大器
人は、みな平等に年を取る。 善良な人も悪人もみな平等だ。 しかし、次第に人生が面白くなる人と人生に不平不満をだけが募る人に分かれる。 スマホのバッテリーが消費されて行くように疲れ切ってしまう人もいる。 年を取って過去を振り返ってみると、学校の成績と成功とは結びつくものがない。 サラリーマンの出世頭も病気や怪我でつまづき、美人の才女も離婚したりする。 どんな道に進むのかによって、その差はあっても学校の成績と人生の成功は無関係だ。 本当に人の一生というものは、最後の最後まで分からない。 どうせ年をとるなら冒険を顧みず、失敗も臆せず挑戦する。 そんな人生を歩みたい。 そしてこの空手クラブに参加している子供達にもそんな道を歩んで欲しいと思う。 自分の好きなことを見つけ、失敗も臆せずその人生に掛けてみる。 そんな人生って、きっと悪くない。 運命の中に活きて、人生を賭けてみて、友を創り、そしてその友と酒を交わす。 些細な事柄は、そんなお酒で流してしまえ。 今、出会っている空手クラブの子供達が成長し、いつの日かお酒を酌み交わし そんな話が出来る日が来るとすれば、それほど嬉しいことはない。
受験
1月もいつのまにか26日になった。 インフルエンザが真っ盛りのこのころ、受験シーズンの本番を迎える。 このインフルエンザの流行は毎年のことだ。 そして何とか無事に乗り切ってもらいたいと気がきでないのは受験生本人よりもその親の方だ。 今年、この空手クラブでも中学受験に挑む6年生がいる。 小3の四月に入会し3年半が過ぎた頃、受験に専念する為に二人とも休会した。 その子たちが中学受験をするとは年月の経つのは早いものだとつくづく思う。 何とか実力を出し切ってもらいたい。 そして元気な姿をまた見せてもらいたい。 人生はマラソンだ。 この先も平たんではなく、いばらの道が続くだろう。 しかし、決して怯むことなく、太陽のように輝いて生きて行って欲しい。 そして、いい青年に成長して行ってもらいたい。 緊張の2月1日まで、あと1週間。 泣いても笑っても最後だから頑張れといいたい。 運がいいか悪いかは合格発表の時に分かるものじゃない。 それは10年後か、いや、20年後に分かるもの。 神社で祈る時には名前と住所をとなえるといいと雑誌に書いてあった。 世の中にはそのようなことをする人もいるのかとある意味、感心した。 しかし私はこう思っている。 もし神様が居るとしたら、それは一人一人が住所を言わねば分からないような 俗世間的なものではなく もっと次元の高い何かがあって、その流れに沿えばいいのだと。 受験とは、そんなものではないだろうかと思って居る。 私も人の親として中学受験、大学受験を経験して来た。 今、その子は医学部を卒業し2月の医師国家試験を待つに至った。 もう親の施すものはない。 その日が大雪の日であっても。 インフルエンザの日を迎えても。 それはそれまでにその子が培ってきた大いなる流れによるのだろう。 またこうも思って居る。 そんな受験ごときを越えられないで人の命を預かる仕事につくものではない。 何より人の命に携わる仕事につこうとするなら死に物狂いで人の命に向かい合ってもらいたい。 そういうことが出来る人間だけが逆に言うと医師国家試験の合格に値するのだ。 受験とはもっと先にある大きな目的に到達するためのハードルに過ぎず、 言わば、それを乗り越える強い信念を試す場なのではなかろうか。 だから五臓六腑で受験しろ。 眠れぬ夜を明かし頭が朦朧として睡魔に襲われたところが勝負の分かれ目だ。 その意識が朦朧とするなかでも前を向いていられたら神様が答案を仕上げてくれるだろう。 そこまでやって初めて医者に成れ。 子供の最後の受験を前に、一人の親としてそう思っている。
ヒトデ
暖かい正月はもう頭から消えた。 今は冬景色の中に居る。 大型バスの運転に不慣れだった65歳の運転手。 休憩時間中にハンドルに突っ伏して休んでいて疲れた様子だった58歳の運転手。 共に年末年始を健やかに過ごしていたことだろう。 今、私は57歳、身につまされる。 あの運転手も無理を重ねて来たのかもしれない。 川崎市宮前区はここから2kmほど。 ニュースで観た宮前区の街並みはよく通る場所だった。 21歳の娘さんは春になれば三井不動産で仕事をするはずだった。 娘を見送っていた52歳の母はどんな正月を過ごしていたのだろう。 商社マンの父親はたぶん自分と同じくらいの年齢だ。 毎日新聞の死亡者一覧は大学の偏差値順に書かれてた。 配慮に欠けている。 筆で生計を立てている人の集まりが人の心を視ていないように思えた。 21年、22年の人生を急いで走り抜けた若者達にやり残したことはなかったのかな。 空手クラブで出くわす子供達にこんなことを伝えていた。 「学校や家で楽を選ぶんじゃないよ。」 「今はね、遠回りをすることを覚えるんだよ。」 「何で??? 、、、」 「二つの道があったら必ず楽じゃない方を選びなさい。」 「楽をして気に入ったことばかりをし出すと、いつかその反動が来るからね。」 「世間には世渡りがうまく、器用な人もいる。」 「でもね、器用に、要領よくても、いつか帳尻があうものさ。」 「きっと、そうなるから観ていてご覧。」 「帳尻って何?」 そんなやり取りを思い出しながら雪道を歩いていた。 1月15日午前1時55分、シートベルトを締めて寝ている人は少なかろう。 この15名の若者達の帳尻はこれで合ったのだろうか? そして、その親御さんやバスの運転手の家族の帳尻は合ったのだろうか? そんなことを反芻しながら歩いていたら駅に着いた。 長蛇の人の列は動く気配がない。 雪は降りやまない。 私は背中を丸めて佇んでいた。 21年前の1995年1月17日、多くの人が旅立った。 そして2016年1月15日、15人の若者が一瞬の間に旅立ってしまった。 私は雪の中にいる。 蝶はかじる口を吸う口に変えて幼虫からさなぎになって成虫になる。 さなぎは幼虫から使っていた内臓もすべて作り変えて成虫の蝶を創る。 古い家を取り壊して全く新しい家を創るように。 ヒトデは星の形をしてる。 でも幼生はエビのような全く別物の生物だ。 雪の中で思った。 この若者達はきっと生まれ変わったんだと。 1月15日 日本時間の午前1時55分のあとに。 地球上のどこかの国であらたな生命が生まれ落ちたのだと思ったら うつむき加減でいた頭をようやく上に向けることが出来た。
宝くじ
駅の近くに薬屋さんがあって、そこで宝くじを売っている。 過去、大きな当たりくじが出たらしい掲示物があたりにたくさん溢れていた。 その薬屋さんは「さくら薬局」。 年末も、サマーも多くの人が並ぶから、何だか当たるのかなと思ってしまう。 だから並んでみた。 何でこんなに人が行列を作ってまで買いにくるのだろう? そう思いながら並んでいた。 何だか今回は当たりそうな予感があった。 1億円でもいいや。 家のローンを返して、子供達にもいくらか残しておいて、あとは老後の預金だな。 「お次の方、お次の方、あなたよ~。早くして下さいね」 いろいろ空想し過ぎた頭が急に現実に戻された。 丁寧に財布に入れた。 これが当たり番号だから。 さあ、仕事はどうしようか。 まあ急に会社を辞めるのもよくないから、まあそのままでいいか。 空想はまだ続く。 そんな楽しいもの思いも、必ず覚める日が来る。 宝くじとはそんなものだ。 それでいい。 一瞬の楽しい時をもらえたのだ。 高額宝くじが本当に当たったら怖いだろうね。 家内が言っていた。 そうだろうなと思った。 今日、アメリカで1880億円の当選が出た。 3人で分けると言う。 一人で約626億円。 この当選者の5年後、10年後を視てみたい。 人生を踏み誤る人が多いと聞く。 本当にそうだろうか? 人間、何事も持てる量は生まれながらに決まっていて、それを越える欲を出したり その持てる量を越えて蓄えたとしたら、精神的にも、肉体的にもバランスを崩し 調和の取れない日々を過ごす事になる。 それが身体に異変を起こしアルコールに溺れ、最後には判断も誤ってしまうのだろう。 一升ますに入る量は決まっている。 それを越えるものがあったとしたら、それは私のものではない。 世の中に帰さねば。 何をするのか、よりもどうあるべきかなのだろう。 薬を飲むように、この言葉を心の中で反すうしている。
医学部 最後のメール
嬉しかった2009年は、もう7年も前のこと。 医学部に長男が受かるとは思ってなかったから、その気持ちはひとしおだった。 しかし私立医学部の学費を払えるとは思えなかった。 「東工大ではだめかな? 医学部じゃなくても国立理系で東大の次にくる難関校だし」 と咄嗟に長男に聞いた自分がいたことを今でも覚えている。 国公立の理系なら学費は何も問題はない。 しかし学費を払う親としては私立医学部は別格だった。 だから、子供の意志を考えず理工系に進めないだろうかと口をついたのだ。 しかし、本人の医者への思いは、頼もしいほど強かった。 そんな長男の顔を観て居たら、腹をくくるしかなかった。 妻は義父、義母にも相談してくれたことで学費工面が見えてきた。 もちろん奨学金も借りた。 とても自分の稼ぎだけでは医学部の学費工面は実現出来できるものではない。 この7年間の出来事は今思えばあっという間の出来事だった。 医学部の留年は子供より親の方がショックが大きい。 そんなことも経験した。 1年を指折り数えていた。 まだ2年生か、まだ4年生か。 あと何年かかるんだ。 そんなことを感じながら四季を7回やり過ごして今日を迎えた。 今日1月9日14時。 時計は動かない。 まだかまだかと何度もスマホを確認していた。 そんな時に27年度医学部卒業者が発表された。 14:05 長男からメールが来た。 「卒業したよ」 ただの五文字の素っ気ないメールだった。 それで十分。 この五文字ですべての気持ちが伝わって来た。 不格好に生きたこの7年が懐かしく思えるほど私は安堵した。 ただ医師国家試験は2月。 そう喜んでも居られない。 初詣では、今年もいい年になりますようになどとお願いするものではない。 どうぞ辛いことでも嫌な事でも構いません。 その全てを与えて下さい。 そしてその一つ一つを必ずやり遂げるから、どうぞ見守っていて下さい。 と心の中で反すうしてきた。 いいことがおこりますようになどとお願いなどしてどうするか。 よもや、災いがサルなどと、良いことばかりを願ってはならない。 この先、私はきっと、今と変わらず前を向いて生きているだろう。 これから先も苦しみながらも頑張ってるに決まってる。 その姿を隠すことなく、落ち込んだ人たちにぶちまけてあげよう。 気の利いた言葉はあげれないかもしれない。 でもね、苦労して頑張ってる姿は勇気を与えられると信じている。 今、この瞬間を生きている姿がそこにあるだろう。 人は人によって癒される。 白黒にグレーがかった風景を鮮明なカラーにしてくれるように。 たかが五文字メール。 素っ気ないメール。 そんなメールで私の心が癒されたことは間違いない。
漫画
正月の込み入った「湯けむりの里」。 受付カウンターの人の応対が横柄で、素っ気なく、そして商売っ気のない学生っぽさ。 無表情に「今日は正月料金なんで、、、」と横を向いて言い捨てる態度。 「混んでるなあ」と言った一言が素っ気ない態度を引き出したのか分からない。 しかし正直、イラっとした。 結局、そこでお風呂に入るのはやめて家に帰ってしまった。 帰ってからもテレビを観ても気分が尾を引いていた。 学生のバイトはこんなもんだという気持ちとワザワザ出掛けて780円も出して お風呂に入ろうとしているのに何でこんな思いをするのだろう? 昨夜はそんな時を過ごしてしまった。 家内が言っていた。 長男が勉強してるんだかしてないんだか分からないと。 「国家試験受けるっていうのにコンビニに少年ジャンプを買いに行ってたのよ」 「どう思う?」 「どう思うって言ったって、いい年なんだから、どうしようもないだろうよ」 「で、今、漫画読んでんのかい?」 「それがね、売り切れでさ、買えなかったんだって」 「じゃ、なにかい、ワザワザ出掛けて行ったのに手ぶらで帰って来たのかい?馬鹿だね〜」 「本当、医者の勉強してると思ってたらさ、ワザワザ出掛けてジャンプなかったよだって」 ワザワザ出掛けるとロクなものじゃない。 1月4日号の少年ジャンプの表紙に「がんばれ受験生」と書いてあった。 数学や物理、パソコンも、とうの昔に親を超えている。 その子の部屋にはジャンプとマガジンとサンデーの山がウズ高い。 漫画も捨てたものじゃないのだろうか。 学生とはそんなものなのだろうか。 あの湯けむりの里の学生も漫画にハマってるのだろうか。 湯けむりの里は朝から人が溢れ、苦情も溢れていたのかもしれない。 何時間もそんな中で仕事をしていたらさぞかし無表情にも素っ気なくもなるだろう。 学生達には学生達の考えがあって、彼らの生き方がある。 私の尺度で決めつけるのはよそう。 ただ言える事はワザワザ出掛けるもんじゃないということくらいだ。 2016年の暖かい正月も終わろうとしている。 羽化するサナギたちには持ってこいの暖かい太陽だった。 さあ、そろそろ出番だ。 漫画は少し我慢してみたらどうかな?
10年ごとの使命
2015年がいったいどんな年だったんだろうと振り返ってみた。 長男は医学部6年生に進級。 来年、医者として勤める病院が決まった。 次男は大学を卒業。 就職し実業団で長距離を続けニューイヤー駅伝メンバーに選ばれた。 病気や怪我をすることもなかった。 子供二人の学費の支払いが終わった。 親としてやるべきことの一つが完了した。 その他は家族のことで書くべきものはない。 子供や家族のことは自分でこうしたい、こうなって欲しいと考えていない。 人生とは何事もベストを尽くすだけ。 あとは成るようにしかならない。 多くの人は子供の事に気をもみ、子供の将来を不安に思い、悲観するようだ。 しかし子供は自分の所有物ではない。 ある年齢までは、もちろん子供の面倒を看なければならない。 しかし、時期が来たと感じたら子離れをするに限る。 子供の命は天から与えられたもの。 親が与えたものではない。 5歳児は思う存分、わがまま勝手に生きるがいい。 10代ともなれば、言われたことを、がむしゃらにやってみる。 20代は伴侶を探し、自分の生き方を考えてみる。 30代は子供を宿し、育児を行う。 仕事はがむしゃらに取り組む。 40代は自分のやりたいことを見つけ、専念してみる。 50代は周りの人に目を向けて、面倒を看て人を育成する。 60代は人生は不条理と心得て人を想い、人を導く。 70代は10年先に起こる事、20年先に起こり得ることを説いて聞かせる。 80代からは後世への贈り物を残して、世を去る。 自分の役割とはそんなものかと思って居る。 私は武道の先生である前に一人の人間だ。 今年も空手を説く前に一人の人間としての生き方を説いて行こうと思う。 年末の格闘技が復活したことは一重に嬉しい。 しかし今の時代、どう戦うのかということよりも、どう生きるべきかを問わねばならない。 太く生きろ。 小細工をしないで太く生きろ。 その為に、どう生きたらいいのだろうか? それを説いて聞かせていくことが私の使命だ。 ご縁を頂いた一人一人の人生を診て行こうと思う。 去年も一昨年も、そして今年もこのことだけは何も変わっていない。
年賀状
毎年、この時期になると年賀状のことで家内ともめるから サラッと済ませたいなと思いきや また同じような会話になってしまった。 「どのデザインがいいかなあ?」 「ねえ、見てくれない?」 「どれでも同じさ」 「何で見ないで分かるのよ」 「分かった、じゃこれでいいんじゃない」 「それはダメなのよね、申の字がないじゃない?」 「自分で決めてるなら、聞かないでくれないかな?」 なんだかんだある。 これはいつもの通りだ。 一応、全てプリンターで印刷してから見せてあげると これまたいつものように色がかすれてるだの なんで印刷がうまく出来ないの、とか言ってくる。 だから言ってあげた。 「なら自分でやればいいだろう」 「私は嫌なの。ちゃんとしてないと。ちゃんとしたものを出したいの」 「受け取った人は、そんな違いなんかわかりゃしないよ。」 「ダメなの。私は嫌だわ。そんなの」 「いいわよ、なら印刷の仕方・やり方教えてよ。」といってプイッとふくれてしまった。 なんて細かく、うるさい奴なんだと嫌気がさした。 これくらいのことで何で口うるさく言うんだろう。 男子と女子の違いなのか。 何なんだろう。 ちゃんとしたと思えばいいじゃないか。 少しくらいヘマもあるさ。 そんな年賀状でもいいじゃないか。腹の虫がそういう。 つっけんどうな言葉にはつっけんどうな態度が返って来た。 しかし、冷静に考え直してみると家内の言う通りかもしれない。 だんだんそんな気持ちになって来た。 受け取る人の気持ちを考えるとそうかもしれない。 他愛もないことでもちゃんとしないといけない。 多少、汚れがあったっていいじゃないかではダメなんだろう。 そう思って、もう一度家内の年賀状をすべてやり直してあげた。 どうやらプリンターのクリーニングをやってなかったことでカスレ、ニジミが出ていたのだ。 たかが年賀状。 されど年賀状だった。 長男は来年2月の医師国家試験を受けるために勉強中。のはずだ。 でも何だか卒業旅行の段取りと、勤める病院への引っ越しの手続きやらで 時間が過ぎてしまってるようで本当に勉強をしてるのか疑わしくなってきた。 昔なら、「おい勉強時間だぞ」って叱るところだ。 しかし、もう高校生の頃から頭は親を越えているのは感じ取れた。 勉強のことで親が出る幕はなくなったのだ。 そうなると距離を置いて見守るのがいい。 大学では勉強に専念してると思いきや、これもビックリ。 大学の体育会空手部の道着と黒帯が部屋に置いてあったのだ。 医学部6年生、空手をやってる場合じゃないだろう。 大丈夫なのかい? 次男は大学を卒業し社会人1年生だ。 しかし1月1日の実業団ニューイヤー駅伝のために今日も駅伝の練習中。のはずだ。 最近顔を見てない。 元気なのだろうか? 連絡がないのは元気な証拠だ。 この子たちが幼稚園、小学校の頃が懐かしい。 年賀状に子供たちの写真を添えることはもうない。 親は子離れをしないと。 これが意外と難しい。
届け!イブの夜に
あなたみたいに付き合いづらい人はいないと面と向かって言われた。 学校の給食も一人ぼっちだった。 もちろん登下校もぼっち続き。 その人の話はまだ続いた。 世間のクリスマスの盛り上がりには背を向けたくなった。 やがてスマホから眺める世間が純粋な世間だと思うようになって 人と話す事が苦手で一人でいる事が当たり前の人生を歩むようになって行った。 そんな人生を何年も過ごしたという。 自分の心に閉じ篭って生きることはどれほど辛かろう。 平然として聞き流したように振舞っていても、実はぬかるみの世界に落ち込んで 抜け出せなかったらしい。 積り積もったあきらめの山は手の施しようもないほどだった。 広い世の中には、さまよえる心の持ち主は少なくない。 仕事を追われ自暴自棄な人。 回復の見込みのない難病を宣告された人。 身を粉にして貯めたお金を騙し取られた人。 人混みの中にたった一人生きる人。 そんな人に私が出来ることは、先のちびった鉛筆で心のスイッチを押してあげること。 生きてる限り、言葉を紡ぎだすことは誰にだって出来る。 一枚の紙と、ちびった鉛筆とさえあればいい。 あとは心を込めてこの手を広げて君の胸のスイッチを押してあげるだけだ。 絶望に細る心を前に、この世に生まれ落ちた訳など説いて聞かせてなるものか。 「水の流れに逆らって泳いでご覧。」 「それが活きるという事なんだ。」 「水の流れに身を任せて生きるのは死んだ魚のようなもの。」 「大地と海の川に力いっぱい生きてみないか」 「それでも君は活きた魚かい?」 風に乗って届けよ、響けよこの声が君の心を熱くするまで。 あきらめないで。 だからいつまでも響けよ。 そして君の心に暖かい血潮が蘇れ。 凍える海の粉雪が舞う真冬の夜でも いつだって、この想いを届けてあげよう。 出遭うべき人と出遭うべき場所に君が辿り着くまで。
つまづき
今日、不可能と思える事の大半は100年も経てば現実のものになっている。 過去を振り返ると、この先の100年は想像もつかないほど進歩するということだ。 それには高い目標を持ち、その目標に挑戦しようとする気構えが必要だ。 努力とその継続を怠らず、七転び八起きの精神を貫けば一時の挫折やつまずきなど 生きて行くための栄養に転化する絶好のチャンスと捉える事も出来る。 そしてその生き様の中に心を熱くし、心を震わせるような感動を探し求めて 生きて行けば、大方の道は安泰だ。 果たして一人一人の目標がどこまで達成できたかは分からない。 しかし分からないながらも一生懸命に希望と勇気を振り絞って自分の人生を生きて行く事が 与えられた寿命というものを生かしきる道なのだろう。 人の一生は大きな運命の渦の中で、ご縁の糸に操られている。 人と人とのつながりも、一人の意思や、その時々の感情によって簡単に切れて しまうものではなく、もっと大きな流れの中で、もっと次元の高いものに 左右されているように思える。 こうして自分の思い通りにはならない渦の中に私は生きて来た。 絡まり合う衝動に足元をすくわれたり、つまずいたりして生きてきた。 人格など整然と秩序の取れたものではなく外からも内からも無秩序につまずく日々だった。 失敗は私の周りでいつもお手ぐすねを引いて待ち受けていた。 しかしこの思い通りにならない無秩序の連続が将来の危険から身を守る確率を高めている ように思えてならない。 何でこんなことが起こるのだろうという「つまずき」が将来のある事柄に辿り着く時間の リセットであったりもする。 大事な時に靴の紐が切れたり。 急いで連絡を取りたくなった時にスマホのバッテリーが切れたり。 電車でウトウトしていて荷物を網棚に忘れてしまったり。 一番短い列を探して並ぶと、列が進まなかったり。 お昼に雨が降ると思って500円傘を買ったら一度もささずに食事をした場所で忘れてしまったり。 バーゲンに並んで買い物をした帰りに得をした分以上の交通違反切符を切られたり。 世の中まったく思った通りに行かないものだ。 しかし思い通りにはいかない人生でも振り返ってみれば案外悪くはない。 つまり、この「不自由なつまづき」の連続が実は大きな価値があったということなのだろう。 だとすると、どうやら無秩序の連続の中で、つまづくばかりのこんな自分でも いつしか危険を察知しながら生きるすべを身に付けていたということになる。 人は100年前の過去に生きることは出来ないし昨日に戻ることも出来ない。 だから前を向いて明日に生きるしかない。 つまづきと挫折を真正面から受け止めてみよう。 そして明日の失敗を楽しんでみようという気持ちが心の底から沸々と湧いてくる。 さあ、そんなワクワクする明日がやって来る。 私は明日、多くの不安と多くの心配の顔に出くわすことになるだろう。 私は、そんな一人一人の刻一刻の勇気を奮い立たせてみようと思う。 そして一人一人の心に火を灯してみようと思って居る。