自転車の遅乗りほど難しいものはない。  早くこがないと倒れてしまうのに、それを遅く乗る。 相当の技術と力が必要だろうと察しがつく。  坂道に差し掛かったら、尚の事、技量が必要だ。  自転車でなくとも山道で調子に乗って駆け降りてしまうと、止まることは殊更難しい。 終いには膝が悲鳴をあげて、杖がないと歩けなくなってしまう。  だからスピードを上げる力よりも、ブレーキを掛ける力を備えたい。 何事も上級者と初心者の間には「急」と「緩」の差がある。 方や、何事もせわしなく、あわただしく、騒々しい。  体勢は不安定な中にあって心が定まっていない。 もう一方はゆったりとした姿勢から次の一手、二手が素早い。 素早く動く、そして急に止まる。  それが難しい。 緩急の「急」は身に付きやすく、「緩」は得がたい。 せわしない人は、ある意味、ある部分で才能があるのかもしれない。 行動的で、頭の回転も速い方なのだろう。  それゆえ、えてして頭角を現すのも早かろう。 しかし、こういう人は何かの拍子に大きくつまづきやすくモロイ。 何でもかんでも人と争って、いつも先頭に立とうとする人に長丁場人生はきつい。 ヨーイ・ドンで飛び出る駄馬は、いずれ息切れを起こして先手失速となる。 人生のマラソンはまだ続く。  先手失速でもチャンスはある。 駄馬だと言われても、あきらめるにはまだ早い。 浅い川はせわしなく流れ、 深い河はゆったりと流れる。 ならば、あえてゆったりと自然に身を任せてみるがいい。 北の国に行けばオーロラは8月から見える。  そこに言葉は必要ない。 シャッターチャンスはすでに創られている。 あくせくは似合わない。 そこにすべてがあって、あなたはそこに生きてる。

この7月で母は82歳になる。 日本女性の平均寿命は86歳。 それからするとあと4年で寿命が来てもおかしくはない。 これから先、1年に何度会えるだろう? 仕事をしだして家から離れて、もう33年が過ぎた。 何と、親との時間を浪費して来てしまったことだろう。 1年に8回、家に帰ったとして、また一緒に居た時間を4時間ほどと見積もっても 1年に32時間しか会ってなかったことになる。 それが33年。 合計すると1056時間=44日しか、一緒に居なかった。 仮にこの先4年しかないとする。 1年に4回、会う時間は3時間だとすると1年に12時間しかない。 それが4年とすると、ざっと48時間。 私が母と会えるのは、あと2日分しかない。 母はいずれ旅立つと頭では分かっている。 でも毎日の忙しさで親の死と向き合ってはいなかった。 母にしてあげたいことは山ほどある。 そのほとんどを私はしてこなかった。 昭和8年に生まれた母。 8歳の頃に戦争が始まり12歳で戦争は終わった。 毎週会う小学生の子供達の顔が重なってしまう。 残された時間は少ない。 今日、電話してみよう。

2011年10月11日に大津市で起こったようなことが、また繰り返された。 中学校に上がるとイジメは陰湿化して日常化することは周知の事実なのに。 また、同じことが起こったという。 中学生からが危ないのに。 それもまた中学2年生だ。 夏休みを跨ぐとまた、同じようなことが別の場所で繰り返されるだろう。 校長も、担任も何も変わってない。 そこに居た親の発言も。 マスコミは、イジメが起こるとハイエナのように群がっる習性がある。 事が起こる前にその流れを止めることをせずに群がる。 空しくはないのだろうか? 子供たちにとって、両親は生まれた時からずっと親だった。 でも、その親には、子供が生まれる前の人生もあったのだ。 二人が出会った頃が幸せだったのか、 それとも結婚式のウエディングドレスを着た時が 一番幸せだったのかは分からない。 しかしもっと幸せな時は、大きなお腹を抱えて心音を 聞いていたころだろう。 やがて陣痛を迎え、奇跡の出会いを果たすことになる。 頬を伝う涙は本物だ。 子供の泣き声はそれまでの苦労をすべて忘れさせてくれる。 そんなひと時がきっとあったことだろう。 校長にも、担任にも、そしてその父親にも。 ジャングルには、そんなか弱い生き方はない。 ジャングルには、そんな無責任な生き方もない。 ジャングルには大いな生きる力がみなぎっている。 ジャングルの王として君臨していた白いライオン・パンジャは人間に捕らえられた妻・エライザを 助けようとして銃弾に倒れた。エライザを動物園に入れるため、人間たちが船で輸送する途中、 エライザはパンジャの血をひく白い雄ライオン・レオを出産。 レオを動物園などに入れられる訳にはいかないと、エライザはレオを脱出させ、「ジャングルへ 戻りなさい」と命じる。その後、嵐に巻き込まれ船と共にエライザは沈んでしまう。レオは心優しき 人間のケンイチたちに助けられ、ジャングルへと戻る。 レオは人間たちの文化を活かしてジャングルを改革し、そこにいる仲間たちを守り、人間語も 話せるようになる。そして、ジャングルを荒らす人間たちと戦い、勝利、そして、幼なじみの雌ライオン ライヤと結婚する。 この空手クラブには掟がある。 弱い者イジメは許さない。 女の子には優しく。 イジメられる子供にはその子供独特の、イジメの対象になりそうな匂いがある。 この空手クラブではその匂い、その片鱗を消すための訓練がある。 泣いても、逃げようとしても、その心の訓練は経験させねばなるまい。 この横浜青葉区と緑区にはナマハゲが出没する。 そのナマハゲは厳しくも、暖かく子供達を見守っている。 世間はジャングルよりも冷たく弱者を放置する。 第三者委員会など山ほど設置しようが、弱者へのイジメはなくなりはしない。 ただ大事な事は、その本人が、どんなに冷たい雨・風に見舞われたとしても、 どんな理不尽な行いが横行していたとしても、凛とした心の強さを携えているかにある。 ナマハゲは、その一人一人の隠れたスイッチを探し出し、それを押してあげる。 あなたの息子や娘がレオやライヤになるまで私はナマハゲでいようと決めている。

人はダイヤモンドの原石のように光り輝くものを生まれながらに持っている。 でも、この本質的なものも磨かないと、その持てる力も発揮することなく消えうせてしまう。 多くの人は豊かな才能を持ちながらも、いつの日か自らの言い訳を添えてその舞台から降りて行く。 天才的な能力があったとしても退場する時の逃げ道を知らず知らず用意して姿を隠してしまうのだ。 つまり大事なことはいくら批判されても、評価されなくても、その舞台から降りないことではないだろうか。 そこにしがみ付き、我武者羅にでも生きてみるべきではないだろうか。 自分が志を定めた道を忘れず、その道を信じて歩き続けることだ。 人生にリハーサルはない。 その日その日がぶっつけ本番だ。 悩んでる暇など毛頭ない。 だったら余計な事など考えず自分が本当にやりたい事をやって生きて行きたい。 人間それぞれ、好きなことがあるし、やりたい事は千差万別。 好きなことがわからない人は自分の心に聞いてみるしかない。 無駄と知りつつ何かに熱心に取り組む。 好きな事とはそんなものではあるまいか。 将棋を観ていて思う。 世の中のすべてのものは人間生活に役立とうとして待機しているのではないだろうと。 そこにある駒の1つ1つが出番を待ち、活かされ方を訴えているように観得る。 縦9マス、横9マスの中で、相手の駒が泣いている。 歩は歩なりに、角は角なりに、あり得ない動きもする。 若い頃、疑問に思ったことがある。 私は飛車だろうか? それとも桂馬だろうか? いったいどんな生き方をすればいいんだろう。 何年も経った今、その答えがかすかに浮かんできた。 自分がどの駒であるかは問題ではない。 一局の長さも問題ではない。 ただ、歩であろうと、金であろうと思い通りに動くのがいい。 将棋盤の上で精一杯五感を働かせて持てる勢力を使い果たしたい。 泣いている駒はないだろうか? 今までの自分の一手はそれぞれの駒を活かせて来れただろうか? 世の中すべてのものは将棋盤の上にある。 ぶっつけ本番の人生がそこにある。 「待った」は効きそうもない。

男性と女性が出逢い、恋に落ち愛を交わす。 互いの人生が重なり合い喜びを分かち合う頃に精子と卵子が結合する。 しかしこうして奇跡の確率の出逢いによって結ばれた受精卵でも、この世に生まれて 来るのは、僅かに3割しかない。 残りの7割の受精卵は誕生までには至らない。 この生まれ出でた3割の中にも染色体に異常があったり、重大な疾患を持ったまま 生まれて来る子供がいる。 僅か1年の命の赤子もいる。 ご両親は治る見込みのない我が子の小さな手をさすり、頬を撫でてあげるしかない。 たった1年の命と分かっていても神に祈る。 そして必死に看病する。 たった1年でも、その子は親にいろんなものを与えてくれた。 若い新米夫婦にかけがえの無いものを残してくれた。 その子はその二人を選んで、その二人に会いに来たのだ。 またこういう事もある。 毒矢に刺さって苦しむ子供がいるとする。 そこに医者達が集まって論じ始める。 誰が矢を射ったのか? この子は誰の子で何で射られたのか? 身長と体重と血液型は? この子はいったい何歳なのか? その矢の材質と刺さった角度は? その矢にどんな毒がどれ程ついているのか? 苦しみ悶える子供の周りで論じられていた。 やがて、すべての疑問に答えが出た頃には、その子の息は絶えていた。 医者もいろいろいるものだ。 でも医者は評論家では困る。 分析や議論が不要とは言わない。 でも、その場で必要なことは一刻も早く患者の毒矢を抜いてあげること。 そして人として生きる事ではなかろうか。 誰でもわかりきっていること。 でも、多くの場合、そんなことが進まない。 人の一生のうち、困難や逆境に遭わずに暮らしていける人は稀だ。 ほとんどの人は、その状況は違えど様々な苦労を背負って生きている。 孫を抱いて涙する祖母がいて、子供を叱って抱き締める母がいる。 台風が来ると家族揃って、肩を寄せ合い息を潜めて台風が過ぎるのを待つ。 天気予報の無い時代は、そうやって家族の心を確かめあっていた。 今、してあげられること。 今、出来ること。 いったい私に何が出来るのだろうか? それを昨日も今日も思いながらデコボコ道を生きて来た。 明日もそんなことを心に抱きながら地べたを這って生きていくだろう。 私の前には、そんな道がどこまでも続いている。

行き過ぎやり過ぎは、何だかしっくり来ない。 8年前、急に駅前留学のNOVAうさぎが姿を消した。 豪華な社長室だけは印象に残ている。 一度は経営破たんしたNOVAは今、また出直して頑張っている。 いい時には、すべてがうまく行くから調子に乗り過ぎてしまうのだろう。 頭が良くて、勢いがある人は、そこに突然曲がり角が現れることに気づかないのかもしれない。 最近、昔のNOVAと同じ匂いがする広告を何度もテレビで観るようになった。 社長はやはり若い。 勢いがある。 だから、危ない。 感覚的にそう思う。 夜の静寂の中で考えごとをするのは至福の時だ。 真夜中がゆったりできる。 そういう時を大事にしたい。 音楽を聴きながら目を閉じてもの思いにふける。 人生には、自分でコントロールできない出来事が突然現れるもの。 そんな出来事に押しつぶされ、パニックを起こしてしまいそうになる。 でも、「この後には必ず良いことが起こる」と信じたい。 いや、「そう信じること」が生き方のコツかもしれない。 やがて良い土地の縁と、よい時の縁、そして良い人の縁が何かを結び付けてくれる。 それを信じ、その何かが結びつく時を待つしかなかろう。 「帝王切開での出産、特に障害を持った子を出産した親は出産前、妊娠前の食と生活を 乱したことの証であり、一生かけて反省しなければならない」とつぶやいた医師がいた。 この辛辣な文字を残す医師は筑波大を出た41歳の内科医。 身勝手で強烈な言葉はダイオキシンに等しい。 梅雨の季節。 毎日暗い空が覆う。 降らば降れ。 吹かば吹け。 と自然の流れの中に身を置きたい。 人は、やがて狂奔の日々を振り返って自然とともに歩む道を探すことだろう。 以前、昔育った街を歩いてみた。 幼いころの記憶が蘇り、懐かしく、またすっかり変わってしまった風景に物寂しさを感じた。 同時に家族や友達の姿や言葉が思い出され、それらが自分の物の見方・考え方の原点になり その後の自分を支えていたことに気づかされる。 時は過ぎ、時代は変わった。 私は時に過去をたどり、いつまでも変わらない自分の原風景に立って来た。 そうすることで明日に希望をつないで人生を紡いで来た。 自分の生きた証もまた消えることがなく、きっと誰かの心の風景に刻まれているかもしれない。 できることなら、その人達が苦しい時、逃げ場を見失った時、どうしようもなくなった時に 立ち返る拠り所になって、勇気を与えられるような、そんな生き方をして行きたい。 今は、そう思って生きて居る。 大切な人の心に届け。 今日の努力する姿が明日の喜びにつながるはずだと。

あなたは過去を許せますか? あなたは、もう自分の過去を許してあげたのですか? 人は自然に守られ、人に支えられて生きている。 人を蔑み、人を裏切り、そして人をあざけりながら生きている。 あなたは憎んでいた過去を忘れられますか? そして憎んでいた人の事を忘れられますか? あなたは何に背を向けて生きて行くのですか? 「人は、人によりて、人になる」 「子供は、大人によりて、良き社会人になる」 子供は感受性豊かに大人を観ている。 関心があるから観ている。 そして観ているその人の様な人生を送るようになる。 だから気を抜いてはいけない。 肩書や年収で人を判断する子供は、その親がそういう人だったのかも知れない。 一生懸命努力する子供は、きっとその親の後姿を観てきたのだろう。 でも悪口も、陰口も、重箱の隅を突っつく攻め口調も子供がやり始めた事ではない。 積乱雲と雷、雹や突風、そして地震とつなみ。 先の天候など誰にも分からない。 自然の中に人は生きている。 自然に守られ、また苦しめられながら生きている。 憎む人も、許す人も、大いなる宇宙の中に居る。 太陽は、いつもあなたを照らしている。 許すあなたも、憎むあなたも。 あなたは自分の過去を許せますか? 答えのある問題を解くのは大事な事。 しかし答えのない問題を心で反すうすることはもっと大事。

昨日、おとといがあって、今日の自分がある。 三か月、半年前の自分があって、今の自分がある。 3年、5年、10年、15年、そして20年、30年前の自分があって、今の自分がある。 1時間は3600秒。 1日は86,400秒。 1か月は約260万秒。 そして1年は約3110万秒。 30年では約9億3300万秒。 気の遠くなるような間、着実に砂時計は時を計っている。 だから、この1秒、1秒を無駄にしてはいけない。 人には固有の砂時計があって、一人一人の砂時計の大きさ、砂の量は生まれながらに差がある。 そして蝋燭が消えるように、その砂時計も最後の一粒が尽きたら、それでその人がその身体で生きる ことは出来なくなってしまう。 おもちゃの電池がなくなるように、砂時計の砂もいずれなくなってしまう。 だから、その一粒一粒、一秒、一秒を無駄にしてはならない。 私には無駄にしてはならないことがある。それは私が今まで味わった苦しみ、悲しみ、妬み、痛み。 それから何よりも人に与えて来てしまった苦しみ、悲しみ、妬み、痛みである。 若かりし頃、私は人の世話になるものかと思いながら生きて来た。 しかしもはや、その過去に立ち戻って、過ちを悔い改めることは出来ない。 今日、6月12日 二つの事件の判決が出た。 一つは、2014年3月に起きた柏の通り魔事件の判決。 「これでまた殺人ができる」という声が残った。 もう一つは、2014年9月に生活苦から実の娘を絞殺した判決。 「本当は私が死ぬはずだった。可純に申し訳ない」という声が残った。 失敗も、後悔も、そしてどんな嫌な事柄も、一つとして無駄なことはない。 人はその生涯の中でいったい何千人、何万人の人に出遭っていることだろう。 「もう、あの時には戻れない」 という過去をどれほど観て来たことだろう。 今日、私はいろんな経験をした。 そして明日の私はどんな経験をするのだろう。 今日、私はいろんな人に出遭った。 そして明日の私はどんな人に出遭うのだろう。 昨日の自分があって明日の自分がある。 今日の道端の蟻んこにも明日がある。 そして、田んぼに生まれる名もなきミジンコにも陽のあたる明日はきっとある。

人は条件で幸せになれるほど、簡単な代物ではない。 お金があって、いい学校を出て、容姿はもちろん悪くない。 しかし、人間は、そんな条件だけで幸福な日々を送れる訳ではない。 でも、それが大事だと人は言う。 お金がないから喧嘩するんだ。と。 果たして本当にそうだろうか? お金があっても、卒業した学校が良くても、そして見た目がカッコ良くても あなたを大事に思ってくれている人かどうかは分からない。 人は誰しも幸せになりたいと願っている。 お金がある人もない人も。 そして自分の幸せだけを願っている。 親兄弟が自分をかけがえのない人だと思っているように 自分が嫌いなその人にも、その人をかけがえのない人だと思う親兄弟がいる。 その人を愛して、その人の幸せを願っている人たちがいる。 人の性格は千差万別。 顔も姿もおなじ人などこの世には存在しない。 71億分の一の存在だ。だからその存在自体が尊く愛おしい。 この71億人の人は、人と関わって生きてこそ、一人一人の幸福感は増す。 しかしそれも歳を取るに従い、人との関わりも減り孤独の中に生きるようになる。 まだ間に合う。幸せは逃げやしない。 いったいこれから世の中はどうなるのだろう。 自分はこのままでいいのだろうか? そんな時代だからこそ、今日一日を精一杯頑張った自分を労ってほしい。 よく頑張ったじゃないか。 失敗しても大したことじゃない。 いったい、何を欲張って生きているの?

今、私は生きている。 57年前のこと、荒川が氾濫して埼玉県川口市が水浸しになったらしい。 そんな話を母から聞いたことがある。 「ちょうどお前がお腹にいる時だったよ。」 「腰まで水に浸かりながら善光寺のお寺さんに避難したんだ。大変だったよ。」 母から勉強のことを教わったことはない。 自由に育ててくれた。 幼稚園の頃、私はいつも暗くなるまで池や畑で遊んでいるヤンチャ坊主だった。 今、自分は生きている。 産婦人科の病院は産まれたての赤子と母親だけのものではないと、ある雑誌に書いていた。 心が疼いた。 十月十日を前にして死産に直面した母親の記事だった。 産婦人科の病院はエコーの音を楽しみにしている母親達の場所。 急に慌てふためく医者と看護師に責任はない。 赤子がいなくても産後の入院生活を過ごさねばならない。 その母親は、やがて家に戻り灰色の日々を過ごすことになる。 涙は枯れ笑顔が消えた日が過ぎる。 心の傷はすぐには癒えるものではない。 時は過ぎ、季節が変わって、ようやく心は笑いで緩むようになる。 ほんの少しの時しか一緒にいられなかったその赤子もやはりその母親を選んで この世に来たのだろう。 今も昔も、人はみな奇跡の連鎖の中に生きている。 そんなことを思いながらその雑誌を閉じて、新聞に目をやった。 相変わらず下世話な記事が溢れていた。 三菱東京UFJの元エリート行員がお客の預金を横領して逮捕されたという。 元支店長代理はシニアファイナンシャルプランナーでもあった。 そして彼は横領したお金を自分の住宅ローンと遊興費に当てたらしい。 将来のライフプランに即した資金計画やアドバイスを行うファイナンシャルプランナーが 顧客の預金をだまし取る時代になってしまったのか。 これでは世も末ではないか? その男、52歳 川口市在住とある。 52年前、彼の母親は産婦人科の病院で奇跡の出会いに涙したに違いない。 幸福とは何だろう? 他人からは貧乏で不幸な人生だと思われても、その人が自分の人生を振り返った時 「あれこれといろんな浮き沈みが確かにあって苦労もした。そして些細な喜びしかない この人生でもまあこれでよしとしよう」と心底思ったとすれば、それは幸せな人生であった のではないだろうか。そして何よりも愛する人が幸せであってこそ、その思いは強くなる。 この52歳の容疑者も奇跡の連鎖の中に生きている。 そして彼の母親は今でも彼を愛しているのだろう。 幸せはいつもそこにあるのに、人はそれに気づいていない。

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