「ドイツW杯初戦のオーストラリア戦は試合終了まで残り8分となり、1-0で勝っていた。しかし、1点を取られたら 立て続けに3失点してしまった。失点すると精神的に浮き足立ってしまう。これが日本の欠点だ.。 きっと国民性 なのだと思う」-2006年のジーコのコメント。本当にそうだろうか?ザックジャパンはそれで負けたのだろうか?     地球は自転していて、その上に暮らす私たちは地球の重力によって回転運動をさせられている。つまり外力がある。   北半球では物が北(赤道から北極)へ向かうと東へ、東へ向かうと南へ、南(北極から赤道)に向かうと西へ、   西に向かうと北極方向へずれる。 つまり右へ右へと力を受けることになる。 南半球の力は物体を進行方向に 対して左にそらす力となり北半球と逆向きになる。 この力は物体の速度が大きく運動している時間が長いほど   大きな影響を受けるので日常の生活ではその力の存在は分かりにくい。 風呂桶に溜めた水や車を走らせた程度の   影響は非常に小さく、実質感じ取ることはできないでしょう。 しかし北半球で暮らしていると、太陽は西へ進んでいく。 逆に南半球の南極上空から地球を見ると右向きに回転している。  北半球の竜巻でも右巻きのものが観測されることはある。 せいぜい数キロメートル程度の気象現象なのだから   この力の原理に逆らうことはあるのでしょう。 南半球で三日月を見る時は、北に向かって立っている事が多く   右が東、左が西になる。 日時計の数字は反時計回りの左回りで8~12、1~4と並んでいる。   そんな南半球の力がどれほどブラジルのワールドカップに影響したかはわからない。 しかし6チーム中5チーム   が残った南米チームには確かに地の利があったのだろうし、優勝候補のスペイン、ポルトガル、イングランド、イタリア   があっさり負けてしまった結果を観ると、このコリオリの力が微妙な変化をもたらしたのではないかと思えてならない。     微妙な力で左右されるワールドカップの勝敗は運がある、ない、と簡単にかたずけるのではなく、はたまた精神的要素   が大きいと言い切るのでもなく、究極のアナログ的要素を膨大なデジタルデータを基に物理的に着地点を予測して   もらいたい。 スーパーコンピューター「京」が、ビッグデータ解析に関係するスパコンランキング「グラフ500」で   世界1位になったと6月24日に理化学研究所が発表したのだから、それをサッカーの勝敗予測に使ったとしたら   サッカーくじが破たんしてもおかしくはない。

「桜台の帝王。いやぁ、みたけの組長ったぁオイラのことだい。 腹だしユウちゃん、なんて呼んだ日にや 許さねえからな。 でもオイラと仲良くなりてえなら、聞いてやらねえこともねえよ」   「いくら腹を出しているからって、惚れちゃあいけねえよ、オイラも忙しいんでなぁ。横向くとこんな感じ」 「いくら小学生相手でもオイラ容赦しねえんだ。 ほらね、手も足も出ねえったぁ、このこっだぁな」 「でも、たまにはこういうことも」、「でもこれ、泣いてるんじゃぁねえぞ」、「ゴミが目に入っただけよ」 「ほら、この通り」、「男はつれーよ」、「みたけの組長だもんよ、泣いちゃあいられねんだよ」 「さあ、もういっちょ、いくか」 「隙があったら、かかってきなぁ~」 「いや、ちょっと、痛えじゃねえかよ~、やめろってんだい、痛いって」 「桜台の帝王にかかって来るなんて、根性あるじゃねえか。まあ今日はこれくらいにしといてやるか」 「まあ、こんな感じだよ。なんなら一緒にやってみっかい。オイラの指導は、ちい~と厳しいぞ」 「稽古が終ってもオイラはいつも元気いっぱいだよ」 「桜台の帝王ってみんなは言うけど、一人だけ叶わねえんだよな」 「ママ~、アイス頂戴~」、「ちゃんという事聞くってば~。ママ~。」 この桜台の帝王が、いつの日か極真の黒帯を締めてくれることを願ってやみません。

子供達には、激しいストレスは成長の妨げになります。 しかし小さなストレスは成長の糧になる。そう思って子供達には 理不尽な事をたまに言ってみたり、時には厳しく、時には楽しく 空手の稽古を続けてます。その流れで試合クラスが始まる前に 子供達と戯れあっていたら、笹井代表から「それってイジメですから。 ダメですよ。」 あっさり、子供達の前でダメ出しをされてしまった。 このダメ出しが、気分悪くならないから不思議だ。笹井代表の 持って生まれた才能なんだろう。リョータとケイタを見てると のびのびと活きて、学校を楽しみ、部活も、友達との時間も 楽しんでる。これだ。我々の道場はそうでなけりゃ。 これでいい。これでいい。

「田中先生、今度、飲食の店をやろうと思って、不動産業者に場所探しをしてもらってるんだよ」 だいたい、いつも唐突だった。コロナが出した頃、浜井会長は大連本部を引き払って帰国された。その後は初台の道場で寝起きされるようになった。たまに初台に出稽古に行くと決まってホルモンを食べに行った。「昔は金沢でもどんどん新規会員が入って来たんだけど、今は初台もまったくだ。横浜が増えてるのは信じれん。不思議だわ。」、聞かれた質問にはお答えしないとと思って喋りだすと、「今後、キッコちゃんのとこに行くから付いて来てくれるか?」、「押忍、、、」 話はどんどん切り替わる。 「ここのホルモンは美味いよなあ。飲食をやるからには銀座に出ようと思うけど、どう思う?」、「家賃が高いから、やめた方がいいです。新宿の方が家賃は安いし回転がいいと思いますよ。」、「介護もいい話があってな、田中先生も何かいい話ない?」、「私はもうやってますよ」、「エッ、介護やったの?」、「いいや、介護じゃなくて児童発達支援事業です。ちょうど事業計画書を15ページ書いたら事業再構築補助金が採択されたので」 浜井会長は事業の話になると、少しだけ静かになって私の話に耳を傾けた。当時、横浜市認可を受けて施設をオープンしていて1年が経っていた頃だった。約2千万円の開設費用は空手の収益と補助金でまかなった。「田中先生、今度、詳しく教えてくれるか。アルコール入ってない時に」、「押忍」 その後、この事業について尋ねられる事はなかった。浜井会長は悪気がある方ではなく、いろんな事に首を突っ込むものだから、どんどん枝葉に分かれて出口を見失ってしまうのだ。これまた浜井会長らしく、何とも憎めない人柄だった。

本日の新極真の試合(第3回東京都空手道選手権)の結果です。35歳ー40歳中級重量級で畔蒜さん優勝。190cm相手によく勝ったと思います。中1男子上級重量級ハルト3位、4年男子上級中量級ヒナタベスト8。他のメンバーもよく頑張ったよ。偉いぞ。さあ、家に帰ったら気持ち切り替えて勉強だ~。 試合以外のメンバーはいつも通りの稽古でした。今日の体育館は33℃。暑かったけどまだ6月。8月に40℃になっても負けてたまるか。

「久しぶり、よく来た、よく来た」 人なっつこそうな面影は何も変わってない。少しはにかんだ笑顔が13年も前に体験に来た男の子そのまんまだった。 小学1年から空手を始めた彼は今はもう大学2年生。動きは当時のままでした。スタミナは、少しやれば戻るはず。 みすずが丘クラスしかなくて、ようやく、すすき野クラスをやり始めた頃。その頃は古臭い剣道場でもたまに稽古をやってました。これを知ってるのはソウメイ、レナ、ハルヤ。そして2年下のショーヤと笹井代表とリョウタくらい。子供達の可能性を見せてくれた彼ら。私はそんな彼らと週末に会えるのが心から待ち遠しい気持ちでいっぱいでした。 彼らの後にユウイ、アサト、シンノスケ達が入って来てくれました。彼らを怖い先輩だと思ってビクビクしていたのがケイタ、ハルト、コウキ、カズキでした。そんな子達の黒帯姿を見れて私は今更ながら嬉しい。

私の想像というか、私の日常を呆気なく崩して、越えていく人がいる。昨日も、いつものようにあっけらかんとした雰囲気で入って来て、何かゴソゴソやってる。なんだろう、何やってるのかなと思って事務作業を止めて、ついたての外に出てみた。すると段ボール箱からひとつづつ漫画を出してラックに並べてる。よく見ると「空手バカ一代」を全巻持ち込んで綺麗に並べてた。実は私はまだ読んだ事がなかった。あー、これか。 「うちに置いてたら旦那に、道場に持って行ったら?って言われたので持って来ちゃいました。置かして下さいね。」 大学の空手部(剛柔流)にいた頃、空手バカ一代は多くの人に読まれていたけど、私は大山総裁の「わが空手修行」しか知らなかった。 みんなが帰った後、掃除を終えてこっそり読んでみた。あっという間に1時間が過ぎていた。明日もこっそり読んでみよう。ありがとう。笹井代表。

「何事にしろ、一つのことを続けるというのは難しい。年月が経つと最初の情熱も冷めてきてしまう。だから一つのことを長く続けることが出来ないというのが普通なのかもしれない。大したことでもない事であっても十年一日の如く続けている人を見ると、何となく尊敬の念を抱いてしまう。それを続けてきた、その人の忍耐と努力に、ただただ素晴らしいなと思ってしまう。」 19歳の私はそんな事を思っていました。暇な大学生でした。今、47年が経ちましたが、それでもその想いは何も変わってないことに気づきます。根を詰めて大上段に構えていなかった事でサラリーマンは42年、そして空手は47年続けることが出来ています。気楽に考えてきたから続いたのでしょう。 あと13年続けてみたら、どんな風景に出くわすんだろう。 あと13年で私は80歳になります。そのころに年中さんは18歳、今の高校生は31歳。いったい彼らはどんな人になってるんだろう。それを想うと早く13年後の彼らに会ってみたいと思うのです。

大連の稽古の後の飲み屋でいきなり、「田中先生、これ知ってる?」 浜井会長はいつも唐突だった。 「高天原に神届り坐す  神漏岐神漏美之命以ちて」 「皇御祖神伊邪那岐之命筑紫日向の橘の小門之阿波岐原に」 「禊祓ひ給ふ時に生坐る  祓戸之大神等諸々禍事罪穢れを」 いきなりこれを聞いて何の事か分かる人は少ない。当時、私は浜井会長に自分が真言宗の阿闍梨で、修験道の先達である事は伝えてなかったから、禊祓の言葉を奏上しても分からないだろうと思われていたと思う。しかし、真言密教と修験道は私の領域だった。でも完璧に暗記されていた事には多少驚いた。 大連の日本料理屋のカウンターに座ってる2人を、周りの人達が変な目で観ていた。そりゃそうだ。「禊祓の詔」を大きな声で唱える訳だから薄気味わるがるのも当然だ。聞けば浜井会長は神道に帰依されていたようで、禊祓の詔を丸暗記されていたのだった。「大山総裁が神道なんだよ。だから禊祓いを覚えたんだ」。本当に何から何まで大山総裁、一筋の方だった。まるで男が男に惚れてるようにも思えた。「『大山総裁は道場生の声を聞きながら死ねたら本望だ。』と言ってたから私はね、大連本部で寝起きしてるんだよ。」  大連本部道場に2千万円かけて創っただけあって大連本部道場は400平米ほどの広い道場に仕上がっていた。シャワー室、トイレ、そして事務所。浜井会長はその事務所で寝起きされていた。その部屋はDVDと本棚に本がびっしり。「田中先生、欲しい本があったら持って帰っていいよ」、「押忍、ありがとうございます」。ビジネス書から武道書からあらゆる本があった。私も本が好きでカバンにはいつも本が2冊入ってるので、ワクワクしながら興味ある本を取ってみた。しかし、もらって帰る本はなかった。全部の本には大事な箇所にマーカーや鉛筆の線が引かれていたり、コメントが書かれていてとても読める物じゃなかった。何というか勉強家なんだろう。そんな気持ちで机に座っていた浜井会長を振り返ると、別の本を読みながら鉛筆で線を引いていた。私はこんな勉強家を見たことがなかった。

今日は大森から鈴木先生が、みすずが丘クラスに出稽古に来られました。先日の昇段審査会の時は新石川本部道場に参加されてましたが、今日は壮年部のメンバーとのスパーリングが目的でした。 空手の試合で膝の半月板を損傷していても、キックボクシングの試合に出て勝ってるので、動きは落ちてないようです。 7月の昇段審査に向けて無理せず頑張って下さい。

キックボクシングのタイトル戦スマッシャーズミドル級にショーヤ出場。40秒でKO 勝ち🏅でした。 昨日、すすき野でやったミット稽古通り、左膝蹴りで効かせて勝利。 次は中国に招待されて(渡航費、滞在費、食費全てプロモーター持ち)、中国の相手と戦う予定。強い心とスピードで駆け上れー。

新代表となって、新たな執行部が自分たちで運営した審査会が終わりました。なんとか無事に終えられて何よりでした。 私は陰で見守ってました。 紀元前2世紀頃の中国では秦の始皇帝の時代が終わって、項羽が世に出て、劉邦が遅れて出て来ました。鬼神のような項羽と人心を集める劉邦。武力では圧倒していた項羽ですが、その人を支える有能な人達に恵まれた劉邦が次第に形成を逆転し最終的に中国を統一し、漢を創りました。 新たな新代表をみんなが支えてくれている。素晴らしいです。 黒帯を目指す人は自己の研鑽はもちろんのこと、他の人に優しい人であって欲しい。これからは今まで以上に、そういう人が求められる時代に移行しつつあります。昭和の「強けを求める時代」がフェイドアウトして、いつの間にか「優しさを求める心の時代」に置き換わって居ます。 弱さも強みに変えられる土壌を創って行きたい。横浜田中道場は、そういう人達が集まる場であって欲しい。そんな事を感じながら、見学者に混ざって物陰から審査会の様子を伺ってました。

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