日曜日も変わらず
今日10月8日は長津田地区からたまプラーザ地区まで幼稚園の運動会が花盛り。 小学校を借りて、ご両親らが一家総出で小学校の校庭に集まってました。 それと横浜市青葉区では神社のお祭りが其処彼処。新石川本部の前も人が溢れてました。 はっぴを着た方々が担ぐ神輿でいつもの道路は通行止に。迂回の道の先にはまた別の神輿が。 そんな10月8日、三連休の真っ只中の日曜日。稽古は変わらず行われました。 それにしても子供達は何て身体が柔らかいんだろう。
あいさつ
最近はずっと同じ事を子供達に伝えています。 この空手クラブで稽古をしていると否が応でも稽古場所に入ってから出るまでの間に 「ありがとうございました」を何度も言うことになります。 1時間や、1時間半の稽古でも、少なくても30回は言うでしょう。 土日とも来る子供は2日間で最低60回。 1ヶ月で240回。1年間で2880回。 3年半も土日に稽古に来たとすると、その子は10,000回を超える感謝の言葉を発していた と言うことになります。 でも実は、このあいさつは極普通にやっていることなのです。 奇をてらった特別なことではありません。 1年間も通ってみれば、これだけの回数を 子供なりにこなすことになる訳ですから驚きです。 だから、この言葉を使うことに慣れてきて スッと口から出てくるようになって来ると幼稚園の子供達でも、「ありがとうございました」 の達人になるという訳です。 幼児教育は7歳までと言いますが、8歳の子供でも12歳の 子供でも、あいさつが普通にできるようになると、何だか新鮮な気持ちになることでしょう。 たかが、「ありがとうございました」、されど「ありがとうございました」 毎週毎週、子供達の頭に刷り込んでいる、このおまじないが威力を発揮するのは10年から 20年後のことかもしれません。 これからの時代の荒波を乗り越え、生き抜くためにまた明日も 子供達にあいさつを教えてゆかねば。
英検準二級
英検3級は、中学生で取る生徒が少なくない。頑張れば高校生で二級も取れる。 「先生、エイケンって何?」って聞いてくる小学生がいた。 そんな中、小学四年生のお姉ちゃんと小学二年生の弟君が英検3級に合格していた。 来月には英検準二級を受けるらしい。 塾は行かず、家で勉強して合格していることが素晴らしい。 学業とはそもそも家庭環境によるのであって、小学校から私立に入れて何とかなるものでもない。 公立の小学校で塾にも行かず準二級、二級も夢じゃない。全ては親の考え方なのだろう。 この空手クラブで一番は横浜の聖光学院から現役で東大理科一類に入ったMASUKI君だ。 高校三年生の10月になってはじめて、そろそろ受験なので空手の稽古を休みますという。 あと4ヶ月で東大に入れるものかと危惧したが、それまでの模試判定全てに合格圏内。 たぶん、彼ならやるかもしれないなと思っていたら、3月に澄ました顔で現れた。 「合格しました」 飾らない一言が気持ちいい。そういえば彼も塾には行ってなかったっけ。 物理の研究をしたいらしい。秀才とは彼のような人のことをいうのだろう。 目指せMASUKI君。 目指せ小学二年生で準二級。 この空手クラブには勉強の塾に行く前に大事なことを教えている。
医学部大学院に行くらしい
子供が医学部に合格したらゴルフを控えるのは当たり前だし、外食もせず、質素な生活に 慣れなければならない。家内も欲しい服やバッグをどれほどこらえて来たことだろう。 その子が昨日28回目の誕生日を無事に迎え、久しぶりに家に帰って来た。 病院の近くのマンションには帰ることも少なく病院で寝泊まりすることにも慣れたようで 少したくましくなって来た姿を見るのは何だか嬉しいものだ。だからいっぱい話をしたい。 半年ぶりだし募る話もある。さあ、食事を終えて話をしようと思ったら、スタスタと階段を 上がって自分の部屋にこもってしまった。 リビングにはいつものように私と家内だけが居た。 子供が帰ってくるのを心待ちにしていたのに取り残されてしまった。 何だか寂しい気がするけど男の子はそんなものだ。振り返ってみれば自分もそうだった。 親と話をするくらいなら友達と話をしていたい、そう思っていた。 「初期研修医を来年終えると、また大学院に行って四年間勉強し博士号を取るんだよね」と家内に 聞いてみた。 「そうじゃないの。そう言ってたから。」 家内も寂しいそうだった。 子供が部屋から出て来たのは25時を過ぎたころ。 私はゴソゴソとリビングで音がするのを聞いてるうちに寝入ってしまった。 若かりし頃、親が話し掛けてくるのがうっとおしく、つっけんどうな受け答えをしていたことを思い出す。 だからしようがない。集中治療室では寝る間もなく忙しいんだろう。 「また四年間、医学部大学院で勉強するのか? 頑張れよ。」そんな言葉をかける間も無く子供は 自分の道をひたすら歩んでいる。 大学院に通いながら後期研修医を終えて、晴れて一人前の循環器系内科医になるのは32歳のことだ。 「この先どこの大学院に行くのか? 」 「住む場所は大学院の近くにするのか? 」 「 今勤めている総合病院の集中治療室はどれほど忙しいのか?」 親として聞きたいことは山ほどある。 ハラハラドキドキさせてくれた過去が懐かしい。 地球があと何回、太陽の周りを回れば私は子離れ出来るのだろう。
昇級審査会で
9月3日の日曜日は朝から夕方まで横浜市内三ヶ所で昇級審査会でした。 初めての経験でいつもより緊張している子供達。 もう慣れてきた子供達。 帯の色が変わるごとに成長する子供達。 この審査会でいつも言うことは、今のこの経験が5年後、10年後に活きてくるという事。 空手を知ってから、我慢を覚え、少し辛抱強くなった子供達がいたとしたら、それに勝るものなし。 空手を覚え、風邪を引かなくなり、少しばかり身体が強くなったのであれば、それで良し。 帯の色が黒になったら、それはね、迷わず一つの事に集中し大きな山を乗り越えた証。 あれが嫌い、これは気にくわないと駄々をこね、全てを中途半端にしてきたキッズが 大きく成長した証。 澄んだ心をいつまでも持ち続けて欲しい。 いつまでも素直で元気な子供達でいて欲しい。 そんな思いを抱きながら審査会の席に居ました
サマーキャンプ
8月26日,27日のサマーキャンプにまた100名を超える多くの子供達が集まりました。 この空手クラブの催しには、昇級・昇段審査会、試合、サマーキャンプ、クリスマス会があります。 何事も経験が大事だという思いから、我慢、怖さを日々の稽古や催しの中で経験するよう仕向けています。 子供達は、そのあとで出くわすであろう目前の痛さや辛さが、実は大した事ではないという事に気づき 学んで行きます。 もしそういう事を経験せず、周りの人達の言葉で妄想だけが広がり、自ら作り上げた 恐怖で自らをおののかせ、自分の大事な可能性を閉ざしてしまったら、それこそ本末顛倒です。 最近は親御さん自身が子供を叱る事が少なくなっているらしい。昔の日本はおじいちゃん、おばあちゃん が必ず孫にしつけを教え、仕事で忙しい両親を支えてくれてました。そんな大家族の中で揉まれる事は 大変有意義な事であり、まさにこの空手クラブが行っているしつけの根源はそこにあります。 今回も大家族の中で事故もなく、怪我もなく本当に楽しい時間を作り上げてくれたメンバーに感謝です。
医学部大学院
長男が中高一貫校を18歳で卒業し、一浪して医学部の学生に。 あ〜、良かった良かったで 1年が過ぎたら検体を解剖するハードな2年生に。ここで留年する学生が多いから注意を 促して何とか3年生になったかと安堵したところに落とし穴が。気が緩んだ3年生で留年 とは何ともうちの子らしい。気が緩むとマンガにふける。言って聞かせないと楽をしたがる。 O型人間の特徴そのままだ。でも流石に留年と知って本人も必死になったとみえる。 その後は何とか6年生までつつがなく過ごし無事に卒業してくれた。そして3日間の医師国家試験 に合格し晴れて初期研修医となった。その初期研修も来年の春に2年の期間を終える。 やれやれ、ここまで来てくれたと過去を振り返って一息入れてみると、高校を卒業して医学部卒業まで 8年、そして初期研修医で2年かかってる。 勉強に明け暮れた長男も来月で28歳。 もういい歳だし、医者なのだから早く後期研修を終えて専門性を高めた医者として活躍して欲しい ものだと思いきや、本人は医学部大学院に行くという。 またこれから4年勉強するのか〜。 まあいい。 思う通りにやればいい。博士課程を修了し、医学博士となって後期研修医を終える頃には 35歳になる。そこまでやりたいのだろう。 辛抱強さ、集中力、そして何より健全な心と身体があってこそ 成し得る技だ。7歳の時に医者になりたいと言っていた1年生の小さな背中が懐かしい。 今、空手クラブの子供達にはこの長男をモデルに、時に優しく時に厳しく、子供達の指導をしている。 みな同じようには出来ないけれども、集中力と辛抱、我慢をこの空手クラブで身に付けて欲しい。 医者を目指せ! 弁護士を目指せ! 国家公務員一種を目指せ! 高いハードルこそ挑む価値がある。 今日からでも遅くはない。心新たにチャレンジしてみよう。
また雨に
雨が8月に入って16日連続で降っている。 神棚の塩の皿が水を含んでびちゃびちゃし出している。 こう雨が続くと湿気が気になってしようがない。 こんなに湿度が高いといつもよりカビは広がるしコケもすぐに生えてしまう。 細菌の温床は広がるばかりだ。 そんな気候のせいなのかインフルエンザの患者さんが増え出だした。 エアコンで喉を痛めて体調を崩してしまうようだ。 食べる物も腐りやすくなるから胃腸炎の患者さんも増えている。 雪の日には 「これが雨に代わってくれたらどれほど楽だろう」と羨むのに。 今は、その雨にウンザリ。 雪の中の摩擦のない世界の怖さは頭から消え失せた。 お盆休みは昨日で終わり、今日から空手の稽古開始。 そろそろ子供達も田舎から帰って来たみたい。 雨にも負けず、夏の暑さにも負けず、一つの事に集中してみよう。
イライラは毒
私はせっかちで、臆病者の嫌な人間だ。そしてイライラ病にたまにかかってしまうから最悪だ。 原因はいくつかある。物理的なことや、人との付き合いの中で起こる。それに加え自分が思った通りに 出来なかったりするとイライラ病にかかる。まるで、ダダをこねる幼稚園児そのものだ。 この空手クラブを見渡すと、いたって穏やかないい顔をしている人が多い。 女子ではササイ、ナカエマ、男子ではフクニシ、アカヌマ がその典型だ。 みんないい顔をしている。顔だけ取ってみても、みんな黒帯だ。 私は彼らを見ていてつくずく自分が卑しい心の人間だと気付かされる。 人は本来、尊い仏の心を持っていたのに私の場合、いったいどこに消え失せたものやら。 最近、怒り、憎しみが湧いてくると私は1人で掃除をするようになった。 桜台では少年部が始まる前に掃除をして、新石川ではみんなが帰った夜に1人黙々と掃除をしている。 昨日から、掃除をしながら、イライラは毒だと何度も心に思い描くようにした。
怒涛の流れをつかむ術
1985年8月12日、お盆の帰省の真っ只中にあの飛行機事故事が起こった。26歳の夏だった。 520名もの方が亡くなったちょうどその123便に搭乗する予定だったのに、急遽、前の便に 変更したのが明石家さんまさん、その123便を新幹線に代えたのが稲川淳二さん。稲川淳二さんは 体に変調をきたし新幹線に切り替えていた。その事故を避けるような力が加わった人達が世の中には 何人もいる。それが果たしてご先祖様が守って下さったのか、まだ見ぬ遠い遠い子孫の力によるもの なのかは分からないが、この先、直接的な血縁関係にある子孫達の力と全く血縁関係のない人達や これから出くわし影響を与え合う関係の人達とその子孫達の力によって運命の方向は代わるのかもしれない。 世の中はそんな人達の力が交錯しあって成り立っている。決して好き嫌いなどの単純な思いで運命は 代えられるものではない。今年も日航機事故から32回目のお盆の帰省シーズンが来た。暑いこの夏 子供達にはたくましく、何事も迷わず勇気持って一歩踏み出してみて欲しい。運命の怒涛の流れは そんなちょっとしたことの積み重ねの先にあるのだから。