代表のブログ

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もうだいぶ前からある脚本家のドラマを好んで観るようになっている。 最近ではBSでも再放送があるので 楽しみにしています。 「泣いてたまるか」、「二人の世界」、「ふぞろいの林檎たち」、「男たちの旅路」、 「岸辺のアルバム」。 この他にも見たいものが山のようにあります。 どれも、その方独特の色があって 面白いのです。 もう80歳のこの方は脚本家でもあり小説家でもある。 実はその小説も映像が頭に浮かぶ ような構成でグイグイ引き込まれてしまう。  最初に手にしたのが「異人たちとの夏」。  その後、「遠くの声を探して」。 何だかこの二つの作品、変わった感覚になりました。 安部公房さんの本を読んだ時以来の感覚です。 「壁」のような「砂の女」のような「棒」、「R62号の発明」のような。 ところで、この安部公房さん、24歳で東大医学部を卒業して27歳で芥川賞を受賞された方。 東大医学部では、優秀とは言い難く「医師国家試験を受けない」という条件で卒業を認められたようです。 人間の妊娠月を2年と卒業前の口頭試験で言ってしまった時点で、医学の道から文学にと踏ん切りもついた のでしょう。 こんな面白い経歴と斬新な小説が好きでたまらない。 夏が来た。 読書の夏が。 本に親しみ、本に戯れる。 歴史小説も、純文学も面白い。 夏になると畳の部屋でごろんとしながら本を読んでいる時間が嬉しい。 蝉の声は読書によく似合う。 川辺の日蔭で読むのもいい。 そんな時間が待っている。 さあ、この夏、どんな本に出遭えるだろうか。

今から11年後の2025年には65歳以上の老人が3656万人にも増えるらしい。 2010年からみると731万人 も増加。 15年の間に731万人も増えるとは凄い増加だ。 日本では1年で48万人が65歳以上になっていく。  日本はそんな流れにあるらしい。 たぶん、様々な事件や事故がこれからもあるだろうし、ある一線を越えて しまうかもしれない。 でも日本は、そのままの持ち合わせた力の曲線を描いていくことに変わりはないのだろう。  どんなひどい戦争や事件があろうと、地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、薄青色の円光にかこまれている ことには変わりはない。  53年も前のこと。 人類は初めて100km上空の大気圏を越えて、地球は青かったことにも気づかされた。 「ここに神は見当たらない」という言葉が心に残る。  地球から38万kmの先に月があって、1億5千万km先に太陽があることはここしばらくは変わってない。 東京駅に置いたリンゴが地球なら霞が関の距離に置いた1.4mの大玉が太陽。 地球はその周りを46億回 も回っている。 どんな力が加わって、延々とそこを回るのだろう。 46億年を365日で割ると一日は1200万年。 1200万年を24時間で割ると、一時間は50万年に相当する。 こんな強力な遠心力の中で人間の力が及ぶ ところなど極わずかだ。 2億5千万年前から生きていた恐竜が6500万年前に隕石が原因で絶滅。1億8500万年 も生きていた生物が絶命するという絶大な力が宇宙にある。 ホモサピエンスはそんな流れの中で今から10万年前 に地上に現れた。 人類は、この地球に極最近生まれた生物であって、宇宙の力に生かされている1固の物体 に過ぎない。  今年の夏、そんな宇宙に近づいてみようと思う。 8月11日に3776mを体験しようと計画している。  もちろん3776mの夜の星を観てみたい。 横浜で観る星は数えるほど。 だから手に余るほどの星を体験したい。  自分の足で登ってみようと思う。 雲の上の様子を伺ってみたいという思いが沸々と湧いてきた。 ちっぽけな人間。 されど宇宙の一員である。 形をなしては滅び、滅んでは生まれる。そんな大生命の流れ の中で1万5千年ほど形を変えてない場所。 今年の夏、 自分もそんな天意を味わってこようと思って居る。

32億6000万年前に南アフリカの海に衝突した巨大隕石は直径50kmほどもあり、海底を変形させ地震波と 津波を発生させました。 この衝突エネルギーで海洋の表面は沸騰し、高さ数千メートルの津波が海洋全体に 広がったようです。 地球は長い目で見ると大変スケールの大きな出来事を経験していました。 46億年も生きている地球を1年というスパンで描いてみると、32億年前というのは、ちょうど4月22日ころのこと。 まだ春先のことでした。 そこから夏と秋が過ぎて年末の大みそかを迎える。 そんなことを以前も、このブログで 書いてました。 人間がチンパンジーから分かれたのは500万年ほど前のこと。 地球の1年年表では大みそかの 午前10時頃。 ホモサピエンスになったのは20万年前だから、大みそかの午後11時37分。  ガキの使いやあらへんでが、そろそろ終わろうとするころですから、山崎こと月亭邦正が蝶野にビンタをされた頃か。 11時59分43秒ころにエジプトのギザにピラミッドが出来、キリストが生まれたのが大みそかの午後11時59分46秒。  20世紀が終わったのが11時59分59秒。  以前、ここまで書きました。  ではこの先どうなるのでしょう。 今から5000年後の地球はどうなってるのでしょう。 地球の年表では元旦の出来事。 1月1日の午前0時0分 30秒のころ。 まだ、ガキの使いが終わってないころ。 地球は環境破壊と氷河期に入るので 人類は地上に居ません。 1月1日の午前10時ころになるのは、今から500万年後のこと。 完璧な氷河期で生きるもの は居なくなると言われてます。 だからNASAは地球の外に場所を求めていると言えます。 人類が地球で生きるのは たかだか午後11時37分から24分間。 そして他の星に生きようとする。 そんな生き物です。 昭和45年9月に大阪で開かれた万博の跡地の地下15メートルにタイムカプセルが埋設されました。 5000年後の 人類に1970年の生活状態、文化状態を伝えようとしたものです。 当時の科学者の英知を集めた2098点の品物と 記録が2つのタイムカプセル収められたのです。 そのうちの一つは平成12年に一度開封され、収納品の変化が チックされました。もう一つは、そのまま5000年後まで埋設されたままです。 さて、5000年後の地球はどうなって いるのでしょう。 松下幸之助さんは「このタイムカプセルは生きた歴史になる」と言っておられました。  しかしガキの使いが終わる午前0時半ころ。地球の年表上では人類はもう地球上には生きていないだろうと 言われてます。 しかし、人類は氷河期が終わる1月2日まで何らかの形で生きていて欲しい。  ガキの使いとタイムカプセルと氷河期を重ねて見ていると人類の進歩が急で、自動運転の車が出だすであろう 近未来が、もうすぐそこにある理由が、なんとなく分かったような気がします。

諦めが肝心かも知れないと唐突に思う。 誰もかれもが努力すれば夢が叶うものではないのだから。  たとえば、うら若き乙女の誰もがアイドルになる夢をみるように、若かりし男たちの誰もがメッシになれるもの ではない。 やりたいこととやれることは違うんだと思わねば。 夢も希望もないと思われるかもしれないけど これが人生だと思う。 夢に向かって大きな一歩を進める時には果敢に攻める姿勢は必要だ。 背中を押して あげることも悪くない。 でもその人が持って生まれた能力は、傍目から見た方がよく分かるはず。 夢が叶えられないのは努力が足らないからだ。ということもあるのだろう。確かにそういう場面もあるかもしれない。 しかし、努力という二文字でかたずけられない、能力や運命という言葉もついて回る。 バレーボール部に席を置き、センターとして活躍していても、これ以上無理だと諦めることもある。 自分がもし180cmを越えていたら絶対に負けやしないと思ってみてもしようがない。 ましてロシア人と 日本人の身体的な差を嘆いてみてもしようがない。  いくらジャンプしても限界がある。  自分には出来ないことがある。 それを受け入れなければならないこともある。 仕事を見ても同じこと。 メッシやネイマールは、やりたいことが仕事になっている。 そんな天職は稀だ。  野球選手が怪我で戦線離脱し、そのまま契約解除になることだってある。 プロ野球選手の奥さんになって 夢いっぱいの毎日。 そんな幸せの内に奥さんのお腹に子供まで授かったとしても、その事態は待ってくれない。  やりたいことが仕事になって、それも大金が20代の目の前を飛び交えば、夢は努力で叶うものだと思ってしまう。  しかし多くの場合、夢破れて現実の世界に立ち返ることになる。  自分がやりたい仕事は今の仕事ではない。 そんな落差のある毎日を身重の奥さんと過ごすことになる。  それも現実。 それが生きるということ。 そこから本当の人生が始める。  落差を受け入れない人は、いつまでもその夢を追い続けると聞く。 法学部を出て弁護士の夢を捨てきれず30歳 の大台を過ぎる人のなんと多いことか。 その落差を受け入れるのも、その落差に、もがき続けるのも人生。 それはその人がどのような人生を歩みたいのか、その価値観によって変わってきてしまう。 ただ言えることは 人生にラッキーはないということ。 ラッキーという錯覚の後には、その反動がついて回る。 そのラッキーが 大きければ大きいほど。そして、その期間が長ければ長いほどその反動は大きくうねって本人に帰ってきてしまう。  ラッキーほど怖いものはなく、人生に魔法などはない。   でも、そんなことは、今、我が世の春を謳歌している人の耳には角ばっていてスンナリ入るものではない。  当選した当時、「不正経理を暴く」と豪語していた方が県議の地位を悪用し自身が不正経理に身を染め、 その挙句に職を辞した経緯を観ていると、あらためてラッキー橋は渡ってはならないものと思えてならない。  落差を受け入れず、見果てぬ夢を追い続けることも人生。 人間には様々な姿があっていい。   恵まれた人生は結構なこと。 されど恵まれない人生もまた結構だ。  たとえどんな境遇であろうと、心を軽く持てば、そこから人生が開けてくるに違いない。 さあ、そんな明日を楽しむ事が出来るだろうか。

ハワイに行ったら、今はハワイ島がいい。 昔はオアフでハナウマベイか、アラモアナショッピングセンターと デューティーフリーの往復だったかもしれない。 レンタカーでアウトレットモール巡りもよく行ったし、 ノースショアーのタートルベイも家族でゆったり過ごせる場所だった。 でもハワイ島がいいのかもしれない。 マウナケア山の標高は4205m。 富士山より高く 日本のすばる望遠鏡やNASAの赤外線望遠鏡がある場所。 そこは日本では見ることができない4000mを越えた雲海の上から見る別世界。 宇宙の広がりを感じる場所。 「星が降ってくる体験」。 それが出来るのは日本では富士山頂くらいかもしれない。 しかしその富士山より更に 429mも高い場所から空を見る。  それがハワイ島 マウナケア。 母が「ハワイに行っておいて良かったよ。」と娘に告げていました。 亡くなる1か月ほど前の事です。  娘は3年経って、そのハワイに行く機会を得ました。 古くからの友達と久しぶりの電話が盛り上がって旅行 に行くことになったのです。その友達が選んだのがハワイ。 思い返せば取れないはずの席が取れたりした 運のいい旅でした。 その旅の途中で「マウナケアがいいから登ってご覧」という話を聞き、たまたま登った のが、思いの外素晴らしかったようです。 人間は亡くなるとどこに行くのでしょう?   身体は土に帰り、魂はどこに帰るのでしょう? また、この地球に降りてくるのだろうか?  この綺麗な星のどこかに、亡くなった人たちの魂が息づいているのだろうか?   こんな綺麗な夜空が見える場所があるなら、そして、亡くなった人の心に触れるような場所があるなら 私も行ってみたい。 そんなマウナケアの星の話を今日、妻から聞きました。   結婚してもう29年が過ぎていました。

自分の子供なら断じて許すまじ。 こんな人間を育ててしまったことに恥ずかしさと憤りを感じてしまう。 「親の顔を見てみたい」とは、こういう時のものだろう。 しかし、大方、似たりよったりなのかもしれない。 「この親にしてこの子あり」とは、こういう時のものなのだろう。  北野高校と言えば東大、京大に多くを輩出する進学校。 そこから関西大学の法学部へ。  そして川西市役所勤務。 今どき公務員には、なかなかなれるものではない。 なんと順調な人生だこと。  小学校や中学校の職員経験もあり。 今は兵庫県議会議員さん。 素晴らしい経歴じゃないかい。 とすると今日の映像は別人なのかな。 わざと支離滅裂な発言にしてるのかな。  この議員のブログは昨日までは普通に見えても、 今日は、白々しく嘘の人生のように見えてしまう。   昨今の議員さんとはこんなものなのでしょうか? 上から目線の下等なヤジを飛ばす議員がいたかと思うと、不明瞭は政務活動費の釈明で支離滅裂な 激情会見をする議員もいたんだ。  あとどんな議員が出てこられるのでしょう。  池井戸潤さんや東野圭吾さんにあらたな題材を与えなくてもいいのに。 わざわざ、部数が伸び悩んでいるスポーツ新聞や週刊誌の売れ行きを気にして差し上げなくてもいいのに。 でも、ある意味、この世の中は一寸の先が予想できないから面白いのかも。 次週はどんなドラマなんだろう。   今日の芸は、近いうちにダチョウ倶楽部のネタになるような気がしてしようがない。

この先、君には様々な試練があるだろう。 辛くて、苦しくて、逃げたくなる時が来るかもしれない。 でも思い出して欲しい。 君には、一緒に汗を流した素晴らしい時間があったことを。 失敗を怖れず、チャレンジすればいい。 精一杯努力して、その挙句の失敗なら、どってことない。  たかが人生、何が起こってもいいじゃないか。  でもね、世間を甘く見ちゃいけない。 地に足をつけて一歩づつ自分の足で歩くんだ。  明日への扉は自動ドアなんかじゃない。 明日を信じて自分の手で開けるんだ。 さあ、君の番だよ。   なんだよ、一歩が出せないって。 そうか、しようがない。 ならこんな話を君に聞かせてあげよう。  今となっては、もう昔のこと。   当時の恋人だった女性に沸騰したコーンの鍋を熱湯ごと入浴中に浴びせられ、そのあと彼女が男の銃を使って 自殺するという惨事に遭遇する。 その事件のあと、彼は牧師になり、教会を持ち「信仰についての歌」を歌い始めた。  2台のピアノのイントロから始まると、一瞬にして霧が晴れ、視界がひらける。 すべての罪が舞い上げられる。  64歳になった彼は現在でも牧師であり、生来の信条を変えることなく、信ずべきを信じ、歩むべきを歩んだ人生を 歩んでいる。 明日を信じて。            さあ、そろそろ君の番だ。 貧困は辛い。 不況も辛い。 眠れないのも辛いもんさ。 しかし不足を言っても仕方がない。 不遇を嘆いてもどうなるものでもない。 それなら今の境遇を楽しむ方がいいじゃないか。 こうでないといけないなんて ありゃしない。 こうあるべきだなんてくそくらえだ。 不況もまた結構。 苦境も知恵を絞り出してくれる。 高みにばかり目が行くのではなく自分の足元をしっかりみながら努力をしていける人。 大地にしっかり根を張った 人であって欲しい。 君には才能がある。才能とは努力する力を持っていることさ。 さあ一歩前へ出ようじゃないか。 "BELLE"   AL GREEN Belle, the Lord and I've been friends for a mighty long time. Belle, leaving Him has never ever really crossed my mind. Let me say this one thing, I'd never go so far , 'Cause it's Him no matter

「朝っぱらから 仕事に出かけ 悪魔のように金儲け。」   「男と争い 子どもを育て 私は死ぬまで汗まみれ。」 「なのに一日中 ごろんごろんと お空じゃ お天道さん。」    「上の方からじゃ 見えないのかな 私の涙なんて。」 たまにR&Bを聞きたくなる時がある。 もうずいぶん前からオーティス・レディングやアル・グリーン、レイ・チャールズ など聞いてきたし、もちろんビートルズよりもローリング・ストーンズやツェッぺリンを聴いた時期もある。 日本では 憂歌団くらいだった。 でも、この歌だけはアメリカのアレッサ・フランクリンやルイ・アームストロングなんかよりも 大西ゆかりがいい。 大阪の通天閣が良く似合う彼女の声がいい。 予備校に通っていたころから聞き出したR&B。  気持ちが落ち込んだ時に傷を嘗めるように聴いていた。  久しぶりに聞きたくなった。  どってことはない。 ただ聞きたくなっただけさ。 "That lucky old sun "  大西ゆかり の声を。 明るいところばかりにいるとたまに暗さが欲しくなる。  10代、20代の頃のように。 単身赴任をしていたのは梅田。東通商店街を抜けて天神橋筋商店街。 懐かしいワンルームがある。 せっかく大阪に居たのに通天閣には行ったことがないなんて。 そのうち・そのうちで、もう10年。 大阪はR&Bがよく似合う。 プカプカみたいに泥臭く活きる人の街。 そんな味のある街が嫌いじゃない。

「ドイツW杯初戦のオーストラリア戦は試合終了まで残り8分となり、1-0で勝っていた。しかし、1点を取られたら 立て続けに3失点してしまった。失点すると精神的に浮き足立ってしまう。これが日本の欠点だ.。 きっと国民性 なのだと思う」-2006年のジーコのコメント。本当にそうだろうか?ザックジャパンはそれで負けたのだろうか?     地球は自転していて、その上に暮らす私たちは地球の重力によって回転運動をさせられている。つまり外力がある。   北半球では物が北(赤道から北極)へ向かうと東へ、東へ向かうと南へ、南(北極から赤道)に向かうと西へ、   西に向かうと北極方向へずれる。 つまり右へ右へと力を受けることになる。 南半球の力は物体を進行方向に 対して左にそらす力となり北半球と逆向きになる。 この力は物体の速度が大きく運動している時間が長いほど   大きな影響を受けるので日常の生活ではその力の存在は分かりにくい。 風呂桶に溜めた水や車を走らせた程度の   影響は非常に小さく、実質感じ取ることはできないでしょう。 しかし北半球で暮らしていると、太陽は西へ進んでいく。 逆に南半球の南極上空から地球を見ると右向きに回転している。  北半球の竜巻でも右巻きのものが観測されることはある。 せいぜい数キロメートル程度の気象現象なのだから   この力の原理に逆らうことはあるのでしょう。 南半球で三日月を見る時は、北に向かって立っている事が多く   右が東、左が西になる。 日時計の数字は反時計回りの左回りで8~12、1~4と並んでいる。   そんな南半球の力がどれほどブラジルのワールドカップに影響したかはわからない。 しかし6チーム中5チーム   が残った南米チームには確かに地の利があったのだろうし、優勝候補のスペイン、ポルトガル、イングランド、イタリア   があっさり負けてしまった結果を観ると、このコリオリの力が微妙な変化をもたらしたのではないかと思えてならない。     微妙な力で左右されるワールドカップの勝敗は運がある、ない、と簡単にかたずけるのではなく、はたまた精神的要素   が大きいと言い切るのでもなく、究極のアナログ的要素を膨大なデジタルデータを基に物理的に着地点を予測して   もらいたい。 スーパーコンピューター「京」が、ビッグデータ解析に関係するスパコンランキング「グラフ500」で   世界1位になったと6月24日に理化学研究所が発表したのだから、それをサッカーの勝敗予測に使ったとしたら   サッカーくじが破たんしてもおかしくはない。

自分のいるところ、それを明らかに知ることが次に踏み出す大事な事かもしれない。 自分をここに運んで きたものは、自分自身が意識して、そうしたものではなく、他人が無理にそうしたものでもない。  大きな自然の中で戯れるモンシロチョウのように、まるで時の流れに漂わされてきた一人の漂流者。  しかし、自分が今いる場所には偶然か、はたまた天意がそうさせたのか、夏の太陽に大輪の花を開花させ ようとする陽の気が充満していたとしたら、この居場所に潜むそうした生命力を目にしたり、匂いを嗅いだり、 そして体の中の血が騒ぐこともあるだろう。 自分の五感がうずいて居てもたってもいられなくなるだろう。 もし、その気や流れを、感じ取ることが出来たとすれば、あとは天に任せて生きていけばいい。  いつの時代でも必ず人の中に人が居る。 有能な人は人の中に埋もれている。 しかし悲しいかな、それを 見出す人が少なくそれを持ちうる組織が弱体化し有能もみな無能に帰してしまうこともある。  10年語り合っても理解しえない人と人。 そして一時の宴の間に100年の友となる人と人もある。  生きていると、いろんなことに出くわして、様々な事象に巻き込まれてしまう。 デンマークにいたドイツ人がビール瓶に葉書を入れて海に流したのが1913年5月17日のこと。  「この瓶の発見者はこの葉書を同封の切手を使用して差出人のベルリンの自宅に送ることを望んでいる」と。  1913年の翌年、1914年8月に第一次世界大戦が勃発し1920年までドイツは戦争。 このビール瓶は その後、第二次世界大戦も生き延びて、ドイツのキール近郊の海の底を漂っていたところ、漁師の網に かかって長い旅を終えることになる。そして親族で唯一生き残っていた孫娘は60歳を超えていた。  その孫娘は101年前のビール瓶を、涙を流して受け取ったらしい。    それぞれの行為が今は意味のない事でも、やがて、その意味を成すことがある。  どんな些細なことでも、それが意味を成す日がきっと来る。  ある人に巡り合う為に彷徨い、またある人はその人に出会う為にじっと陽の目を待っている。 そんな縁を見逃さず生きて行きたい。 もしかしたら明日にもそんな縁に出会うかもしれないのだから。 

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