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懐かしい方のお名前を2月25日の紙面で見かけた。 クイズダービーのあの人だ。 懐かしいじゃないか。 そんな軽い気持ちしかなかった。 しかし読んで行くにつれ、目が離せなくなった自分がいた。 80歳を迎え重い病を抱えていても、心は折れていない人。 そんな強い人だったんだと しみじみ感じ入る自分がいた。  たまにひょうきんなことを言ったり、「ゆかい、ゆかい」と頭がいいのか、わるいのか何だか わからない変わった先生がいるもんだなどと昔は見ていた。 その方が当時、前妻を 交通事故で亡くし、ご長男も部活の合宿で失くされていたとは。 まったく思いもよらなかった。  その方の連載記事が3月2日まで続くという。 全6回らしい。 今、重い病の中書かれた 「患者を生きる」を最後まで読んでみたい。そんな思いでいる。 そしてその方の生きざまを 感じてみたい。  日曜までの連載か。 あと少しなんだ。 心待ちにする連載や小説は あっけなく終わってしまう。 これがいつも寂しい。 雑多な文字の氾濫。スマホの表面的な 記事の羅列では心が疼かない。 ましてや今日の自分を大切に生きようなんて思いを馳せる ものなどには出くわすことは稀だ。  心が欲すると何事も疲れやしないんだから。 そう思いながら、そんな文字を目で追っている。  この教授の生き方に刺激を受けた我は、今をしっかり活きてみようと思うばかりなり。

1万パーセント以上の思いでその日のために準備してきた人。 その人を1万パーセント%以上の思いで 勝たせてあげたいと思うサポーターを一人でも多く抱えている人。  消しゴムが使えない一発勝負に 精神的に耐えられる人。  出される課題1ページ1ページにストーリーを仕上げられる人。  100点満点 のための準備では終わらず、テスト範囲以上の事を学びいつでも全ての課題にどんな角度からでも答え られる準備をしてきた人。  そして、そのテストを受けられることが心から楽しいと言える人。 オリンピックの晴れ舞台はそんな人たちの試験場だ。  番狂わせや、実力をそのまま出す人の実地試験場。 そんな今を生きる人たちの臨場感が堪らない。  本番に挑む顔がいい。 この先の自分を実感している ような番狂わせ野郎の顔がいい。  今を活きるとはそういうことなんだろう。そんなことを考えながら我は 今日も活きている。  さあ、君もそんなワクワク感の中で一緒に生きてみないか?

たとえば試合に出るとしよう。 体調が万全でなく、怪我により稽古もままならず、とても試合どころでは 無かったとしても、一切の言い訳をせず、色んなものを背負いながら、その場に挑むことが出来るだろうか?  逆に言うと、そのような試練を自分に与え、それをまっとうすることで魂の浄化を図るとでも言った方が いいかもしれない。 その魂の次元を一段でも上げて行くために、それぞれの試練の意義があるのだろう。 試合の後でも言い訳をせず、勝って驕らず負けて腐らずという姿勢を貫くことも忘れてはならない。 つまり、こうした一貫した姿勢を養うことが、実は心の練磨であり、そういう心の成就をこの道場では 目指している。 どんな局面においても「折れない心を創る」、または「言い訳をしない生き方」 をまっとうするのだ。勝敗は二の次で良し。そうでなければ心の成長には行き着きそうもない。 努力に対する最も価値ある宝は、努力の末の成果ではなくその過程で創られる我々自身の姿そのもの。 挫折と敗北、どん底の経験から学ぶものがある。人の失敗こそ、その人の人生を輝かせる第一歩なのだ。  今は出来なくても、いつかは必ず出来る。どんな道でもチャンピオンは、その肉体で勝ち取れるのではなく その人の精神力によって創り上げられるのだ。 たかが人生。何が起こったっていいじゃないか。 そう思わねば思い切ったことは出来ないはずさ。 人生、どん底から這い上がる時が面白いんだ。 そう思わねばやってられない。

好きな時に起きて、好きな時に音楽を聴いて、そして好きな時にご飯を食べる。 好きな時に眠りを むさぼり、好きな時に好きな場所に行ける。 やろうと思えば何だって出来る。 何て幸せなのだろう。 くだらないことだと思うかもしれない、こんな話を冷めた思いで眺めている人もいるかもしれない。  いつの日か輝こうとしている人の耳には左から入り右に抜けてしまう言葉。  何の役にも立たない言葉なのだろう。 真夏の夜空のことを真冬に語っても、心にしみわたるはずもない。 でもいつの日にか分かる日が 来るはずさ。 もう二度と戻らない日々を走り続けている君達にもいつの日か。 夕暮れ過ぎた街角の交通事故。 瀕死の状態で担ぎ込まれる姿。 何人もの尊い命があっけなく 散ってしまうことかと思う。 中には息も絶え絶え、まだ生きている。そんな姿にも出くわすこともある。 そんな時にいつも思う。 満足な肉体を持って、普通に生きていることの有難さを。 あっという間に姿を 消してしまった若者たちに、五体不満足な身体でも生きたいかと問えば、どんな答えが返って くるのだろう。 やり残したこと、約束していたこと、目指していたこと。 親に伝えきれずにいた思い。 数えだしたら限はないだろう。 ならば、そういうことが実現できるとしたら、五体不満足であっても 生きて行けるのならば、持てるものを活かして精一杯生きてみたいと思うのではないだろうか。  そしてもし出直せるなら、危険があるから、リスクが高いから、怖いから、度胸がないから、諦めるような  そんな生き方はするはずもない。  うまくいくかわからないけどやってみよう。 一度失くした命だと 思えば、それくらいのことはやってのけるのではないだろうか? 今、満足な肉体を持って生きている者にとって、危険は避けたいもの。だからリスクがあるなら 諦めて安全を選ぶ。 でもそれは無念の思いで命をなくしてしまった人たちに口がさけても言えない。  我の持てる力と思いとを思う存分ぶつけながら生きるとしか言えないじゃないか。 一生を感動の中に生きて、一生を燃焼していければそれでいいだろう。 ただ満足な身体があることがどれほど幸せな事かを忘れなければそれでいい。  そんな幸せの中に生きていることを決して忘れなければそれでいい。 何も悟れなくったって、それはそれでいいんだから。

過去は変えられやしない。 未来も、それほどあてにはなるものじゃない。 だから今を活きるしか ないだろう? そう思わないかい? 昨日のことにかまけて、今日を疎かにしてなるものか。  昔のことばっかり振り返って、未来が明るくなった人など聞いたこともない。  そこから一歩も前に進めないなんて、下りのエスカレーターに留まってしまっているのと同じだ。  全ての信号が青に変わるのをじっと待っているだけの人生かい? それじゃ、いつまで経っても前に進めやしない。 夢を次々と実現する人は、条件がすべて揃うまで事を先延ばしにしたり、問題や障害が消えて なくなるまで待ったりはしない。 恐怖心がなくなるまで待つこともない。 最初の一歩を踏み出せば、おのずと問題は解決し能力を発揮できるようになるんだからね。  死んだら葬儀屋さんも悲しむくらいに一生懸命に活きてみないか?  何事も、一度、心に決めたなら、やたらめったら方針を変えてはダメだ。 迷い続けているのなら、何のための決断だったのか?  決断したのなら、残された時間の全てを行動することに費やせばいいだけさ。  常に今を真剣に生きてベストを尽くさないと二度とチャンスなんてない。  チャンスは幸運なんかじゃない。 勇気のたまものなのさ。 人生は本番前のリハーサルなんかじゃない。 一発勝負の本番さ。 そんな大事な本番を思う存分楽しまない手はないだろう。

毎年、数千人もの天才が、自分にも、他人にも、その才能を見出される   ことなく死んでいく。人生に絶対確実なんてないんだ。ただ、チャンスが   あるだけなんだ。だからこれだと思えば貫き通すしかないじゃないか?    今から10年も20年も経つと、やったことより、やらなかった自分に失望   するんだから。    勇気とは恐怖に抵抗すること、そして恐怖を制御すること。だから恐怖が   ないっていう訳じゃないんだよ。   拮抗した勝負では諦めた方が負けるというだろう。   だからさ、明日をつかむのは諦めない人だけなんだよ。   本当に勝ちたいなら、最後の最後まで勝ちにこだわるしかないじゃないか。   ブレーキのこわれたシェルビー・スーパーカーズ・トゥアタラになって   カッ飛ぶしかないのさ。小型で高性能なヤツに変身すればいいのさ。   V型8気筒DOHC-6942cc、最高出力1350PS、最大トルク144.0kgfm   最高時速444kmでぶっ飛ばして来いよ。   自分がこれまで思い悩んだことなんて取るに足らないことさ。   その98パーセントが取り越し苦労だったって、あとで分かるはずさ。  さあ、やるしかないだろう? 一度しかない人生じゃないか。

1月18日と19日で人生が変わる人たちが大勢います。そのセンター試験は毎年の事。そしてこういう時に合わせる かのようにインフルエンザが流行り出します。しかし、これも毎年の事。 運がよかったのか悪かったのかは、 10年後に考えましょう。 この期に及んで、「落ちたらどうしよう」とは思わない方がいい。そんなことを思っている みすぼらしい顔では、縁起のいい神様は近づかないから。 どうせなら「何があってもあの大学に通るんだ。 それしか自分に残された道はない」と思った方が肝が座って集中出来るはず。 人生には嬉しいことも、二度と味わいたくもない苦い出来事もあります。  偶然そうなったものなのか、それともその方に取って、そうなることに理由があったのかは、誰も分かりません。 しかし、どんな結果でもそれを正面から腹を据えて受け入れ、その意味を見出し、自分の進むべき道を切り開いて 行けばいい。  「人生万事塞翁が馬」なのだから。  折角、生まれて来た人生、一度しかない人生。 そんな自分だけの毎日を楽しんで生きてみようではないか。  

You are what you eat.    You are what you see.    You are what you touch.     You are what you hear.   あなたは自分が食べたもの、見聞きしたもの、そして触れたもので   出来ています。だとすると何を見るのか、何を聞くのか、そして何を   食べるのかは選んだ方が賢明。 人間はカメレオンンなのだから。 

自分から逃げないで、しっかり自分の心を見据えて、勇気を持って前に歩を進めようとする人はどんな分野 であっても着実に成長出来る人だと思います。 努力をして結果が出ると、それが自信になることも 分かってくるはずですし、また努力をせずに結果が出るとおごりが生まれることも分かるはずです。 そしてまた努力もせず、結果もでないと後悔だけが心に残ることも分かっている人。そういう人は努力して 結果が出なくとも、経験が残ると肌で分かっています。 そういうことの繰り返しが自分自身の魂の次元を 上げるステップになっているように思えます。 極真の黒帯は誰でも取れます。ただ、多くの人は、 そんな黒帯を取る前に辞めてしまうのです。それには、かなりの努力が必要だからその成就を見る前に へこたれてしまうのでしょう。 極真では5年ほどかけて黒帯になります。何故そこまで頑張れるのでしょうか?  それは日常の社会生活の中で、空手が心の支えになり、自分のプライドにもなり、そして生き甲斐である とまで感じる瞬間に出くわすからではないでしょうか。 もちろん、途中で頑張る事に疲れた人は黒帯には なれません。それは極真の黒帯に御縁のなかった方で、ほどほどに頑張ってる方は極真にはそぐわない としかいいようがありません。 気持ちが折れそうな時もある。疲れてもういいかなと思う時もある。 しかしそれでも自分に喝を入れ、それを乗り越えようとしている自分がいて、その結果、自分の心の中に 自信がみなぎっていることに気付く瞬間に出くわす。 だから諦めないのです。 しかし、自分の都合で稽古に出たり休んだりする癖のついている方が、その程度の努力で黒帯になれる程 極真は甘い世界ではありません。 仕事を真っ当にこなし、家庭を守り、もちろんお付き合いも大切なのは 十二分に承知していますが、ただ、だからと言って「時間がないので」、「あれが出来ない、これが出来ない」 と言う人はそもそも武道を習うには無理があるように思えてなりません。少なくとも、人に能書き垂れて やがて先輩面するのなら、出来ない言い訳ばかりが上手にならない様にすべきです。 よもや、 自分自身も精神修行を道場で行っているなどとは恥ずかしくて言えるはずがありません。 一つの事を掘り下げようともせず、あっちにも、こっちにも穴を掘り、結局、何をやっても中途半端で 終えている人が何と多いことでしょう。 少なくとも子供への教育に重きを置いている以上、まず自分自身が明確な目的・目標を持ち、達成するために 困難を乗り越えて行く姿を示し、率先垂範で生徒を引っ張って行く様な道場でありたいと思います。 昨日から逃げて来たあなたは今日からも逃げるのですか?  明日に踏みとどまれる保証はどこにもありません。 明日、踏みとどまる気持ちがあるのなら今日を踏みとどまりましょう。  過去に戻って戦う事など出来ません。ましてやまだ見ぬ未来に戦いを挑むことも出来ないでしょう。 けれど今現在を精一杯戦う事は出来ます。 人は今、この時を戦う事によってのみ、過去に失われて しまった貴重な時を回復することが出来ます。そして未来に展望を開くことも叶うのです。 昨日から逃げて来てしまったあなたがいたとしたら今日を、いや、たった今を真剣に戦う事でしか 明日を掴むことは出来ないのではないでしょうか。   それが人生だと思うのです。

書道がなんなのかよくわかりません。 漢字の書き順もおおよそ正しくないと思います。 自分で丁寧に書いた字でも 見返してみると小学生が描いたような幼稚な字。 という訳で字の上手い人は、それだけでその人を見上げてしまうのです。 関西のお笑いの方で原田伸郎さんという方の筆字もいい。正式な書道の先生ではないでしょう。 でもその字に人柄が 出ていて和みます。 金澤翔子さんの筆も心が伝わってくるようでいい。だからたまに眺めては、その人の素直な心を感じたり しています。それほどこの人の字が好きです。 「お母様が好きだからお母様のところに生まれてきたの」という翔子さんは ダウン症。言葉が少ない翔子さんの言葉には嘘はないようです。 ダウン症の告知を受けて涙にくれて、オロオロと 悲嘆に暮れて、彷徨い生きたお母様が、この子を授かって幸せだと思うまでに二十余年かかったようです。 私はこの金澤翔子さんが書いた宮沢賢治さんの「雨にも負けず」が殊の外好きです。 小さく書かれた一文字一文字に 心が籠っているようで、その素直な字体が気に入ってます。 生きて行く上で苦労もあったでしょう。 こんなはずでは なかったと思う事も何度もあったことでしょう。 期待なんてしない方がましだと思うことも一度や二度ではなかった かもしれません。 何度そんなことを思いながら活きてきたことでしょう。 しかし、どんなことがあっても、いつも前を向いて活きて来たから、その文字に心が反応するのかもしれません。 その字を観て、その方の言葉を通して感じるものがあります。 期待通りに物事が進まなくて却って、その方が 結果的に良かったということが人生にはつきものです。神様なんて信じるものかと思いながらも決して道を外さない、 そして心を投げない生き方があるように思えてなりません。 新たに迎えたこの年、どんなことが起るのだろう。そしてどんな出会いが待ってるのだろう。 いずれにしても、どんなに落ち込むことがあっても、いずれ春は来るのだと思って前を向いて行こうと思います。 「雨にも負けず」の翔子さんの文字を観ていると、人生満更でもないと、いつも思うのです。

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