ケプラー186f
光が1年間に通過する長さは約9兆キロらしい。 しかし、いきなり9兆キロと言われてもピンときません。 太陽系の直径が約60億キロ。 それをゴマつぶ1個の大きさ例えると1光年という長さは約1メートル。な~んだ。 高々1メートルほどのことか。 大したことはありません。 え~っと。 え~。地球は、、。 そうだ光年って、もの凄く 遠くの場所を表す時に使う長さの表し方でした。 でも、その1光年が500個もつながる距離に地球そっくりの惑星が あるらしい。 それも地球とほぼ同じ大きさの星。 それがケプラー186f なんだとか。 でも光の速さのロケットで500年もかかるのか。 生きてられないって言う事は天体望遠鏡でしか観れないって ことなんだ。 月から地球に光を放つと2秒で届くのに。 それが500年も。そんなに離れている惑星か。しようがない。 ケプラー186f に行くのはあきらめるとするか。 いや、待て待て。 ドラえもんに頼めばいい。 ドラえもんが生まれた22世紀にはタイムマシンがあるんだ。 それで行けばいい。 日本の漫画家の見る目は大きく外れていないというのはアトムやスーパージェッタ―で証明されているし、 24世紀には航時法の違反を取り締まる組織タイムパトロールがあるってドラえもんが言ってました。 ということは今、あなたの隣にタイムマシンに乗った人が来ていてもおかしくない。 出来るだけ今の人間界に 痕跡を残さないで現れては消える存在が未来の人ならば、必ず未来の人は、そばにいる。 そんな未来と過去の中を移動する時代が来るならば、意外とケプラー186f も身近なものなのだ。 たった15年前の固定電話の時代が、今はスマホとライン。 だとするとこの先の進化は加速度的なものに なるのは明らか。 実は私の知らないところで、すでにケプラー186f に行ってきた人がいるかもしれない。 それがタイムマシン。 タイムマシンが生まれるのはロケットが光の速度を超える時。 それが22世紀なんだ。 今、我々は、この大きなうねりの中にいる。 そしてサイエンスの進化は飛躍的だ。 だから思う。 浦島太郎やかぐや姫の2次元の世界を4次元の世界で観ることになる日はそんな遠くないと。
88世代前の人
自分の仕事のカバンには必ず単行本が2冊入ってます。暇なときに読んだり、移動中の手持無沙汰を埋めて くれる大事なものとして、小汚い単行本は大切な存在なのです。 純文学から歴史小説。今は司馬遼太郎さん の「項羽と劉邦」。 昔、読んだものをまた飽きもせずひっくり返して読んでます。 やっぱり面白いし2千2百年 も前の物事が、というか、その当時の中国が、手に取るように感じられるのでワクワクして読んでます。実話だから 猶更です。 栄華を極めて宰相にまで登っても失脚すれば一族郎党皆殺しにされるという具合に人の命の価値 が軽かった時の話。 調べてみると秦が滅亡した紀元前200年の中国の人口は59,594,978人だったそうです。 それが約250年後の紀元後50年の頃の人口は21,007,820人。なんと六千万人から二千万人へ激減。 わずか一世代の間に人口が半減したようです。今の日本では考えられないことが昔の中国で起こってました。 「三国志」の蜀が940,000人(西暦263年)、魏が4,432,881(西暦263年)、呉が2,300,000人 (西暦280年)で三国合計でも人口は一千万人に届かなかったようです。 それが隋になると人口は 46,019,956人(西暦609年)、唐のころには人口は52,919,309人。でも前漢末の数字に及ばず その人口を超えるのは西暦700年ころ。前漢末から実に千年も後の事。 中国って何だか凄いです。 100年4世代とみると、今から88世代前の中国は6千万人。同じころ、日本は弥生末期で60万人ほど。 ということは何と中国の百分の1しか人がいなかったということ? 全然知りませんでした。 司馬遼太郎さんの歴史小説を読んでると、88世代前の人も今の人も、考えていることはそんなに変わってない ように思えます。 サイエンスは格段の進歩があるのに。 人の心は何も変わってないのか。 ずっと同じことを 繰り返すんだ。 親の年代は古い考えで祖父母の年代なんて、遠い昔の人のようでも、高々、2世代前の人。 あくせく受験戦争に明け暮れても、仕事に忙殺される日々を送っていても、ほんの1世代のうちの取るに足らない 事ことなのかもしれない。 そして今から186年後の2200年の日本の人口は4000万人らしいです。今から わずか8世代後には明治の人口に逆戻り。1億2千万人の人口が3分の1となると多くの人の子孫は絶えて しまっているかもしれないし、それとも日本から離れて他国で生き永らえているか、月にでも日本の子孫が 生きているかもしれない。 もしかすると国という単位自体がなくなっていて、宗教で分かれているかも。 しかし人間の考えることは、いずれにしても大差ないのでしょう。 88世代前と今が変わらないのだから 8世代後など変わりようもないはずです。 歴史小説を読んでいると、いつも自分は長い長い過程の中で一瞬、姿をあらわすほどの微生物に過ぎず 顕微鏡の中の耐性を帯びる細菌のようなものなんだろうと思えてなりません。
ハンゲキ
4月8日の夜の番組で詐欺師に騙された被害者が弁護士、探偵らと姿を眩ました詐欺師を探し当て、被害 を受けたことの謝罪と弁済計画の締結まで終えるという番組を見ていた。 お蔭でお風呂に入る時間が遅く なってしまったではないか。 面白い番組ではあったが、困ったものだ。 夜の時間は何かと忙しいのに。 「論文のミスで騒がれたが、STAPそのものは間違いなくある」 「たまたま一つだけできたのではなく、幾つも作っている。何度も見たし、他にも見た人がいる」 STAP細胞のことが取りざたされて、もう3か月。 急転直下のまさかの小保方さんが明日コメントをするらしい。 しかし、理研上層部の対応は自らのチェックを怠ったにも関わらず、 若き研究者個人の未熟さが問題だった などと言っていた会見を思い出す。 よくもしゃあしゃあと言えたものだ。 開いた口が塞がらないとはこういう事か。 どこの研究機関がSTAP細胞を発表したというのか? そして誰が責任者なんだい? 自らの保身が見え隠れする会見をまた思い出してしまった。 STAP細胞に可能性があるなら日本を出て、海外の投資家の手を借りてでも研究を続けて、記者会見を 行った理研の上層部の面々を見返してもらいたい。 そして当の本人の本当の研究成果を聞いてみたい。 まだ期待している。 というか願っている。 日本と世界を沸かす研究であって欲しい。 だから、ハンゲキに 出て行って欲しい。 出来るか否かは小保方さん自身の問題。 不正行為に直接手を出していなくても、 指導的立場にあったシニアの研究者たちの責任は、小保方さんと同等以上に重いはず。 そんな彼らに ハンゲキするにはSTAP細胞を再現するしかないでしょう。 だから明日の会見を見てみたい。 男たちに 翻弄されないで自分の道を切り開いて欲しい。 決して、ねつ造や不正をした詐欺師であって欲しくはない。 ハンゲキを見ていて、そう思いました。
春の予感
春は何かが始まる予感がする。 新たなこと。 新たな出会い。 それはそのはずだ。 18年もの間、幼稚園から 大学まで新しい学期を春に迎えて来たものだから、身体に染み込んでいるのかもしれない。 仕事においてもそうだ。 転勤はどこもこの春に多い。 決算期は3月。 すべて春に場替えするみたいに気持ちを入れ替えてきたんだ。 麻雀の場替えは流れを変えてくれる。 それを待たねばならない時もある。 耐えて忍んで場替えを迎えると 意外に流れが好転する時もあったりもした。 それが頭に残っているのかもしれない。 心機一転自分を変えて みるのもいい。 それが期の変わり目ならやり易い。 人はいくらでも変わることが出来るはずさ。 このままではいけないと感じたら、そのきっかけを見つけたらいい。 明日、新しい学校、新しいクラス、新しい職場に出向く人がいる。 今までの自分とお別れしてみるのもいい。自分の殻を破るきっかけかもしれない。 それが春なんだと思う。 桜の樹が鮮やかに咲き誇るこの時期に過去の自分の衣を脱いでみるのもいい。 前を向いて生きる自分がそこにいる。 そんな予感がする。 それが春じゃないか。 目をまっすぐ前に向けてみよう。 今までと違った世界が広がっているはずだから。 きっと思うだろう。 こんな春を待っていたんだって。
秒速500m
人間は他人のことをネタにしゃべるのが好きだし、そんなことしないと言う人でも人のことをああだ、こうだと言ってしまう。 そして、また気の合う人と過去の出来事をほじくり返して、これまた、ああだ、こうだと言って過ごすのも楽しい。 それが普通だし、ダメだなんて誰も言えるものではないでしょう。 ならば自分の心が正しいと思うことをやりながら 人の目など気にせず生きていく、勝手気ままな人生もいいものだ。 たとえ、いい結果が訪れたとしても、そうでなかった としても、いずれにしても人の批判にさらされるのだから、そのようなことは気にせず生きて行かねばならないのだろう、 などと偉そうなことを考えて生きたら25年という長い年月が、あっという間に過ぎていました。 四半世紀も、あっという間の出来事でした。 平成元年に生を受けた子が25歳になるとは、そういうことなんだ。 いつの間にか幼稚園に入り、小学校も入学式が済むと、やがて6年が過ぎて卒業式。 真新しい学生服姿の写真も 6年が過ぎると高校も卒業。 初心を忘れずなど言っているうちに大学生。 こうして10年、15年、20年があっという 間に過ぎていきます。 振り返ると長い長い時間も一瞬の出来事でした。 春は新しい旅立ちの時。 善いことはカタツムリの速度で動くものだと信じて、じっと待つしかない。 過去の記憶を手繰るように、未来の記憶を創りあげよう。 それをするにはカタツムリは打って付けの速度を 刻んでいるのかもしれない。 春はゆっくりが似合う。 梅雨の頃にはカタツムリがピッタリ。 そんな地球は秒速500mで毎日自転し、秒速30kmで太陽の周りを1年をかけてまわり続けている。 46億年も前から。 周囲4万kmの球体は生き続けている。 我はその一瞬に生きた塵のようなものだ。 そう思うと25年も一瞬のこと。 全てのものが高速で移動して来たから、その流れを止めることはできない。 カタツムリも高速の中でゆっくり生きている。 そうあらねばならない流れの中で生きている。 我らも同じこと。 そうあるべきものを心で捉え、しっかり伝えて生きていきたいと思っている。 人を見るのではなく地球を観ていると些細なことは気にしなくなるからと。 あっという間の人生。 おおらかに生きようではないか。
心の根っこ
大きな木を移植して植えてみると大事に手入れをしていても枯らしてしまうことがあります。折角いい樹木が 見つかったと思ってみても長い間植わっていた土地と、新しい土地では樹木なりに微妙な変化を感じてしまい 生きながらえることが難しくなるらしいのです。 どれほどの水をあげればいいのかも大事で、勝手な思い込み は禁物なのでしょう。 夏だから水をいっぱいあげればいいという単純なものではありません。 それは季節にもよるし、その樹木自体 の保水力にもよるのでしょう。 結局のところ「木の声」を聞くしかない。 その樹木がどれほど水分を欲しがって いるのかを自分で感じ取らないことには、かえって水を上げ過ぎて根を腐らせてしまうことにもなりかねません。 面倒を看るとはこういうことなのでしょう。 過保護、過度の教育も子供の心の根を腐らせてしまうかもしれない。 良かれと思い、子供の将来を想い、勉学向上のため学習塾に入れることは、それだけで解決できるものではない のです。 その子の「心の根っこ」 がどこを向いているのか? 果たして水分を欲しているのか、いないのかを よく看ていかねば、無理の上に無理を上塗りしてしまうことにもなりかねません。 樹が枯れないように、そして子供の心が閉ざさないように、そこにあるものの声を自分の心で感じ取りたい。
泥臭く生きる
三十代には三十代の空手があるように、四十代には四十代の空手がある。 そして五十代にも、それ相応の 空手人生がある。五十代の人が二十代の若者たちと同じ稽古を続けたとしたら、数日のうちに身体を壊してしまう でしょう。 という訳で、いつもここの稽古生には、如何に生きて行くのかが大事だと説明しています。 試合は二の次。 まずそれぞれの人生をまっとうに生きること。つまり家庭を大事にして、仕事でも手を抜かず、前を向いて生きる活き方 それが大事なのだと伝えて来ました。 そんな中で続ける極真空手を通して健康な身体を手にして、精神的にも健康な 人がこの空手クラブに増えていくこと、これが大事だと考えています。 ですから短期的に無理をして身体を壊したり、 怪我で仕事に影響が出るようであれば、それは本末転倒です。 求めるものは健康と、より素晴らしい充実した人生を 送る為の空手であって欲しいと思うのです。 しかし、そうは言えども極真空手は同好会的なものではなく、余暇を楽しむ スポーツとは一線を画しています。 つまり、苦しさや、辛さ、痛みと言うものがついて回るものであり厳しさを伴うものなの です。 ですから出来るだけその人のレベルにあったものを提供しようと思い、皆さんに無理をさせない内容の稽古も考え たりもしています。 そして、その極真空手の稽古の中から、苦難を乗り越えて行くのはご自身であり、自分を向上させて 行こうとする意識もご本人になければ続くものではありません。 社会人として空手を続けて行くことの難しさは自分自身 が経験してきたこと。 ですから、ある意味、誰よりも、その難しさは理解出来ます。 仕事に追われ、また 家庭のこと、子供の進学と教育のことで休日も返上するのが一般的な社会人であり、総じて三十代、四十代は空手どころ では無ったというのが正直な気持ちです。 疲れて帰ってくれば一杯飲んでくつろぎたい、やっととれた休日は休みたい、 何で好き好んで、あえて痛い思いをしなければならないのか? と考えるのは、むしろ一般的な価値観でしょう。 しかし、 それでも、あえて仕事の合間を縫うようにコツコツと稽古に励む人を見ると心の底から敬意を称したくなったものです。 そして子供達の為に身をもって我が背中を見せて、生き様を見せる姿には心打たれるものがあり、それこそが真の 教育だと思うのです。 それでも尚、何の為に空手を習うんですか? との問い掛けに「ただ強く成りたいから」 と 男としてのやんちゃな心を忘れないオヤジさんたちに出くわすと、我ら、オヤジたちの人生も決して満更ではないぞ と愉快になり、一杯飲んで夜を明かしたくなるのです。 三十代以上の空手家に、そういう生き方があってもいい のではないかと勝手に思っています。 男なんだから決して男の本分を忘れまじ。 男なんだからやんちゃな人生を送るもよし。 男なんだから何事も一所懸命に生きるべし。 さあ、男なんだからズルをしないで泥臭く生きてみようじゃないか。 勇敢であれ! 明日は我らのためにあるんだ!
医学部 その15
長男が医学部に入ってからのことをブログに書いてきました。その医学部に関わるブログも、今回で15回目。 長男が医学部3年生の時に留年が決まった暗黒の3月17日から2年が経ちました。私立の医学部の授業料は 年間500万円ほど。 なので私立の医学部では浪人よりも留年は避けて欲しいというのが親の本音です。 そんな暗黒の日からもう2年が過ぎました。 早や2年なのか、もう2年なのか。 親からすると年月が経つ というのは、何と遅々たる動きの中にあるものかというのが実感です。 そして、今日が5年生への進級が決まる 発表の日でした。 今日のこの日は本人よりも親が気にしていたのではないかと思います。 そんな土曜の昼。 ちょうど先ほど長男から簡単なメールがありました。 「進級したよ」 なんとそっけない簡単なメールだこと。 でも正直言って嬉しい。 4年次は追試もなかったので単位は一つも落とさずに来たとは言えども、進級発表までは 心が落ち着かず、そわそわしていたのです。 あぁ、 やっと5年生かぁ。 そういえば空手クラブの小学4年生達も5年生になるんだ。 この子たちが6年を卒業するころに、うちの長男も 医学部6年生を無事に卒業し、2月の医師国家試験を終えてもらえたら、ようやく我が家にも春が来るというもの。 あと2年。 指折り数える心境とはこういうものか。 息子を医者にするために小学校4年生から学業と極真空手を 両立させ、これでまる14年。あっという間の出来事でした。 さあ、あと2年。 第四コーナーを周った直線まできた からには、やるっきゃないでしょ。 小学5年生になる子供たちと一緒に2016年の卒業式を無事に迎えられるよう 頑張ってもらいたい。 今日のうららかな天気の日が2年後にも訪れますように!
一歩前へ
サッカーの試合を見ていて思うことがある。それは強いと前評判の高いチームが勝つとは限らないということ。 それと、素晴らしいオールスターを集めたチームが勝つとも限らない。 最後に勝つのは、我々は出来るんだと 考えているチームが勝つのだ。 力の差なんて極わずか。 それより大きいものは心。 大胆な心を用意して いるかどうかだ。 相手をも飲みこんでしまう度胸があるかどうかなのだ。 相手がこう来たらどうしようか、 こっちがこうなったらどうしよう。などと考えてる暇はない。 世の中を見てみろ。 最後まで成功したいと思い 続けている人が成功してるじゃないか。 同じことだよ。 俺たちには出来る。必ず出来る。そんな予感がする。 そんなチームに負ける要素は微塵もない。 あきらめるな! 勇敢に挑め! 全てはあとからついてくる。 我々は誰かが成し遂げたことを見届けるために生きているんじゃない。 自分たちで、これから新たなものを 成し遂げる為に生きているんだ。 目を星に向けて大地を踏みしめるんだ。 歴史は読むためにあるんじゃない。 創るためにあるんだ。 歴史に楔を入れろ。 純白のキャンバスに力強くイニシャルを刻むんだ。それが人生だ。 それが楽しいのさ。 自分の夢の実現を信じよう。 さあ、一歩前へ。 その積極性で世界が変わるはずさ。
小学校中退
今どき、小学校4年生で学校を中退する人はいない。 それも米相場に父親が手を出して家と土地を売りに出して しまうなど耳にしたことがない。 小学校2年生の時に、その父親が単身、田舎から都会に出て、小学校4年生の 秋に9歳で学校を辞めて、都会の火鉢屋で小僧として働いている子供は平成の世の中ではいないはず。その後 3か月ほどで自転車屋さんで働き、17歳までそこで働いた。その後セメント会社の運搬作業員を経て、電燈会社 で働くようになった方がいる。 その後22歳で結婚し、7年間で会社に辞表を出し、24歳で自分の会社を創った。 今、その人の奥さんが書いた自伝を読んでいます。 井植むめのさんと言います。のちの松下むめの。幸之助さん の奥様です。 経営の神様のことは多くの方が知っておられます。 しかし奥様のことは、あまり知られてません。 この方あっての幸之助様。 明るくおおらかな人。 明治の人。 素晴らしい心を持った人でした。 その方の兄弟が創った会社が三洋電機。 すごい家族、親せき一同です。 「難儀もまた楽し」 ・・・ 松下むめの これを読みながら「夢を育てる」 ・・・ 松下幸之助 を読んでいます。 同時に読んでいるとお二人の様子がうかがえる。 今から100年ほど前のご結婚。 幸之助さんが生まれて今年で120年。 その記念に出されたこの本を大事に読ませて 頂きました。 過去の記憶をたどり、それぞれの未来の記憶を頭と心に鮮明に描いて来た生きざまを参考に自分の歩みを 進めて行こうと思った次第です。 何を考えているか、何を知っているか、そして何を信じているかなどどうでもいい。 大事なのはこれから何をするかなのだ。 トップであるか、ビリであるかは関係ない。 それが自分の道であるのかが大事。 当たり前のことを、バカみたいにちゃんとやって活きてやろうじゃないか。 その一手、その一歩から人生は始まるんだ。