高野まひろちゃん
元々、私は剛柔流空手を学んで来たので型には少々細かい。 剛柔流は約143年前に沖縄で創られた那覇手の一つだ。 極真会館はこの剛柔流をベースにしている。 剛柔流で稽古を積んで居た頃に見た極真の型は決して馴染めるものではなかった。 昨日、極真坂本派南関東地区型選手権大会が行われ、この道場からも 6つのクラスにエントリーさせて頂き4階級で優勝者を出した。 しかし、内容はとても胸を張れるものではない。 暑い日照りの日も、寒く凍える日も変わらず日々鍛錬する者が手にするタイトルを いとも簡単に手にし結果のみを喜んでいる人がいるとすればそのタイトルは 返上してもらいたいし、決してその人の為にはならないと思っている。 体調が悪いから今日は稽古をやめよう。 仕事が忙しいから稽古はまあいいや 冬の体育館は寒いから暖かい道場で稽古をしよう などと言う者は型の試合には似つかわしくない。 空手の型は黙々と練り上げるもの。 新潟県に新たな型の星がいる。 長岡市で松濤館を習っている高野万優 ちゃん10歳。 まひろちゃんは何百回、何千回と型を打つ。 暑い日も寒い日も何度も何度も同じことを繰り返す。 果たしてそんなことを何人の人ができるだろうか?
指定難病 63号
葬儀は暖かい雰囲気だった。 もちろん、私はその方とは会ったこともない。 ある方のご親族ということで葬儀に赴いた。 毎年3000人の方がこの病気を発症してしまう。 血小板が減り、出血を止めにくいなる病気だ。 若い女性に多いらしい。 生理が止まらなくなり、歯茎出血、鼻血も止まらなくなる突発性血小板減少性紫斑病。 私はこの方のことを、もう10年も前に聞いていた。 そして憤りを感じてきた。 看護師仲間だった二人が出会い、やがて結婚し旦那の実家で生活しだした3ヶ月目の 29歳の時に、その女性は発症してしまった。 その後、旦那とその家族は野良犬を捨て去るように新妻を実家に帰らせ 荷物も宅急便で送り返して、その後、妻の思いを微塵も温めず離縁させている。 彼女は52歳まで実家の寝床で天井だけを見て過ごす事になる。 体調のいい日は近くの病院で看護師として人の面倒を見て居たらしい。 自分のことよりの他人のことを優先する人を旦那とその両親は掃いて捨てた。 その家族は今も、のうのうと生きている。 離縁はしようがないにしても、この理由が納得出来ない。 この無念を思うと今も寝つきが悪くなってしまう。 この出来事に私は当分抜け出す事が出来そうにない。
お陰様
陽が当たらない見えない部分のお陰で私は大事な局面を乗り越えて来た。 本当に大事なのは、太陽の陽が当たる表の部分ではなくて陽の当たらない 陰の部分の力ではないのかとつくづく思う。 もう22年も前のこと。 長男が一年生の時に言っていたことを思い出した。 「下水道っていうのがあるから海の水は綺麗なんだね」 彼は目に見えない下水のことを知っていた。 長男が6歳、次男が3歳だった。 次男は3歳でも喋らなかった。 それをいつも夫婦して気を揉んでいた頃だった。 当時住んでいた滋賀の家が朝方、大きく揺れた。 今までにない横揺れが長く続いたのを覚えている。 神戸が壊れ、燃えていた。 あれから22年が過ぎた。 お陰様で子供達は無事成人した。 長男は今年28歳になる。 目に見えない下水のことはまだ気に掛けているだろうか? 目に見えない力に支えられている事を子供達は分かっているのだろうか?
カッコよく生きる
1月29日極真坂本派主催の南関東地区選抜型選手権大会に10名がエントリーする事となった。 この中から何名が全日本大会に選抜されることだろう? そんな事を考えながら型の指導を行っていた。 稽古の途中で、型は毎日やらないとダメだと伝えた。 がしかし、一般部の方々はやはり仕事の接待やお付き合いがあって なかなか自宅で毎日、型稽古をする事は出来ないと言う。 やはり、そうか? 少し残念な思いがした。 大方の人は、みなそうだと分かっていても残念だ。 私は試合に出るからにはトロフィーかメダル、賞状をもらわねば気が済まなかった。 だから優勝する事から逆算した生活にしたものだ。 組手の試合でも、型の試合でも優勝有りきの生活をする人がメダルやトロフィーに相応しい。 それを通り一辺倒の普通の生活をしながらトロフィーを手に出来る程、世の中は甘くはない。 とは言え、仕事と家庭と空手のバランスが大事だと教えてきている。 空手一筋で生きるのではなくバランスのとれた人になってもらいたい。 空手で身に付けた忍耐、健康を人生で活かして欲しい。 その忍耐・我慢を養うのが型稽古。 当てる空手の極真カラテと言えども型に目を向けたい。 さあ、緊張感ある寒い会場は君のためにある。 凛とした心で。 呼吸を整えて挑んでみるがいい。 その姿、きっとカッコいい。
2017年を迎えて
新年明けましておめでとうございます。 自分の人生を振り返れば、ああすれば良かった、こうしておけば良かった という後悔は多々あれど、よくもまあ、ここまで頑張って来たものだ。 悔しい思に身をよじり、幾多の辛酸をなめ たまに出くわす嬉しい日々を越えて、何とかここまで来た。 偶然が重なり、手を伸ばせばチャンスを掴めそうな時もあった。 いくら頑張っても空回りという時期も経験した。 しかしどれ1つ後悔などしていない。 今年の1年、嵐の日々を迎えようとも そして大シケの夜に襲われたとしても 希望の芽は絶やすまい。 義理人情を果たし 真実一路を貫いて たとえ虚しく波止場に停泊の日を重ねても 必ず来る海路の日和を逃すまい。 今日という、この1日を頼りに ただただ、この1日を有意義に過ごせればそれで良し。