熊本
空手クラブの子供たちに聞いてみた。 「君たちは何才まで生きるの?」 「、、、、、」 誰もピンときていない様子だ。 それはそうだろう。 今までそんな質問はされなかっただろうし 考えてもいなかったに違いない。 男性だと80歳、女性だと86歳。 これが今の日本の平均寿命だ。 男性の場合、80年のうちに余暇に25年、睡眠に24年、食事に10年も当てることになる。 しかし長い人生で仕事に当てる時間は延べで9年。学校で勉強するのは延べ5年ほどだ。 朝9時から夕方18時迄を22歳から60歳まで働いたとしても、延べで9年間たらずなのだ。 お風呂には延べで約3年、トイレにが延べ1.5年は入っている。 人間にはその人固有の砂時計が体内にあって、砂の量も固有だ。 元気な人でも砂が尽きるまでの命と決まっている。 産まれ落ちた時に授かった砂時計を恨んでみてもしようがない。 砂は着実に時を計り、最後の一粒が落ちる迄時を刻んでいる。 そして砂が尽きたら土に還るだけのこと。 ただ、呆気ない別れには言葉もない。 この4日ほどの熊本の尊い命には言葉が見つからない。 しかしいつまでもうつむいているのはよそう。 今、この砂の一粒一粒を大切に生きねば。 頑張って人の為に生きても一粒。 ぐうたら自分の為に生きても一粒。 同じ一粒か、ならば人の為に生きてみようか? 何の為の80年だったのかと悔やむ前に 動けなくなってベッドの上で横たわる前に 人の為に、人の笑顔の為に生きてみようか?
子離れ
新学期は春の桜の季節にピッタリだ。 海外では9月を新学期と定めている国が多いけど日本はこのままでいい。 桜が咲く4月は大地の底からほとばしる力を漲らせる若葉の季節なのだ。 希望に胸膨らませ、不安と期待が入り混じった新入生と新入社員が 幼稚園、学校、そして企業にも活気を与えている。 保育園のバスに乗れるだろうか? 一日中泣いてやしないだろうか? 友達は出来るのかなあ? 今頃何をしてるのかなあ? 不安と希望は何も子供達だけのものではない。 そうやって親は子離れをしなければ。 良かれと思っていても決して子供の為になっていないことが意外と多い。 親と子供には適度の距離感があった方がいいのだろう。 野生のエルザの心配事は、どの家庭にもあって、どの親も経験する事だ。 今、我が家は夫婦2人だけの生活に戻ってしまった。 あっという間だった。 長男が産まれたのがついこの前のようにも感じられる。 2人の子供は大学を卒業し仕事場の近くに住むようになった。 ガラ〜ンとしたリビングで子供達の幼稚園のことや小学校のこと 受験の泣き笑いを懐かしんでいる。 懐かしいし、淋しい。 けど、これでいい。 まとわりついていた子供達。。 いつしか大きく成長していた子供達。。 いつまでも物思いに耽ってないで さあ、子離れをしなければ。
47名の嘘
土をこねて器を創り上げている。 人を創るとは、そんな事ではないだろうか。 小さい頃から自由にさせて、やりたい事をさせるだけでは難しい。 良い芽を更に伸ばす為に、その子の良い面を引き出してあげたいと いう先生は多いだろう。 何事も本人に気付かせるのだという。 確かにそういう習い事もあるかもしれない。 しかし私はこうも思う。 まだ土のうちならば器の大きさは変えられる。しかし焼き上がった器の 大きさを変えることは出来ない。のだと。 大事な事は無理にその大きさ以上のことを期待したり、押し込んでしまわない ことであって、無理やり物を押し込むと枡や器は割れるほかはない。 人間は強いものではなく弱いもので、嘘もつけば裏表もある。 考えている事と行っている事が違うのが人間ではないだろうか。 私は裏も表もありませんなどという人には嘘があるように思えてならない。 但し、ついていい嘘とそうではないものがある。 先日、防衛大学419名の卒業式の帽子投げの映像を観た。 「防衛大学任官拒否47名」とあった。 腑に落ちない。 防衛大学生は自衛官の幹部候補生を養う為の大学だ。 だから講義や訓練を受けながらも特別に国家公務員という立場にあって 学生なのに毎月109,400円の給与が出て年に2回の賞与も出る。 それを4年間やり過ごしたあとに任官拒否するとは如何なものだろう。 人間は、損得勘定で嘘をつくもにではない。 食うに困って野垂れ死にしそうな時に道端に1万円が落ちているのを見つけても 多くの人は警察には届けないだろう。 その嘘と、任官拒否した47名の嘘とは何かが違う。
微生物
いつも思っている。 人間は微生物に過ぎない。 今話題の素粒子の大きさは、10のマイナス35乗。 それが作り上げる原子核の大きさは、10のマイナス15乗。 原子1個の大きさは、10のマイナス10乗。 東京タワーの高さは、3 x 10の2乗。 富士山の高さは、3 x 10の3乗。 地球の直径は、10の7乗。 地球が太陽の周りを回る公転の大きさは、10の11乗。 地球がある太陽系は天の川銀河の片隅にある小さな星の集まり。 天の川銀河は地球の公転軌道の10億倍の、10の20乗。 その天の川銀河は他の銀河系と銀河団を作っている。 その銀河団の大きさは、天の川銀河の1000倍で、10の23乗。 人間は、そんな宇宙の点のような地球に生きる微生物。 地球は時速1666kmで自転し、時速10万kmで公転している。 ジェット機の速さは、たかだか800km〜900km。 人間は生まれてこの方、こんな超高速の地球の上で暮らしている。 46億年も前から地球は、その運動を変えてない。 そして、その運動はまだ続く。 だから思う。 この運動に沿う生き方でなければならないと。 それを探ったのが紀元前1000年前からある中国の十二支だ。 今年は申年。 いや違った。 普通のさる年じゃなくて、今年はひのえさるだった。 ひのえさるは、変革の年。形がハッキリする年で地が固まる年だった。 今年の芸能界を診てるとなるほど、隠れていた物が顕になり正しい形に整っている。 その運動はまだ続く。 地球に生きる微生物にも、着実にその力は及んでいる。 私はそんな微生物でしかない。
たった1点差
昨日は長男の大学で医学部の卒業式が行われた。 その後、場所を目白の椿山荘に移して謝恩会が披かれた。 参加していたご父兄の内約7割は医者だ。 医者の奥様達の半数は和服で極めていた。 やはり日本人の女性には和服に勝るものはない。 この大学の現役111人が医師国家試験を受けたが結果は110名が合格。 1名だけ国試浪人となった。 国試は2月6日から一般問題、臨床実地問題、必須問題に分かれ3日間にわたって行われた。 その結果、その学生は必須問題で1点だけ足らなかったという。 それで今年1年を国試浪人として送ることになる。 たった1点。 されど1点だ。 一人だけ落ちたその学生も卒業式と謝恩会に出ていた。 辛かっただろう。 57歳にもなると1年の違いなんて、左程大きなものではない。 しかし25歳では人生と神様を恨むかもしれない。 たかが1点。 それが重い。 彼よりも成績の悪い人がその試験に受かっていたから尚更だ。 喜んで謝恩会ではしゃぐ若者達は彼に拍手を送っていた。 10年後、20年後、いや30年後、この学生はどういう人生を送っているだろう。 来年、彼が医者の扉を開けて一歩踏み出したとしたら、人の痛みを知った医者になるのは間違いない。 多くの弱い立場の人を助けてくれる医者になるかもしれない。 神様は、幸運を与える時には遠回りをさせるものだ。 今日、空手クラブの何人かの子供達に伝えたことがある。 「世の中、すべてこの1点差で決まる。」 「運よく滑り込んだ人生がいいとは限らない。」 「人生はマラソンだ。」 「挫折から何かを学ぶ人であるのか、挫折から人生を恨む人であるのか。」 「神様は可能性のある人には試練を与える」 子供達には難しい話だったはずだ。 多くは、何を言っているか分からなかっただろう。 でも、それでいい。 ただ真面目に何かを伝えようとしている大人がここにはいるのだ。
第110回 医師国家試験
今日のこの日をどれほど待ったろう。 2月6日から三日間の試験はインフルエンザにかかっていやしないだろうか? 仕事をしながら、そして空手の稽古をしながら、ずっとそんなことを考えていた。 長男の中学入試では、志望の学校に合格するように祈った。 医学部入試では、どうぞ一校でもいいから受かりますようにと祈り 入学したら、留年などしませんようにと祈った。 しかしいくら祈ってみても勉強を疎かにした学生は留年するのだ。 神様は居ない、そう思って諦めた。 留年した翌年は、それこそ進級出来るように祈っていた。 体力勝負の三日間の卒業試験でも祈った。 どうか力を出し切れるようにと手を合わせていた。 そして医師国家試験が無事に終えられるように祈って 今日を迎えた。 第110回医師国家試験の合格発表は2016年3月18日 午後14時と決まっていた。 長男がお医者さんになりたいと言いだしたのは小1の6歳の頃だった。 振り返ると、その夢を実現するのに20年もかかったことになる。 14:02 メールが来た。 「合格してたよ」 今、長男は成田に向かっている。 オーストラリアに行くらしい。 6日前に他界した義父は今日のこの結果を知っていたのだろうか。 現在が変われば将来が変わる。 だから今を変えるんだとこの空手クラブの子供達にも言って聞かせてきた。 しかし、今日のこの日を迎え、それが間違っていることに気づかされた。 現在の心境が変わるだけで、忘れていた過去の楽しい記憶も思い出されて来たのだ。 そうだった、中高一貫校の受験や医学部受験は、決して辛い坂道ばかりではなかった。 現在が変われば将来も、そして過去も変わるのかもしれない。 長男は少々回り道をしたけど、それが彼らしい。 多少の寄り道があればこそ、より人間味のある人生を築いてくれることだろう。 春、門出の季節がようやくうちにも来てくれた。 今日は新たな未来と忘れていた過去に乾杯だ。
花を咲かせる
春三月は何かと忙しい。 卒業式に、転勤、転居。 桜が咲くころの入学式の準備。 制服がある学校は、その採寸もやらねば。 涙あり、笑いありの梅の季節は気忙しく過ぎて行く。 そんな中、お世話になりっぱなしの義父が昨日3月12日朝7時過ぎに肺炎の為、息を引き取られた。 義母は4年前のロンドンオリンピックが開催していた8月にお別れしている。 膠原病だった。 この二人なくして長男の医学部の卒業はなかった。 その長男の医学部卒業式まであと2週間を残すところだった。 経済的に援助してくださった義父も義母も今はこの世にはおられない。 空は、曇って肌寒かった。 昨日の稽古で出くわした子らの顔を観ながら、その子たちの10年後の顔を覗き込んでいた。 真っ当であれよ 辛抱強くあれよ 運に恵まれる子であれよ そう思いながら幼き子らの顔を観て居たら、あっという間に時が過ぎた。 今日は空手の演武会。 あれをこうやって、これはこうやってと考えていたことの半分も整理がつかないまま 当日を迎えてしまった。 困った。 自分の演武をどうするかまで正直なところまったく頭が回ってなかった。 そんな折、一本のメールをもらった。 見ると久しぶりの名前だった。 聖光学院3年生。 現役で東大理科1類を受験した秀才。 メールは無事合格した報告だった。 昨年夏以降、東大模試はずっとA判定をキープしていたからたぶん大丈夫だろうと 思ってはいたが、実際に結果を聞くと安堵する。 彼は昨年9月まで空手の稽古を続けながらも、勉学も怠らずいいバランスを維持したと思う。 10月から約5か月の集中勉強で東大理科1類合格だった。 すべてはバランスのようだ。 空手に偏っていては相当なプロになる以外は飯が食えなくなってしまう。 だから稽古の終わりには、必ず生き方、勉強の仕方の話をする。 幼稚園児や小1には飽きてしまう話だ。 指を嘗めたり、ゴソゴソしたり。 それもしようがない。 見ていてそう思う。 でもいずれ分かる時が来るから、その子たちの成長を見守らねば。 人の心には、一人一人の花があって、形や色は様々だ。 大事なのは、その花を啓かせることなのだろう。 誰しも、精一杯に生きようとする力があって、力いっぱいに咲き誇ろうとしている。 その蕾を見出し、開花させねば。 そんな思いを胸に抱いて、いつも子らを看ている。 春は、何かと忙しい。
どん底
春を見つけた。 庭のあじさいに蕾が見えた。 春が来た。 夏が過ぎて、秋になったら、冬が来ていた。 そしてまた、春を見つけた。 ずっと同じことを繰り返してきた気がする。 でも去年の春より、庭のあじさいは大きくなっている。 1年生が6年生になり、2年生が中学1年生になる。 この5年間で子供達も大きく成長したようだ。 風邪を引いて熱を出して、怪我をしたり、泣いたり、笑ったりしながら大きくなった。 でも、せっかく医者になっても、医療報酬詐欺で逮捕された女医が居たり 進路指導の面談を廊下で行い、間違った調査資料を元に、1人の中学生の 人生を終えさせた女教師が居たり そして陸前高田市で卒業式を待つ小学校6年生が居たり 自宅も職場も失い、家族を失い、どん底を味わった人が居る。 人生のどん底を味わった人と人生の快楽を謳歌した人が居る。 どっちが良かったんだろう? これから先を見ると、どんな5年が良かったんだろう? 一体全体分からない事ばかりだ。 ただ間違ってない事がある。 それは人間、どん底を味わって初めてDNAが覚醒するという事だ。 大事なのはこの身体の細胞が記憶している100万年前のホモエレクトスからの 経験則を呼び覚ます事かもしれない。 この短い人生でそれが出来たら、そこから人生は変わるだろう。 ジャワ原人が北京原人に変化する過程で ネアンデルタール人がホモサピエンスに変化して行く中で それぞれが経験して来た飢餓や外敵から逃れて来た記憶が細胞の一つ一つに 深く刻まれているはずだ。 それを覚醒するきっかけが、どん底に落ちることだ。 せっかく受け継いだこの100万年の間の遺伝子を眠らせたままでは勿体無い。 DNAのスイッチを入れるのは自分自身だ。 さあ、スイッチをオフからオンに切り替えようじゃないか? どん底に怯えてたまるか!
日本が嫌なら
健康を志向し、服装や美容に心がける人は多いのに 教養をつけ、心を鍛える事に熱心な人は少ない。 稀に生まれ持って嘘つきな子供がいるのかもしれない。 でも普通は頭で計算して物を言う子供はない。 思った通りの事が口から出てきてしまうのが子供だし、それが可愛い。 だからよく家庭内の事が子供から伝わってしまう。 「うちのお母さんは、よくお父さんと喧嘩してるし、朝はなかなか起きてこないの」 単純に思った事を口にして、外聞をはばかる事はないのが子供だ。 しかし、大人になる過程で人は嘘を覚えて、それを上手く使いこなすようになる。 保身の為なら見え透いた嘘もお手のものだ。 思っている事と表現された事とは丸っきり違う人もいる。 計算高いのは達人の領域だ。 成就した人格の持ち主と、そうでない人。 その違いは付き合ってみると見分けがつくものだ。 澄ました顔をしていても、一瞬の動作や言動でお里が知れてしまう。 それは勉強によって身につくこともある。 本を読んで身につく事だってある。 他の人の言葉を黙って聞いているだけでもいい。 面倒な事を避けず、丁寧にやってみるだけでもいい。 波乱に明け暮れた人生でも、それが苦労とは思わなくなってきたら そして愚痴や、恨みつらみを言わなくなっていたら 「ああ、面白かった」という人生を送っているかもしれない。 よもや「幼稚園落ちた日本死ね!!!」などという言葉は聞きたくはない。 この方、匿名ブログで話題になった方で、そのあとこう書いていた。 「何なんだよ日本。」 「何が少子化だよクソ。」 「ふざけんな日本。」 「まじいい加減にしろ日本。」 言ってることや世の中の矛盾は良く分かる。 ママ達の気持ちを思うと同感だという人も多いだろう。 しかし、この言葉のトゲトゲしさは如何なものかと思う。 そして日本がそんなに嫌ならば もっと良いところを探し求めて生きて行くしかなかろう。 果たして日本よりいい国があると言うのだろうか? 幸せってなんだろう。
ベリーの記念日
「あなたは自分の人生をどのようにして決めるのか」と聞かれても答えに困る。 ただ死の間際に自分の人生に悔いが残るのかどうかだけではないだろうか。 出家して生きてる人間ではあるまいし 人生のことなど深く考えて生きる余裕などもない。 若い時は、あっという間に過ぎ去って、気が付けば育児に追われ または出世を意識し、仕事に疲れる日々を過ごしてきた。 子供の受験に付き合ってるうちに、将来の夢を実現させてあげたいと思ったりもした。 だから高額な学費のためなら自分のことは二の次になる。 我が子が医学部に通ったら、どの親もそうなるのではないだろうか。 そしてやっと卒業し肩の荷が降りたと思ったら 地球は太陽の周りを7回も廻っていたのだ。 一日を自分の思い通りに過ごす事もせず 稼いだお金は目の前を通り過ぎて消えて行った。 しかし、いろんなことがあるにせよ、今の日本は実にいい国だと思う。 明日の食べる物に事欠くことは少ない。 お風呂は毎日入ることが出来る。 テレビはいつも視ることが出来て、路上で襲われることもない。 救急車はすぐに来てくれてただで病院まで運んでくれる。 役所でことを進めるのに袖の下を通す必要もない。 ただブランド物を買うために援助交際が後を絶たないだけだし 学校ではいじめが蔓延っているだけだ。 そして、それが家の中では気が付かないだけではないか。 しかし、そう思うと今の日本は違った意味で何かおかしい。 人間、何をしたって自由だなんて思いあがっている人も少なくない。 したいようにさせればいいだって? 間違っていることでも見過ごした方がいいって? 「今の時代仕方がない」という声が見え隠れする。 あなたは残りの人生で何をやろうと思っていますか? これだけは果たして死にたいというものがあるだろうか? 私はただ今日できることをしようと思う。 誕生日を聞いたら、それを祝ってあげたい。 ただそんな簡単なことを積み重ねていきたい。 今日、廻り廻って動いてくれた方が誕生日のケーキはどれにしたらいいか聞いてきた。 お店に出向いて写真まで送ってくれた。 いろいろと気をもんでくれたのだろう。 私の話を聞いてお祝いをどうするか伝えてくれた人も、 お店まで出向いてくれた人も 来週の土曜日、誕生日を迎えたその人の笑顔を見たら それだけで何か満たされるものが湧いてくるのではないかと思う。 そういう小さな満足がいくつあるかで人の人生は変わる。 だから、そんな満たされる一瞬に一人でも多くの人が出くわすようにしたい。 明日を満たすきっかけはどこに転がっているのだろう? ストロベリーの記念日はいったい誰の心に響くのだろう? 私はいつもそんなことばかり考えている。