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24年も前のこと。結婚して5年間、子供が出来ずにいました。両家の親、親戚などから、悪気のない催促のような 会話にも嫌気がさし、子供に関わる会話も避けるようにしていました。私は、このままでいいし、あえて子供を作らなく てもいいと思ってはいたのですが、やはり夫婦なので相手の意思も尊重せざるを得ません。家内は、当時の不妊治療 の名医と言われる医者をどこからか探して来て、その方の渋谷の病院まで行くと言い張ってました。私は、その会話を 避けるように、避けるようにしていたのですが逃げられませんでした。結局、行かざるを得ないはめになり、渋々というか 、びくびくしながら連行されて行きました。  子供が出来ないのは自分の責任のように思い込み、それを宣告されるのが怖かったのです。しかし家内は堂々とした もの。いつも弱そうな女性がなんで、これほど強いのかと思えたほどです。家内は「ちゃんとして生きて来たから、ちゃんと 子供は生まれるはず。」という思いがあったのかもしれません。私は逆でした。「ちゃんとして生きてこなかったし、胸に 手を当てれば若かりし頃の遊びもあり、真っ当なことにはならないはずだ。」と思っていたのです。何度か病院に通った ころ自分の精子を顕微鏡で見るという羽目になりました。当時の私は無精子症候群や精子の奇形という言葉を知って いたので、きっとその宣告を聴くことになるはずだと思い、暗く淀んだ気持ちで病院に向かいました。大げさに言うと 人生の終わりのような顔をしていたかもしれません。 「さあ、顕微鏡のレンズを見て下さい。見えますか?」という 落ち着いた響きは今でも忘れません。「ご主人の精子は異常ありませんね。分かるでしょう。数といい、繊毛運動 といい。」 私はあまりの安堵にお礼の言葉もうまく言えなかったと記憶しています。診察室から出てきた時には、 周りの風景がカラーで見えました。緊張し、おどおどして、逃げ出したい思いから病院に向かっていたので診察室 に入る前の私は、白黒の無機質の風景の中にいたのです。  こういう経緯があってその後、ほどなく長男:yudaiが生まれ、次男:sakyoには、その3年後に出会う事が出来ました。 私の場合、ここまで来るのに大変、遠回りをした気がしますが、 しかし、この偶然の積み重ねの一つ一つを当然という 言葉で終えられない、もっともっと重いものがあるように思えてならないのです。 何故なら標準的男性の一回の射精に ある精子を約5千万個として、また青少年から結婚し受精するまで18年を要したとすると、そこまでに約2千億個の精子 を要することになります。また女性は約30万個の卵子の中から毎月1個だけ選ばれて排卵します。たとえば26歳で 結婚したとして、28歳で子供を授かるとすると、それまでに、すでに約192個の最適卵子を排卵し終えて、その後、 受精の機会に辿り着くという訳です。今はもっと遅くなっていると考えた方がいいのかもしれませんが、女性が初潮 を迎えてから193番目の卵子の排卵に出くわした精子と受精し子供が生まれると仮定出来ます。すると、その精子 は2千億1個目の精子ですから、この出会いの確率は2千億1個 x 193個 = 38兆6千億193分の1です。 その確率で、今いる我が子に出会ったということです。この奇跡的出会いは自分の生まれた確率でもあるし、 母親のそれも、みな同じです。世間の嫌いなヤツも、好きな人も、中国人もアメリカ人も。みな同じだと考える のが自然です。つまり、この奇跡の集まりが、奇跡を生み、また奇跡を創ります。一つの受精卵は細胞分裂を 起こしながら、2億2500万年前の哺乳類の祖先からか、もしくは2500万年前の猿人類の進化の過程を辿る ように十ヶ月と十日間 母親のお腹の中で成長して、漸く世に出るのですから、これも長い旅を経て人体を形成 するという奇跡と言えます。1個の受精卵になるまでが奇跡なら、その分裂進化の成長過程も奇跡です。  一人一人の命はそれほどの偶然が重なりあって創り上げられているようです。 私は、遠回りをして来ただけに、この奇跡を重く感じないわけには行きません。今、私は、この偶然が折り重なった 奇遇の真っ只中にいます。 多くの人がそうであるように、私も奇跡の中で活かされてるのでしょう。 昨日も今日も、 そして明日もまた、私はこの偶然の中にある奇跡に出くわすことが楽しみでならないのです。

今年の7月25日 木曜日 なでしこジャパンのサッカーの試合を見ながら書いたブログは、この先、子供達が活きる 世の中がどうなっているのだろうと空想しながら書いたもので表題は「2050年」としました。 昨日、ふと、ある雑誌 の9月号 「ふしぎの地球のサイエンス」という特集に目が留まり、そこにある大学教授が「今月のお題」に対する 見解を書いていた文章に唖然としました。 内容はこういうものです。  「あなたは二人の父母がいて、四人の祖父母がいて、八人の曾祖父母がいる。一世代を三十年と仮定すれば、三十年 をさかのぼるごとにあなたの祖先の人数は二倍になっていくわけである。そうすると三百年前の江戸時代には、あなた の祖先は約千人いたことになる。六百年前の室町時代には百万人の祖先がいて、九百年前の平安時代にはなんと 十億人となる。平安時代の日本の人口は一千万人ほどだっただろうから、この数は当時の人口の百倍である。こんな ことになってしまう理由は世代をさかのぼればさかのぼるほど分岐したはずの系統図が同じ人に戻ってしまうことが しばしば起こるからである。このような事実から推測できることは、もしあなたがタイムマシンで平安時代へ行ったと したら道行く人々は誰もかれも、貴族であろうと、乞食であろうと、皆あなた自身と血のつながりを持つあなたの祖先 なのです。ーーー」 この文章は、SF作家であり、山口大学客員教授でもあり、相愛大学の教授でもある方が9月号のある雑誌のコメント として書かれたものです。私が一世代を25年と書いたのに対し この教授は30年としてる部分には違いがありますが、 この発想は私が7月25日に書いたブログの内容に酷似しているというのが実感でした。雑誌には印刷に廻す期限があり、 その期限までに文章を提出しないとなりません。そして、その内容も誰も書いてないことを世に出さねば出版社も 喜ばないでしょうから、こういう事態になるのでしょう。 私も自分の考えや生き方などをブログでオープンにしている以上、 内容の流用はある程度、目を瞑らねばならないと思っていますので、それは大きな問題ではありません。 しかし、 先生の、その後の文章には、いささか賛同できかねます。 「九百年後には、あなたの子孫は十億人となる。--- おそらくあなたは九百年後のすべての日本人の「アダム」と「イブ」となっているであろう」 と。 しかし、これでは面白く ありません。 つまり、こうなります。 「九百年先の話は、現実的でないので、少なくとも二十年~三十年、五十年先はどうなるのかと言い切った方がいい のです。そう思いませんか?  きっとその方が読者には現実味を与え、引き付けるはずです。また、この先の日本には 『青い目の日本人が増えるだろう』というのも私の自論です。駅のトイレに洋式トイレが増えたように、ジワジワと和式が 姿を消してしまうでしょう。マイカル映画館でアメリカを身近に感じ、浦安のディズニーに行けば、日本にないものを感じる ことが出来ます。そんな若者が増え、時代を担う立場に立って行く時代が来るということです。 つまり、そういうiphone 世代の若者は、良くも悪くもアメリカ風の生き方に慣れ親しんでいます。 いずれ和式文化が徐々に廃れていく時代が 間違いなく訪れ、30年もすれば日本には着実に『青い目の日本人』が増えているのです。」  この私の考えについて、 どう思われるか、一度、大阪に行って橋元淳一郎先生のご意見を拝聴してみたいと思います。  ぶしつけですが「ノルウェー人のアンネシュ・ブレイビクが有罪である理由」も教えて下さいませ。但し、そのお答えは 今ではなく、30年ほど経ってから聴かせて頂きたく思います。どうぞ、その時までくれぐれも、質問内容とお答えを お忘れなきようお願い申しあげます。  

8月9日 pm2時22分に義母が息を引き取り、荼毘にふされてから、そろそろ49日です。  日本では没後四十九日目に法要を行うのが習わしです。しかし、こういう風習は外国では聞いたことがありません。 日本特有のものかもしれませんが、「三途の川」を外国の人に説明するのには苦労します。来週から始まる「彼岸 の入り」も同じです。家内は義母が他界してから一度も夢に出て来てくれないと悲しんでいます。「あちらはあちらで 忙しいんだろうから、あまり無理を言わないんだよ。」という具合に慰めてはみますが、「生きてるあなたに何であっち の世界のことが分かるのよ?」という具合に、バカなことを言うなとあしらわれます。誰も、死後の世界のことは わかりません。 以前、丹波哲郎という役者がこう言ってました。「私は毎日、日に三度、四度死後の世界を行き 来している。皆さんも行こうと思えばすぐに行けます。3つ数えれば、すぐです。それじゃいきますよ。イチ、ニー、 サン。 シ・ゴ(死後)」。 そんな丹波さんは、あっちの世界に行ったっきり、もどって来ませんから、向こうの世界のことを聞く機会をなくして しまいました。やはり、その手の話はメリンダ・ゴードンに聴かないとならないみたいです。メリンダが言うのは我々には 見えない世界のこと。そして光が見えるというのですが、それは実際には眉唾物で、いかがなものかと思うのですが 未知なるものへの、憧れと懐疑心が交錯してしまい、どの回も最後まで、このドラマを見てしまうのです。 「以前1万年前に地球上で核戦争が起こって多くの人が亡くなり、文明が途絶えてしまった。人類はまた原始の生活に 戻り、次第に進化して行った。」 などと嘘のようなことを真顔でいう人がいました。 どう処理すればいいのかわからない 話です。 「そうですか? それで。」 こういう作り話をして何になるのでしょうか。 私は明らかにいやな気持ちでその人 を見ていました。もう4年も前のこと。しかし今、思うのは、それもあり得ない話ではないということです。今、一億光年先に 宇宙の末端があるようですが、地球上の人は誰も見ることは出来ません。そこに行きつくまでの1億年もの間を生きて いられないからです。ビッグバーンが起こってから進化と膨張が起こっていることは知っています。これが宇宙の流れ ・宇宙の力だということも分かっています。つまり、地球上の人間も、生き物も、何もかもが必ず進化するということ。 お祈りをする人も、しない人も。善人も悪人も。いいも悪いも皆、その考えのまま進化して膨張し続け、発展するよう です。但し、その進化発展の過程で自分の思いを入れ過ぎると、それが無心から有心・邪心となり、アクセルを踏み ながらブレーキも踏む状態を生んでしまい、自分のパワーで自分の進化・膨張・発展を止めてしまうようです。 邪心のある祈りが成就しにくいのは、そういう原理なのだろうと推測出来ます。輝いてない心で淀んだ願いをしても、 自然の力・宇宙の進化の流れに自分でブレーキをかけてしまうようなものなので願いはかなわないのかもしれません。  そこで無心になることが大事だと宗教家の方は言われるのでしょう。 子供は無心なので成長する。大人は、そこに邪心が 入るので停滞する。しかし人間は長い目で見れば間違いなく進化してますし、これからも進化・成長しつづけるのでしょう。 携帯電話を見てもわかります。iPHONEは、もうファイブになります。どこまでも進化します。100メートル走は曾て、12秒 であったものが9秒台に。いずれ8秒台になるでしょう。ウルトラCという言葉は、42年経つとウルトラGと言います。 昔の技をビデオで見ると子供でも出来ると思えるのは、それだけ人間が進化してるという証です。人間は爆発的に 進化しています。 それが宇宙の力です。祈らなくても進化します。悪い人も同じように。このバランスが崩れると 自らを滅ぼす力が高じて、爆発し、再び一から出直しという事態になるのだろうと推測出来ます。 ということで1万年前に核戦争があって人類は滅亡したという話は自分の中では、消化できる話になってきたのです。  しかし、その手の話よりも、如何に輝いて成長出来るのか?そしてそういう進化・成長をしてる姿に接していたいと 思うようになったのも事実です。 子供たちは太陽です。みんなよどみなく成長します。 子供の「ありがとう」という 言葉は、万能の薬。 それを耳にするだけで癒されます。無邪気、無心であることはブレーキをかけない状態。 だから子供達には無限の可能性があるのです。また、そういう無心を実践しつづけようとする大人の方々に接すると、 やはり同じように感謝の気持ちが湧いてきます。  昨晩、四十九日を前に義母に祈りを捧げました。祈りと言っても「有難うございました」という感謝の気持ちを込める だけ、そして「一度くらい家内の夢に出てあげて欲しい」と言うものでした。 しかし、こういう祈りが実を結ぶ確率は決して 進化しません。感謝の心は伝染し、多くのものを進化させる原動力になるのに。そして、そんな気持ちを込めた祈で あっても簡単には通じないようです。アクセルを踏みながら、知らず知らずブレーキを踏んでるのかもしれません。 自分ではそういう自覚はないのですが。

コーマーシャルが少なかったのでBSの歌番組かと思うほどでした。流石に後半は、適量のコマーシャルがありましたけど 途中までは、いい歌をいい雰囲気で聴けて、いい番組だなって思ってました。神田川、妹は声も昔のままでした。 この作詞は喜多條さん。どことなく他の作詞家とは違う趣にその場の臨場感を感じたものでした。でも本当に面白いのは、 この方の経歴。神田川や妹がヒットしたのに奥さんに逃げられ、あっさり一線から身を引いたのですから凄い。 その当時を振り返った記事にはこうありました。  「つま恋から5年ほどたったころ、妻が家を出て行った。長女が小学校の低学年、長男は幼稚園に通っていた。 妻の荷物が消えた部屋で、川の字に寝た。真ん中で二人と手をつないで。一本一本細い指をなぞると、小さな骨の 感触が伝わってきた。この手がどんどん大きくなるんだな。親の都合で重い荷物を背負わせた。罪の意識を感じつつ、 強く生きて欲しいと願わずにいられなかった。5時起きの生活が始まった。「おべんとう365日」という本を頼りに、 子供たちの弁当を作った。仕事の依頼は断った。子供に寄り添うと決めていたから。そんな父子暮らしは、再婚するまで 一年半続いた。」 絶頂期に奥さんが出て行くのも稀、そしてその絶頂期に仕事を捨てて、子供の弁当を作ることを 選んだ人も稀です。 そういうことは出来るものじゃないし、またその当時を振り返ったこの文章にも人間味を感じます。 この人の凄いのは、復活してからもヒット曲を飛ばしたこと。キャンディーズのやさしい悪魔、暑中お見舞い申し上げます、 アン・ドゥ・トロワ、それ以外の歌手の多くも手がけられてます。 この方、もう64歳のはず。趣味は競艇。 やっぱり、それかな? 奥さんが出て行ったのは? でも人間味のある方には間違いない。そして天性の文才がある のでしょう。 競艇は生まれ持った血なのか? 作詞の為の後天的な原動力なのか? わかりませんがその人の個性を 創るには必要な部分なのかもしれません。 今日の番組では小椋佳さんも出ていました。もういいおじさんというかおじいさん。でも「さらば青春」は27歳の銀行員 当時の作詞。 何でこんな文章が書けるの? 今のうちの会社、そしてお付き合いのある会社の27歳は、次元が 違うし、自分の27歳当時を振り返っても、こんな文章書ける訳がありません。「僕は呼びかけはしない、遠く過ぎ去る ものに、僕は呼びかけはしない。かたわらを行くものさえ。見るがいい、黒い水が抱き込むように流れてく。少女よ。 泣くのはおやめ。風も木も川も土も、みんな みんな たわむれの口笛を吹く。」 何で27歳のサラリーマンが書けたの? 東大法学部卒だから? いいや、違う。 東大出でもバカはいるし、変な人も少なくない。 文才のある人が、たまたま 東大法学部を卒業しただけなんだ。 そう思うしかありません。 ならば喜多條さんの場合も文才がある人が、たまたま 競艇にのめり込んで奥さんに逃げられたんだって思うのが自然かもしれません。 いや、ちょっと待て、待て。違う違う。 27歳ころに何かを成す人は何かが違うのかもしれません。そういえば昔の文豪もそうです。森鴎外は東大医学部を 19歳で卒業し27歳で舞姫を書いたはず。 そうでした。 みなさん並ではありません。 納得です。 そうじゃないと 日露戦争の軍医として出兵した人が、その8年後に「高瀬舟」の喜助の心は描けなかったのではないかと思うのです。 世の中には 一般人の顔をして、並でない偉人が山ほどいることは忘れてはならないとあらためて思いました。 たとえ今は普通の人でも。いつ化けるか分からない世の中ですから。

学校や警察に相手にされないと、今は探偵社に頼んで実態を調べるようです。調査費用は1日数万円でも日に3件は 問い合わせがあるとか。「子供に元気がない」、「持ち物がなくなる」というと親としても不安になるでしょう。そして学校が 漠然とした話には応じないとなると証拠を突きつけて白黒はっきりつけるというのが、このパターンです。 私は、ちょっと違和感を覚えました。 子供のこと。学校のこと。それを探偵社に頼まざるを得ないと考えてしまう大人の 発想。私は、こういうものの考え方が、いじめを引き寄せる雰囲気に繋がるのではかと危惧します。悪いことをしたら その子をしかるしかありません。持ち物がなくなるのであれば学校に申し出て探すしかありません。それは親の責任。 自分の子供が、そうされているなら守るのは親の務めです。私が空手教室で接している子供達に、もしそのような 憂き目に遭っている子がいるとしたら、私も実態を聴かせて頂きたいと思っています。そして自分の出来ることはさせて 頂こうと常々思っています。 昔、うちの次男もよくいじめを受け、鉛筆で突っつかれたり、お金を取られたりの日々が 続いていましたので、それを見つけたおりには、その子の家に行って、まずは相手の親にも話をさせてもらい当然ですが お金も返してもらい謝罪もしてもらいました。5千円ほどですが子供にしたら大金です。悪いことをしたら謝るのは当然 ですから、それをさせるのも大事なことです。そのまま済ませることは相手の子供にも世の中の規律が分からないまま 終えることになるのでそんな中途半端はよろしくありません。そして、その親にも。私はいじめは大人の問題だと思って います。なので子供達に会うと言うよりも寧ろ、その子の親に会わねばなりません。また、学校の先生に、期待する ものでもありません。 大津のいじめの事件はまだ実態調査をやってるくらいお役所は動きが遅いのです。 いじめはなま物。時間を掛けるものではありません。昨年の9月29日の体育大会の出来事を県警が暴行容疑で 学校と教育委員会を捜査したとしても一体誰が喜ぶのでしょう。 今更、何を? 加害者の同級生2名は聴取で 「遊びの一環だった」と供述したようです。今更、何を言うのでしょう? この期に及んで。 私は違和感を感じました。探偵社も、中学校も、教育委員会と県警、そして加害者と被害者の親達にも。 大切な子供が亡くなってから大騒ぎをしている大人たちに違和感を禁じ得ないのです。奇跡の命を軽く見ていた大人 たちに目を覚まして欲しいと思います。  いじめられている君の親へ いじめをしている君の親へ いじめを見ている君の親へ       命のメッセージが届きますように。全ては大人の問題なのですから。

6月18日付けの日経ビジネスに「早期退職の経済学」という特集がありました。もう3ヶ月も前のことですが大手企業が 続々とリストラをする現実を見ると他人事ではありません。6月の記事で一番重症だったのはNEC、次いでパナソニック そしてソニー、リコー、日立電線。プリンスホテル、メガネスーパー、近鉄百貨店など。今では、そこにシャープが 入ります。シャープは阿倍野の本社ビル・土地、亀山工場の土地と建物、そしてパイオニアの3千万株=時価64億円 に根抵当権が設定されていたという記事もありました。あのシャープが、ここまで来たかという思いです。これらの 大手企業には下請け業者が数知れず存在しますが、そこへの発注も激減しているので既に倒産してる会社は少なく ありません。日経ビジネスの特集では、日本の雇用者総数4918万人のうち約10%の465万人が実は社内失業者 であると言うのです。その中で早期退職したい人は1.2%だけ。だんだん暗くなるような話です。しかしこれが今の 日本の現実です。その中でお父さんたちは皆さん頑張ってます。世の中にはアーリーリタイヤ(早期引退)を選択する 人もいるでしょう。働かないで好き勝手するなんてうらやましい限りですが、45歳から働かずに人並みの生活を送って 80歳まで生きるとすると約1億500万円が必要です。これは1ヶ月25万円で生活したとする場合です。年金が出れば 7800万円。しかし住宅ローンや教育費が必要なので、やはり約1億円は必要なのです。これはご主人だけの問題 ではありません。結婚式で「幸せにするよ」と約束したのであれば、その約束を果たさねばなりません。降格、出向、 転勤、転職、異動、自宅待機、窓際など、あらゆる試練を乗り越えねばならない世間のお父様方。頑張るしかありません。 結婚する時に言った奥様への約束は忘れてはなりませんから。 では 一体どうすればいいのでしょうか?  収入が減るのであれば、それ以上に支出を抑えること。家も変わる覚悟は当たり前。車売却も当たり前。何をどれくらい 減らせば貯金が出来るのか考えねばなりません。勇気を持って処分し復活に掛ける。そしてその復活の時をじっと待つ 力強さが心にあればいつでも太陽は輝いてくれることでしょう。私はそう信じたい。 ところが弱気になって、見栄を 張って生きていくと、ぬかるみに嵌ったように這い上ることは難しくなるように思えます。まるでぬかるみの世界です。  昔、太閤秀吉に使えていた商人に長年使えてくれた褒美に何かを上げるから好きなものを言いなさいと聞かれて 答えた言葉を思い出します。その商人、そろり新佐衛門は「これから1ヶ月間、毎日毎日太閤様のところに来ます。 そしたら前の日の倍のお金を下さい。今日はその最初なので1文、いただきとう御座います。」と言ったそうです。 秀吉もバカではありませんから早速、暗算して、256文までは勘定したようですが、たとえ30日間来たところで 大阪城には余るほどの小判があると鼻で笑って、その日は商人を帰したようです。翌日、そしてその次の日も、そのまた 次も秀吉は、澄ました顔で「こんなものでいいのかい?」と言いながらお金を渡されたそうです。でもそれで良かった のでしょうか? これは物理学の「はずみの原理曲線」と同じです。それは徐々に力を蓄えると、ある瞬間からその力は 巨大なものとなって発生すると言うものです。グラフ上に30日の目盛りを横軸に書いて縦軸に1文からの数字を書いて 行って前の日の倍、その倍というように書いていくと30日目の点がどこに来るでしょうか。28日目あたりからほぼ直角 に近いカーブが立ち上がり29日目、30日目は、用紙からはみ出てしまうかも知れません。このはずみの原理曲線の ことを大阪の商人が知っていたかはわかりませんが、秀吉は最後に手をついて謝って約束を反故にしてもらったよう です。このはずみの原理は潜在能力出現の原理と同じであるとも言われてます。コツコツ、コツコツ何かに集中して 行くと隠れていた自分の能力が出現するのと同じです。人生、生きているといろんなことがあります。しかしそれぞれに 正面から立ち向かって対処したら、あとは自分の人生を謳歌してみては如何でしょうか? 人生が長くなった今を どう生きるかは自分次第です。自分自身のペースで自分の人生をコツコツ歩むことが出来るのであれば途中で終わっても かまいません。潜在能力が100%出なくてもいいではないですか? 人生は旅なのですから。私たちは、もっと自分 らしい変わり者の人生を歩むことが出来るはずです。旅は、その途中が楽しいのです。貸しボート型の人生で後ろを 振り返りながら「あの時は良かったね、あそこが楽しかったね」と生きるのも人生ですが、モーターボートに乗って 常に前を向いて生きるのも人生。自由にコースを選び、人は人、自分は自分の人生を歩んで行くと決めて年を 取っていく人生もいい。今はそんな人生観が問われる時代になって来たようです。「もう40歳だから、もう45歳だから」 というのでは自分の可能性が塞がれてしまう気がします。ならば「まだ40歳、まだ50歳」と思って可能性を信じた 方がいい。すると目の前がどんどん開けていく感覚と自分の潜在能力がいくらでも湧き出る感覚が人生を楽しくして くれます。「まだまだ」、「まだまだ」と自分の死ぬ間際まで、自らの最も得意とすることへのあくなき挑戦を続けていく のもいい。一度しかない人生を悔いなき人生にするのは自分自身なのです。そして人生、今日が始まりなのですから。  シャープの抵当権の記事を眺めながら、こんな人生観を考えていました。

いい映画を見ました。と言っても18年前のもの。1994年のアメリカの映画「ショーシャンクの空に」を飛行機の中で観て スティーヴン・キングの小説を読んでみたくなりました。小説では『刑務所のリタ・ヘイワース』 (Rita Hayworth and Shawshank Redemption) と言って1982年に出版されたもの。 スティーヴン・キング氏は怪奇小説を多く書いてますが、 普通の小説もいいものがあります。「スタンド・バイ・ミー」、「グリーン・マイル」は映画にもなりました。 夏は読書、秋も 読書がいいです。これからの一人の時間を埋めるには、山ほどいい小説があって、私はそんな時間を持てることが幸せ なのです。 この土日は読書。それから空手。そして空手のご縁で知り合いになった方々とバーベキューでした。 午前中は稽古でみんなと汗を流し、午後は長津田の公園で、夏の暑い太陽の時をみんなと過ごせたことに感謝!感謝! そして、この場を作って頂いた石橋さん、小林さん、山本さんに感謝です。 「ショーシャンクの空に」のラストシーンは 青い海と青い空。 今日は、そんな青い空と緑の森に包まれた夏の午後を過ごしました。そんな一日に感謝の気持ち   が自然と湧いて来ました。有難う御座いました。

平安時代は「鳴くよ鶯平安京」ですから794年から「いい国作ろう鎌倉幕府」の1192年までの397年間。日本で一番 長い時代は江戸時代だったと思っている人が多いと思いますが江戸は関ヶ原の1600年の後の1603年に徳川家康 が征夷大将軍になってから慶応4年の1868年までの265年間です。その長い時代の間でも刀は自由に持つことが 出来て、小競り合いは少なくありませんでした。特に平安時代には多くの戦いがありました。しかし、250年、400年 という年月を経ると日本人は大きな戦いを行ない、新しい時代に入ります。幕末から明治維新を経て36年後には ロシアを相手に戦争をお越し、その33年後に日中戦争、その4年後に真珠湾攻撃。 明治維新からの70年で多く の戦争を経験し、その後の4年で膨張したものが一気にしぼむような敗戦を経験したのです。 今、日本は女性が 強い時代です。世の中、その方がいいように思えます。女性が主導権を握ると こういう戦いは起こりにくいのかも しれません。イギリスの女王陛下しかり、そういう社会の在り方が望ましいと思います。ただし日本人には日本人 固有のDNAがあります。韓国や中国の人のDNAとは違う構成であることも分かって来ています。欧米人には理解 しがたい風習や文化が日本にはあり、「美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方では、力を崇拝し、最高の栄誉を与える 民族で義理・恩・恥の文化を作っている」と欧米人には映るようです。日本人は我慢をして忍耐強い民族。それが いいところでもあり、それが爆発すると手におえない民族になってしまうのかもしれません。70年周期、250年周期 、400年周期で大きな爆発が起こって戦いに入ります。まるで日本列島に起こった大地震の周期のようです。 では次はいつになるのでしょう? それは全くわかりません。 が、しかし、女性社会が続くか否かにかかって いるのではないかと感じます。過去を振り返ると、日本は男性社会で歯止めが利かなくなって戦いに突き進ん でしまう傾向にありました。それを戒めるのは女性。今の日本はそういう社内に移行しつつあるので、それは それでいいように思えます。アニマル浜口さんも歯が立たないのは奥さん。あの奥さんがいるから旦那さんも 元気にしていられるのでしょう。それでいい。それがいい。8月15日の終戦記念日を迎えてそんな事を思いました。

今日の朝日新聞でいじめの連載が終わりました。 どうしたものかと思える意見・コメントがあって読んでもしようのない ものかと思っていると中には読むに値するコメントもありました。それぞれ34人一人一人の思いなのでしょう。中でも 面白いと思えたのは昨日の姜 尚中さんと、今日の春名風花さん。春名さんは小学校6年生。しかし文章はとても小学生 のものとは思えません。おかあさんが書いてるのかもしれませんが、たとえそうだとしても、書いてることに共感できます。 「いじめる子供はいじめているとは思ってません。自分より弱いおもちゃで遊んでるだけです」。これは春名さんの言葉。 その通りだと思います。 だからいじめはなくなりません。今回連載に協力された多くの方は大人目線でいじめを見てます。 経済学者は経済学者らしく。しかし難しくて分かりにくいので心に響きません。その他の方も過去の自分を振り返り「自分も いじめられていた」という経験を書いてますが、みなさん著名人です。成功してる人の目線で問題を考えているので、 こうすればいいのにという書き方で終わってます。実際には現場はどうなってるのでしょうか。 その現場はその現場 なりの問題があり、千差万別です。個別の捉え方しか通じないでしょう。決して、34名の著名人のコメントが意味を なさないのではありませんが、ただ明確なのは、いじめはなくならないということです。日本以外ではもっとキツイ 差別に遭うでしょう。人間である以上どこにいってもいじめ、差別はついて回るということを忘れてはなりません。 しかし日本人は、決まって「いじめをなくそう」と言います。それはあり得ません。 朝の満員電車に乗ろうとして、ちょっとした隙間を見つけて足を入れると乗客たちの迷惑そうな視線を受けます。しかし 乗ってしまうとこっちのもの。そこで今度は、更に押し込んで乗り込もうとする人が来ると迷惑そうな顔になる自分が います。もう入って来るなという具合です。自分が今、無理やり入って来たのに手のひらを反して入って来るなという 心理は、余裕がない社会では消えることはありません。今の日本、そしてアジア各地は発展しようと躍起になって ます。自分が活きる為に余裕がない生き方をしている人が増えているかもしれません。特に勝ち上がること・のし上がる ことを夢見ている家族には勝って行くための生き方が備わってきます。 いじめは日本でも外国でもなくなりはしません。 日本人は戦いが好きな民族です。もう1400年ちかく戦争をし続けて来ました。こんな小さな島国なのに韓国、中国、 そしてフィリピン、シンガポール、サイパンなどアジアの多くの地域を自分のものにしようとして来た特殊な民族です。 ところが、この戦いが好きな民族の過去67年間は、めずらしく、その片鱗も見かけることがなくなりました。しかし、 いずれ日本人は、また同じようなことを繰り返すでしょう。むしろ、このまま日本は戦争をしないと推測する方に無理が 生じるくらいです。この67年間で日本は平和になり豊かになりましたが、燻ぶってるものはいじめという形で現れてい ます。それは小学生だけでなく、その先の中学校、高校、大学、そして一般社会でもいじめはなくなりません。それを 意識しないと「逃げて下さい」という一時しのぎの軽い言葉で終えることになるのでしょう。クールジャパンという番組の 司会者でもある鴻上さんは、いじめを受けてる子供に「逃げて下さい」と以前テレビで訴えてましたが、表面だけの言葉 のように思えてなりません。 今の日本社会には、どの年代でもいじめは消えることはありません。社会に出るともっと 陰湿かもしれません。ならばそれを乗り越え、打ち勝つしかありません。逃げてばかりいても何処かでもう逃げられない 場面が出てきてしまうはずだから、正直に受け止めるしかありません。子供には親がいますから、親が一つ一つの 出来事を見逃さず、また子供の心を見抜いて、子供のちょっとした変化を感じ取ることから始めるしかありません。 何か違いがあるとわかれば体を張って出るのは親の役目です。相手が強いと分かったとしても自分の子供を守る為 に戦うのは親の役目です。動物の親子と同じです。この社会をすぐに変えることが出来ない以上、親が子供を守るしか ありません。心から子供を大切に思うなら「逃げて」などと決して考えてはなりません。逃げても逃げても同じ場面に、 いずれ出くわすことになるだけですから。親には責任があります。強そうな相手に体を張れる度胸が親にあって欲しい ものです。その後ろ姿を見た子供たちは親を尊敬し、世の中の秩序を見出すはずです。これが大事だと思うのです。

これから30分、あなたの目はあなたの肉体を離れ、この不思議な空間に入っていくのです。――― 石坂浩二の ナレーションが好きで毎週日曜の19時からこの番組を見てました。子供心に、このオープニングも、その番組の内容 も幼稚な怪獣ものじゃない怖さがあって、兄と二人で見てました。その続編が47年ぶりに「ネオ・ウルトラQ」として  来年見ることが出来るのは楽しみです。しかし、ちょうど半年前に飲み会をしてる時に、ある方が「昔は怖い番組が いっぱいあったのに最近は、そういうものがなくなった」と言うのです。私は「子供の頃はどんなものでも怖く見える ものだけど、昔のウルトラQは怖かった~。」としゃべっていたばかりだったので、嬉しい限りです。 飛行機に乗ると 映画を見ますが私が好きなのは「寅さんシリーズ」。 何だか微妙な泣き笑いのセンスが好きなんです。さくらと おばちゃんと、おじちゃんとタコ社長を見たくて起承転結が分かっているのに見たくなります。水戸黄門のように段取り は、見てる人も分かってはいるけど見たくなるものなのです。 今日はオリンピックの女子マラソンを期待してたのに 途中からメダルどころではない状況に。 面白くないので番組を変えたら、ちょうど寅さんがやっていました。それも オリンピックの真っ只中にです。 しかしこういう興奮と落胆を繰り返す毎日には意外と新鮮で、しばしの休息感を味わう ことが出来ました。女子マラソンの裏番組に、敢えて、これを持ってきたのだとしたらテレビ東京の番組編成委員には 座布団2枚あげたいところです。渥美清さんの命日は8月4日。女子マラソンは8月5日の夜6時半スタート。寅さんの 番組は8月5日の夜8時から。ちょうど日本選手がトップ集団から遅れだしてきたころでした。 この渥美清さんの17回忌 の番組は女子マラソンが好成績を残さないと見切って何時ころがちょうどいいのか考えたのでしょう。 たしかに今の マラソンは日本のお家芸でもなく、アフリカ勢のタイムからすると男子も女子もメダルは程遠いものです。もう次元が 違うレベルですからしようがありません。   ファーイーストにジャパンという国があると言うのはイギリスの子供も知ってるようですが、こんなにサッカーにスピード 感があって連係が上手いとは思ってなかったでしょう。イギリスから見ると韓国も中国も、北朝鮮も、そして日本も皆、 同じ東アジアの国で黄色人種に過ぎません。日本人がケニアとエチオピアの違いが判らないのと同じです。今日の 女子マラソンもメダルを取ったのはケニアか、エチオピアの方で、似たような顔と体型をされてました。名前も聞きなれ ないので覚えにくく、地図を見ても国の場所を指さすことも出来ません。まるで山陰の鳥取と島根のようなイメージです。 

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