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健康を志向し、服装や美容に心がける人は多いのに 教養をつけ、心を鍛える事に熱心な人は少ない。 稀に生まれ持って嘘つきな子供がいるのかもしれない。 でも普通は頭で計算して物を言う子供はない。 思った通りの事が口から出てきてしまうのが子供だし、それが可愛い。 だからよく家庭内の事が子供から伝わってしまう。 「うちのお母さんは、よくお父さんと喧嘩してるし、朝はなかなか起きてこないの」 単純に思った事を口にして、外聞をはばかる事はないのが子供だ。 しかし、大人になる過程で人は嘘を覚えて、それを上手く使いこなすようになる。 保身の為なら見え透いた嘘もお手のものだ。 思っている事と表現された事とは丸っきり違う人もいる。 計算高いのは達人の領域だ。 成就した人格の持ち主と、そうでない人。 その違いは付き合ってみると見分けがつくものだ。 澄ました顔をしていても、一瞬の動作や言動でお里が知れてしまう。 それは勉強によって身につくこともある。 本を読んで身につく事だってある。 他の人の言葉を黙って聞いているだけでもいい。 面倒な事を避けず、丁寧にやってみるだけでもいい。 波乱に明け暮れた人生でも、それが苦労とは思わなくなってきたら そして愚痴や、恨みつらみを言わなくなっていたら 「ああ、面白かった」という人生を送っているかもしれない。 よもや「幼稚園落ちた日本死ね!!!」などという言葉は聞きたくはない。 この方、匿名ブログで話題になった方で、そのあとこう書いていた。 「何なんだよ日本。」 「何が少子化だよクソ。」 「ふざけんな日本。」 「まじいい加減にしろ日本。」 言ってることや世の中の矛盾は良く分かる。 ママ達の気持ちを思うと同感だという人も多いだろう。 しかし、この言葉のトゲトゲしさは如何なものかと思う。 そして日本がそんなに嫌ならば もっと良いところを探し求めて生きて行くしかなかろう。 果たして日本よりいい国があると言うのだろうか? 幸せってなんだろう。

「神様を信じますか?」と言われてもピンと来ない。 でも、21年前の1月17日、神戸に住んでいて、悲惨な光景の中に家族が住む家があったとしたら 神にすがり、神にしがみ付き、「どうぞ神様、助けて下さい」と懇願するのではなかろうか? 凍える手も顧みず、裸足であることも忘れ、両の手を合わせて祈るのではないだろうか? 崩れた家々の中ではすすり泣く声が洩れ聞こえ、途方もない力に押し倒されたマンションを 無言のまま通り過ぎて行くと見慣れた風景に出くわす。 そうだ、このあたりだった。 電話はもちろん通じない。 「どうぞ神様、無事で居ますように。 いや、生きていてくれますように。」 そう祈るのではないだろうか? そして神様と取引をする。 「もし家族を助けてくれたら、私の持ってるお金は全て世の為、人の為に使いましょう」と。 自分の利益のために、私はそう祈るだろう。 人間である以上、自分の利益の為に神様に祈ってもいい。 それが本当の姿だ。 人間の力の及ばない何か大きな力があると思えばこそ、そう祈りたくなる。 正直なところ、私は面倒なことはしたくはない。 でも、この世の中、そんな楽に暮らせる場所はないと思って居る。 複雑に入り組んだ世の中で、人生が絡み合って生きている。 困難な事ばかりが次から次から顔を出す。 いくら頑張っても、為せば成らない世の中が繰り返される。 地震が起こると電車が止まり、徒歩で歩いていくしかない。 歩けど歩けど、ほど遠い。 水は何処も売り切れて食べるものにも事欠く時を過ごす。 私は21年前、そんな震災を経験した。 そして、4年と11か月前。 大きな震災を経験した。 みな、神様を思い、祈っていた。 「どうぞ、家族が生きていますように」 人生は予期せぬことの連続だった。 だからこれからもきっとそうなのだろう。 今日、塾の前で小学生の女の子とお母さんが泣いていた。 昨日、今日の第一志望と第二志望の試験が思いの外、出来なかったのだろう。 その子の人生にとっては予期せぬ出来事だったのかもしれない。 たとえ試験の解答を導き出せても、人生を生き抜けるとは限らない。 だから試験の出来不出来で一喜一憂は意味がない。 神に祈るのはまだ早すぎる。 最後の切り札を出すのは今ではない。

暖かい正月はもう頭から消えた。 今は冬景色の中に居る。 大型バスの運転に不慣れだった65歳の運転手。 休憩時間中にハンドルに突っ伏して休んでいて疲れた様子だった58歳の運転手。 共に年末年始を健やかに過ごしていたことだろう。 今、私は57歳、身につまされる。 あの運転手も無理を重ねて来たのかもしれない。 川崎市宮前区はここから2kmほど。 ニュースで観た宮前区の街並みはよく通る場所だった。 21歳の娘さんは春になれば三井不動産で仕事をするはずだった。 娘を見送っていた52歳の母はどんな正月を過ごしていたのだろう。 商社マンの父親はたぶん自分と同じくらいの年齢だ。 毎日新聞の死亡者一覧は大学の偏差値順に書かれてた。 配慮に欠けている。 筆で生計を立てている人の集まりが人の心を視ていないように思えた。 21年、22年の人生を急いで走り抜けた若者達にやり残したことはなかったのかな。 空手クラブで出くわす子供達にこんなことを伝えていた。 「学校や家で楽を選ぶんじゃないよ。」 「今はね、遠回りをすることを覚えるんだよ。」 「何で??? 、、、」 「二つの道があったら必ず楽じゃない方を選びなさい。」 「楽をして気に入ったことばかりをし出すと、いつかその反動が来るからね。」 「世間には世渡りがうまく、器用な人もいる。」 「でもね、器用に、要領よくても、いつか帳尻があうものさ。」 「きっと、そうなるから観ていてご覧。」 「帳尻って何?」 そんなやり取りを思い出しながら雪道を歩いていた。 1月15日午前1時55分、シートベルトを締めて寝ている人は少なかろう。 この15名の若者達の帳尻はこれで合ったのだろうか? そして、その親御さんやバスの運転手の家族の帳尻は合ったのだろうか? そんなことを反芻しながら歩いていたら駅に着いた。 長蛇の人の列は動く気配がない。 雪は降りやまない。 私は背中を丸めて佇んでいた。 21年前の1995年1月17日、多くの人が旅立った。 そして2016年1月15日、15人の若者が一瞬の間に旅立ってしまった。 私は雪の中にいる。 蝶はかじる口を吸う口に変えて幼虫からさなぎになって成虫になる。 さなぎは幼虫から使っていた内臓もすべて作り変えて成虫の蝶を創る。 古い家を取り壊して全く新しい家を創るように。 ヒトデは星の形をしてる。 でも幼生はエビのような全く別物の生物だ。 雪の中で思った。 この若者達はきっと生まれ変わったんだと。 1月15日 日本時間の午前1時55分のあとに。 地球上のどこかの国であらたな生命が生まれ落ちたのだと思ったら うつむき加減でいた頭をようやく上に向けることが出来た。

嬉しかった2009年は、もう7年も前のこと。 医学部に長男が受かるとは思ってなかったから、その気持ちはひとしおだった。 しかし私立医学部の学費を払えるとは思えなかった。 「東工大ではだめかな? 医学部じゃなくても国立理系で東大の次にくる難関校だし」 と咄嗟に長男に聞いた自分がいたことを今でも覚えている。 国公立の理系なら学費は何も問題はない。  しかし学費を払う親としては私立医学部は別格だった。 だから、子供の意志を考えず理工系に進めないだろうかと口をついたのだ。 しかし、本人の医者への思いは、頼もしいほど強かった。 そんな長男の顔を観て居たら、腹をくくるしかなかった。 妻は義父、義母にも相談してくれたことで学費工面が見えてきた。 もちろん奨学金も借りた。 とても自分の稼ぎだけでは医学部の学費工面は実現出来できるものではない。 この7年間の出来事は今思えばあっという間の出来事だった。 医学部の留年は子供より親の方がショックが大きい。 そんなことも経験した。 1年を指折り数えていた。 まだ2年生か、まだ4年生か。 あと何年かかるんだ。 そんなことを感じながら四季を7回やり過ごして今日を迎えた。 今日1月9日14時。 時計は動かない。 まだかまだかと何度もスマホを確認していた。 そんな時に27年度医学部卒業者が発表された。 14:05 長男からメールが来た。 「卒業したよ」 ただの五文字の素っ気ないメールだった。 それで十分。 この五文字ですべての気持ちが伝わって来た。 不格好に生きたこの7年が懐かしく思えるほど私は安堵した。 ただ医師国家試験は2月。 そう喜んでも居られない。 初詣では、今年もいい年になりますようになどとお願いするものではない。 どうぞ辛いことでも嫌な事でも構いません。 その全てを与えて下さい。 そしてその一つ一つを必ずやり遂げるから、どうぞ見守っていて下さい。 と心の中で反すうしてきた。 いいことがおこりますようになどとお願いなどしてどうするか。 よもや、災いがサルなどと、良いことばかりを願ってはならない。 この先、私はきっと、今と変わらず前を向いて生きているだろう。   これから先も苦しみながらも頑張ってるに決まってる。 その姿を隠すことなく、落ち込んだ人たちにぶちまけてあげよう。 気の利いた言葉はあげれないかもしれない。 でもね、苦労して頑張ってる姿は勇気を与えられると信じている。 今、この瞬間を生きている姿がそこにあるだろう。 人は人によって癒される。 白黒にグレーがかった風景を鮮明なカラーにしてくれるように。 たかが五文字メール。 素っ気ないメール。 そんなメールで私の心が癒されたことは間違いない。

正月の込み入った「湯けむりの里」。 受付カウンターの人の応対が横柄で、素っ気なく、そして商売っ気のない学生っぽさ。 無表情に「今日は正月料金なんで、、、」と横を向いて言い捨てる態度。 「混んでるなあ」と言った一言が素っ気ない態度を引き出したのか分からない。 しかし正直、イラっとした。 結局、そこでお風呂に入るのはやめて家に帰ってしまった。 帰ってからもテレビを観ても気分が尾を引いていた。 学生のバイトはこんなもんだという気持ちとワザワザ出掛けて780円も出して お風呂に入ろうとしているのに何でこんな思いをするのだろう? 昨夜はそんな時を過ごしてしまった。 家内が言っていた。 長男が勉強してるんだかしてないんだか分からないと。 「国家試験受けるっていうのにコンビニに少年ジャンプを買いに行ってたのよ」 「どう思う?」 「どう思うって言ったって、いい年なんだから、どうしようもないだろうよ」 「で、今、漫画読んでんのかい?」 「それがね、売り切れでさ、買えなかったんだって」 「じゃ、なにかい、ワザワザ出掛けて行ったのに手ぶらで帰って来たのかい?馬鹿だね〜」 「本当、医者の勉強してると思ってたらさ、ワザワザ出掛けてジャンプなかったよだって」 ワザワザ出掛けるとロクなものじゃない。 1月4日号の少年ジャンプの表紙に「がんばれ受験生」と書いてあった。 数学や物理、パソコンも、とうの昔に親を超えている。 その子の部屋にはジャンプとマガジンとサンデーの山がウズ高い。 漫画も捨てたものじゃないのだろうか。 学生とはそんなものなのだろうか。 あの湯けむりの里の学生も漫画にハマってるのだろうか。 湯けむりの里は朝から人が溢れ、苦情も溢れていたのかもしれない。 何時間もそんな中で仕事をしていたらさぞかし無表情にも素っ気なくもなるだろう。 学生達には学生達の考えがあって、彼らの生き方がある。 私の尺度で決めつけるのはよそう。 ただ言える事はワザワザ出掛けるもんじゃないということくらいだ。 2016年の暖かい正月も終わろうとしている。 羽化するサナギたちには持ってこいの暖かい太陽だった。 さあ、そろそろ出番だ。 漫画は少し我慢してみたらどうかな?

2015年がいったいどんな年だったんだろうと振り返ってみた。 長男は医学部6年生に進級。 来年、医者として勤める病院が決まった。 次男は大学を卒業。 就職し実業団で長距離を続けニューイヤー駅伝メンバーに選ばれた。 病気や怪我をすることもなかった。 子供二人の学費の支払いが終わった。 親としてやるべきことの一つが完了した。 その他は家族のことで書くべきものはない。  子供や家族のことは自分でこうしたい、こうなって欲しいと考えていない。 人生とは何事もベストを尽くすだけ。  あとは成るようにしかならない。 多くの人は子供の事に気をもみ、子供の将来を不安に思い、悲観するようだ。 しかし子供は自分の所有物ではない。 ある年齢までは、もちろん子供の面倒を看なければならない。  しかし、時期が来たと感じたら子離れをするに限る。 子供の命は天から与えられたもの。 親が与えたものではない。 5歳児は思う存分、わがまま勝手に生きるがいい。 10代ともなれば、言われたことを、がむしゃらにやってみる。 20代は伴侶を探し、自分の生き方を考えてみる。 30代は子供を宿し、育児を行う。 仕事はがむしゃらに取り組む。 40代は自分のやりたいことを見つけ、専念してみる。 50代は周りの人に目を向けて、面倒を看て人を育成する。 60代は人生は不条理と心得て人を想い、人を導く。 70代は10年先に起こる事、20年先に起こり得ることを説いて聞かせる。 80代からは後世への贈り物を残して、世を去る。 自分の役割とはそんなものかと思って居る。 私は武道の先生である前に一人の人間だ。 今年も空手を説く前に一人の人間としての生き方を説いて行こうと思う。 年末の格闘技が復活したことは一重に嬉しい。 しかし今の時代、どう戦うのかということよりも、どう生きるべきかを問わねばならない。 太く生きろ。 小細工をしないで太く生きろ。 その為に、どう生きたらいいのだろうか? それを説いて聞かせていくことが私の使命だ。 ご縁を頂いた一人一人の人生を診て行こうと思う。 去年も一昨年も、そして今年もこのことだけは何も変わっていない。

あなたみたいに付き合いづらい人はいないと面と向かって言われた。 学校の給食も一人ぼっちだった。 もちろん登下校もぼっち続き。 その人の話はまだ続いた。 世間のクリスマスの盛り上がりには背を向けたくなった。 やがてスマホから眺める世間が純粋な世間だと思うようになって 人と話す事が苦手で一人でいる事が当たり前の人生を歩むようになって行った。 そんな人生を何年も過ごしたという。 自分の心に閉じ篭って生きることはどれほど辛かろう。 平然として聞き流したように振舞っていても、実はぬかるみの世界に落ち込んで 抜け出せなかったらしい。 積り積もったあきらめの山は手の施しようもないほどだった。 広い世の中には、さまよえる心の持ち主は少なくない。 仕事を追われ自暴自棄な人。 回復の見込みのない難病を宣告された人。 身を粉にして貯めたお金を騙し取られた人。 人混みの中にたった一人生きる人。 そんな人に私が出来ることは、先のちびった鉛筆で心のスイッチを押してあげること。 生きてる限り、言葉を紡ぎだすことは誰にだって出来る。 一枚の紙と、ちびった鉛筆とさえあればいい。 あとは心を込めてこの手を広げて君の胸のスイッチを押してあげるだけだ。 絶望に細る心を前に、この世に生まれ落ちた訳など説いて聞かせてなるものか。 「水の流れに逆らって泳いでご覧。」 「それが活きるという事なんだ。」 「水の流れに身を任せて生きるのは死んだ魚のようなもの。」 「大地と海の川に力いっぱい生きてみないか」 「それでも君は活きた魚かい?」 風に乗って届けよ、響けよこの声が君の心を熱くするまで。 あきらめないで。 だからいつまでも響けよ。 そして君の心に暖かい血潮が蘇れ。 凍える海の粉雪が舞う真冬の夜でも いつだって、この想いを届けてあげよう。 出遭うべき人と出遭うべき場所に君が辿り着くまで。

今日、不可能と思える事の大半は100年も経てば現実のものになっている。 過去を振り返ると、この先の100年は想像もつかないほど進歩するということだ。 それには高い目標を持ち、その目標に挑戦しようとする気構えが必要だ。 努力とその継続を怠らず、七転び八起きの精神を貫けば一時の挫折やつまずきなど 生きて行くための栄養に転化する絶好のチャンスと捉える事も出来る。 そしてその生き様の中に心を熱くし、心を震わせるような感動を探し求めて 生きて行けば、大方の道は安泰だ。 果たして一人一人の目標がどこまで達成できたかは分からない。 しかし分からないながらも一生懸命に希望と勇気を振り絞って自分の人生を生きて行く事が 与えられた寿命というものを生かしきる道なのだろう。 人の一生は大きな運命の渦の中で、ご縁の糸に操られている。 人と人とのつながりも、一人の意思や、その時々の感情によって簡単に切れて しまうものではなく、もっと大きな流れの中で、もっと次元の高いものに 左右されているように思える。 こうして自分の思い通りにはならない渦の中に私は生きて来た。 絡まり合う衝動に足元をすくわれたり、つまずいたりして生きてきた。 人格など整然と秩序の取れたものではなく外からも内からも無秩序につまずく日々だった。 失敗は私の周りでいつもお手ぐすねを引いて待ち受けていた。 しかしこの思い通りにならない無秩序の連続が将来の危険から身を守る確率を高めている ように思えてならない。 何でこんなことが起こるのだろうという「つまずき」が将来のある事柄に辿り着く時間の リセットであったりもする。 大事な時に靴の紐が切れたり。 急いで連絡を取りたくなった時にスマホのバッテリーが切れたり。 電車でウトウトしていて荷物を網棚に忘れてしまったり。 一番短い列を探して並ぶと、列が進まなかったり。 お昼に雨が降ると思って500円傘を買ったら一度もささずに食事をした場所で忘れてしまったり。 バーゲンに並んで買い物をした帰りに得をした分以上の交通違反切符を切られたり。 世の中まったく思った通りに行かないものだ。 しかし思い通りにはいかない人生でも振り返ってみれば案外悪くはない。 つまり、この「不自由なつまづき」の連続が実は大きな価値があったということなのだろう。 だとすると、どうやら無秩序の連続の中で、つまづくばかりのこんな自分でも いつしか危険を察知しながら生きるすべを身に付けていたということになる。 人は100年前の過去に生きることは出来ないし昨日に戻ることも出来ない。 だから前を向いて明日に生きるしかない。 つまづきと挫折を真正面から受け止めてみよう。 そして明日の失敗を楽しんでみようという気持ちが心の底から沸々と湧いてくる。 さあ、そんなワクワクする明日がやって来る。 私は明日、多くの不安と多くの心配の顔に出くわすことになるだろう。 私は、そんな一人一人の刻一刻の勇気を奮い立たせてみようと思う。 そして一人一人の心に火を灯してみようと思って居る。

兜町では株価の上下に一喜一憂するらしい。 しかし、これらは偶然ではないし、もっと大きな筋書きの中での一コマに過ぎない。 だから偶然など存在しない。 しかし偶然なる物の一つ一つが乱流のごとくに存在し その一つ一つが大なり小なり因果的連鎖を起こしてると捉えた方がいい。 だからこの先の出来事はだいたいは後になってはじめて、そうだったのかと気付くものだ。 まるで雪の中を飛ぶ飛行機のようで、留まる事を許さない風に吹き飛ばされながら 白い粉雪は、心に浮かぶ断片的な記憶とともにあるべき所に落ちていく。 自分のその時その時の記憶など後から思えば全く定かではない。 自分が何を思い、何を感じていたのか、いちいち振り返ることも難しい。 いずれにしても意識の奥底にある自分の過去の感情は、絡まり合い、混じり合って 疑わしい記憶となって心に浮かんで来る。 この混ざり合った記憶の連鎖の先に、これから起こり得る複雑な未来が待っている。 これが人生だ。 日経平均株価の変動を観ていて、そんなことを感じた。 今日、東芝は一旦、303円の値を付けた。 過去5年の変動は5年前から損失の水増しを行っていた3人の社長のように 東芝の株価はあるべき姿となって、あるべき所に落ちて行った。 因果の連鎖とはそんなもののように思える。 一昨日、久しぶりに長男が帰って来た。 先週、3日間の卒業試験が終わったらしい。 医師国家試験は来年の2月。 結果発表は来年の3月18日。 今、幼虫期に何年も地面の下に潜っていたセミたちが成虫に成ろうとしている。 世の中で数えられない程のセミたちが羽化の段階に入っている。 オドオドする必要はない。 腹を据えて強く生きて行けばいい。 偶然ではない未来はもう君たちのものだ。 さあ、未来を引き寄せるんだ。 絶好の舞台は君たちの出番を待っている。

いつ、誰の子供として生まれてこようと自ら望んで、この世に生まれて来た訳ではない。 そう思う記憶が残っていた時には母と父を選んで居たのかもしれないが。 生まれて来た今となってはそれがどうだったのかは分からない。 だから今は、こう思っている。 人には自分の意志で決められないものがあって、それを受け入れるしかないと。 自分の運命や宿命とはそんなものなのだろう。 自分で代えることが出来ないものと言った方がいい。 もし、それに逆らって生きようとする欲求が沸々と湧いて来たとしたら、それはその人の宿命だ。 ここに居ること自体。 その出会い自体。 不自由に運命付けられているものだとしか思えない。 地球に存在する生物の一つとしてあらがう事の出来ないもの。 それが運命だ。 人は努力する人としない人に分けられる。 そんな素質があるようだ。 おどける人、気まぐれな人、努力の人。 人の素質は様々だ。 今、思う。 だから努力とは、それもその人に備わっていた素質の一つだと。 努力が生まれ持って苦手な人が居る。 そういう人には、それを補う何かがある。 先天的にじっとしていられない人も少なくない。 それをADHAだと人はいう。 それも生まれ持った素質なのだ。 宿命にあらがってはならない。 だから努力できる人。 じっとして居られる人もそういう具合に表さねばならない。 それ自体がその人の素質なのだから。 私は、そんな、そのちっぽけな素質を見出そうとしている。 子供一人一人に見え隠れする素質に刺激を加えて活性化しようと思って診ている。 それが私の役割だと心得ている。 それが私の宿命なのではないかとも思って居る。 勉強が好きな子供は、生まれついたものが多い。 背の高さや、体型がその人の生まれ持ったものなのと変わりはしない。 生まれついたもの。 それは自分で選んだものではない。 死ぬほどじっとしていられない子供に動くな、じっとしていろと言っても出来ないものだ。 足が長い子供に、もっと短くしなさいなどと言ってもどうしようもない。 それらはそういうものを生まれ持った運命なのだ。 受験勉強で勝率がいい人は、そういう勝てる受験校を感覚で分かる能力があったのだ。 2浪、3浪を繰り返す人は夢と現実の差を分析出来ない能力の持ち主なのだ。 子供の一瞬の動作を見逃してはなるまい。 子供達一人一人の素質や運命、宿命を見抜く。 そして、そこに隠れている能力を開花させてあげねば。 研ぎ澄まさねばならない。 子供を観る目を。 一瞬を見逃してはなるまい。 そう思いながら子供達の将来を看ている。 今は小さなつぼみでも、それがどのように花開くのか見えて来る。 その子にはその子なりの道がある。 その道を開くため。 どんな一歩を気づかせてあげようか。 まぎれ散らばる運命を気づかせてあげようか。 心を定めて歩んでいけ。 懸命に生きるそのころに我の思いが分かればいい。 それがたとえ遠く曲がりくねった道に思えても。 休まず歩む姿があれば道は開ける。 その向こうにきっと深く湧き上がってくる喜びが待っている。 今は私は平成の世にノミと金槌を持って薪の中の仁王を探している。 運慶は、この子らのどこかに潜んでいる。 護国寺の山門で仁王を刻んでいた運慶が今ここにいると信じて 私は子供らの心の中を視ている。

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