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さあ、受験シーズンがインフルエンザとともにやってきたのでまた書こうと思う。 医学部を狙うなら中高一貫がいい。 要は中学受験から始めたら何とかなるのだ。 高校を観るとする。 男子高なら開成、海城、東京学芸大附、巣鴨、駒東、筑大駒、暁星、麻布。 女子校は豊島岡女子、桜蔭。 共学なら渋谷教育学園幕張、東京学芸大附、日比谷。 国公立の医学部なら6年間で350万円、私立なら平均3500万円。 私立に入学出来たとしたら奨学金を1100万円まで借りたらいい。 世の中、何とかなるように出来ている。 国立の医学部。医師国家試験合格率が高いのは 1位:千葉大、2位:佐賀大、3位:浜松医科大、4位:東北大、5位:山形大。 東大医学部は国公立・私立を合わせた全体で63位とかなり低い。 大学入試では狭き門。そんなエリートも6年も遊べばただの人なのだ。 そして千葉大医学部。 いろんな事で話題となった。 婦女暴行で逮捕される学生がいる大学が実は医師国家試験合格率NO1。 腕が良くても、そんな医者に診てもらいたくはない。 それが本音だ。 私立の国試上位常連組は、自治医大、順天堂大、慈恵医大、日大、東邦大。 帝京、杏林、東海、獨協、聖マリアンナは毎年国試合格率ワースト10に入る大学。 帝京、東海、杏林の3大学は卒業試験で10名以上も落第させているにも関わらず 毎年、合格率はワースト10に入る。 親にとって私立の医学部留年、国試浪人は枯渇問題だ。 毎年約500万円を現金で納めるのに、もう1回払って下さいと言われる。 そうやすやすと出せる額でもない。 買う服や高価な化粧品やバッグを我慢して、子のためにベンツを即金で買う。 そんな暮らしを6年間も続けられるだろうか。 想像しただけで嫌になる。 しかし世の中、何とかなるように出来ている。 未来が観えて来たら何とかなるに決まってる。

今朝、ゴミ出しに行くと、車が急停車し、ひょいとゴミ捨てをしようとした。 見ればこの地域の方ではなさそうだ。 20代半ばの天童よしみさん。 「あの、失礼ですが、この地域の方ではないですよね?」 と丁重に声をかけると、お嬢さんは目を合わさずふてくされた様子で サッサと捨てようとした家庭ゴミを車に投げ入れた。 チェっと態度で表した。 格好悪い所を見つかったという思いなのかその後も目は合わそうとはしない。 これじゃ今日1日いいことなさそうだわとでも言いたげに車に乗り込んだ。 ふてくされた態度がよく似合う彼女。 そんな彼女にはお詫びの言葉は似合いそうもない。 バスに乗った。 40代の夫婦が座席に座っている前でつり革につかまっている。 ふと足元を見ると黒の手袋が落ちていた。 このご夫婦の物だろうと思い、それを手に取って渡そうとすると 「アッ、俺んだ」と言ってサッと掴んだ。 話に夢中になってるから手袋を落としてしまったのかもしれない。 そう思うことにした。 ありがとうが似合わない人がそこに居た。 家には稽古に出ると言って出てきたものの空手の稽古が怖くて図書館で時間をつぶす。 そんな時に限って何処かで財布を落としてしまう。 母親は空手教室の誰かが取ったのではと嫌疑を向け怒りのメールを入れて来る。 しかしメールのやり取りでその子が稽古に来ていないと知る。 嘘はこうしてばれる。 事は思いもよらない方向に向かっていく。 世間にはいろんな人がいる。 嘘が似合う人。 ふてくされた態度が似合う人。 感謝の言葉が似合わない人。 この週末に太陽のような子供達に聞いてみよう。 「君達はどんな人に成ろうと思ってるの?」

リビングの角に本が山ずみになっていた。 見ると長男が買っていた医師国家試験用の問題集だった。 綺麗なままだった。 勉強した形跡はない。 今年の2月の第110回医師国家試験を何とか乗り切り3月18日の合格発表を 迎えて、ようやく、うちにも春が来た。 長いトンネルだった。 その長男は今は藤沢の総合病院の研修医。 家にはいつ帰ってくることやら。 ましてや、空手をやる時間などあるはずもない。 この空手クラブにも医学部を目指す子供達がいる。 親御さんの中には、ある病院の循環器系内科のお偉いさんがいたり 小児心臓外科の先生がいたりする。 子供達には、勉学と忍耐力を身に付けて欲しい。 医学の道のみならず、研究者や教授、あらゆる道では、じっと耐える力が問われる。 その忍耐力を備えるために、ここでは子供達に空手を学ばせている。 千葉大学医学部の偏差値は71で東北大学、名古屋大学医学部の次に難しい。 そして5年生ともなれば、あと1年の辛抱で卒業試験を迎え国試に挑む。 医者への道のりも第3コーナーを回ったところで、着陸まであとわずか。 しかし、世の中にはまさかという坂道がここにもあった。 11月21日、婦女暴行の罪で千葉大学医学部学生3人が逮捕された。 呆気なく夢は奈落に落ち、間際で放校の憂き目に遭いそうだ。 親不孝にもほどがある。 タイムマシンはただいまトランプが使用中。 バックトゥザフューチャーはもう諦めるしかない。

39年前、私は大学の体育会空手部で剛柔流空手道を習っていた。 けれども私の頭の中は世界最強の極真空手の事でいっぱいになっていたのだ。 人は心が強くなければならないとこの本で知った。 あれから39年が過ぎた。 あと2年で60歳を迎えるこの身体、今だに鍛錬は怠らない。 スクワットは180kg、ショルダーシュラッグ180kg、ベンチプレス120kg 各10回  x  3セット。 空手の稽古以外に毎週、この筋トレは欠かさない。 これは意外と辛いし、スクワットでは生命の危機を感じる事もある。 しかし、一旦決めた事だ。 変わらず続けようと思っている。 昨日、出稽古をさせて頂いた。 出稽古は失礼にならない範囲で出向かせて頂こうと思っている。 人間的成長には試練が不可欠ではなかろうか。 そして試練に直面した時に 打ち負かされてしまうのか? 妥協して生きて行くのか? それともその試練に対峙し困難を克服しようと更に努力を重ねるのか? ここに人間的成長の分岐点がある。 あなたは今日までどの道を歩んで来られましたか? そして、この先あなたはどんな道を歩んで行こうと思いますか? 今、あなたの人生は輝いていますか?

何と人間は小さいものか。 人は人の限度のうちでしか生きられない。 そんなことをまた感じている。 お役所の役人様や学校の先生方は誰か偉い方が出向いてくるとか、上からの言いつけでもあれば てんてこ舞いして、階段と通路の清掃などもゴミや塵も残さず仕上げるものだ。 でも弱い者の訴えなど、どうして本気で耳を貸してくれるものか。 だから、満身にみなぎる力やほとばしる生命力がフツフツ湧いてきたとしても 心を鎮め心の垢を落とさねば。 堅実に生きよう。 堅実に生き直ろう。 永久に戻れない冥途の激流に送り込まれたならしようがない。 でも、そうでないなら、生き直ろう。 複雑な事情を背負って生まれた子であっても弱気な人にはさせてなるものか。 暗黒の谷間に長らく生き患っていたとしても、あまりにも見え透いた不幸を 背負わせてなるものか。 植物の本能のように身体の内から外に向かって現れる力がある限り 大地を踏みしめ、自らの一歩を歩んで行くがいい。 この世に産まれて僅かな年月の子羊の為に。 なお私は祈る。 明日という日が生き直ったその子達の一歩となりますように!

10月22日、代々木第二体育館で四人の真剣な眼差しがあった。 全日本型選手権大会に浜井派神奈川県支部の女性四人が選抜されたのだ。 真剣な眼差しはカッコいい。 試合は運がなければ勝てない。 多くの人の中で今日は誰に運が舞い降りるんだろう。 私はそんなことを思いながら其処に居た選手たちを観ていた。 緊張感から足がすくみ、手が震え、口が渇く。 そして一人一人の型が始まった。 名前を呼ばれ、コートの真ん中に立つ。 審判5人の眼は誤魔化せない。 その10個の眼の前で、ただ一人、型をやり終えねばならない。 身体中の血管のうちをドクドクと駆けている血液の音がする。 呼吸は極めて平静を装いながらもガラス細工を創る時の高熱の息吹きを内に宿している。 頭の毛も眉毛も、全身の毛や、足の爪までも生理的に動員されそそけ立つのだ。 これが型の試合だ。 この緊張感の中で一番冷静でいたのはSASAI初段だったのかもしれない。 彼女は見事、日頃の成果を出し切り優勝した。 運は努力の跡を見落とすことはなかった。 翌日の10月23日の日曜日、私は子供達を引率して東京体育館に居た。 組手の試合にも必要なのは呼吸である。体勢の崩しあいの中で相手の隙を探す。 相手の呼吸を計る。そして決して下がらないと誓う。 あくまでも勝とうとするのだ。一種の圧迫感の中で自分を見失ってはならない。 心臓が焼けるくらいフル回転で息が続かない。 そして焦りが湧いてきて心がいよいよ騒がしくなる。 鉛の足を前に蹴り上げ、重りを担いだ身体で突きを放ち、前に前に出て行く。 勝つ時は、それでも身が軽く天地に自分の身体が融合しているのだ。 この大会は軽量級の選手のスピードと技が天下一品。 これを見ずして空手は語れまい。観るべきものは1流の技と心である。 この試合を観て夕方横浜に戻り、そのまま、すすき野クラスの稽古に立ち寄った。 日曜の夜、そこはいつものメンバーが清々しい眼差しで最後の挨拶をしている最中だった。 私が子供達を引率して型大会、そして組手大会を観戦できたのは その日の指導を受け持ってくれた指導員の方々のお蔭だ。 有難いという感謝の念が湧いて来た。 そして24日の夕方、青葉台で型稽古が行われていた。 指導は型大会で優勝したSASAI初段とNAKAEMA一級の二人だ。 試合のあともいつもと変わらぬ稽古をしている。 実はこういう姿勢が何よりも大事なのだ。 負けて腐らず勝手奢らず。 この姿勢がある限り、彼女たちの人生に陰るものがあったとしても いずれはそれも立ち消えて、おのずと道は啓けてくるのだろう。 世の中には多くの人がいるが、本当の人に出会くわすことは少ない。

先生、神様はいるの? 小学1年生の女の子が聞いて来た。 ああ、居るとも。 何処に居るの? さて、何と答えたらいいものやら返す言葉が見つからなかった。 もし卑怯な人が我が物顔で闊歩し、正しい人が隅に追いやられ、正義でない人に裁かれ 挙句に陽の目をみず葬られていたとしたらこの世に神様など消え失せてしまったのだ。 先生、神様は居るの? 何だかいい運だの、悪い運だのが入り混じって子供達を待ち受けているとする。 そんなことも知らず、これからどっちへ行くかなと、気の向くまま、人生のきっかけを 探していたりする。しかし、まさにその今踏み出そうとするその一歩が人の人生に 大きな影響を与えてしまうのだ。 母子家庭で育った娘が東大を卒業し電通に入り、9ヶ月目に24歳の命を自ら絶つと 分かっていたら、踏み出したその一歩は躊躇なく戻したことだろう。 全身の毛に火がついたような熱気を帯びて、血が逆流する。 そんな憤りは母子家庭の母親だけのものではない。 神様、あなたは何処に居るのですか? まつりという女性の声を聞き逃すとは。

こういう時に子供達を叱るようにしている。 持って生まれた腕力と剛気はあるが粗野であること。 空手の激しさの一面だけを捉えて知恵を磨かず粗野な言動が目に付いた時。 そうかと言って、感情を表に出さない子供達も困ったものだ。 これも問題だ。 もしかしたらこちらの方が深刻な問題なのかもしれない。 それほど感情表現が苦手な子供がいる。 人間である以上、多少怒る事があっても良しではないだろうか。 寧ろ怒ってみなければ本来持ち合わせている生命力や人間味も出ては来ない。 それが最近の子供達には欠けている。 怒らないことを持って偉い子だと諭し 将来は知識人になるだろうとおだてる親御さんもいる。 そして感情を出さない事で人格の奥行きが深まったという学校の先生もいる。 しかし、本当にそうだろうか。 子供ながらにそんな老成ぶった振る舞いを真似るなどあってなるものか。 一人の子が世間の悪も知らず、人間の表裏も見ずに高校、大学を出て そして親となって、やがて晩年を静かに送ることもあるかもしれない。 しかし実際には、そんな平凡な道を歩む子供は稀で 多くは運命の荒い暴風雨に曝され大海に漂う小舟のうちにあるのだ。 それが人生というものだ。 荒波にのまれても藁をもすがって一所懸命生きねば。 一所懸命、自らを叱咤激励し泣いて、笑って、怒って、涙する。 決して粗野でもなく人間らしく生きる。 この空手クラブはそんな生き方を大事にして行こうと思う。

こうしてる間にも大変な速さで時は動いている。 植物が日々成長するように。 子供達がいつの間にか育っているように。 時間は瞬く間に物事を変えてしまう。 天も地も高速で動いている。 その中で私は今日も精一杯活きた。 今を耐えれば何とかなる。 いつもそう感じる。 だから格好悪くても、もがいて、その場をしのいでみようと思う。 亡き父と一人で暮らす母の力が私という苗木を通じて 一つの華を咲かせようとしてくれていた。 今、出会う多くの子供達もご両親の力を通して苗木に華をつけようとしている。 この世に生まれて来た限り、困難の只中にあっても明日を信じて生きて欲しい。 だから、あえて子供達の背中を押しながら、こう願うのだ。 「幾多の試練と向き合い、それらを克服出来ますように」と。 そして天と地と我の鼓動に耳を澄ましてこうも願うのだ。 「子供達の苗木が人と運に恵まれて大きな華を咲かせます様に」と。

他の空手道場と比べて試合への参加が少ないのが、この道場の特徴かもしれない。 試合よりも大事なものがあるという思いから、常日頃からそう言って聞かせている。 それはひとえに学業とのバランスである。 夏休みには稽古の時間を勉強時間に入れ替えたりする。 但し、全く出ないのではなく春と秋にはチャレンジしてもらっている。 ところが、困った事に以下のような言葉に出くわすこともある。 「僕はまだ、そのレベルではありません」 「今回は調整しきれてないので来年の春に出ようかと、、、」 何という心根だろうか。 何という事なかれ安全主義の子供達になっているのだろうか。 私はそんな時にはこう聞き返すことにしている。 君達は何をやってきたのだろう? 君達は楽にまたげるハードルしか越えようと思わないのかい? エベレストを登頂しようとする人は初めから成功すると思って登るのだろうか? この道場では強い心を養うために日々稽古をしている。 いつもチャレンジする中で自信も備わり強い心も養われて行く。 試合は緊張もするだろう。 痛さと怖さで逃げたくなるだろう。 しかし、そこで逃げずに前を向いて立ち向かう。 実はそういう経験は稽古では体験出来ないものなのだ。 試合とは、そこに価値がある。 なので二の足を踏んで前に出れない子供達には、背中を押してあげている。 迷った子供達には、進むべき道を指し示してあるべき姿を教えてあげている。 人としてチャレンジしなくなってどうするか? このままチャレンジしない大人になってどうするか? 子供達の真剣な眼差しには、こちらも手を抜く事はない。 泣いて、笑って、明日をつかめ! 苦労をいとわず雑草のように生きてみよう。 そんな1日1日を大事にする人になろうじゃないか。 さあ、遅くわない。 今から始めよう。 私はそんな子供達の心に一本ぶれない筋を入れてあげるだけなのだ。

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