代表のブログ

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毎日が同じようなことの繰り返し。 こんな単調な日々なんてとウンザリして不満を抱く。 しかし、一旦 何かが起こってしまうと、それまでの平凡な毎日がかけがえのないものであったことに気づかされる。 人生で出遭う様々な事件や事故を見るにつけ、当たり前に過ぎて行く怠惰な日々がどれほど幸せな ことかを思い知ることになる。 昨日と変わらぬ朝を迎え、昨日と同じ様な夜の時間を過ごしていることに ただ感謝したい。 やがて、溶けてしまいそうな真夏を迎え、昨年と変わらぬ風鈴の音を聞いて涼しさを 感じる。 今年もそんな夏に出くわすだろう。 そう思うと蒸し暑さの中で聞く凛とした風鈴が待ち遠しくなる。 しかしそんな風情の音を聞くことすら、かなわない人もいる。 56歳で、くも膜下出血で寝たきりになり伊豆の病院 で植物人間の状態で生きながらえている方。 ご主人の数億円の借金を、彼女は懸命に働いて返済した挙句の 入院。 手足は曲がったままで口も利けず、反応もごくわずか。 日頃から海が見えるところが好きと言っていたので ご主人が伊豆の病院に入院させたようです。 この方、くも膜下出血で脳が大きく損傷し回復は難しいと言う。 「いい時だけ夫婦じゃね。悪い時も、いい時も夫婦」と。 この世は理不尽なもの。 あんな意地悪な人なのに、どうしてあの人に、いいことばかり起きるんだろう?   私の方が頭がいいのに何であの人ばかり、、、。 マイナスの状況で、どん底を経験すれば、あとは上がるだけ。  今、辛い思いをしている人も、仕事や生活の 中で、真正面からその辛さや環境に向き合い、全力を尽くしましょう。 明日を切り開いていくために。 伊豆の病院で横たわる奥さんの闘病を綴るブログを見るにつけ、そのような思いが胸を突き上げるのです。

自分ではどうしようもない領域があるように思えてしようがないのです。 それはどの分野でも体験する日常の事。 たとえば、その筋書きをいじることが出来ないというような感覚の時もあります。 そんな時は流れに任せるしかない。 緊張して、焦って、あがけばあがくほど自分を見失ってしまいそうな時もある。 人前で話をするのが苦手で準備は すれども、あがってしまって頭が真っ白。 私の30歳台はそんな日の連続でした。 何度もそんな場面に直面し 自己嫌悪と情けなさと、たまに出くわす、ちょっとした成功が入り乱れた日々。 それは仕事と家庭と子供の育児 とがギュウギュウ詰めにされた日々でした。 それしかない精一杯の日々でした。 余裕がすべてにない毎日。 そして夜更かしと朝駆けでも何とか誤魔化しながら生きているという日々。でもそんな中でもふと気が付くと、 いつの間にか長いトンネルの出口が見えていたようで、何事も失敗の繰り返しから逃げないでいたら、知らぬ間に いくつもの峠を越えていました。 今思えば、あっという間の30歳台でした。 いつしか話下手だった自分が、人前で しゃべりたくてしようがない性格に変貌していたことにも気が付きました。 先天的な性格はいくらでも変えられるのだ とその時、実感しました。 粘土をこねて創るようなもので何度もやり直しているうちに、それ相応のものが出来るように なっていて炉の温度や雰囲気も自分なりにわかるようになってくる。 克服するというようなものではなく、やり込んでいくと それが出来るようになっていた。 峠は越えられるというか、そこに意志がある限り、ごく自然なものとして何とかなるの だろうと、何だかそんな風に捉えています。 しかし、その中でも自分ではどうしようもないものがある。 いくら頑張っても 出来ないものと言えばいいのだろうか。 たとえば実力があっても勝てないサッカーの試合。 冬のスケートのショートトラック 競技でトップ争いをしてる集団がみんな転倒している間に、一番後方に居た選手がゴールに入る場面。  偏差値では間違いなしと言われていた学校に落ちることも。 そんな時にどう挑めばいいのでしょう。  トップ争いをしていたショートトラックの選手はどうすべきだったのでしょう。  重圧のかかる大勝負にどう挑めばいいのでしょう。 超一流企業の新卒採用、最終社長面接。 胸は張り裂けんばかりでしょう。 どうしたらいいというのでしょうか。  手には汗をかき、周りの人が自分よりも素晴らしく見える時。 いったいどうすればいいのでしょう。  それには答えが一つだけあります。 誰かが、そっと耳元でささやいてあげればいい。 「もう結果は決まってるから」と。  自分の出せる力は決まっている。 だから、その先は運を天に任せるしかないのだと。  WHISPER WORD OF WISDOM   "LET IT BE"   「あるがままを あるがままに 全てを受け入れるのです」  メアリー・マッカートニー 45年前の言葉です。 

気が付けば、今年も1/3が過ぎていた。 庭の木香バラの黄色い花は咲いたと思ったら、もう散り出していた。 桜が咲いたのは、もうずいぶん前の事のようだ。 1年365日の1日1日が大切な宝の山であるはずなのに 私は小判の前の猫のようであり、真珠を与えられた豚のように無駄に時を浪費してきてしまったように思える。 それでも、そんな時の価値を忘れた放蕩息子にも宇宙は、一向に惜しまず、また浪費をとがめず、新たな年を また与えてくれる。 そして、春には桜を咲かせてくれる。  人に会うのも、これが最後と思えば、言葉も動作もよくなるものを、、、。 私は何をしてきたのだろう。 この一食で最後だと思えば、梅干しとごはんでも味わい深いものだと感じるものを、、、。 1日1日を大切に生きねば。 大切な、そして平凡な生き方に感謝しなければ。  何不自由ない時が続くと、そんな宝をも忘れて日々を惰性で送ってしまう自分がいる。  私の身体に血液が流れているのは知っている。 しかし、それは当然だと思っている。 当たり前だと、、。 さっき夕食で食べた物が消化され、それが栄養となり身体の隅々まで行き渡ってくれている。当たり前、、。 しかし私の知らないうちに胃や腸、すい臓、肝臓、腎臓は全力を挙げて懸命に働いてくれていることには気が 回らない。 そこまで暇ではないのだからしようがない。 そんなことを思う横柄な自分がいつも顔を出す。  自分の身体なんだから何とかなるだろうという気持ちで蓋をしてしまう毎日。 ずーっとそうしてきたのだから。 「これで絶対大丈夫なんだ」と言いきかせている自分がいる。 自分の身体は自分のものだから何とかなると 粗末に扱ってしまう。 しかし病気になりたくない時に病気になるし、下痢をしたくない時に限って下痢をする。  咳き込みたくない時に必ず咳がでてしまう。 そして死にたくない時に死ぬだろう。  だから、そういう意味からも自分の身体は自分のものではない。 いわば借り物の身体なのに不平・不満 を並べてしまう。 誰でも、いつかは、お返ししなければならないこの身体。 よもやそのことを忘れてはなるまい。  そういう生き方を毎日送らねば。 一期一会を大切に毎日を送らねば。 そんなことを思いながら、この四か月を 振り返ってみると、それはひいき目に見ても、やはりまるで猫に小判の生き方に近いものでしかない。  今日、5月11日は「母の日」。 この身体を生んでくれた母を思う日。 宝塚で一人でいる母。 そんな母に感謝 している。 今日、電話してみよう。 川口の実家から関西に移ってもう長い。 川口を思い出す懐かしい思い出話 がいいかな。 生きている母にただ「ありがとう」を伝えてみよう。 今年7月には81歳になる母。 生きているうちに 何度も「ありがとう」と伝えたい。 ぶっきらぼうで扱いにくい子供であっただけに猶更だ。 今日の母の日、空手クラブの子供たちの「お母さん、ありがとう」をどれくらい聞けるだろう?  10年経っても20年、30年経っても、何年経っても母を大切に思う子供であって欲しい。 そして素直な心を忘れない子供であって欲しいと、一人一人の顔を思い浮かべながら願うばかり。  私もそんな子供たちの心のように素直に活きてみようか。 あらたむるに遅きことなし。なのだから。

何で卓球の選手の足は陸上の選手みたいにカモシカのように細くないのだろうとずっと思ってました。  私は運動はテニスと卓球、ゴルフ以外は何でも好き。 野球はタイガース。 サッカーはザックとなでしこ。 ラグビーは正月の高校ラグビー。 大学の時、大八木、平尾が2年あとに入ってきて一躍、関西の大学ラグビー も陽の目をみたのです。 埼玉出身で何で関西なのかと言われても大学が関西だから、そうなのです。  昔、野球は巨人しかないと思って居たのに関西に住んで「おはようパーソナリティー中村鋭一です」、 「おはようパーソナリティー道上洋三です」を聴いてるうちに、あの六甲おろしが人間味のある歌のように思われて、 あっさりタイガースファンに転身してしまいました。 1985年には、本当に涙がでました。  その時、「もう20年は優勝はないな」とも思ってました。 その通りでした。 でもそれがタイガースらしくていい。  エリートじゃなくてもいいんだって思ってました。 タイガースが勝つと、そのラジオ番組の冒頭は、いつも六甲おろし から始まってました。 ところが負けるとスポーツニュースの時間が一言二言で終わってました。 昨日、野球やって ましたっけ?ってな具合です。 関西のラジオはこれでいいの?  凄い。 関西人は、みんなそんな感じなんだ。 東京ではあり得ない自由さが気に入りました。 そんな関西が大好きです。 話を戻すと、それ以外のスポーツ ではバレーボール。 これは中学・高校と6年間やってきたので、今でもお手の物。 という訳で空手以外では テニスと卓球とゴルフを除いて何でも好きでテレビもよく見るし観戦にも行くのですが、 好きでもない卓球は 全く興味が湧きません。 世界大会がやっていようが、何をしていようが私には何も関係ありませんでした。  なんだこのチマチマした、弾けるものがない、暗いスポーツは。 と思いながらうわの空で観ていたものです。 今回、たまたまリモコンのボタンを押したら卓球がやってました。 でも意外と動きが速い。 体勢が崩れていない。  日本人が好きそうな熱戦につぐ熱戦もある。  あれれ、そうだったの。 夜、空手から帰ってきてなんとなく20時から 観ていた卓球が23時まで釘づけに。 動きがいいじゃん。不要な動きをしていないじゃん。微妙なコントロールが されているし。いいじゃないの。 これって何? 卓球? 何で、もっと早く教えてくれなかったの? 面白いじゃん。  カットマン?っていうの。 気に入った。でもウェアーが、ちいーとダサいかも。あれは垢抜けしてない。良くないなあ。   もっと斬新でカッコイイスタイルを創ればいいのに。  ボディービルダーの身体はカッコいい。 でも空手ではそんな体型では強くないのは感覚でわかります。 腹筋は割れているのが見栄えはするけどそういう腹筋は当たりに意外に弱い。経験則でそれはハッキリしてます。  まれにプアカーオのような人もいるにはいるけど、体脂肪率数パーセントの人より、程よく脂肪がある人の方が 格闘技は強い。 卓球の選手の足を観ていて、同じような感覚がありました。 カモシカの足じゃなくて、みんな 意外にズンドウというか、か細くない。 でも、だから早いし軸がぶれないのだろうと感じました。   ボディビルダーには回転運動の軸がないので筋肉を収縮させて伸ばす運動だけ。 そこに速さも要求されず 回転も求められない。 ただ筋肉の見栄えを競うもの。 それはそれで極めれば素晴らしいのだけれど運動神経 とか運動能力とかを求める競技では、そういう筋肉の付き方ではなくなります。 卓球選手は正にそんな感じです。 今回、興味のなかった卓球、明日も観ようかと思ってます。 なぜかって?、 それはね連日、23時過ぎまでライブ 中継があって、劣勢を挽回する絵にかいたようなストーリーが続いているから目が離せなくなるからだよ。  よくここまで勝負事なのに観客を引きつける展開を創れたものだと思うくらいでした。日本生命も、ANAも、全農も ここまでは想定してなかったでしょう? と言いたくなるほどの熱戦でした。 日本女子が決勝に残るなど誰が予想 できたものか?  今回のテレビ枠をあれだけ取ったテレビ東京も運があるし、全農も捨てたものじゃない。 今年の3月にはこの全農って、なんという酷い会社なのか。と思っていたのに、この変わりよう。  「JAバンク横領横行」 9年で861件。 187億円も。あり得ない企業だと私は思ってました。 就活では 難易度の高い企業ではあるものの日本の企業とは思えないほどの横領が全国展開されてるイメージがあった のです。 でもそれが今回の卓球に魅せられて、イメージがちょっとだけ変わりました。  全農というとJA。 JAというと農林中央金庫となってしまう。 変な不祥事の構図がイメージされてしまいます。 でも今日の香港戦の平野選手や石川選手の涙を見るとそんなイメージなんて吹っ飛びましたがな。   ところで、顧客の定期預金を無断で解約し着服したJAおおいたと、JAながさきの元支店長は今頃どこで 何をしているのだろう?  2014年にJAがこんな素晴らしい「世界卓球2014東京大会」のスポンサーに なっていると分かっていたら、あこぎなことに手を染めたりはしなかったかな? どうだろう?  2008年には76件、2012年には54件。 いまだに返済されてない額が54億円もあるなんてある意味凄い。  きれいな、そして純粋な卓球の汗が横領という文字で穢れないことを祈るばかりです。  そうか。 私のように「JAの金融事業」のイメージが「不祥事」という文字につながる人にとって「全農」と 言われると不祥事のイメージも薄れるのも事実だ。 そうだ、そう思って明日の決勝を楽しもう。 JRAが競馬なら、JAが横領。 いや、そんなことはない。 卓球だ。 そうだ。 卓球だ。 カットマンだ。  明日は中国戦だ。 決勝だ。 それでいい。 もうなんだかわからなくなってきた。

花粉症の薬を久しぶりに飲んだものだから昨晩は眠くて食事前に寝てしまい起きたら24時。ぼーっとした頭で テレビを観ながら食事をしました。 初めて観た番組でした。「言いにくいことをハッキリ言うテレビ」とかいう もので”不動産は気をつけろ”と言ってました。 それでも頭はまだ寝たままでした。 断片的な言葉と映像 が浮かんでは消えていました。 何やら大島てるという方が日本全国の事故物件をホームページ上にアップしてるらしい。 その言葉だけは覚えていました。 今朝、検索してみてビックリ。 凄いデータ量です。 いまだ、安い不動産に巡り合ったことはないのですが、実際に出くわした時に、果たして借りるだろうか? 先月、長男が池袋で一人住まい。 不動産物件をすぐに決めたので早速調べてみました。  大島てるさんのホームページは本当に細かく観れて凄い。 場所によっては写真までアップしてます。  長男は「何も気にしないから大丈夫」とか言ってました。 O型人間らしい、無頓着な言葉。 そうだ自分も大阪に単身で行くというときに、自分でインターネットで場所だけ見て、それでいいかと安易に 決めて会社にここでお願いしますと言った記憶があります。「現場を見なくていいんですか?」と聞かれ ましたが「全然、大丈夫」 とか言ってました。 親子、まったく同じです。 さあ、この事故物件。何で気をつけないといけないのだろう。 何か不都合があるのだろうか? 私も気にしない方です。 ビジネスホテルに泊まるときに何度か、気持ち悪い部屋だなと思うことはあった けど、いつも睡魔が優先されて起きると朝です。 恐いと感じません。魂があるとしてもそれは同じ人間の魂。 たまに動物のものもあるかもしれないけど、それがどんな悪さをするのか感じることが出来ません。 同類だと自分で思っているからかなぁ。 みんな同じではないかといつも心の底にあります。 いつか自分も 死ぬだろうし、死んだら、化けて出て来た奴を探し出してとっちめてやるからな。なんて思ってるレベルなので そういう事故物件で悪さをすると目されている魂には相手にされないのかもしれない。  横浜青葉区の青葉台やすすき野のあたりはどうかなと観てみました。 燃えてる表示はあったけど 意外と少ないです。 でも何でこれで安心なんだろう?  京都など歴史のある場所では昔から戦いがあったり、河原町の三条から四条、五条の川べりでは 処刑された人の生首が並べられた場所。 そこが400年も経つと夜は若者カップルが1m間隔で座って デートする場所に早変わり。 京都にはそんな場所がたくさんあります。 実は人間の脳が左右してるのではなかろうかと思うことがあります。 たとえば恐いという自分の気持ちが 自分の腕を鳥肌にさせたり頭を痛くさせる。 すべては自分の気持ちから脳がいろんな信号を出して結果的に 自分自身の恐怖心を煽っている。 心霊の事象とは意外にそんなものではなかろうかと思うのです。  宇宙の膨張が4次元でなされる中では、心霊現象というものも論理的に見つめないといけない。 上海では3次元で創る家が発表されました。 3Dプリンターとは3D造形する事で費用を抑えるもの。 通常、これは試作で使うものなのに上海では6mの造型機を創ってしまい、家自体を、その装置で創って 通常の1/10の値段で住宅販売をするらしい。 いかにも中国人らしい発想だし、それで実際に創ってしまう のは日本ではありえないこと。 世の中は動いています。 新しものが生まれ新しい発想が世の中を変えています。  そんなことを考えている頭の人や、そういう新しいことに興味があってのめり込んでしまう子供のような頭で いる人にとって、気の淀みがどうだとか、霊がいるとか、人が亡くなった場所だからとか、そのような類の ことは無頓着にやり過ごしてしまうもの。  ですからそんな訳で、昨晩テレビで観た事故物件なるものは私にとって安価な掘り出し物としか映らないのです。

今日の昼、家に居たら宅急便屋さんが来た。 何だろう? 心当たりがないのですが。という気持ちでした。 忘れてました。 1月末に「福岡ダビングセンター」に送った25年前のビデオの事を。 ビデオテープが劣化する というのでブルーレイに保存しておきたくて頼んでいたんだ。 そうだ。すっかり忘れてました。  1枚980円は決して高くない。45本のビデオをブルーレイに変換してサムネイルや、年月も入れてくれました。  とても自分ではできないもので映像も予想以上に綺麗に仕上がってました。 今夜は観たのは17年前のもの。 そこに居た5歳の次男と8歳の長男の声としぐさが懐かしくて、どの映像を観ても胸が熱くなるのです。  45本はあっという間に観終えてしまうかもしれない。 忘れていた子供たちの映像にこれから会えるのが楽しみだ。   もう二人とも大学生。 家には居ません。たまにメールでやり取りをするだけ。 そんなものだと思っています。  自分がそうだったから。 しようがない。 あの子供たちが、もう大学生。 つい今しがた観た子供たちがいつの間にか大学生だなんて。 信じられない。  なんて早いんだろう。 時間っていうものは、あっという間に過ぎて行ってしまう。  38歳の自分もそこに居た。 長男に野球を教えている自分がいる。 いい球を投げるまでやり直させている自分が。 長男が可哀想。 でも何かを背負って生きて行くんだから、辛い事があっても乗り越える心をもっていて欲しいと思って 居たそのころの自分の心に出会えた。 子供たちはまだこれから先がある。 だから私は距離をちょっと置いていつも 見守っていようと思ってきたし、これからも、ずっとそうしようと思って居る。  1枚のブルーレイを見終えると、テレビではニュースが流れていた。 胸が痛むニュースだ。 韓国の高校生が まだ沈没した船の中にいるという。 何ということか。 17年で彼らの映像が止まってしまうと思うと胸が痛い。  今、私は多くの子供たちと時間を過ごしている。 そしてこの子供たちの映像がこの先も途切れることなく末永く 続いて欲しいと心から願っている。   69歳の船長も昔、子供だったはず。 どんな悪人も昔は純粋な子供でいたのだと信じたい。  高校生たちが生まれた17年前、当時52歳の船長が善人でいたかは知らない。  大切な心がいつなくなったのかもわからない。 助けられた時の毛布にくるまった映像だけが頭に焼き付いている。 ただ、あれは自分ではなかろうか。自分にもそんな弱い部分があるのではなかろうか。 そんな弱い心をもった 醜い人間と自分とがいったい何が違うのか私にはわからない。 世間はバッシングしている。 この惨事を起こした のだから、それは当たり前のこと。 しかしバッシングする人も韓国の大臣や大統領も、そして自分自身も一切合切が 実は同じような弱い人間なのではないかと思えてならない。

光が1年間に通過する長さは約9兆キロらしい。 しかし、いきなり9兆キロと言われてもピンときません。 太陽系の直径が約60億キロ。 それをゴマつぶ1個の大きさ例えると1光年という長さは約1メートル。な~んだ。  高々1メートルほどのことか。 大したことはありません。 え~っと。 え~。地球は、、。 そうだ光年って、もの凄く 遠くの場所を表す時に使う長さの表し方でした。 でも、その1光年が500個もつながる距離に地球そっくりの惑星が あるらしい。 それも地球とほぼ同じ大きさの星。 それがケプラー186f なんだとか。  でも光の速さのロケットで500年もかかるのか。 生きてられないって言う事は天体望遠鏡でしか観れないって ことなんだ。 月から地球に光を放つと2秒で届くのに。 それが500年も。そんなに離れている惑星か。しようがない。  ケプラー186f に行くのはあきらめるとするか。 いや、待て待て。 ドラえもんに頼めばいい。 ドラえもんが生まれた22世紀にはタイムマシンがあるんだ。 それで行けばいい。  日本の漫画家の見る目は大きく外れていないというのはアトムやスーパージェッタ―で証明されているし、 24世紀には航時法の違反を取り締まる組織タイムパトロールがあるってドラえもんが言ってました。  ということは今、あなたの隣にタイムマシンに乗った人が来ていてもおかしくない。 出来るだけ今の人間界に 痕跡を残さないで現れては消える存在が未来の人ならば、必ず未来の人は、そばにいる。  そんな未来と過去の中を移動する時代が来るならば、意外とケプラー186f も身近なものなのだ。 たった15年前の固定電話の時代が、今はスマホとライン。 だとするとこの先の進化は加速度的なものに なるのは明らか。 実は私の知らないところで、すでにケプラー186f に行ってきた人がいるかもしれない。  それがタイムマシン。 タイムマシンが生まれるのはロケットが光の速度を超える時。 それが22世紀なんだ。 今、我々は、この大きなうねりの中にいる。 そしてサイエンスの進化は飛躍的だ。  だから思う。 浦島太郎やかぐや姫の2次元の世界を4次元の世界で観ることになる日はそんな遠くないと。

自分の仕事のカバンには必ず単行本が2冊入ってます。暇なときに読んだり、移動中の手持無沙汰を埋めて   くれる大事なものとして、小汚い単行本は大切な存在なのです。 純文学から歴史小説。今は司馬遼太郎さん   の「項羽と劉邦」。 昔、読んだものをまた飽きもせずひっくり返して読んでます。 やっぱり面白いし2千2百年   も前の物事が、というか、その当時の中国が、手に取るように感じられるのでワクワクして読んでます。実話だから   猶更です。 栄華を極めて宰相にまで登っても失脚すれば一族郎党皆殺しにされるという具合に人の命の価値   が軽かった時の話。 調べてみると秦が滅亡した紀元前200年の中国の人口は59,594,978人だったそうです。   それが約250年後の紀元後50年の頃の人口は21,007,820人。なんと六千万人から二千万人へ激減。   わずか一世代の間に人口が半減したようです。今の日本では考えられないことが昔の中国で起こってました。   「三国志」の蜀が940,000人(西暦263年)、魏が4,432,881(西暦263年)、呉が2,300,000人   (西暦280年)で三国合計でも人口は一千万人に届かなかったようです。 それが隋になると人口は   46,019,956人(西暦609年)、唐のころには人口は52,919,309人。でも前漢末の数字に及ばず   その人口を超えるのは西暦700年ころ。前漢末から実に千年も後の事。  中国って何だか凄いです。   100年4世代とみると、今から88世代前の中国は6千万人。同じころ、日本は弥生末期で60万人ほど。   ということは何と中国の百分の1しか人がいなかったということ? 全然知りませんでした。   司馬遼太郎さんの歴史小説を読んでると、88世代前の人も今の人も、考えていることはそんなに変わってない   ように思えます。 サイエンスは格段の進歩があるのに。 人の心は何も変わってないのか。 ずっと同じことを   繰り返すんだ。 親の年代は古い考えで祖父母の年代なんて、遠い昔の人のようでも、高々、2世代前の人。   あくせく受験戦争に明け暮れても、仕事に忙殺される日々を送っていても、ほんの1世代のうちの取るに足らない   事ことなのかもしれない。 そして今から186年後の2200年の日本の人口は4000万人らしいです。今から   わずか8世代後には明治の人口に逆戻り。1億2千万人の人口が3分の1となると多くの人の子孫は絶えて   しまっているかもしれないし、それとも日本から離れて他国で生き永らえているか、月にでも日本の子孫が   生きているかもしれない。 もしかすると国という単位自体がなくなっていて、宗教で分かれているかも。   しかし人間の考えることは、いずれにしても大差ないのでしょう。 88世代前と今が変わらないのだから   8世代後など変わりようもないはずです。    歴史小説を読んでいると、いつも自分は長い長い過程の中で一瞬、姿をあらわすほどの微生物に過ぎず   顕微鏡の中の耐性を帯びる細菌のようなものなんだろうと思えてなりません。

4月8日の夜の番組で詐欺師に騙された被害者が弁護士、探偵らと姿を眩ました詐欺師を探し当て、被害 を受けたことの謝罪と弁済計画の締結まで終えるという番組を見ていた。 お蔭でお風呂に入る時間が遅く なってしまったではないか。 面白い番組ではあったが、困ったものだ。  夜の時間は何かと忙しいのに。 「論文のミスで騒がれたが、STAPそのものは間違いなくある」 「たまたま一つだけできたのではなく、幾つも作っている。何度も見たし、他にも見た人がいる」 STAP細胞のことが取りざたされて、もう3か月。 急転直下のまさかの小保方さんが明日コメントをするらしい。 しかし、理研上層部の対応は自らのチェックを怠ったにも関わらず、 若き研究者個人の未熟さが問題だった などと言っていた会見を思い出す。 よくもしゃあしゃあと言えたものだ。 開いた口が塞がらないとはこういう事か。 どこの研究機関がSTAP細胞を発表したというのか?  そして誰が責任者なんだい?   自らの保身が見え隠れする会見をまた思い出してしまった。 STAP細胞に可能性があるなら日本を出て、海外の投資家の手を借りてでも研究を続けて、記者会見を 行った理研の上層部の面々を見返してもらいたい。 そして当の本人の本当の研究成果を聞いてみたい。  まだ期待している。 というか願っている。  日本と世界を沸かす研究であって欲しい。 だから、ハンゲキに 出て行って欲しい。 出来るか否かは小保方さん自身の問題。 不正行為に直接手を出していなくても、 指導的立場にあったシニアの研究者たちの責任は、小保方さんと同等以上に重いはず。 そんな彼らに ハンゲキするにはSTAP細胞を再現するしかないでしょう。  だから明日の会見を見てみたい。 男たちに 翻弄されないで自分の道を切り開いて欲しい。  決して、ねつ造や不正をした詐欺師であって欲しくはない。  ハンゲキを見ていて、そう思いました。

春は何かが始まる予感がする。 新たなこと。 新たな出会い。 それはそのはずだ。 18年もの間、幼稚園から 大学まで新しい学期を春に迎えて来たものだから、身体に染み込んでいるのかもしれない。 仕事においてもそうだ。 転勤はどこもこの春に多い。 決算期は3月。 すべて春に場替えするみたいに気持ちを入れ替えてきたんだ。 麻雀の場替えは流れを変えてくれる。 それを待たねばならない時もある。 耐えて忍んで場替えを迎えると 意外に流れが好転する時もあったりもした。 それが頭に残っているのかもしれない。 心機一転自分を変えて みるのもいい。 それが期の変わり目ならやり易い。 人はいくらでも変わることが出来るはずさ。 このままではいけないと感じたら、そのきっかけを見つけたらいい。  明日、新しい学校、新しいクラス、新しい職場に出向く人がいる。  今までの自分とお別れしてみるのもいい。自分の殻を破るきっかけかもしれない。 それが春なんだと思う。  桜の樹が鮮やかに咲き誇るこの時期に過去の自分の衣を脱いでみるのもいい。  前を向いて生きる自分がそこにいる。 そんな予感がする。 それが春じゃないか。 目をまっすぐ前に向けてみよう。  今までと違った世界が広がっているはずだから。 きっと思うだろう。 こんな春を待っていたんだって。

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