所存です。 今日は大森鈴木道場から鈴木先生と壮年部の方が来られてました。有難う御座いました。

受験シーズンや卒業式も終わり、あとは入学式を待つだけのご家庭も多いのではないでしょうか?  うちの長男が医学博士号と取る為、大学院に4年間通いだしたのが、ついこないだの事のように思えます。医者になりたいと言い出したのは7歳の頃。奨学金を受けながら医学部に入り、医師国家試験に合格し医師になって市中の病院勤務をして奨学金は3年で返済。あとはもう気楽にやって行ったらいいと思って居たら博士号を取る為に、医師バイトをしながら医学部大学院に4年通うという。そしてようやく一昨日、医学博士号を取得。 循環器内科医師 35歳 独身。 大学生の時に空手の黒帯を取っていた事は卒業式が終わってから知りました。空手をやってる場合じゃない。医学の勉強をしなさいと常々言っていたので、私に隠れて大学の体育会空手部で空手は続けていたようです。 いつの間にか息子は親から巣立っているのに、親はその事には気づかないものです。

高校受験が終わった子らが結果報告に来てくれました。 横浜翠嵐、山手学院など本当によく頑張ったと思います。 先日の6年生たちも筑駒、開成、中央、サイエンスなどに合格。 受験勉強に耐えて来た頑張る子たちが、また一緒に汗を流してる。 小さなことに動じない、太く生きる子らであって欲しい。 失敗してもいいじゃないか。 上を向いて大きな一歩を踏み出そう。

会社の都合で愛知県に転勤になったまま、もう6年はたつだろうか? 生真面目な黒帯が親の介護、家族の事、そして仕事の事で悩んでました。 ふと、どうしてるんだろうと思ってメールをしてみたのは2月初旬。 またやってみないかと自然な流れでメールを書いたら、まだ単身赴任からは 解放されず、稲沢に住んでるという。相変わらず言葉に実直さが現れている。 そうか残念だな、と思っていたら、うちのグループに所属している岐阜竹村道場 にひょっこり顔を出していてくれていた。 一昨日、「引き続き、横浜田中道場のいち道場生として指導をお願いします」 という旨の返信をくれた。 素直に嬉しかった。 一旦、退会した人が戻って来てくれるのは、なんだか懐かしいし本当に嬉しい。

この土日は総極真の試合と昇級審査会でした。 6年生男子重量級選抜でケイタ優勝、カズキ準優勝。 3年生初級男子でマホロ準優勝。その他の子供達も次に活かせる試合だったね。カッコいいぞ。 全日本オープントーナメント体重無差別では高2のショウヤが出場。二回戦延長で惜敗でした。 追い込みすぎて足を怪我。それでも出場した気持ちの強さはこれからに活きてくるはず。 上を向いていこうか。17歳、まだまだこれからだ。

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