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32億6000万年前に南アフリカの海に衝突した巨大隕石は直径50kmほどもあり、海底を変形させ地震波と 津波を発生させました。 この衝突エネルギーで海洋の表面は沸騰し、高さ数千メートルの津波が海洋全体に 広がったようです。 地球は長い目で見ると大変スケールの大きな出来事を経験していました。 46億年も生きている地球を1年というスパンで描いてみると、32億年前というのは、ちょうど4月22日ころのこと。 まだ春先のことでした。 そこから夏と秋が過ぎて年末の大みそかを迎える。 そんなことを以前も、このブログで 書いてました。 人間がチンパンジーから分かれたのは500万年ほど前のこと。 地球の1年年表では大みそかの 午前10時頃。 ホモサピエンスになったのは20万年前だから、大みそかの午後11時37分。  ガキの使いやあらへんでが、そろそろ終わろうとするころですから、山崎こと月亭邦正が蝶野にビンタをされた頃か。 11時59分43秒ころにエジプトのギザにピラミッドが出来、キリストが生まれたのが大みそかの午後11時59分46秒。  20世紀が終わったのが11時59分59秒。  以前、ここまで書きました。  ではこの先どうなるのでしょう。 今から5000年後の地球はどうなってるのでしょう。 地球の年表では元旦の出来事。 1月1日の午前0時0分 30秒のころ。 まだ、ガキの使いが終わってないころ。 地球は環境破壊と氷河期に入るので 人類は地上に居ません。 1月1日の午前10時ころになるのは、今から500万年後のこと。 完璧な氷河期で生きるもの は居なくなると言われてます。 だからNASAは地球の外に場所を求めていると言えます。 人類が地球で生きるのは たかだか午後11時37分から24分間。 そして他の星に生きようとする。 そんな生き物です。 昭和45年9月に大阪で開かれた万博の跡地の地下15メートルにタイムカプセルが埋設されました。 5000年後の 人類に1970年の生活状態、文化状態を伝えようとしたものです。 当時の科学者の英知を集めた2098点の品物と 記録が2つのタイムカプセル収められたのです。 そのうちの一つは平成12年に一度開封され、収納品の変化が チックされました。もう一つは、そのまま5000年後まで埋設されたままです。 さて、5000年後の地球はどうなって いるのでしょう。 松下幸之助さんは「このタイムカプセルは生きた歴史になる」と言っておられました。  しかしガキの使いが終わる午前0時半ころ。地球の年表上では人類はもう地球上には生きていないだろうと 言われてます。 しかし、人類は氷河期が終わる1月2日まで何らかの形で生きていて欲しい。  ガキの使いとタイムカプセルと氷河期を重ねて見ていると人類の進歩が急で、自動運転の車が出だすであろう 近未来が、もうすぐそこにある理由が、なんとなく分かったような気がします。

諦めが肝心かも知れないと唐突に思う。 誰もかれもが努力すれば夢が叶うものではないのだから。  たとえば、うら若き乙女の誰もがアイドルになる夢をみるように、若かりし男たちの誰もがメッシになれるもの ではない。 やりたいこととやれることは違うんだと思わねば。 夢も希望もないと思われるかもしれないけど これが人生だと思う。 夢に向かって大きな一歩を進める時には果敢に攻める姿勢は必要だ。 背中を押して あげることも悪くない。 でもその人が持って生まれた能力は、傍目から見た方がよく分かるはず。 夢が叶えられないのは努力が足らないからだ。ということもあるのだろう。確かにそういう場面もあるかもしれない。 しかし、努力という二文字でかたずけられない、能力や運命という言葉もついて回る。 バレーボール部に席を置き、センターとして活躍していても、これ以上無理だと諦めることもある。 自分がもし180cmを越えていたら絶対に負けやしないと思ってみてもしようがない。 ましてロシア人と 日本人の身体的な差を嘆いてみてもしようがない。  いくらジャンプしても限界がある。  自分には出来ないことがある。 それを受け入れなければならないこともある。 仕事を見ても同じこと。 メッシやネイマールは、やりたいことが仕事になっている。 そんな天職は稀だ。  野球選手が怪我で戦線離脱し、そのまま契約解除になることだってある。 プロ野球選手の奥さんになって 夢いっぱいの毎日。 そんな幸せの内に奥さんのお腹に子供まで授かったとしても、その事態は待ってくれない。  やりたいことが仕事になって、それも大金が20代の目の前を飛び交えば、夢は努力で叶うものだと思ってしまう。  しかし多くの場合、夢破れて現実の世界に立ち返ることになる。  自分がやりたい仕事は今の仕事ではない。 そんな落差のある毎日を身重の奥さんと過ごすことになる。  それも現実。 それが生きるということ。 そこから本当の人生が始める。  落差を受け入れない人は、いつまでもその夢を追い続けると聞く。 法学部を出て弁護士の夢を捨てきれず30歳 の大台を過ぎる人のなんと多いことか。 その落差を受け入れるのも、その落差に、もがき続けるのも人生。 それはその人がどのような人生を歩みたいのか、その価値観によって変わってきてしまう。 ただ言えることは 人生にラッキーはないということ。 ラッキーという錯覚の後には、その反動がついて回る。 そのラッキーが 大きければ大きいほど。そして、その期間が長ければ長いほどその反動は大きくうねって本人に帰ってきてしまう。  ラッキーほど怖いものはなく、人生に魔法などはない。   でも、そんなことは、今、我が世の春を謳歌している人の耳には角ばっていてスンナリ入るものではない。  当選した当時、「不正経理を暴く」と豪語していた方が県議の地位を悪用し自身が不正経理に身を染め、 その挙句に職を辞した経緯を観ていると、あらためてラッキー橋は渡ってはならないものと思えてならない。  落差を受け入れず、見果てぬ夢を追い続けることも人生。 人間には様々な姿があっていい。   恵まれた人生は結構なこと。 されど恵まれない人生もまた結構だ。  たとえどんな境遇であろうと、心を軽く持てば、そこから人生が開けてくるに違いない。 さあ、そんな明日を楽しむ事が出来るだろうか。

この先、君には様々な試練があるだろう。 辛くて、苦しくて、逃げたくなる時が来るかもしれない。 でも思い出して欲しい。 君には、一緒に汗を流した素晴らしい時間があったことを。 失敗を怖れず、チャレンジすればいい。 精一杯努力して、その挙句の失敗なら、どってことない。  たかが人生、何が起こってもいいじゃないか。  でもね、世間を甘く見ちゃいけない。 地に足をつけて一歩づつ自分の足で歩くんだ。  明日への扉は自動ドアなんかじゃない。 明日を信じて自分の手で開けるんだ。 さあ、君の番だよ。   なんだよ、一歩が出せないって。 そうか、しようがない。 ならこんな話を君に聞かせてあげよう。  今となっては、もう昔のこと。   当時の恋人だった女性に沸騰したコーンの鍋を熱湯ごと入浴中に浴びせられ、そのあと彼女が男の銃を使って 自殺するという惨事に遭遇する。 その事件のあと、彼は牧師になり、教会を持ち「信仰についての歌」を歌い始めた。  2台のピアノのイントロから始まると、一瞬にして霧が晴れ、視界がひらける。 すべての罪が舞い上げられる。  64歳になった彼は現在でも牧師であり、生来の信条を変えることなく、信ずべきを信じ、歩むべきを歩んだ人生を 歩んでいる。 明日を信じて。            さあ、そろそろ君の番だ。 貧困は辛い。 不況も辛い。 眠れないのも辛いもんさ。 しかし不足を言っても仕方がない。 不遇を嘆いてもどうなるものでもない。 それなら今の境遇を楽しむ方がいいじゃないか。 こうでないといけないなんて ありゃしない。 こうあるべきだなんてくそくらえだ。 不況もまた結構。 苦境も知恵を絞り出してくれる。 高みにばかり目が行くのではなく自分の足元をしっかりみながら努力をしていける人。 大地にしっかり根を張った 人であって欲しい。 君には才能がある。才能とは努力する力を持っていることさ。 さあ一歩前へ出ようじゃないか。 "BELLE"   AL GREEN Belle, the Lord and I've been friends for a mighty long time. Belle, leaving Him has never ever really crossed my mind. Let me say this one thing, I'd never go so far , 'Cause it's Him no matter

「朝っぱらから 仕事に出かけ 悪魔のように金儲け。」   「男と争い 子どもを育て 私は死ぬまで汗まみれ。」 「なのに一日中 ごろんごろんと お空じゃ お天道さん。」    「上の方からじゃ 見えないのかな 私の涙なんて。」 たまにR&Bを聞きたくなる時がある。 もうずいぶん前からオーティス・レディングやアル・グリーン、レイ・チャールズ など聞いてきたし、もちろんビートルズよりもローリング・ストーンズやツェッぺリンを聴いた時期もある。 日本では 憂歌団くらいだった。 でも、この歌だけはアメリカのアレッサ・フランクリンやルイ・アームストロングなんかよりも 大西ゆかりがいい。 大阪の通天閣が良く似合う彼女の声がいい。 予備校に通っていたころから聞き出したR&B。  気持ちが落ち込んだ時に傷を嘗めるように聴いていた。  久しぶりに聞きたくなった。  どってことはない。 ただ聞きたくなっただけさ。 "That lucky old sun "  大西ゆかり の声を。 明るいところばかりにいるとたまに暗さが欲しくなる。  10代、20代の頃のように。 単身赴任をしていたのは梅田。東通商店街を抜けて天神橋筋商店街。 懐かしいワンルームがある。 せっかく大阪に居たのに通天閣には行ったことがないなんて。 そのうち・そのうちで、もう10年。 大阪はR&Bがよく似合う。 プカプカみたいに泥臭く活きる人の街。 そんな味のある街が嫌いじゃない。

「ドイツW杯初戦のオーストラリア戦は試合終了まで残り8分となり、1-0で勝っていた。しかし、1点を取られたら 立て続けに3失点してしまった。失点すると精神的に浮き足立ってしまう。これが日本の欠点だ.。 きっと国民性 なのだと思う」-2006年のジーコのコメント。本当にそうだろうか?ザックジャパンはそれで負けたのだろうか?     地球は自転していて、その上に暮らす私たちは地球の重力によって回転運動をさせられている。つまり外力がある。   北半球では物が北(赤道から北極)へ向かうと東へ、東へ向かうと南へ、南(北極から赤道)に向かうと西へ、   西に向かうと北極方向へずれる。 つまり右へ右へと力を受けることになる。 南半球の力は物体を進行方向に 対して左にそらす力となり北半球と逆向きになる。 この力は物体の速度が大きく運動している時間が長いほど   大きな影響を受けるので日常の生活ではその力の存在は分かりにくい。 風呂桶に溜めた水や車を走らせた程度の   影響は非常に小さく、実質感じ取ることはできないでしょう。 しかし北半球で暮らしていると、太陽は西へ進んでいく。 逆に南半球の南極上空から地球を見ると右向きに回転している。  北半球の竜巻でも右巻きのものが観測されることはある。 せいぜい数キロメートル程度の気象現象なのだから   この力の原理に逆らうことはあるのでしょう。 南半球で三日月を見る時は、北に向かって立っている事が多く   右が東、左が西になる。 日時計の数字は反時計回りの左回りで8~12、1~4と並んでいる。   そんな南半球の力がどれほどブラジルのワールドカップに影響したかはわからない。 しかし6チーム中5チーム   が残った南米チームには確かに地の利があったのだろうし、優勝候補のスペイン、ポルトガル、イングランド、イタリア   があっさり負けてしまった結果を観ると、このコリオリの力が微妙な変化をもたらしたのではないかと思えてならない。     微妙な力で左右されるワールドカップの勝敗は運がある、ない、と簡単にかたずけるのではなく、はたまた精神的要素   が大きいと言い切るのでもなく、究極のアナログ的要素を膨大なデジタルデータを基に物理的に着地点を予測して   もらいたい。 スーパーコンピューター「京」が、ビッグデータ解析に関係するスパコンランキング「グラフ500」で   世界1位になったと6月24日に理化学研究所が発表したのだから、それをサッカーの勝敗予測に使ったとしたら   サッカーくじが破たんしてもおかしくはない。

自分のいるところ、それを明らかに知ることが次に踏み出す大事な事かもしれない。 自分をここに運んで きたものは、自分自身が意識して、そうしたものではなく、他人が無理にそうしたものでもない。  大きな自然の中で戯れるモンシロチョウのように、まるで時の流れに漂わされてきた一人の漂流者。  しかし、自分が今いる場所には偶然か、はたまた天意がそうさせたのか、夏の太陽に大輪の花を開花させ ようとする陽の気が充満していたとしたら、この居場所に潜むそうした生命力を目にしたり、匂いを嗅いだり、 そして体の中の血が騒ぐこともあるだろう。 自分の五感がうずいて居てもたってもいられなくなるだろう。 もし、その気や流れを、感じ取ることが出来たとすれば、あとは天に任せて生きていけばいい。  いつの時代でも必ず人の中に人が居る。 有能な人は人の中に埋もれている。 しかし悲しいかな、それを 見出す人が少なくそれを持ちうる組織が弱体化し有能もみな無能に帰してしまうこともある。  10年語り合っても理解しえない人と人。 そして一時の宴の間に100年の友となる人と人もある。  生きていると、いろんなことに出くわして、様々な事象に巻き込まれてしまう。 デンマークにいたドイツ人がビール瓶に葉書を入れて海に流したのが1913年5月17日のこと。  「この瓶の発見者はこの葉書を同封の切手を使用して差出人のベルリンの自宅に送ることを望んでいる」と。  1913年の翌年、1914年8月に第一次世界大戦が勃発し1920年までドイツは戦争。 このビール瓶は その後、第二次世界大戦も生き延びて、ドイツのキール近郊の海の底を漂っていたところ、漁師の網に かかって長い旅を終えることになる。そして親族で唯一生き残っていた孫娘は60歳を超えていた。  その孫娘は101年前のビール瓶を、涙を流して受け取ったらしい。    それぞれの行為が今は意味のない事でも、やがて、その意味を成すことがある。  どんな些細なことでも、それが意味を成す日がきっと来る。  ある人に巡り合う為に彷徨い、またある人はその人に出会う為にじっと陽の目を待っている。 そんな縁を見逃さず生きて行きたい。 もしかしたら明日にもそんな縁に出会うかもしれないのだから。 

二年ほど世の中に飢饉が続いたとしたら日本はどうなるのだろう? 春夏の日照り・干ばつ、秋冬の大嵐・洪水など 悪天候が続いて五穀がことごとく実らなかったとしたらどうなるのだろう? ある者は地元を捨て、地域を離れて、また ある者は自分の家を忘れ、山の中に住むことだろう。 そしてさまざまな祈祷もはじめられても、その兆候も出ないのだ。 京都では田舎の産物をたのみにしているのに、それもすっかり絶えてしまうことになる。やがて京都に行く者もなくなり 食料が欠乏してきると取り澄まして生活することはできなくなってしまう。 耐え切れなくなって、さまざまな財産を片っ端 から捨てるように売ろうとするが、てんで興味を示す人もいない。 稀に売れたとしても金の価値は軽く、粟は重く評価 される。 次第に物乞いが道ばたに多く出没し、憂い悲しむ声は耳にあふれてくる。 前の年はこのようにしてようやく のことで暮れていく。 翌年こそは立ち直るはずと期待したのだが、運悪く疫病が発生し蔓延してくると、事態は一層 酷くなる一方で混乱を極めことになる。 世間の人々が日毎に飢えて困窮し、死んでいく有様は、さながら池の水の ひからびていく中の魚のようである。 終いにはそこそこの、いで立ちをしている者も、ひたすらに家ごとに物乞いをして 歩くようになる。 衰弱しきってしまった者は、歩いているかと思うまに路傍に倒れ伏しているという有様。 屋敷の土塀の 脇や、道ばたに飢えて死んだ者は数えきれない。 遺体を埋葬処理することもできないまま、鼻をつく臭気はあたりに 満ち、腐敗してその姿を変えていく様子は見るに耐えない。 鴨の河原などには、打ち捨てられた遺体で車が行き交う 道もないほどになる。 やがて山の民も力がつきて、薪にさえも乏しくなってしまったので、頼る人もいない者は自分の 家を打ち壊して市場に出して売るようになるが、一人が持ち出して売った対価は、それでも一日の命を保つのにも足りない ほどである。 悲しいことには、こういった薪のなかには、丹塗りの赤色や、金や銀の箔が所々に付いているのが見られる 木っ端が交じっていることだ。 これを問い糺すと、困窮した者が古寺に忍び込んで仏像を盗みだし、お堂の中のものを 壊しているという。 濁り切った世界に生まれあわせ、こんな憂き目をみるはめになったことは悲しいことだとも思うだろう。 また、愛する相手をもつ男女が、その想う心が深い方が必ず先に死ぬようになる。 それは自分のことを後にして、男であれ 女であれ、ごくまれに手に入れた食べ物を、思う相手に譲ってしまうからである。 従って親と子供では決まって、親が先に 死ぬ。 また母親が死んでしまっているのに、それとも分からない子供が母親の乳房に吸いつくこともある。 仁和寺の偉い 僧侶が、このように人々が死んで行く様を悲しんで、若い僧侶たちを大勢使って、死体を見る度に、その額に成仏できるよう にと「阿」の字を書いて仏縁を結ばせることを行ったりもする。 死者の数を知るために二カ月間、その数を数えてみると京都 の南北は一条から九条。東西は京極から朱雀大路の間だけでも路傍にあった死体の数は計4万2300人ほどとなる。  ましてやその前後に死んだ者も多く、鴨川の河原や、白川、西の京、その他の周辺地域を加えて言うと際限がない。 これは実話である。 今から833年も以前のこと。 京の都で起こった本当の話です。 飢えて骨と皮だけになった人が 二か月で4万人を超えていたという、今から想像も出来ない飢饉の有様が克明に記されていました。  これは単に随筆の中のことと思って居ましたが、今の世の中でも餓死はある。 身勝手な親が大切な子供の命を 弄んだ犯行である。 この卑劣な男にどれ程の因果応報が待ち受けるというのだろうか?   「このままでは死なせてしまう」と思ったが、病院に連れて行けば育児放棄が発覚する。 そのために子を放置する ことにしたという。 自分で立ち上がれず食事として置いてあったパンの袋も開けられず、か細い声で「パパ」と呼び 続けていた。 容疑者は家に居るのが怖くなり帰宅して1時間もしないうちに再び家を出た。一週間後に家に戻ると 子供は冷たくなっていた。 2014年6月10日の社会面にひっそりとその記事は書かれていた。 その子の名前は 斎藤理玖君。 2006年に亡くなった当時わずか5歳の幼児。 多くの人が亡くなった1181年の京都とは訳が違う。 多くの人が飽食の中に暮らす平成の世の中に、このような卑劣な親が居たことに深い憤りを感じずにはいられない。

日本はつくづく住みよい、いい国だと外国の人はいいます。 タクシー乗務員やコンビニ店員   の応対一つとっても相手への思いやりがうかがえるというのです。 こんな国は多くはないとも。    まるでディズニーランドのスタッフの応対のように教育が行き届いているように思うようです。    特にアジアの人には、そのような 国に映るらしい。     「次に会うのは死んでからだよ」とラインを送ったのは今年の1月8日に自殺した”かげっち”   という長崎の中学3年生。 先週5月28日に教育委員会の記者会見が行われ「悪口など   一つ一つの事案はいじめと認められるが、自殺の原因とは断定できない」という発言が   公になりました。 元々、期待することは難しい。 それが日本の教育現場。 先生方は   問題が公になって大きな問題になればなるほど保身を貫き、事の本質から目を叛けた   ような発言、応対になる。 そういう事がまた長崎で公になりました。    昨年5月17日、教育委員会は当時担任だった男性教諭に対して「教員としての職務上の   義務を怠り、教育公務員としての信用を著しく失墜させた」として減給1/10 1ヶ月間の処分   を下した。その教諭はすでに昨年3月より職場復帰しているが、いまだに遺族には説明や   謝罪を行っていないという。     これが平成23年10月11日に大津市皇子山中学校の当時2年生の男子生徒がいじめを   苦に自殺をするに至った事件の処罰です。将来有る子供の命がなくなったというのに   その担任と校長は監督責任があるということで減給10%。それも1か月の間だけ。   そしてその担任は1年半が経って職場復帰したという。この両親に謝罪にも行かずに   職場復帰とは如何なものか。 今回の長崎の件は、学校行事でもリーダー的な存在だった   目立つ男子生徒がその的になっていました。そしてまた、みんな見ぬふり。自分が嫌われ   たくないし、いじめの対象になりたくないから、その人を見殺しにする。そんな心の弱さが   一人の命をこの世から追いやってしまったということです。   学校の先生方は何を診ていたのだろう。 これが日本人なんだろうか?    日本は素晴らしいのだろうか?      私はこの空手クラブで子供達には厳しく指導しています。これは以前も今もまったく   変わらない事。 帯が上になれば上の帯の子供には、より厳しく接する。上の帯の   子供は強くなければならないから当たり前です。 強いとは腕力が強いということでは   なくて心が強いという事。   この空手クラブではこの心を強くすることを第一義に置いて指導しています。ですから   心を込めて稽古をしなかったり、黒目真ん中で先生の話を聞いていなかったりしたらば   子供達を練習場所からつまみ出します。「目を覚ましなさい。」とこちらも真剣です。   手抜きをすることは出来ません。スパーリングが怖くて逃げだす子供にも、その背中を   押して怖さと痛さに向かわせます。 子供たちは、その時は泣きべそをかいても、それを   乗り越えれば、お兄ちゃん、お姉ちゃんになっていくのです。 心を鍛えるとはそういうもの   だと捉えています。上の帯の子供達にはより厳しく指導します。そして下の帯の子供には   優しくしなさい、と常々言って聞かせています。お天道さんに恥じない生き方をして欲しい。   人を助ける人間になって欲しい。 いつもそんな気持ちで子どもたちを診ています。   ですから単に空手の型を学ばせたいとか、武道をかじらせたいとかいうお話ならば、   他にも空手を学べる道場はやまほどあるとお伝えします。 私は心を込めて稽古をする   子供を育てます。ですから日頃から手抜きはさせません。そして下の帯の子供に優しく   接することができない子供も容赦しません。そんな道場であり続けようと思います。   外国の方に胸を張れるような人を育てたい。心があるという人を育てたい。そういうことを   大事にする道場でありたい。そういうことが結果として、いじめをしない人を育て、いじめの   環境に立ち向かって行く人を育むのではないかと思っています。

自分ではどうしようもない領域があるように思えてしようがないのです。 それはどの分野でも体験する日常の事。 たとえば、その筋書きをいじることが出来ないというような感覚の時もあります。 そんな時は流れに任せるしかない。 緊張して、焦って、あがけばあがくほど自分を見失ってしまいそうな時もある。 人前で話をするのが苦手で準備は すれども、あがってしまって頭が真っ白。 私の30歳台はそんな日の連続でした。 何度もそんな場面に直面し 自己嫌悪と情けなさと、たまに出くわす、ちょっとした成功が入り乱れた日々。 それは仕事と家庭と子供の育児 とがギュウギュウ詰めにされた日々でした。 それしかない精一杯の日々でした。 余裕がすべてにない毎日。 そして夜更かしと朝駆けでも何とか誤魔化しながら生きているという日々。でもそんな中でもふと気が付くと、 いつの間にか長いトンネルの出口が見えていたようで、何事も失敗の繰り返しから逃げないでいたら、知らぬ間に いくつもの峠を越えていました。 今思えば、あっという間の30歳台でした。 いつしか話下手だった自分が、人前で しゃべりたくてしようがない性格に変貌していたことにも気が付きました。 先天的な性格はいくらでも変えられるのだ とその時、実感しました。 粘土をこねて創るようなもので何度もやり直しているうちに、それ相応のものが出来るように なっていて炉の温度や雰囲気も自分なりにわかるようになってくる。 克服するというようなものではなく、やり込んでいくと それが出来るようになっていた。 峠は越えられるというか、そこに意志がある限り、ごく自然なものとして何とかなるの だろうと、何だかそんな風に捉えています。 しかし、その中でも自分ではどうしようもないものがある。 いくら頑張っても 出来ないものと言えばいいのだろうか。 たとえば実力があっても勝てないサッカーの試合。 冬のスケートのショートトラック 競技でトップ争いをしてる集団がみんな転倒している間に、一番後方に居た選手がゴールに入る場面。  偏差値では間違いなしと言われていた学校に落ちることも。 そんな時にどう挑めばいいのでしょう。  トップ争いをしていたショートトラックの選手はどうすべきだったのでしょう。  重圧のかかる大勝負にどう挑めばいいのでしょう。 超一流企業の新卒採用、最終社長面接。 胸は張り裂けんばかりでしょう。 どうしたらいいというのでしょうか。  手には汗をかき、周りの人が自分よりも素晴らしく見える時。 いったいどうすればいいのでしょう。  それには答えが一つだけあります。 誰かが、そっと耳元でささやいてあげればいい。 「もう結果は決まってるから」と。  自分の出せる力は決まっている。 だから、その先は運を天に任せるしかないのだと。  WHISPER WORD OF WISDOM   "LET IT BE"   「あるがままを あるがままに 全てを受け入れるのです」  メアリー・マッカートニー 45年前の言葉です。 

気が付けば、今年も1/3が過ぎていた。 庭の木香バラの黄色い花は咲いたと思ったら、もう散り出していた。 桜が咲いたのは、もうずいぶん前の事のようだ。 1年365日の1日1日が大切な宝の山であるはずなのに 私は小判の前の猫のようであり、真珠を与えられた豚のように無駄に時を浪費してきてしまったように思える。 それでも、そんな時の価値を忘れた放蕩息子にも宇宙は、一向に惜しまず、また浪費をとがめず、新たな年を また与えてくれる。 そして、春には桜を咲かせてくれる。  人に会うのも、これが最後と思えば、言葉も動作もよくなるものを、、、。 私は何をしてきたのだろう。 この一食で最後だと思えば、梅干しとごはんでも味わい深いものだと感じるものを、、、。 1日1日を大切に生きねば。 大切な、そして平凡な生き方に感謝しなければ。  何不自由ない時が続くと、そんな宝をも忘れて日々を惰性で送ってしまう自分がいる。  私の身体に血液が流れているのは知っている。 しかし、それは当然だと思っている。 当たり前だと、、。 さっき夕食で食べた物が消化され、それが栄養となり身体の隅々まで行き渡ってくれている。当たり前、、。 しかし私の知らないうちに胃や腸、すい臓、肝臓、腎臓は全力を挙げて懸命に働いてくれていることには気が 回らない。 そこまで暇ではないのだからしようがない。 そんなことを思う横柄な自分がいつも顔を出す。  自分の身体なんだから何とかなるだろうという気持ちで蓋をしてしまう毎日。 ずーっとそうしてきたのだから。 「これで絶対大丈夫なんだ」と言いきかせている自分がいる。 自分の身体は自分のものだから何とかなると 粗末に扱ってしまう。 しかし病気になりたくない時に病気になるし、下痢をしたくない時に限って下痢をする。  咳き込みたくない時に必ず咳がでてしまう。 そして死にたくない時に死ぬだろう。  だから、そういう意味からも自分の身体は自分のものではない。 いわば借り物の身体なのに不平・不満 を並べてしまう。 誰でも、いつかは、お返ししなければならないこの身体。 よもやそのことを忘れてはなるまい。  そういう生き方を毎日送らねば。 一期一会を大切に毎日を送らねば。 そんなことを思いながら、この四か月を 振り返ってみると、それはひいき目に見ても、やはりまるで猫に小判の生き方に近いものでしかない。  今日、5月11日は「母の日」。 この身体を生んでくれた母を思う日。 宝塚で一人でいる母。 そんな母に感謝 している。 今日、電話してみよう。 川口の実家から関西に移ってもう長い。 川口を思い出す懐かしい思い出話 がいいかな。 生きている母にただ「ありがとう」を伝えてみよう。 今年7月には81歳になる母。 生きているうちに 何度も「ありがとう」と伝えたい。 ぶっきらぼうで扱いにくい子供であっただけに猶更だ。 今日の母の日、空手クラブの子供たちの「お母さん、ありがとう」をどれくらい聞けるだろう?  10年経っても20年、30年経っても、何年経っても母を大切に思う子供であって欲しい。 そして素直な心を忘れない子供であって欲しいと、一人一人の顔を思い浮かべながら願うばかり。  私もそんな子供たちの心のように素直に活きてみようか。 あらたむるに遅きことなし。なのだから。

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