語りづく
母と同じ1934年生まれの女性の方の記事を昨日、新聞の記事で見かけました。 こんな記事でした。 心が震え、痛みました。 日ソ中立条約を一方的に破って1945年8月9日、ソ連軍が攻め込んできた。満州東部の国境近くの永安屯 に開拓移住していた長兄ら日本人は妻子を逃がすべく応戦した。しかし戦車隊に抗するすべはなく長兄は 流れ弾に当たり死亡した。残された長兄の妻は11歳を頭に5人の子を連れて他の日本人とともに避難した。 だが途中、渡河する際に「足手まといになる」と皆に強いられ、泣いている6歳、3歳、1歳の幼い息子3人を 無理やり振り切って、川に流してしまったのである。下の2人はすぐに姿が見えなくなった。6歳の長男だけは 泳いで岸辺の草にしがみつき「お母さん助けて、お母さん 助けて」 と幾度も叫びながら流されていったそうだ。 それを見捨てて行かざるを得なかった兄嫁の気持ちは・・・。 11歳と9歳の姉娘たちは・・・。 3人は物乞いをしながら瀋陽市まで来て、ついに兄嫁が力尽き、路上で病死した。残された姉妹はそれぞれ 中国人に引き取られた。だが、11歳の長女は、ひもじさと酷使に耐えかねて逃げ出し、他の日本人集団に 紛れて翌年10月26日、栄養失調から骨と皮だけの姿になってひとり帰国した。 その長女カヅ子は山形県 寒河江市の生家にたどり着き、これらのことを私たち親族に話して2カ月経たづして亡くなった。次女ユキ子 を、私は残留孤児届を出して探しているが消息は不明だ。 (東京国分寺市 畑 眞吉 84歳) 畑 カヅ子さんが生きていれば79歳。 母と同じ年。 今の年配の方々がどれほど苦労されて活きて来たのか あらためて知りました。 5歳、3歳、1歳の子供が川に流され捨てられた母親の気持ちは計り知れません。 土日に会う子供達と同じ年の頃。 心が凍りつくような話でした。 きっと母もいろんな経験をしてきたに 違いない。 また今日、電話してみよう。 声を聞くだけでもいい。
自由でいること
「両親はとっくの昔に他界しました。 夫の両親もなくなり、夫や私の兄弟もみんないなくなってしまいました。 残された のは私だけです。 私一人がこの世に残されている。 95歳まで長生きするということは、そういうことなんです」 これは生活評論家の吉沢久子さんの言葉。 小さな一軒屋の一人で暮らしてらっしゃる方です。 32歳で結婚し 50歳で義母が認知症を患い、ご主人が亡くなったのは65歳のころ。 一人になられてから30年が過ぎていました。 世の中の30歳~50歳台の人には自由は羨ましいものです。 そしていつになったら自由な時間が取れるんだろうと思うのも 当然です。 しかし実際に自由になった後の自分の老後をどう過ごすのかは考えておかねばならないように思います。 誰とも会わない寂しい時間を過ごすのか。 人とかかわって生きて行くのか? 30歳台からの20年はあっという間の出来事。 ということはその先の老後は遠い先のことではないということ? 子供に手がかかり、寝て起きたら子供のことばかり。 世の中景気も悪く、旦那のボーナスも減る一方。 挙句にリストラ などされた日にや返す言葉もない。 自分の人生、ウンザリするようなことばかり。 なんて思っているのは幸福な 時間だと後で気づくかもしれません。 いずれ親の認知症、義父、義母の認知症に出くわし、そしていつもケンカばかり していた伴侶に先立たれたとしたら、今のこの忙しない一時が如何に貴重な時間か、かみしめられるはず。 人生で一番幸福で輝いてる真っただ中。 そんな幸福な人生を今、自分は歩んでいる。 しかし、すぐ傍で子供の寝姿 を懐かしむ年老いた自分もいるとする。 ならば、バカなことをした子供を許して、そしてケンカした伴侶も許したい。 世の中の出来事全てを受け入れるのもいい。 「今、全てを許して精一杯生きてはどうか」と95歳の吉沢さんは言ってる ようでもあり、また「ひとりの自由さ」の裏には「いつかは一人になる覚悟が必要だ」と言ってるように思えるのです。
いい涙
今日は平塚で清武会の試合でした。始めての試合に14名がエントリー。 緊張した顔、まったく緊張感のない顔。 いろいろでした。 結果はその日の運もあります。 大事なのは、エントリーをしてから試合までの毎日の過ごし方。 大人の方には仕事と家族サービス。子供たちには運動会の練習、学校の宿題。日常のことをやりながらも自主トレに 励んだり、特トレに出たり、日頃の練習よりも負荷をかけた毎日を過ごしたはずです。 そういう毎日を過ごすことが長い 人生の中では非常に大事なことなんだろうと思います。 テレビを観て過ごす時間を、お酒を飲んで過ごす時間を、そして 朝寝坊出来た時間を自主的にトレーニングに使おうとした気持ちが何より尊いのです。 ですから結果が重要なのでは 決してありません。 時を振り返り、懐かしんだり、悔しい思いに出くわすはずです。 私はそんな甘酸っぱい経験を山のように味あわせて あげたい。 そしていつも祈ってます。 子供たちの将来がいつも輝く日々の中にありますように。 showya 準優勝おめでとう! yuuki 激戦区4年生でベスト16おめでとう! そして皆さんありがとうございました。
天道虫
蓬谷戸からバスに乗ってたまプラーザに向うバスの窓に5mmほどの虫がくっ付いていました。 ヨチヨチ歩きの ように這いずるその姿をぼーっと見ていました。 やっぱり虫は凄い。 あんな直角なガラス面を這いずり廻る なんて人間には出来そうもない。 出来るのはスパイダーマンくらいなもんだ。 でも何で足がガラス面を捉え られるのか不思議。 そう考えているとあっという間に羽を広げて飛んで行ってしまいました。 アブラムシが いっぱいいるこの季節はテントウムシさんも活発に動けるらしい。 1日に100匹はアブラムシさんを食べてしまう 大食漢なのに窓ガラスをはい回れるなんて凄い。 だいたい寿命は2か月のはず。 冬や夏は寝ちゃうから1年で 3-4世代が生まれ変わる計算。 この前バイクで走っていたら珍しい黄色いテントウムシさんが胸に張り付いて いました。 うどんこ病菌を食べてくれるこのテントウムシは名前もそのまま、キイロテントウムシ。 テントウムシ がいると世の中、殺虫剤を使う事も減って来るんだと 思いながら電車に揺られていると上野へ。今日はまた東北。 明日は小学校で先生方と自治会の人たちと打合せ。 最近の出来事からするといったい、どんな話になってしまうのか気が重い。 でも信じよう。 そして人生なるように しかならないから精一杯やってみるだけだ。 その結果を全て受け入れるだけだと思うといつも心はスッキリ。 世の中、殺虫剤的発想では自然の流れは作れない。 背中に七つの黒い斑点のあるテントウムシ的発想が何とか してくれるはずだと子供達には伝えて行こう。昨日の特トレ、汗ビッショリの子供達。 素直って顔に書いてる子供達。 今度のサマーキャンプ。 ここに書いてることをそんな純粋な子供達の記憶に残してあげたい。
夢十夜は三夜が一番
私の学生の頃の評価は優、良、可。 今はS, A, B, C, Dで分ける大学が多いようです。そんな中、まったく着いて行けなかった のがSEプログラムのゼミ。このことは以前にも書きました。 そして私が卒論に選んだのはプログラミングとは無縁の小説。 まるで文学部のように書いていました。 夏目漱石が好きだったお陰でSEプログラムのゼミは「優」。 粋な先生でした。 身体を動かすのも好き、でも本を読むのがもっと好きでした。 雨の降る日は格別。 「吾輩は猫である」、「ぼっちゃん」 よりも「草枕」、「それから」、「門」、「こころ」。 そして「夢十夜」がいい。その夢十夜のベスト3を上げると一番は「第三夜」、 次に「第九夜」、三番は「第一夜」。 おしいのは「第六夜」。 今でもたまに読み返してみるとやはり表現が上手い。 こんな夢を見た。六つになる子供をおぶってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼がつぶれて 青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと「なに昔からさ」と答えた。声は子供の声に相違ないが 言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。「田圃へかかったね」 と背中で云った。「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか 分らない。どこかうっちゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端に 背中で「ふふん」と云う声がした。「何を笑うんだ」 子供は返事をしなかった。ただ 「おとっさん、重いかい」と聞いた。 「重かあない」と答えると「今に重くなるよ」と云った。 自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則に うねってなかなか思うように出られない。 しばらくすると二股になった。自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。 「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。 なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、 右堀田原とある。闇だのに赤い字が明かに見えた。赤い字はいもりの腹のような色であった。「左が好いだろう」と小僧が 命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へなげかけていた。自分はちょっと躊躇した。 「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。 腹の中では、よくめくらのくせに 何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。 「だからおぶってやるからいいじゃないか」 「おぶってもらってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで 馬鹿にされるからいけない」 何だかいやになった。 早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。「もう少し行くと解る。 ちょうどこんな晩だったな」と背中でひとりごとのように云っている。 「何が」ときわどい声を出して聞いた。 「何がって、 知ってるじゃないか」と子供はあざけるように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれどもはっきりとは 分らない。 ただこんな晩であったように思える。 そうしてもう少し行けば分るように思える。 分っては大変だから、 分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。 自分はますます足を早めた。 雨はさっきから降っている。 路はだんだん暗くなる。 ほとんど夢中である。 ただ背中に小さい小僧がくっついていて、 その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実ももらさない鏡のように光っている。しかもそれが 自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。 「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」 雨の中で小僧の声ははっきり聞えた。 自分は覚えず留った。 いつしか森の中へ入いっていた。一間ばかり先にある 黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。 「おとっさん、その杉の根の処だったね」 「うん、そうだ」と思わず 答えてしまった。 「文化五年辰年だろう」。 なるほど文化五年辰年らしく思われた。 「御前がおれを殺したのは今から ちょうど百年前だね」 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で 一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。 おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に 背中の子が急に石地蔵のように重くなった。
原因と結果の説明
水を凍らせた氷結の状態で結晶を観ると綺麗なモザイクが現れます。それも水道水よりも自然水。また、クラシックを かけたところで氷結させるとより美しい結晶が出来ます。また何故か、「ありがとう」という言葉を見せたときと「ばかやろう」 という言葉を見せたときには結晶の形に差が出ます。水はさまざまな顔をもって、人間の意識を形にして見せてくれます。 これはどういうことなのかは研究成果として今だに分かっていません。私はこういう現象にヒーリングや癒しという言葉で 結論づけたくはありません。あくまで物理学的に説明がつかないと納得出来ないのです。安易な妥協と薄っぺらな理解で 片づけることなど到底出来ません。体重の60%を占めるのも水。そして地球の水は太古の昔から変わることなく循環を 繰り返しているだけ。地球表面の50%は常に雲に覆われていても、そのうち雨雲はたった3%。雨を降らすことのない雲の 役割は、地球から水分が拡散してしまわないようにカバーすること。地表から蒸発した水蒸気は大気圏中に拡散してしまう こともなく、ある日雨になって地表に降り注ぎ、ふたたび、地球の水として還ってくる。この水は、20億年前につくられた水が 何回となく循環を繰り返しているだけなのです。その純水は0度で氷結し100度で沸騰します。そして結晶の形には差が 生じるのです。何故なのでしょう。 人も土も、水もコンクリートも元を正せば原子核と電子で出来ているだけ。その電子が廻っている原子核の大きさは元素 によって違いますが、だいたい10のマイナス15乗。その30000倍の高さのところを電子が周っている。その間は真空。 これは10cmのボールを原子核とすると上空1500mのところを電子は周るということ。そういう原子核と電子で物は出来 あがっている。なのでこういう周るという動作をしているために全てが振動しているという人もいます。個体も液体も、その 微細な中心部はすべてが動いて、振動しています。 そのことを頭に置いて人間の性格を観てみると、陽気な人はその 振動はそういう陽気な波動を作り、陰気な人はそいう陰鬱な波動をなしているから外見上陰鬱に見えてしまうというのは、 漠然と理解出来ると思います。 つまり水が結晶の形を変えるのは、その人が感じている「ありがとう」のイメージを振動 としてその人が持ってしまっているのでそれが結晶を作っている原子に影響を与えるのであろうと推測出来ます。 だから漢字を読めない外人に「ありがとう」の文字を見せて、その人の前で水を氷結させてもその結晶に変化は現れない のです。つまり人間は言葉に出さなくても思いを外に伝えてしまう能力があるということです。 波動として伝わってしまう のです。 だからいいことを思い、イメージしている人とそうでない人では全く違った人生を歩んでしまうというのはそういう 原理からなのでしょう。 あなたの生き方はあなたの心の姿勢そのもの。あなたは考え、人生という旅を続けます。あなたは何かを愛し、それを 自分に引き寄せます。あなたは今、あなたの思いがあなたを連れて来た場所に立っています。そして明日のあなたは、 あなたの思いがあなたを連れて行く場所に立っているでしょう。あなたはあなたの思いの結果からのがれることは出来 ません。 原因を持たず発生する物事は何一つありません。発生することの全てがそうなる為の正当な理由を持っています。 そこに運命は存在しません。全ての事象が寸分の誤差もなく原因と結果の法則に基づく必然で成り立っているのですから。
わがまま病
映画と言えばアメリカかイギリス。 でもフランスもいい。 「やさしい語りで」も なかなかです。 アメリカ映画のような アクションとか派手なものはないけど、心に残るものです。 私はこれを飛行機の機内上映で観ました。 機内上映も 当然のようにアメリカ映画が多い中、見落としそうな端っこに、こっそり書かれていたフランス映画が目に留まったのです。 聞いたこともない俳優の、聴いたこともない映画。またこの作品、日本での公開もなく日本では知られていません。 主人公は40歳、独身女性。フランスのラジオ番組で恋や性の悩みに答える人気パーソナリティ。でも私生活は誰とも交流 せず、ひっそり暮らす、ちょっと影のある人。 幼少の時に母に孤児院に入れられて「絶対に迎えに行くから ママより」 という葉書を頼りに生きて来た人。他人を拒絶する感受性の豊かな人。そんな悩みを抱えた女性が他人の悩み相談をして 人気が出てしまう40歳の独身女性が生みの母親探しに出てその現実を受け入れて行く結末。これは映画の世界です。 しかし現実はもっと残酷です。 愛情表現が苦手な親の問題が子供に大きな影響を与えてしまうことは昔から山ほど事件になっています。 1977年10月末、東京都北区に住む飲食店経営の47歳の父親が家庭内暴力を振るっていた開成高校2年生が寝て いる間に帯で首を絞め殺害。 1980年11月には川崎市宮前平の予備校生、当時20歳の一柳展也が両親を金属バットで撲殺。大学受験に2度失敗 していた精神的負担が引き金とされた悲劇。 芸能界では積み木崩し。 これらすべては親の責任です。 何故なら、幼いころからぐれている子供などいないからです。 子供たちは自然で、みんな素直なのだから。 しかし、子供との接し方が分からず、距離感がつかめず腫れものに触るような育て方に陥ってしまう親や、エリート意識や プライドが高すぎる親たち自身が、心と考え方がいつの間にか変化して子供の心に目が行かなくなってしまった結果 子供を「わがまま病」に感染させ、発火装置に火をつけられた子供たちは事件を完結させてしまうのです。 あいにく思春期にバットを取り上げようとする対処法を選択する親には、このわがまま病は治せません。 原因と結果の法則は絶対です。
元素周期表
世界の全ては元素で出来ていると新聞に書いてました。 118個の元素で動物や植物や家、ビル、そして空気、水も。 全ての世界が元素で出来ています。 軽いのにロケットまで飛ばす水素は 陽子の数が一番すくないから原子番号は 1番。 空気よりも軽いヘリウムは陽子と電子が2個なので原子番号は2番。 常温でも液体である金属は80番の水銀。 2010年に発見されたばかりのウンウンセプチウムは117番。 最後はウンウンオクチウム。 人間は60億人もいるけど 身体を創っている材料は黒人も白人もみんな同じ。でも人は十人十色。考え方が違うから。育った環境が違うから。 みんな違う。 そしてみんな十色の人生を歩みます。いい大学に行こうとする人。手に職をつけようとする人。 土とともに生きる人。 どんな道でも構いません。ただ人間は動物と違って、迷い、悩み、泣いて、苦しむ心の動物。 大事なのは、心の姿勢を正しくして前を向いて活きて行く力。 壁にぶつかっても、それを乗り越えていく力。 一工夫する考える力。 思い悩んだら太陽のように活きたらいい。 そして考える力を子供のころから身に付けて おけば、どこで何をしようが活きていける。 そんな気がします。 大きな人生の波に揺られながら、その波に 逆らわず、生きていくこと。 自分自身では選べない天道があって、脇道にそれても、必ず自分の道に戻ってくるような、そんな自分に与えられた道 を見つけられたとしたら、そしてまた、その道をお天道様を仰ぎながら歩んでいけたとしたらどんなに幸せでしょう。 神経を働かせてくれるNa、神経と筋肉に欠かせないK、そして骨の成分のCa。 身体の中にあるCu、舌にはZn、 血液をつくるFe、皮膚に含まれるS。 元素周期表を見ていると人の違いは、やはり、その人の考え方と心の姿勢 だけなんだとつくづく思いました。
文武両道
極真の先生方も他の流派のフルコンタクト系の先生方の多くは試合重視。 しかし私はそうではありません。自分自身が 空手を専門に生きて来た訳ではなく企業人として生きてきている中で極真空手の教えが役立っているので、それを生き方 として子供たちに教えているのです。 だからこの空手クラブは試合だけ、ケンカに強く成るだけのものではありません。 以下にあるのは ある極真の先生の言葉です。この先生は総極真という団体に属しておられます。私がその先生に 共感しているのは仕事を別にもち、仕事と空手を両立しながら前を向いて生きておられるということからです。 以下がその先生の言葉です。 「今のフルコン空手界は、小学生で勝つ事だけに拘る人が多過ぎる。厳しい稽古をして勝利を掴むのは素晴らしい事だが、 やがて中学生になりサッカーや野球などの部活に傾倒していく。高校受験の頃には道場に来なくなり自然と道場から 去っていく。そのうちに空手をやっていた意味も曖昧になり、二度と道場に戻って来なくなる。多分、どこの道場でも直面 している問題であると思う。それでも多くのフルコンの先生方は、小学生の時の空手の経験が大人になって社会に出たら、 生きて行く事に役立つと言う。 しかし、一時期厳しい稽古をしたからと言って、それが生きる事にそのまま役立つ程人生は 甘くない。一時期を厳しい事に耐えるだけで心が強くなり生きる力がつくのなら、キックでもボクシングでも総合でもどんな スポーツでも何でも良い事になる。もちろん部活でも・・・。でも空手道は、武道は、生涯修行者として奉仕の心を以って 豊かな人間性を育む道である。強さの果てに、相手を労わる「やさしさ」を様々な修行の過程で身につけなくてはならない。 一時の重い負荷を耐えるよりも、軽い負荷でも長期間、常にあきらめないで耐え抜く事である。だからこそ社会で通用する 人間になれると思う。 一時期でも頑張ってチャンピオンになる努力は尊いし、結果を残す事は大変な事である。その努力を 無駄にせず、将来「あの道場で学んだ事が生き抜く力になっている」と言って貰える様に、我々指導するものは「継続」する 事の大切さを身を以って示していかなければならないと思う。 ある先生の言葉であるが、今のフルコンの先生は、社会に 出て仕事をした事がない、仕事をやっても続かない、社会性がない・・・そんな先生が沢山いると言う。 先生自身、社会生活 もままならなくて子供に夢を与えられるのか、社会性のある大人の方達がその道場に価値を見出し付いて来てくれるか。 そろそろ、一時期のプロパガンダから脱皮して真剣に考える時期であると思う。」 この先生のお考えは私のものと非常に近いように思えます。社会に出て苦労するのは当たり前。それをどうやって 生きて行けばいいのかを伝えていく場が田中空手クラブなのだと考えています。そういう訳で文武両道は必然なのです。
大人の背中
次男は自閉症だったので幼稚園の時は、前途多難だと腹をくくってました。集中できない、自分の世界にこもる、人と 交わらない。こんな子供ではこの先どうしたらいいんだろうと悩んでいました。ジャイアンツの桑田投手の奥さんと一緒に 悩んでました。太陽の子という幼稚園で桑田さんの長男も、うちの次男と同じように目立ってましたから。一般の小学校に 入れるなら、それはみっけものだと思っていたくらいです。その子が中学校2年生の時に学校の先生から電話をもらうなど 思いもよりませんでした。 「sakyou君がクラスの子を蹴って怪我をさせた」と。 そんな訳はない、あの子が。 でも事実でした。自閉症は年齢とともに軽度になっていたものの小学校の時には、廻りでなにが起こっているかはわからず、 というか構わず生きていたようです。それを大学生になった次男は冷静に振り返れるようになっていました。その頃次男は 極真の1級。ローキックの蹴り方や下突きの入れ方は自分の身を守るすべとして私自身が教えていたのです。この子は 間違いなくいじめられるから反射的に返せるように。という親心からです。 学校の野球部は「ライトで9番」の次男はバカにされ普通ではない奴だとされていました。その日もいつものように執拗な 嫌がらせがあったようです。次男は、何度も「やめろよ」、「やめろ」と言い続けたちょうです。それでも止めないのが中学生。 でもその日は違ってました。「やめろ!」と言いながら教えたローキック一発。 いじめっ子はその場にうずくまってしまった のです。大きな怪我にはならなかったのですが学校では、「あのsakyouが怒るのも無理はない」。と加害者でありながら 被害者のように扱われていたのです。一応先生は経過説明ということで家に電話をして来ましたが大事にはならずに済み ホッとしましたが。反面、よくsakyouは自分の枠を超えていじめっ子に向かって行ったものだと感心もしました。 小学5年生のころには友達が家に来て、置いてあった1万円の入った貯金箱まで持って行かれるような始末。親がいる間は いいけど、この子はこれからどうやって生きていくのか?、この先不自由なく生きて行けるのか? 本当に不安にかられる 日々が続いていたのです。 なので先生に何と言われようと私は「よし、よくやった。 わかったろう。自分の力が」と心の中で ほのかな光が射した思いでした。 小学校の時はまだいい、中学校になると陰湿になる。これは私自身が今でも思っていること。 大津の中二の自殺 の件は私は我がことのように今でも思っています。 中学生と小学生の違いは「自分で自分の命を絶つ手段を知っている 、もしくは実行出来ること」なのです。 だから私は今でも、そのような無神経ないじめっ子は許すわけには行かないのです。 しかし、いじめっ子をなくすなど出来ません。 ならば抵抗力を上げ、備えることです。 その子にどうすればいいかを教えて あげるだけのこと。 私の空手教室は、教えた空手の技は学校や幼稚園では使わないこと。と何度も言ってますが、 「逃げない心」、「あきらめない心」は浸透させるよう心がけています。 挨拶・礼儀はその根本。 しかし、それを子供たちに どう伝えればいいのか私は思い悩んでいました。 が、しかし、それは簡単なことかもしれないと思いました。 それは、すぐ そばにいるお父さん、お母さんがそのような方であれば、子供は何の抵抗もなく、それがどういうものかをも理解し易いだろう という思いです。 今日、7名のお父さん、お母さん達には5人組手をやってもらいました。まだ早いと思いつつも、私の 空手教室は「教育の場である」ことの実践をするため、この方々にこの投げかけをさせていただいたところ、みなさん 前向きに5人組手に勇気をもって挑んでいただけました。 通常、体重が20-30kg違うと蹴った方の足が痛くなるもの。 その軽量な女性が男性と組手をやって、前に前に向かう姿。 男性陣もあばら骨を痛めながらも、あきらめず最後まで 5人完遂された姿。 誰しも感動したはずです。 子供たちにとってどんな説教よりも価値ある時間を7人のお父さん、 お母さん達は創ってくれました。 子達の将来は決して平たんではないでしょう。しかし、平たんな人生を歩んでも どうするものか? 山あり谷あり、そんなことお構いなしの人生であって欲しい。 今日の審査会。 そんな子供たちの将来を思いながら、大人の方々のがんばる姿を見せて頂くことで私が考えている 子供たちへの指導はなされたように思えました。 ねんざ、打撲、うちみ。この勇気の代償は「逃げない心」の証。 こういう大人の後ろ姿が私は一番大事なことだと思っています。