代々木第一体育館での新極真全日本は初めてだと思います。今までは千駄ヶ谷の東京体育館が改修工事中だからなの でしょう。しかし、毎回 新極真の全日本の全体の演出と子供の演武は、他の極真系団体の大会よりも頭一つ抜けている感 があります。また、今までは塚本先生の試合が、常に1本勝ちを狙う空手の醍醐味を味わうことができたので、技、スピード、 パワーから見ても他の極真団体よりも新極真は頭二つリードしていたというのが率直な自身の感想です。 私は毎年、 秋~冬にかけて行われる極真系の全日本大会には顔を出し、自分の空手センスを磨いたり、マンネリ化を感じる稽古 の中で刺激をもらったりしながら、自分の空手にかける意識レベルで維持するようにもってきていました。誰に指示された からでもなく、大阪での体重別全日本にも必ずと言っていいほど通ったものです。    今回は一緒に観戦したご家族は大人、子供合わせて28名、その他会場でお会い出来ませんでしたが2家族の方が 来ておられたはずですので、たぶん33名の方々と観戦させて頂いた訳です。この巡り合わせに本当に感謝の気持ちで いっぱいです。夏のバーベキューといい、こういう機会は大切にしたいと思います。また今後、お母様達からの声で何かが 出来ればといつも思います。 さて、肝心な試合内容ですが、2日目に残った方々の試合ということもあり、1日目よりKO シーンは少ないだろうと予測はしていましたが判定での試合決着ばかりに多少、面白みに欠けました。世界大会では、 こういう展開は少なくKO決着必死、空手の醍醐味がギュウギュウ詰めなので、あと3年待たないとならないかもしれません。 それと、やはり塚本先生が凄かったということでしょうか? 日本人同士だと相手を知り尽くしてるからなのか、見ていて ハラハラ感が少ないのです。やはり、極真空手は1本勝ちにこだわる空手でないとだめです。 そういう点から言うと去年 の世界大会の塚本先生の技・スピードは他を圧倒していたという事なのかも知れません。 もう当分、塚本先生のような 逸材はでないだろうと去年の大会を見た時に思ったものです。 今年の選手達はスピードは落ちてはいないものの、 ず抜けた技は見ることが出来ず残念な気がしました。ここに白蓮の内藤、北島選手が何故出て来ないのか?  何故連合会に甘んじるのか? 疑問でなりません。 主戦場はやはり技の最高峰で争ってもらって初めて日本一というもの。 今まで白蓮のトップ3は毎年新極真の体重別には参加すれども、3回戦に行くことすら出来なかった現実があります。 しかし、それでもトップレベルで戦って欲しいものです。また松井派の選手と新極真の選手もどこかで手合わせする場が 欲しいと思います。本当の日本一というには、分裂団体ごとに全日本大会としても真に一番かどうかはわかりません。 油の乗ってる時に、一同に会して雌雄を決する場を作らねばならないでしょう。緑代表と松井館長が同じ席につくことが 空手会発展の礎を築くことになるに違いありません。多くの空手ファンのためにも、そうあるべきです。そこで浜井派が 担うことがあるなら積極的に空手会全体の発展のために尽くさねばならないと強く思います。 今日の子供たちの素晴らしい演武を観て、そう思いました。

極真の黒帯は、百貨店やスーパーで買えるものではありません。確かに道着を買って自分で武道道具を扱う業者に 出向いて黒帯を揃えて、帯に名前と極真の文字を刺繡すれば恰好は整うでしょう。しかし、技はどこで買いますか? どこにも売ってません。本で読めば出来るというものでもありません。すべて目と耳と身体全部で体感して覚えるもの。 この対面で覚えるから身体も、ちょっとやそっとでは忘れないのです。何度も、何度も真似をしようと試みれば、その結果 自分なりの形が出来あがります。この真似をする過程で、徐々に感覚も研ぎ澄まされ、自信も生まれ、そして何事にも 動じない心が培われてきます。極真にはペーパードライバーはいません。「試験にあわよくば通って」、というようなラッキー は黄色帯の段階まで。 そこから先は力の世界。うまさは見ればわかるし、強さも見ればわかります。その逆に極真の 緑帯や茶帯で弱い人がいたら、それは可哀想です。極真の緑帯・茶帯クラスとなれば何よりも強いこと。それは身体が 強いこと、スパーリングが強いこと、試合に強いこと、そして心が強いこと。これらのことが備わってなくて緑帯以上に なっていたとしたら、いずれ下の帯の人にやられてしまうでしょう。たまにそういう方に出くわすことがありますが可哀想です。 極真の緑帯以上の帯は、心が強いという証です。黒は何色にも染まらない色。決して、何事にもふらつかない心の証。 そして、その人の生きた証でもあり、プライドなのです。  極真の黒帯は、他流はより取得しにくいと言われます。これは間違いです。誰でも取れるのですが、多くの場合、黒帯 を取る前に辞められてしまうだけなのです。 取れると思い込めば必ず取れると私はそう思っています。私自身がそう だったので。 私は白帯の時、自分の黒帯の姿を何度も想像しました。黄色帯の時も、緑帯の時も。それが茶帯になると、 たぶん自分も極真の黒帯が取れるかもしれないと、薄っすら希望の陽が垣間見れるようになるのです。その茶帯をある 期間経験する内に、いつしか自分が指導者側に立っているのも気づいてきます。それが茶帯の自覚です。その自覚が あると、もう真近。 あとは先生の「そろそろ次の審査で初段を受けてみるか」という言葉を耳にするだけです。 その言葉は審査の半年以上前に聞いて、昇段審査までに覚えなければならない、様々な型、移動稽古、そして組手に 耐えられる身体を創って行きます。これは長年登ってきた山のイタダキが見えた瞬間です。半年はあっという間に過ぎる でしょう。流石に他流で黒帯を頂いた時と違い、極真の黒帯を46歳で頂いた時は感慨深いものがありました。 なので認定証は今でも大事に保管しています。振り返ってみると賞状をもらったのは、そろばん2級と学校の卒業証書 だけ。それが極真の試合に出て優勝や入賞をして賞状、メダルやトロフィーをもらうようにもなると嬉しくて、励みにも なりました。また40歳台にして、自分の逃げない心を授けてもらった大事な経験の場に感謝の気持ちも湧いて来ました。 これら認定証もトロフィーも、すべてが自分の誇りです。 しかも極真の黒帯の認定証と帯を頂いた時は、その何とも 言えない重みと、念願叶った達成感とで、それまでの苦労は露と消えたことを思い出します。 私は、その過程を味わってもらいたくて、今年、出会った方々に指導をしてます。極真の黒帯は夢ではないということを 伝えたくて、一緒に汗を流してます。身体が小さくても、年齢が50歳を過ぎていても、黒帯になられた方を何人も見てきた ので、遥か遠くの手の届かないものでは決してないということを私は伝えていくつもりです。 私自身、多くのご父兄さんたちと同じように、家族に対する顔、そして仕事の顔、そして道着に袖を通し白帯を締め出した 時の空手初心者の顔、それをバランスを考えながら続けて来た結果が今の私です。 15年前を思い起こしながら。いつもがんばれ~!って心で叫んでいるのです。 子供たちも、お父さん、お母さんたちも がんばれ~!と。 あっ、忘れてはならない人がいました。お一人結婚されてない方が。私は、その方が結婚される時 には、ここで出会った方々みんなで祝福してあげたいと秘かに心に決めています。わざわざ世田谷から車で通ってくれる その方も、いろんな意味でがんばって欲しいです。 また育児と家事と送り迎えで忙しいお母さんも学校のことや、ご近所 付き合いのことや、親戚のことやらで気が休まることがないでしょう。 30歳台、40歳台は、そういう中であっという間に 過ぎ去って行きます。極真空手は、そういう走馬灯の中でも何も変わらず、ただ強い心を育んで生きて行くための手段 として、また普遍的なものとして先達たちが築き上げてくれたものです。それを横浜青葉の地で一人でも多くの方々に 伝えて行くのが田中空手クラブの使命だと思っています。私は、一人でも「教えて欲しい」と言われたら、必ず、その人 の為に時間を取るのは、そういう訳なのです。

確か春先のことでした。 今年を占う記事を見たのは。 ちょうど、なでしこジャパンがフランス女子に0-2で負けた試合の ころです。点数こそ2点差でした。しかし内容は走力、瞬発力、戦術面でも、総合的な体力面でも圧倒された試合。これを見た 日本のファンの頭を過ったのは、「なでしこのオリンピック予選敗退」ではなかったようでしょうか。 またちょうど同じころ プロ野球もペナントレースに入るか入らないかのころでしたから、中畑監督も鼻息が荒く、キャスターやレポーターの誰もが 今年のベイスターズは雰囲気が明るくなって何かが変わったようだと言葉を繋いでいました。 また、その頃話題になって いたのは「大阪維新の会」の存在です。橋下大阪市長が国政に出るのではないかとの噂。これらを激辛予測をしたのは 新大久保で韓国料理のお店を三姉妹で出してる運命激辛鑑定士の魚ちゃんでした。 魚ちゃんの占いはこうです。 なでしこはオリンピックの決勝まで行く。中畑監督はうまくいかない。橋下市長は弁護士に向いていて政治家には向かない ので国政に出ると失敗する。 ざっとこんな内容でした。 この中で最初の2件は、みごと的中です。しかし私は最後の 大阪維新の会は勢いも全国規模で広がっているのを拝見し、これだけは、如何に魚ちゃんでも外したかと心の中で思って いました。しかし占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦ですから2/3の確率は66.7%の正解率だから御の字です。 つい最近、橋下市長が朝日新聞とその子会社の週刊朝日の記事をめぐって、ツイッターや記者会見で激しい言葉で 怒りを爆発させている姿をTVで見て、ちょっと気持ちが引きました。これは政治家ではないという感じです。弁護を受け 持つ立場なら有能でしょうが、政治家は風格というか、人格というか、何か人を引き付けるものがあって欲しいと思うの です。私自身、日本の政治を立て直すには若い人が古い体質を刷新しなければならないと感じていましたし、維新の会 の存在は、日本の将来を託せる、あるべき姿なのかもしれないと内心、大いに期待していました。 しかし、あの会見を 見ると、またツイッターのレベルを見ると、「やっぱり何か違うぞ」 という違和感みたいなものを感じてしまったのです。  果たして日本維新の会の行方は、魚ちゃんのいう通りなのでしょうか?魚ちゃんが占ったものは3/3の正解率なのでしょうか?  この魚ちゃんの激辛占いは予約制で1日35組まで。一人3000円以上の飲食をすれば無料で見てくれるようです。 私の本音は当たって欲しくない。占いが100%なんてあって欲しくない。未来が決まっているとしたら、そんな未来なんて 面白くもない。未来は切り開くもの。運命なんてありはしない。そこにあるのは自分の意思、切り開く力、未来を変える力、 そういうものがなくて決まり切ったレールの上しか歩めない世の中なら面白くない。 この先がわからないからこそ、むしろ そこに生きる価値があって、そんな山あり、谷ありの過程を自分で描いてみたい。ガス欠になることもあるでしょう。車も 壊れることもあるでしょう。人間関係で苦しむこともまたしかり。 しかし、前を向いて活きて行く為には、決まりきった道程 を決まりきった時刻に過ぎて行くだけでは、魂のない無反応人間になるしかありません。私は持って生まれた奇跡を 楽しむために、失敗も、苦労も、挫折もあってしかるべきと思います。その後に必ず訪れるであろう虹を見る為ならば、 喜んで苦行を味わって活きて行きたいと思います。 魚ちゃんの占いが、そういう意味では外れて欲しいのです。

市川市の築十数年の1kに家賃6万円を払いながら一人暮らしをしている48歳の看護師の方が、肩書きを偽りiPS人体初臨床 という記事がここ2,3日の朝刊、夕刊各紙の1面を飾っています。アメリカの有名大学客員講師、東大特任教授というと 一般的にはすごい方と思われるでしょう。しかし、このご本人は、それが目的ではなく「医学博士号取得」が目的なのかも しれません。いずれにしても読売新聞は、1か月ほど前から当人と面談し10月に入ってからは6時間もご本人の取材に 時間を割いたにも関わらず、こういう根本的な調査を惜しんだ為に、大きな代償を払うことになるようです。大手新聞社としての 信用の失墜と言えます。そもそも医者は医師国家試験に合格しないと医療行為は出来ません。その後大学院へ行って 更に専門的に極めれば、そこでようやく医学博士号が取れるというもの。しかしこれは医学博士の90%の人。残り10%は 医学部卒の医者でない方も、論文博士として「医学博士号」を取得出来るのです。そういう方が日本には10%います。 素人向けには箔がつくので、薬学系、その他工学系、または文系の人も仕事をしながら、もしくは医療関係従事者も 医学研究科に研究生として在籍して論文誌への投稿をしたり、学会で論文を発表したりして認められれば博士号の申請は 出来ます。 今回の森口氏は、看護師資格でありながらも医学博士号取得に向けて積極果敢に動かれたようですが、何かを見落として いたように思えてなりません。そして世の中、決して甘くはないのです。嘘の上乗せを繰り返してワープが出来るのはゲーム の世界だけと思った方がいいでしょう。 パソコンの前で虚像を膨らませ、大手新聞社の記者を言いくるめた先にあるものは、 断崖の先に突き出たレールだけなのですから。 アパートの大家さんに東大教授になったと伝えてしまったりすると、それこそ 後戻りは出来なくなっていたのでしょう。レールの先まで車輪が廻ってしまったあとは奈落の底に落ちるしか道はないのです。 この70歳の大家さんが気にかかることは「何か嘘をつく必要があったのか?」ということと「空き部屋のこと」なのかも しれません。しかし、この大家さんも長らく生きてこられる間に、自身のコメントが新聞紙面に掲載されようとは想像もでき なかったことでしょうが、唯一それだけは森口さんの功績だと、認めてあげてもらいたいものです。今回の件で真面目に 働く看護師の方々や、医療従事者で論文博士号の取得を真剣に目指している方々への影響は少なくはありません。但し、 果たして今回の件において森口氏に罪があるのか非常に微妙です。この話を持ちかけたのは森口氏、しかし、それを 真に受けて掲載したの読売です。私は寧ろ、公正な情報を適時に世に知らしめる役割の読売新聞社には大きな落ち度が あって、この点は大いに社内外で追及がなされるべきだと思っています。

いつも穏やかな心で、清らかな優しい思いだけを巡らして、どんな環境の中でも幸せを感じていられたら、どれほど   素晴らしい事でしょうか。 周囲の人たちを正直にしたいなら、まず、自分が正直にならねばなりません。 そして   家庭と環境を幸せなものにしたいなら、まず、自分の心が幸せでいっぱいにならねばならないと思うのです。 先日、田園都市線大井町駅のトイレで40歳台の女性と50歳台の女性が清掃作業をしている場面に出くわしました。 黙々と床を磨いては、「ありがとうございました」と入って来る人達に声をかけているのです。 私はトイレに入って   ありがとうございました。と言われたのは初めてだったので、何だか新鮮な気持ちになりました。 その方々は一日  何人の方にこの感謝の言葉を伝えているのだろうと、ふと考えてみたのですが、引っ切り無しに入ってくる人たちに、 感謝の言葉を発したとすると7秒に1回。すると1分で8人に挨拶する計算です。1時間で480人。2時間で 約1000人です。 この清掃業を半日だけ行ったとして4時間で2000人です。これを10日間続けると20,000人。 20日間で40,000人です。一か月20日間、半日だけパートをされたとしても、あの方々は一か月で40,000人に 清らかな思いを伝えていることになります。年間で480,000人。3年続けると1,440,000人。  私は、その言葉を返すことも出来ずにいました。「こちらこそ」、とか「お蔭様で」となぜ素直に、さらっと言えなかった のかと反省しておりましたし、歯切れの悪さに、情けない思いがしました。 いい年をして、そんなことも 出来てないなんて。 ところで、私は今日何回、ありがとうって言っただろう?って振り返ってみるとたった4回。 そうすると一ヶ月間に多く見積もっても120回ほど。あの方々が15分でこなす回数を私は一カ月間かけて口に していたことになります。これでは感謝した日々を送っているとは言い難いかもしれません。 大井町の駅で出くわしたあの方々のお陰で、自分のレベルがわかったような気が致しました。   私は、私の思いが私を連れてきた場所に立っています。明日の私は、私の思いが私を連れていく場所に   いるでしょう。 自分の思いが原因となり結果を生むように、自分の人生は自分が思ったように出来あがって   います。そして、その人生は、これから先を自分の好きなように変えることが出来ると私は思っています。

100年前に比べて格段に情報化社会になり、情報端末が飛躍的に発展して来た結果、日本のテレビやインターネット 上の出来事は、すぐに外国でも確認が出来るのですから、画面に出る方は言葉には気を付けてもらいたいものです。 現在、キャノンやパナソニックの海外の工場が暴動を受け、操業が停止してます。これは反日デモが原因とは言えま せん。日本人の現地のワーカーとの連帯感のなさ、画一的なものの考え方、おしつけ、上から目線など日本人として 気にしてない部分が、実際には現地のスタッフとの心のつながりを阻む要因になっていると言えます。自分たちの やり方で交流を図ろうとするのではなく、あらゆる国には、その国の歴史と文化、風習そして歴史があります。どれほど 、その国の歴史を理解し、尊重した上で仕事をしているのか自らを顧みなければならない時期に日本は来ています。  現場を廻るとそれがひしひしと伝わってくるのですが、永田町と、その方の地元しかしらない方には、海外の実態を 伝えても、にわか知識を読み上げるだけで意味をなさないのは明白なことでしょう。 日本人は元々稲作を中心にした農耕民族。そして高々、過去100年間で世界の上層に躍り出た新参者。方や中国、 韓国、インドなどは曾ての先進国。「曾て」というのは過去5千年を指します。日本は過去4千9百年間を発展途上国 として先進国へ遣唐使、遣隋使を送って来た国。また欧州や米国にも江戸の終わりから優秀な人材を送り出して来た国。 しかし、多くの日本人は「日本は先進国であり、過去から優秀な国民である」と言うでしょう。島国なのです。考え方が島国 レベルだと言えます。大陸を制覇していた国々の発想とは程遠いものです。確かに日本人は緻密で、まじめで、仕事に誇り をもつ世界的には、稀な民族ですが、日本流の考え方や文化はファーイーストであり決して世界の中心にはなり得ないもの です。その点を誤解したまま、日本企業や日本の政治家が突き進んで行くと大きな発展とは、程遠い将来が待ち受けている のではないかと思えてなりません。世界では、あらたな出会いを遮断する村八分意識や、直線的な考え方では通用しません。 多くのエネルギーと共鳴し合い、心が繋がり合う若者が日本にも多く出てくることを期待したいものです。2030年には明らかに アジアは変わっています。2012年4月にIMFが発表した「世界経済見通し」は2010年を基準にした場合、20年後にGDPが どれほどになっているかを示したものです。それには2030年にはインドは日本の1.2倍へ。中国は日本の3.6倍になって いると記されています。これは公式見通しなのですが、この数字は、あまり日本ではクローズアップされません。また2020年 には北京と上海の平均賃金は東京のそれを超えることも知られてません。中間層消費上位10か国をみると2009年1位米国 、2位日本、3位ドイツ、4位フランス、5位英国。これが2020年には1位中国、2位米国、3位インド、4位日本、5位ドイツ。また 2030年では1位インド、2位中国、3位米国、4位インドネシア、5位日本。となっています。 つまり、日本は何をもって先進国 と言えるのか、数値上ではわからなくなるのです。日本の在り方は、そろそろ変わるという事実が日本でも浸透して行かねば なりません。そうでないと世界と共存し得ないのです。今は、世界の中で日本は共存している状況を創っているとは言えず、 あくまで企業利益に則った海外進出が主であり、国際化された民族の活動であるとは言い難いものとなっています。 2030年とは、もう遠い話でなく18年後のこと。7歳の子供が25歳になり、32歳の方が50歳を迎える年。心が通じあえる 子供達を育てて来たか否かは18年後の小学校の花壇の下に埋まったタイムカプセルの中に隠されているはずです。それは その時、50歳になった方への玉手箱。 日本がどんな国になっているのか18年後を楽しみにしたい。

24年も前のこと。結婚して5年間、子供が出来ずにいました。両家の親、親戚などから、悪気のない催促のような 会話にも嫌気がさし、子供に関わる会話も避けるようにしていました。私は、このままでいいし、あえて子供を作らなく てもいいと思ってはいたのですが、やはり夫婦なので相手の意思も尊重せざるを得ません。家内は、当時の不妊治療 の名医と言われる医者をどこからか探して来て、その方の渋谷の病院まで行くと言い張ってました。私は、その会話を 避けるように、避けるようにしていたのですが逃げられませんでした。結局、行かざるを得ないはめになり、渋々というか 、びくびくしながら連行されて行きました。  子供が出来ないのは自分の責任のように思い込み、それを宣告されるのが怖かったのです。しかし家内は堂々とした もの。いつも弱そうな女性がなんで、これほど強いのかと思えたほどです。家内は「ちゃんとして生きて来たから、ちゃんと 子供は生まれるはず。」という思いがあったのかもしれません。私は逆でした。「ちゃんとして生きてこなかったし、胸に 手を当てれば若かりし頃の遊びもあり、真っ当なことにはならないはずだ。」と思っていたのです。何度か病院に通った ころ自分の精子を顕微鏡で見るという羽目になりました。当時の私は無精子症候群や精子の奇形という言葉を知って いたので、きっとその宣告を聴くことになるはずだと思い、暗く淀んだ気持ちで病院に向かいました。大げさに言うと 人生の終わりのような顔をしていたかもしれません。 「さあ、顕微鏡のレンズを見て下さい。見えますか?」という 落ち着いた響きは今でも忘れません。「ご主人の精子は異常ありませんね。分かるでしょう。数といい、繊毛運動 といい。」 私はあまりの安堵にお礼の言葉もうまく言えなかったと記憶しています。診察室から出てきた時には、 周りの風景がカラーで見えました。緊張し、おどおどして、逃げ出したい思いから病院に向かっていたので診察室 に入る前の私は、白黒の無機質の風景の中にいたのです。  こういう経緯があってその後、ほどなく長男:yudaiが生まれ、次男:sakyoには、その3年後に出会う事が出来ました。 私の場合、ここまで来るのに大変、遠回りをした気がしますが、 しかし、この偶然の積み重ねの一つ一つを当然という 言葉で終えられない、もっともっと重いものがあるように思えてならないのです。 何故なら標準的男性の一回の射精に ある精子を約5千万個として、また青少年から結婚し受精するまで18年を要したとすると、そこまでに約2千億個の精子 を要することになります。また女性は約30万個の卵子の中から毎月1個だけ選ばれて排卵します。たとえば26歳で 結婚したとして、28歳で子供を授かるとすると、それまでに、すでに約192個の最適卵子を排卵し終えて、その後、 受精の機会に辿り着くという訳です。今はもっと遅くなっていると考えた方がいいのかもしれませんが、女性が初潮 を迎えてから193番目の卵子の排卵に出くわした精子と受精し子供が生まれると仮定出来ます。すると、その精子 は2千億1個目の精子ですから、この出会いの確率は2千億1個 x 193個 = 38兆6千億193分の1です。 その確率で、今いる我が子に出会ったということです。この奇跡的出会いは自分の生まれた確率でもあるし、 母親のそれも、みな同じです。世間の嫌いなヤツも、好きな人も、中国人もアメリカ人も。みな同じだと考える のが自然です。つまり、この奇跡の集まりが、奇跡を生み、また奇跡を創ります。一つの受精卵は細胞分裂を 起こしながら、2億2500万年前の哺乳類の祖先からか、もしくは2500万年前の猿人類の進化の過程を辿る ように十ヶ月と十日間 母親のお腹の中で成長して、漸く世に出るのですから、これも長い旅を経て人体を形成 するという奇跡と言えます。1個の受精卵になるまでが奇跡なら、その分裂進化の成長過程も奇跡です。  一人一人の命はそれほどの偶然が重なりあって創り上げられているようです。 私は、遠回りをして来ただけに、この奇跡を重く感じないわけには行きません。今、私は、この偶然が折り重なった 奇遇の真っ只中にいます。 多くの人がそうであるように、私も奇跡の中で活かされてるのでしょう。 昨日も今日も、 そして明日もまた、私はこの偶然の中にある奇跡に出くわすことが楽しみでならないのです。

今年の7月25日 木曜日 なでしこジャパンのサッカーの試合を見ながら書いたブログは、この先、子供達が活きる 世の中がどうなっているのだろうと空想しながら書いたもので表題は「2050年」としました。 昨日、ふと、ある雑誌 の9月号 「ふしぎの地球のサイエンス」という特集に目が留まり、そこにある大学教授が「今月のお題」に対する 見解を書いていた文章に唖然としました。 内容はこういうものです。  「あなたは二人の父母がいて、四人の祖父母がいて、八人の曾祖父母がいる。一世代を三十年と仮定すれば、三十年 をさかのぼるごとにあなたの祖先の人数は二倍になっていくわけである。そうすると三百年前の江戸時代には、あなた の祖先は約千人いたことになる。六百年前の室町時代には百万人の祖先がいて、九百年前の平安時代にはなんと 十億人となる。平安時代の日本の人口は一千万人ほどだっただろうから、この数は当時の人口の百倍である。こんな ことになってしまう理由は世代をさかのぼればさかのぼるほど分岐したはずの系統図が同じ人に戻ってしまうことが しばしば起こるからである。このような事実から推測できることは、もしあなたがタイムマシンで平安時代へ行ったと したら道行く人々は誰もかれも、貴族であろうと、乞食であろうと、皆あなた自身と血のつながりを持つあなたの祖先 なのです。ーーー」 この文章は、SF作家であり、山口大学客員教授でもあり、相愛大学の教授でもある方が9月号のある雑誌のコメント として書かれたものです。私が一世代を25年と書いたのに対し この教授は30年としてる部分には違いがありますが、 この発想は私が7月25日に書いたブログの内容に酷似しているというのが実感でした。雑誌には印刷に廻す期限があり、 その期限までに文章を提出しないとなりません。そして、その内容も誰も書いてないことを世に出さねば出版社も 喜ばないでしょうから、こういう事態になるのでしょう。 私も自分の考えや生き方などをブログでオープンにしている以上、 内容の流用はある程度、目を瞑らねばならないと思っていますので、それは大きな問題ではありません。 しかし、 先生の、その後の文章には、いささか賛同できかねます。 「九百年後には、あなたの子孫は十億人となる。--- おそらくあなたは九百年後のすべての日本人の「アダム」と「イブ」となっているであろう」 と。 しかし、これでは面白く ありません。 つまり、こうなります。 「九百年先の話は、現実的でないので、少なくとも二十年~三十年、五十年先はどうなるのかと言い切った方がいい のです。そう思いませんか?  きっとその方が読者には現実味を与え、引き付けるはずです。また、この先の日本には 『青い目の日本人が増えるだろう』というのも私の自論です。駅のトイレに洋式トイレが増えたように、ジワジワと和式が 姿を消してしまうでしょう。マイカル映画館でアメリカを身近に感じ、浦安のディズニーに行けば、日本にないものを感じる ことが出来ます。そんな若者が増え、時代を担う立場に立って行く時代が来るということです。 つまり、そういうiphone 世代の若者は、良くも悪くもアメリカ風の生き方に慣れ親しんでいます。 いずれ和式文化が徐々に廃れていく時代が 間違いなく訪れ、30年もすれば日本には着実に『青い目の日本人』が増えているのです。」  この私の考えについて、 どう思われるか、一度、大阪に行って橋元淳一郎先生のご意見を拝聴してみたいと思います。  ぶしつけですが「ノルウェー人のアンネシュ・ブレイビクが有罪である理由」も教えて下さいませ。但し、そのお答えは 今ではなく、30年ほど経ってから聴かせて頂きたく思います。どうぞ、その時までくれぐれも、質問内容とお答えを お忘れなきようお願い申しあげます。  

8月9日 pm2時22分に義母が息を引き取り、荼毘にふされてから、そろそろ49日です。  日本では没後四十九日目に法要を行うのが習わしです。しかし、こういう風習は外国では聞いたことがありません。 日本特有のものかもしれませんが、「三途の川」を外国の人に説明するのには苦労します。来週から始まる「彼岸 の入り」も同じです。家内は義母が他界してから一度も夢に出て来てくれないと悲しんでいます。「あちらはあちらで 忙しいんだろうから、あまり無理を言わないんだよ。」という具合に慰めてはみますが、「生きてるあなたに何であっち の世界のことが分かるのよ?」という具合に、バカなことを言うなとあしらわれます。誰も、死後の世界のことは わかりません。 以前、丹波哲郎という役者がこう言ってました。「私は毎日、日に三度、四度死後の世界を行き 来している。皆さんも行こうと思えばすぐに行けます。3つ数えれば、すぐです。それじゃいきますよ。イチ、ニー、 サン。 シ・ゴ(死後)」。 そんな丹波さんは、あっちの世界に行ったっきり、もどって来ませんから、向こうの世界のことを聞く機会をなくして しまいました。やはり、その手の話はメリンダ・ゴードンに聴かないとならないみたいです。メリンダが言うのは我々には 見えない世界のこと。そして光が見えるというのですが、それは実際には眉唾物で、いかがなものかと思うのですが 未知なるものへの、憧れと懐疑心が交錯してしまい、どの回も最後まで、このドラマを見てしまうのです。 「以前1万年前に地球上で核戦争が起こって多くの人が亡くなり、文明が途絶えてしまった。人類はまた原始の生活に 戻り、次第に進化して行った。」 などと嘘のようなことを真顔でいう人がいました。 どう処理すればいいのかわからない 話です。 「そうですか? それで。」 こういう作り話をして何になるのでしょうか。 私は明らかにいやな気持ちでその人 を見ていました。もう4年も前のこと。しかし今、思うのは、それもあり得ない話ではないということです。今、一億光年先に 宇宙の末端があるようですが、地球上の人は誰も見ることは出来ません。そこに行きつくまでの1億年もの間を生きて いられないからです。ビッグバーンが起こってから進化と膨張が起こっていることは知っています。これが宇宙の流れ ・宇宙の力だということも分かっています。つまり、地球上の人間も、生き物も、何もかもが必ず進化するということ。 お祈りをする人も、しない人も。善人も悪人も。いいも悪いも皆、その考えのまま進化して膨張し続け、発展するよう です。但し、その進化発展の過程で自分の思いを入れ過ぎると、それが無心から有心・邪心となり、アクセルを踏み ながらブレーキも踏む状態を生んでしまい、自分のパワーで自分の進化・膨張・発展を止めてしまうようです。 邪心のある祈りが成就しにくいのは、そういう原理なのだろうと推測出来ます。輝いてない心で淀んだ願いをしても、 自然の力・宇宙の進化の流れに自分でブレーキをかけてしまうようなものなので願いはかなわないのかもしれません。  そこで無心になることが大事だと宗教家の方は言われるのでしょう。 子供は無心なので成長する。大人は、そこに邪心が 入るので停滞する。しかし人間は長い目で見れば間違いなく進化してますし、これからも進化・成長しつづけるのでしょう。 携帯電話を見てもわかります。iPHONEは、もうファイブになります。どこまでも進化します。100メートル走は曾て、12秒 であったものが9秒台に。いずれ8秒台になるでしょう。ウルトラCという言葉は、42年経つとウルトラGと言います。 昔の技をビデオで見ると子供でも出来ると思えるのは、それだけ人間が進化してるという証です。人間は爆発的に 進化しています。 それが宇宙の力です。祈らなくても進化します。悪い人も同じように。このバランスが崩れると 自らを滅ぼす力が高じて、爆発し、再び一から出直しという事態になるのだろうと推測出来ます。 ということで1万年前に核戦争があって人類は滅亡したという話は自分の中では、消化できる話になってきたのです。  しかし、その手の話よりも、如何に輝いて成長出来るのか?そしてそういう進化・成長をしてる姿に接していたいと 思うようになったのも事実です。 子供たちは太陽です。みんなよどみなく成長します。 子供の「ありがとう」という 言葉は、万能の薬。 それを耳にするだけで癒されます。無邪気、無心であることはブレーキをかけない状態。 だから子供達には無限の可能性があるのです。また、そういう無心を実践しつづけようとする大人の方々に接すると、 やはり同じように感謝の気持ちが湧いてきます。  昨晩、四十九日を前に義母に祈りを捧げました。祈りと言っても「有難うございました」という感謝の気持ちを込める だけ、そして「一度くらい家内の夢に出てあげて欲しい」と言うものでした。 しかし、こういう祈りが実を結ぶ確率は決して 進化しません。感謝の心は伝染し、多くのものを進化させる原動力になるのに。そして、そんな気持ちを込めた祈で あっても簡単には通じないようです。アクセルを踏みながら、知らず知らずブレーキを踏んでるのかもしれません。 自分ではそういう自覚はないのですが。

コーマーシャルが少なかったのでBSの歌番組かと思うほどでした。流石に後半は、適量のコマーシャルがありましたけど 途中までは、いい歌をいい雰囲気で聴けて、いい番組だなって思ってました。神田川、妹は声も昔のままでした。 この作詞は喜多條さん。どことなく他の作詞家とは違う趣にその場の臨場感を感じたものでした。でも本当に面白いのは、 この方の経歴。神田川や妹がヒットしたのに奥さんに逃げられ、あっさり一線から身を引いたのですから凄い。 その当時を振り返った記事にはこうありました。  「つま恋から5年ほどたったころ、妻が家を出て行った。長女が小学校の低学年、長男は幼稚園に通っていた。 妻の荷物が消えた部屋で、川の字に寝た。真ん中で二人と手をつないで。一本一本細い指をなぞると、小さな骨の 感触が伝わってきた。この手がどんどん大きくなるんだな。親の都合で重い荷物を背負わせた。罪の意識を感じつつ、 強く生きて欲しいと願わずにいられなかった。5時起きの生活が始まった。「おべんとう365日」という本を頼りに、 子供たちの弁当を作った。仕事の依頼は断った。子供に寄り添うと決めていたから。そんな父子暮らしは、再婚するまで 一年半続いた。」 絶頂期に奥さんが出て行くのも稀、そしてその絶頂期に仕事を捨てて、子供の弁当を作ることを 選んだ人も稀です。 そういうことは出来るものじゃないし、またその当時を振り返ったこの文章にも人間味を感じます。 この人の凄いのは、復活してからもヒット曲を飛ばしたこと。キャンディーズのやさしい悪魔、暑中お見舞い申し上げます、 アン・ドゥ・トロワ、それ以外の歌手の多くも手がけられてます。 この方、もう64歳のはず。趣味は競艇。 やっぱり、それかな? 奥さんが出て行ったのは? でも人間味のある方には間違いない。そして天性の文才がある のでしょう。 競艇は生まれ持った血なのか? 作詞の為の後天的な原動力なのか? わかりませんがその人の個性を 創るには必要な部分なのかもしれません。 今日の番組では小椋佳さんも出ていました。もういいおじさんというかおじいさん。でも「さらば青春」は27歳の銀行員 当時の作詞。 何でこんな文章が書けるの? 今のうちの会社、そしてお付き合いのある会社の27歳は、次元が 違うし、自分の27歳当時を振り返っても、こんな文章書ける訳がありません。「僕は呼びかけはしない、遠く過ぎ去る ものに、僕は呼びかけはしない。かたわらを行くものさえ。見るがいい、黒い水が抱き込むように流れてく。少女よ。 泣くのはおやめ。風も木も川も土も、みんな みんな たわむれの口笛を吹く。」 何で27歳のサラリーマンが書けたの? 東大法学部卒だから? いいや、違う。 東大出でもバカはいるし、変な人も少なくない。 文才のある人が、たまたま 東大法学部を卒業しただけなんだ。 そう思うしかありません。 ならば喜多條さんの場合も文才がある人が、たまたま 競艇にのめり込んで奥さんに逃げられたんだって思うのが自然かもしれません。 いや、ちょっと待て、待て。違う違う。 27歳ころに何かを成す人は何かが違うのかもしれません。そういえば昔の文豪もそうです。森鴎外は東大医学部を 19歳で卒業し27歳で舞姫を書いたはず。 そうでした。 みなさん並ではありません。 納得です。 そうじゃないと 日露戦争の軍医として出兵した人が、その8年後に「高瀬舟」の喜助の心は描けなかったのではないかと思うのです。 世の中には 一般人の顔をして、並でない偉人が山ほどいることは忘れてはならないとあらためて思いました。 たとえ今は普通の人でも。いつ化けるか分からない世の中ですから。

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