坂本派全国大会
今日は横浜武道館で坂本派型全国大会が開催され、横浜田中道場から マスターズ男子、マスターズ女子、シニア男子の三部門に6名が出場し 5名が、来年開催されるワールドカップへの出場権を獲得。 マスターズ男子 ハネダ2級が優勝。 マスターズ女子 オカ2級が3位、タマル2級が4位。 シニア男子 アラ初段が準優勝。 フクニシ2級は惜しくもワールドカップへの出場権は獲得出来ず。 2016年にササイ師範代がマスターズ女子で優勝、2017年も優勝。 この伝統を受け継いでくれた事が嬉しい。ササイ師範代は1月の連合会オープン トーナメント組手壮年女子で準優勝し、型と組手で成果を出していた。今回は みんなのサポート側にまわってくれて、みんなを励まし導いてくれていた。 よく練習していたし、よく踏ん張ったよ。おめでとう㊗️ 今日は指導があったので私は彼らの勇姿を見る事は出来なかったが明日は 指導を代わってもらい子供達の勇姿を見に横浜武道館に行く。 子供達の全国大会と神奈川県大会だ。 コロナ禍の中、よく頑張ってきたから。 この子達の汗と涙をずっと見て来たから。 明日はチャレンジするこの子達の純粋な心に会わずにいられない。
運も実力のうち
緊張感が漂う会場に集まる選手たちの眼は真剣だろう。 真剣な眼差しはカッコいい。 ただ試合には運がないと勝てない。 多くの出場者の中で10月3日は誰に運が舞い降りるだろう。 私はそんな事を思いながら、ここ2週間、選手たちを眺めて来た。 緊張感から足がすくみ、心ここにあらず。手が僅かに震え口が渇く。 順番通りに名前が呼ばれコートの真ん中に立つ。もう逃げられない。 審判5人は高段者。10個の眼は誤魔化せない。ただ1人、凛とした 空気の中で道着の擦れる音を頼りに型をやり終えねばならない。 足の裏が妙に汗ばんでマットを掴みきれない。指先まで整えるなんて 出来るもんじゃない。血管は蒼く弱々しい。呼吸は平静を装ってるのが バレバレだ。もうダメだ。震える指先で硝子細工なんて創れっこない。 こんな思いの中で一人一人が練り上げた型をうつ。それが型の全国大会だ。 征遠鎮を打ってみる。 真剣な1分50秒。 世界で一番長い1分50秒。 そんな1分50秒に年輪を刻もうとしている君。 一瞬に賭け、チャレンジする君に強運が舞い降りないはずはない。
玉手箱
子供達はいつの間にか大人の背を超えていた。 はじめはみんな白帯、そしてオレンジ帯、、、 それが今では黒帯になっていて、大人の人達もスパーリングでは 歯が立たなくなっている。この子達、7年前は年中さんと1年生 だったのに今は3人とも中学生になって、みんな背が高く170cmを 越えている。マスターズの試合に出ている大人も気を抜けない存在だ。 私の息子達に空手を習わせていたのは25年前。小学校に通ってからだった。 その子達も今は大学を卒業し1人は28歳で羽田空港国際線に従事、もう1人は 31歳で循環器系内科医。来年4月に大学院に戻って医学博士号をとるらしい。 医者になったんだからそれで十分じゃないか? と言っても「医学博士号」が 欲しいらしい。これから大学院研究の道で4年、そのあと系列の病院でお礼奉公 を3年こなすようだ。なんと長い道のりかと思ってみても自分で決めた道なら、 やり通すだろう。今までもそうだったから。 2人とも9月が誕生日なので久しぶりに家族で食事に行った。 思えば会社員として、そして空手の師範として子供達を育てるのに 精いっぱいだった。子供達が産まれた時、幼稚園の頃、小学生、 中学生、高校生、大学といろんな思い出が詰まった玉手箱を空けたら 家内は60歳、私は61歳のじいちゃんになっていた。 玉手箱の蓋の裏に自分で書いた文字があった。 きっと、その頃の自分と将来に不安を抱えている自分に宛てた言葉だ。 「明日のことまで思い悩むな」 そうだった。 自分はそうやっていろんな峠を乗り越えてきたんだ。
きっと出来るから
すべらず、ころばず、登れる山などない。 すべってもいい、ころんでもいい。 何度も立ち上がって また歩き出せばいい。 悩んでこの先どうしたらいいか 分からなくなったら、いつもそう思うようにしている。 ころんでも、太陽は沈んだままじゃない。 また熱く輝いてくれる。 だから安心してころんで、安心して立ち上がればいい。 そして自分は、頑張れば、必ず出来ると信じるんだ。 人生にとって大事なのは、そう思い込むことじゃなかろうか?
審査会
9月6日はコロナ禍の中、感染防止対策を取りながら審査会を行った。 参加者は108人。三ヶ所に分かれて、そして時間を分けて開催した。 去年の9月6日は台風15号が近づいていたから蒸し暑い1日だった。 今年の9月6日は台風10号が九州に近づいていて横浜もゲリラ豪雨。 9月6日はその日で終わり。翌日はまた違う1日が始まる。そう考えると 明らかに去年の6日と今年の6日は違う。すべてのものが刻々と変化 する地球に我々は生きている。そんな変化の中にあって私は空手の稽古 を積んできた。暑い日も、寒い日も同じ事を繰り返してきた。 刻々と変化する中で変わらない事を繰り返す事は実は意外と難しい。 しかし、その事にこだわりたい。そしてその事を極めたい。 華やかなこの時代にそんな姿勢がなければ空手の道など続くものではない。
頑張れKWF日本
今日は午前中に長津田クラスの稽古指導を終えてから千葉に向かった。 お世話になった千葉田中道場の田中師範が癌で亡くなられたのは5月。 コロナ禍にあってお別れの会は今日になったのだ。 今日の千葉田中道場の幹部の方々は水野副代表と幕張支部支部長を中心 に代表になられた奥様とユーリとケンをしっかりサポートして行こうと する思いがひしひしと伝わって来た。ユーリとケンには4年前、浜井派 中国大会の時に約束していた事があった。「2mm 130kgになって世界 で有名な選手になるんだぞ」「奥様がロシア人なんだから田中師範、 大丈夫ですよね」って聞いたら「僕の実家はみんな福岡の田舎の出だから 小さいんですよ」と冗談まじりに話されていた。 今日、最後の写真撮影の時、ちょうど奥様スウェトラーナさんとユーリ、 ケンが座ってる後ろに立つことになった。「ユーリ、ケン頑張れよ」と 肩に手を置いて囁いた。大連で約束した時、ケンは5年生、ユーリは中1。 早いものだ。 元々、8月30日は昇級審査会の予定だったけど、このお別れの会と重なった ので審査会は来週9月6日にずらした。今回の受審者は108人の予定。 浜井派神奈川県支部の頃は60人ほどだったから、浜井会長に相談して 独立させて頂いてから2年。なんとか順調に会員様が増えている。この コロナ禍でも、先週、そして昨日、今日も新規入会者が入って来て頂いた。 大変有難い。今いるメンバーが新しい人達を引き寄せてくれているに違いない。 それは体験、見学の時の印象なのかもしれない。さもなければ広告も出さない のに会員様が増える理由がない。と言うことは今いるメンバーに感謝しないと ならない。と言う事だ。稽古が終わると決まって「今日もよく頑張ったな、 偉いぞ。」と声を掛ける。これからはもっと心を込めないとバチが当たるなあ。 そうだ生きてるうちに感謝しておかないと。 「ありがとうよ、ガキ大将ども」 「アッ、間違えた。ありがとうございました。おぼっちゃま、おじょうちゃま。」
熱中症
昨日、コロナがピークを越えたと新型コロナウィルス対策分科会で報告された。 確かに昨日の資料を見ると感染者数が右下がりの傾向にある。 (コロナ感染者数グラフ) covid19tokyo 先月7月16日、国会で東大先端科学技術研究センターの児玉名誉教授が 8月には目を覆うような状況になると言っていたけど、その内容とは逆の 方向に世の中は落ち着き出した。コロナ恐怖を煽って、今の政府に問題があると 言うためいろんな人達を使い、世間を煽る。そんなメディアと政治家がいる。 結局のところ、疾患のある患者さん以外は風邪の症状で終わってしまうのが コロナウィルスのようだ。コロナの死者は昨日は全国で13人。 今は、コロナより熱中症の死亡者の方が多い。東京だけでも180人 が亡くなっている。コロナより熱中症に注意しないとね。 空手クラブの子供達は手洗い、うがい、検温を忘れない。いい習慣だ。
一生懸命
授業と試験に追われて、焦っている夢を何度となくみた。 授業にろくに出てないものだから教授の顔すらも知らず、単位だけをどう やって取ったらいいのかずっと悩んでいる大学4年の自分がいた。 授業に出てないから試験日も分からず、テキストも持ってない。あ〜どう しようと頭を抱える場面で、いつも目を覚ます。そんな夢をだった。 大学生じゃないし、何とか卒業してるし、あ〜良かった。 思い起こせば、卒業にはギリギリの単位数で崖っ淵だったような、、、。 若い頃、何をやってたんだろうと後悔しきり。授業料の無駄遣いだった。 両親に申し訳なかった。ただ今だに夢に出ると言うことは相当悩んだり 教授に相談したりしながら、首の皮一枚綱がって辛うじて必要単位数を 確保したんだと思う。留年が出来るほど親に余裕はなかったことはうっすら 記憶に残っている。危なかった。空手と麻雀、そして夏目漱石の小説に 明け暮れていて、SEプログラムのゼミに出ることもなくなっていた。 プログラミングのテキストを見るだけで眠気が襲ってくるもんだからゼミから 遠ざかってしまうのは無理もない。でも良い点数を教授は下さった。理由は 聞いてない。同志社大学は夢幻のように過ぎて行った。卒業、入社、結婚、育児、 転職、出世、家のローン、子供達の受験、親の見送り、定年。あまりに多くの 事が毎日訪れては去って行った。変わらない事と言えば読書と空手くらい。 サラリーマンをしながらこの2つだけは続けてきた。小説は読むのも書くのも好きだし 空手は極真芦原道場→芦原会館→正道会館→極真城西→極真浜井→独立し極真の 道場を設立。一生懸命生きて来たらいつの間にかこうなっていた。 先日、型全国大会に出場するマスターズ男女のメンバーと会食した。 コロナウィルスを意識しての短めの会食だった。 マスターズの男女の健闘を祈る。 まだまだ若々しく生きて欲しい。 まだまだカッコよく生きて欲しい。 一生懸命努力するその姿、きっと子供達の記憶に焼き付くはずさ。
8月12日
35年前の8月12日、仕事から帰って来たら、家内がテレビに釘付けだった。 飛行機が山に墜落して500人を越える人が亡くなったと言っていた。 去年の8月11日に新石川本部の階段にひさしを作った。35度の暑い日に 3人で作ったひさしは9月9日の台風15号で飛んで壊れてしまった。 大家さんが見かねてひさしを作ってくれたのは10月12日の台風19号が 通り過ぎて、ラグビーワールドカップで日本がスコットランドに勝った 13日から10日ほど経った10月24日だった。今でも、このひさしの 有り難さは身に染みている。 去年の8月12日は新石川本部の階段にペンキを塗ったら、色が良くないと 何人か言われて結局グレーに塗り替えた。これも蒸し暑い1日だった。 今年の8月12日は子供達と新石川本部にいた。 2月からコロナ、コロナ の日々が続いて、今では手洗い、うがい、検温を欠かさない習慣が子供達 に宿ったようだ。熱中症を避けるためマスクは運動する時には外し、運動の 後には必ずうがい、手洗いをするようになった。ウィルスとともに生きて行く 術を子供達は身に付けたのかもしれない。
ポビドンヨード
日本とスウェーデンはコロナウィルス対応はゆるいと言われている。 イタリア、フランス、スペイン、ベルギーは厳しい対応を取って来た。 亡くなった人が多いのはベルギー、スペイン、イギリス、イタリアだ。 今の日本のコロナウィルスは弱毒化して来た。明らかに4月のコロナ とは違う。人間は600万年前からこの世に生まれて50万年前の 氷河期も生き残り、ペストも、天然痘も経験して生き残った子孫が 今、生きている我々だ。日本では毎月10万人の尊い命が亡くなって いる。その中で先月、7月におけるコロナウィルスの死者は僅か31人 だった。0.002%。SARSウィルスの致死率は14ー15%だった。 致死率が1番高い癌は毎年37万人が亡くなる。毎月3万人だ。先月の 新型コロナウィルスの死者は31人。新型コロナウィルスはSARSの ように強毒ではなく、4月のコロナとも同じでもない。 コロナウィルスは2週間に1度、変異する。激しく変異したウィルスを 体内に吸い込んだ人は確かに亡くなってしまう。しかし人が死ぬ為 ウィルスが他には移る前に消滅しており蔓延してない。ところが弱毒 ウィルスは人を殺さないから、人から人に転移して蔓延していく。 自然界のウィルスは弱毒化する方向に動いて人と共に生きている。 強毒化するウィルスは危ないけれど広がり難い。日本のコロナウィルス はそのように変異している。進化論からも弱毒化する種が生き延びている。 決して楽観視している訳ではない。 ただ現実を正確に分析し無闇やたらと 煽られないようにしているだけだ。 空手クラブの子供達には、そんな中でも手洗い、うがい、検温は続けて もらう。もちろんマスク着用も。これは今の日本の慣習だ。 ポビドンヨードは今日4日15時にお店から姿を消した。 空手クラブ の子供達には、このポビドンヨードでうがいをしてもらう。ずっとコロナは 喉から入って来ると言って来た。だからゴロゴロペーなんだな。大阪府が証明 してくれた事に感謝!