7月 2015

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6年生 四人と約束した。 「3ヶ月後に開脚して胸が床に着くようにする。」 そんな単なる約束だった。 もう一つ、「出来なかった場合は空手を辞める。」そんな代償も付け加えた。 これはどれほどの効力があったかは分からない。 世間では約束を破ってもいいものだと勘違いをしている人がいる。 ちっぽけな約束だし。 取るに足らない約束だから。 そんな軽い気持ちで約束を反故にする人が少なくはない。 先日、プロ野球を観戦した。 2ヶ月前にチケットを抑えていた。 楽しみで待ち遠しかった。 その日を心待ちにしていた。 そして、その日は約束通りにやってきた。 しかし、その事は当たり前ではない。 雨が降って観戦できないかもしれないし、他の事情で観に行けなかったかもしれない。 でも、2ヶ月前に思っていたことが実現した。 先の約束には実は何の保証もないのだ。 だから自分で決めた事で出来る事なら、それをすべてやり続ける。 そういうことなら出来る。 その事を気付かせたい。 過去の自分が心に決めたその日までやり続けること。 それも出来そうだ。 それも伝えたい。 結局、それが約束というものではないだろうか。 そんなまどろっこしいことを6年生 四人に伝えたくて約束をした。 この四人に共通することは 2年程の稽古を積んでいた事。 しかし、四人とも身体が硬いという事。 そして、身体が硬くてもスパーリングは意外と強いという事。 ただ、自分の未来に約束するという大事な事はまだ知らない。 一生懸命やればきっと出来ることも知らなかったかもしれない。 毎日、毎日頑張った自分を導いてくれたのは、他でもない自分自身なのだ。 自分の未来は自分で決めるしかない。 それを伝えたくて約束をした。 来年、この四人は中学生になる。 この先、彼らがどんな人生を歩むかは分からない。 未来の自分を大事にしたいのなら、今の自分に嘘をついてはならない。 「きっと、ここに来るからな」と過去の自分が未来の自分に言い聞かせる。 そんな図太い人生であって欲しい。

物事は、最初からうまく行く方が珍しい。 大抵は、失敗の連続で、ミスと手違いでムシャクシャして前に進まない。 初めて自転車に乗ろうとする時、補助車輪なしに転ばず乗れるような人はいない。 初めて鉄棒にぶら下がった時、逆上がりが出来なくて当たり前。 その時に何度も失敗している内に、ちょっとしたコツが見つかることがある。 もちろん人によって差はあるものの、諦めず、うまくいかない事にねをあげず 続けて行けばいい。 失敗と成功はセットになっている。 だから出来るまでやる人がその壁を乗り越える事が出来るのだろう。 始めはデタラメでもいい。 それが生きるコツではないだろうか。 形や見た目など関係ない。 まずはやってみる。 人生も同じ事。 失敗を恐れて、失敗をした後のことを気にしつつ前に進まない人がいる。 周りの噂を気にしている人が居る。 過去の失敗を気にして、一歩足を運ぶことに躊躇して佇んでいる人が居る。 1年前の今日、どんなことで悩んでいたのか覚えてないのに ただ漠然とした不安を抱いて、その不安の中に小さくなって浸っている。 過去に捨てた生ゴミは焼却炉の中で煙になってしまっているのに 漠然とした不安の余韻だけは後生大事に持って生きている。 人には忘れる能力が産まれながらに備わっている。 それに生ゴミは毎週捨てている。 昨日のゴミは、もうこの世に残ってはいない。 あるのは形もない明日だけ。 人は誰でも明日に向かって今を生きている。

怒らないから正直に話してごらん。と親に言われ、嘘をついた事を認めた途端 頬っぺたを、これでもかとつねられた事を思い出す。 嘘は泥棒の始まりだからね。と言って聞かされた。 それでは、あの時の親こそ、嘘つきではなかったか?  と今は微笑み混じりで思う。 しかし、それほど真剣に親は自分の行く末を案じていてくれたのだと伝わってくる。 誠実に生きるとは、そういうことなのだろう。 誠実な人であれば、食いっぱぐれはないのかもしれない。 だらしない格好をしていれば心もだらしなくなってしまう。 だから、居ずまいを正して座ることの意義は其処にあるのではないだろうか。 正座を教えるということは心の居ずまいを教えること。 これを日常的にやっていることで綺麗に座れるようになる。 子供達の心を真っ直ぐにさせるには、フカフカのソファーではなく正座がいい。 この形を創ることで子供達の心は次第に引き締まり真面目に相手の話を聞くようになる。 我慢の出来る子であって欲しい。 辛抱する心を持った子であって欲しい。 弱音を吐かない子であって欲しい。 そんなことをこの空手クラブでは願いながら、しつけに時間を取る。 欲しいから盗む。 殴りたいから人を傷つける。 ブランド物のバックが欲しいから援助交際をする。 イジメたいからイジメる。 そんな人たちを創らないために我慢をしつけている。 我慢を知らない人が陥る落とし穴が世の中には山ほどあると 子供達の心に刻まねばなるまい。 夏休みが始まった。 力強く生きる夏が始まった。 この夏休み、子供達はどれほど悪知恵を駆使して嘘をつくことになるのだろう。 そして、親達はどれほど子供達の頬っぺたをつねることだろう。 いずれにしても心を真っ直ぐに正し、太く生き抜く子供達であって欲しい。 ひまわりが力強く成長する夏。 日差しの照り返しが眩しい。 目には見えない心を摘み出し、強くへこたれない心を創り上げる。 そんな夏が待っている。

たとえば、電車で自分の席の前で老人が立ってるにも関わらず 平気な顔してスマホにふける中学生。 たとえば、プラットフォームから線路にゴミを捨てる高校生。 たとえば、禁煙エリアで人目を気にせず煙草を吸う大学生。 たとえば、整列乗車を気にせず車内で座り込む高校生。 彼らもやがて結婚し、子供を宿す。  しつけを知らない、その若き新米夫婦はどうやって彼ら自身の子供をしつけるのだろう? 世間に恥ずかしくないだけのことを、伝えきらないまま 無責任にも世の中に、ほおり出した親たちがいる。 「ウソをついてはいけません」と子供に言いつけておきながら ウソが蔓延る世間を受け入れる親がいる。 頭でわかっていても、なかなか行動に移せないのが「しつけ」。  皮膚感覚で分かるまで何度も繰り返し、言って効かせるのが「しつけ」。 人の事より、まずは自分のこと。 子供のことより、まずは自分のこと。 自分の損得が一番大事。 自分が大事で、全てを損得で計算する人は世の中に少なくない。 「しつけ」は損得の外にあるもの。 「しつけ」は自分への見返りの外にあるもの。 「しつけ」はお金で買えないもの。 「しつけ」は一人の人を変えて一つの国を変えるもの。 その子たちが親になった時に「しつけ」を繰り返し伝えきる大人であって欲しいから。 その子たちが自分の子供以外の子も叱る大人であって欲しいから。 その子たちが大人になって電車に乗って「子供は立っていなさい」。 と言える人であって欲しいから。 弱い人の立場を守り、目上の人を大切にし、 そして自分だけ楽をせず、譲り合うことを知っていて欲しいから。 だから、私は口酸っぱく、ことあるごとに本人に伝え、すぐに改めさせる。 学校で学ぶことは、こういう土台があって初めて活きてくる。 学校はしつけを教える場所にあらず。  学校は知識を習得するところ。 無暗に生き物を殺さない。  物を盗まない。 ウソをつかない。 弱い者をいじめない。 人が困ろうが悲しかろうが、自分が困らなければそれでいいの?  よもや、有名私立の制服を着たまま、ゲームにふけり 老人に席を譲らないような子供を創ってはなるまい。 「さあ、人間としてどうあるべきだろうか。」 と諭す人を一人でも増やして行きたい。  その為に私は今を生きている。

自転車の遅乗りほど難しいものはない。  早くこがないと倒れてしまうのに、それを遅く乗る。 相当の技術と力が必要だろうと察しがつく。  坂道に差し掛かったら、尚の事、技量が必要だ。  自転車でなくとも山道で調子に乗って駆け降りてしまうと、止まることは殊更難しい。 終いには膝が悲鳴をあげて、杖がないと歩けなくなってしまう。  だからスピードを上げる力よりも、ブレーキを掛ける力を備えたい。 何事も上級者と初心者の間には「急」と「緩」の差がある。 方や、何事もせわしなく、あわただしく、騒々しい。  体勢は不安定な中にあって心が定まっていない。 もう一方はゆったりとした姿勢から次の一手、二手が素早い。 素早く動く、そして急に止まる。  それが難しい。 緩急の「急」は身に付きやすく、「緩」は得がたい。 せわしない人は、ある意味、ある部分で才能があるのかもしれない。 行動的で、頭の回転も速い方なのだろう。  それゆえ、えてして頭角を現すのも早かろう。 しかし、こういう人は何かの拍子に大きくつまづきやすくモロイ。 何でもかんでも人と争って、いつも先頭に立とうとする人に長丁場人生はきつい。 ヨーイ・ドンで飛び出る駄馬は、いずれ息切れを起こして先手失速となる。 人生のマラソンはまだ続く。  先手失速でもチャンスはある。 駄馬だと言われても、あきらめるにはまだ早い。 浅い川はせわしなく流れ、 深い河はゆったりと流れる。 ならば、あえてゆったりと自然に身を任せてみるがいい。 北の国に行けばオーロラは8月から見える。  そこに言葉は必要ない。 シャッターチャンスはすでに創られている。 あくせくは似合わない。 そこにすべてがあって、あなたはそこに生きてる。

この7月で母は82歳になる。 日本女性の平均寿命は86歳。 それからするとあと4年で寿命が来てもおかしくはない。 これから先、1年に何度会えるだろう? 仕事をしだして家から離れて、もう33年が過ぎた。 何と、親との時間を浪費して来てしまったことだろう。 1年に8回、家に帰ったとして、また一緒に居た時間を4時間ほどと見積もっても 1年に32時間しか会ってなかったことになる。 それが33年。 合計すると1056時間=44日しか、一緒に居なかった。 仮にこの先4年しかないとする。 1年に4回、会う時間は3時間だとすると1年に12時間しかない。 それが4年とすると、ざっと48時間。 私が母と会えるのは、あと2日分しかない。 母はいずれ旅立つと頭では分かっている。 でも毎日の忙しさで親の死と向き合ってはいなかった。 母にしてあげたいことは山ほどある。 そのほとんどを私はしてこなかった。 昭和8年に生まれた母。 8歳の頃に戦争が始まり12歳で戦争は終わった。 毎週会う小学生の子供達の顔が重なってしまう。 残された時間は少ない。 今日、電話してみよう。

2011年10月11日に大津市で起こったようなことが、また繰り返された。 中学校に上がるとイジメは陰湿化して日常化することは周知の事実なのに。 また、同じことが起こったという。 中学生からが危ないのに。 それもまた中学2年生だ。 夏休みを跨ぐとまた、同じようなことが別の場所で繰り返されるだろう。 校長も、担任も何も変わってない。 そこに居た親の発言も。 マスコミは、イジメが起こるとハイエナのように群がっる習性がある。 事が起こる前にその流れを止めることをせずに群がる。 空しくはないのだろうか? 子供たちにとって、両親は生まれた時からずっと親だった。 でも、その親には、子供が生まれる前の人生もあったのだ。 二人が出会った頃が幸せだったのか、 それとも結婚式のウエディングドレスを着た時が 一番幸せだったのかは分からない。 しかしもっと幸せな時は、大きなお腹を抱えて心音を 聞いていたころだろう。 やがて陣痛を迎え、奇跡の出会いを果たすことになる。 頬を伝う涙は本物だ。 子供の泣き声はそれまでの苦労をすべて忘れさせてくれる。 そんなひと時がきっとあったことだろう。 校長にも、担任にも、そしてその父親にも。 ジャングルには、そんなか弱い生き方はない。 ジャングルには、そんな無責任な生き方もない。 ジャングルには大いな生きる力がみなぎっている。 ジャングルの王として君臨していた白いライオン・パンジャは人間に捕らえられた妻・エライザを 助けようとして銃弾に倒れた。エライザを動物園に入れるため、人間たちが船で輸送する途中、 エライザはパンジャの血をひく白い雄ライオン・レオを出産。 レオを動物園などに入れられる訳にはいかないと、エライザはレオを脱出させ、「ジャングルへ 戻りなさい」と命じる。その後、嵐に巻き込まれ船と共にエライザは沈んでしまう。レオは心優しき 人間のケンイチたちに助けられ、ジャングルへと戻る。 レオは人間たちの文化を活かしてジャングルを改革し、そこにいる仲間たちを守り、人間語も 話せるようになる。そして、ジャングルを荒らす人間たちと戦い、勝利、そして、幼なじみの雌ライオン ライヤと結婚する。 この空手クラブには掟がある。 弱い者イジメは許さない。 女の子には優しく。 イジメられる子供にはその子供独特の、イジメの対象になりそうな匂いがある。 この空手クラブではその匂い、その片鱗を消すための訓練がある。 泣いても、逃げようとしても、その心の訓練は経験させねばなるまい。 この横浜青葉区と緑区にはナマハゲが出没する。 そのナマハゲは厳しくも、暖かく子供達を見守っている。 世間はジャングルよりも冷たく弱者を放置する。 第三者委員会など山ほど設置しようが、弱者へのイジメはなくなりはしない。 ただ大事な事は、その本人が、どんなに冷たい雨・風に見舞われたとしても、 どんな理不尽な行いが横行していたとしても、凛とした心の強さを携えているかにある。 ナマハゲは、その一人一人の隠れたスイッチを探し出し、それを押してあげる。 あなたの息子や娘がレオやライヤになるまで私はナマハゲでいようと決めている。

人はダイヤモンドの原石のように光り輝くものを生まれながらに持っている。 でも、この本質的なものも磨かないと、その持てる力も発揮することなく消えうせてしまう。 多くの人は豊かな才能を持ちながらも、いつの日か自らの言い訳を添えてその舞台から降りて行く。 天才的な能力があったとしても退場する時の逃げ道を知らず知らず用意して姿を隠してしまうのだ。 つまり大事なことはいくら批判されても、評価されなくても、その舞台から降りないことではないだろうか。 そこにしがみ付き、我武者羅にでも生きてみるべきではないだろうか。 自分が志を定めた道を忘れず、その道を信じて歩き続けることだ。 人生にリハーサルはない。 その日その日がぶっつけ本番だ。 悩んでる暇など毛頭ない。 だったら余計な事など考えず自分が本当にやりたい事をやって生きて行きたい。 人間それぞれ、好きなことがあるし、やりたい事は千差万別。 好きなことがわからない人は自分の心に聞いてみるしかない。 無駄と知りつつ何かに熱心に取り組む。 好きな事とはそんなものではあるまいか。 将棋を観ていて思う。 世の中のすべてのものは人間生活に役立とうとして待機しているのではないだろうと。 そこにある駒の1つ1つが出番を待ち、活かされ方を訴えているように観得る。 縦9マス、横9マスの中で、相手の駒が泣いている。 歩は歩なりに、角は角なりに、あり得ない動きもする。 若い頃、疑問に思ったことがある。 私は飛車だろうか? それとも桂馬だろうか? いったいどんな生き方をすればいいんだろう。 何年も経った今、その答えがかすかに浮かんできた。 自分がどの駒であるかは問題ではない。 一局の長さも問題ではない。 ただ、歩であろうと、金であろうと思い通りに動くのがいい。 将棋盤の上で精一杯五感を働かせて持てる勢力を使い果たしたい。 泣いている駒はないだろうか? 今までの自分の一手はそれぞれの駒を活かせて来れただろうか? 世の中すべてのものは将棋盤の上にある。 ぶっつけ本番の人生がそこにある。 「待った」は効きそうもない。

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