医学の道を志す場合、二通りの道があります。一つは偏差値の高い、超難関の狭き門を超える 一般試験受験コース。もう一つは付属校に入り推薦で上るコース。医学部には、このコースが あるのは多くの方は知りません。私も認識不足で一般受験の道を息子に歩ませ、おかげで1年 浪人をして駿台の国公立医学部コースで勉強させていたのです。しかし慶応も日本大学も付属 高校からの推薦枠を持ってます。(東海も帝京もありますが、その枠は僅かです) いずれも 学校ではトップクラスでないと無理ですが、一般入試で医学部に入るよりは間違いなく楽です。 現在は、私立医学部の下位大学でも東大、早慶の理系偏差値レベルが必要です。もしくは東北大 の工学部よりも都内の私立医学部を目指すのが今の風潮となってきてます。その為に首都圏の医学部 の難易度は大変高くなってきています。 首都圏で医者になれば勤務医でも年収は1千5百万円~2千万円。 田舎に行って医者になれば2千万円~3千万円。僻地に行けば行くほど年収は上ります。 しかし、親元から離れて、遠い田舎で医者になるよりも都会で一緒に暮らしながら医者になって 欲しいと思う親が多いのでしょう。 過去は偏差値の低い地方の医学部を目指すという方法も選択肢 でありましたが、今では、その後の医者になる場所がその大学があった地方の病院勤務となってしまう ケースが多いために敬遠されてきてます。 以上のことから今では都会の推薦枠のある付属高校に入って、 そこでトップクラスに入って医学部に推薦されるという選択肢が脚光を浴び出しているのです。私のバカ息子が 結婚して子供をもって、その子が小学校に入った頃には、どうすれば比較的楽に医者の道を歩ませられるか、 お金はどれくらい必要か、いつからどういうコースを取らせるのかなど成功事例・失敗談など親として味わって きた経験をもとに近道の方法を伝えてあげようと思ってます。 私が教える空手教室で、もし こういう道に興味があって暗中模索されておられる方がいれば 経験談をお話して行きたいと思います。 小学生、中学生なら まだ間に合うと信じて。 勉強には 机に向かう辛抱がいることや、それは小学生の時から養うこと。そして勉強を極めるためには体力が必要で 体力がないと試験日の緊張感と長丁場に耐えれないことなど話し出したら限がありません。 

留年がきっかけとなって息子と話をする機会が増えたというのは何か複雑なものがあります。 今やってることは、去年の勉強時間の分析。その結果を見ると留年も明らかでした。1週間の 中で大学の授業以外で勉強にあてていたのが、わずか9時間。その他は部活が週3回、塾の 講師も週3回。おかげで塾では教え方がうまいと評判になり主任として扱われる始末。その塾 は医学部を目指す為の医学部専門の塾で講師は全員医学生だということで生徒数も増えて きた新進気鋭の塾です。そこで数学と物理を専門に教える主任講師になった以上、大学の 勉強はそこそこに部活をやり終えれば、塾の生徒を教えて年間のバイト代は百万円は超える ほどになってました。学費の足しにとやり始めた医学部受験専門の塾講師で、主任先生と おだてられれば誰だって悪い気はしません。 そこが本末転倒でした。 留年となった今は 当然、部活とバイトは辞めてもらいました。 今、大事なのは「捨てること」を明確にして、 やるべきことのみに集中すること。そして、なぜ留年になっかのかの現状分析です。昨年の 勉強時間が9時間であったことに対し、4月1日からは34.5時間を目標に毎週勉強に励む計画 表を作り上げてもらいました。もちろん祖父、祖母のお詫びの手紙も出しました。医者に なるために応援してくれてるいる方々へのお詫びと誓いを明らかにしたのです。ここまでは、 これでいいでしょう。しかし、これから先の「実行」が問題です。春夏秋冬をやり通す強い信念 をもってもらわねばなりません。これから、また医学部3年生の授業が始まります。 そういえば 先週、先々週に空手の見学に来てくれてた小学生も3年生が多かったのは奇遇です。うちの 中途半端なバカ息子が その純真な子供たちと一緒の頃に6年生に上って、春の桜の咲く頃に 場所が違えど、卒業式を迎えること夢見て、私は日々の生活を送ることにします。  あ~、長い。あと4年かぁ~。 

大学の医学部に入るときの難易度と大学卒業年度に行われる医師国家試験の合格者数と 合格率には大きな差があることを大学受験生は知らないようです。もちろん大学受験時の 最難関は東大医学部、2番が京大医学部、3番は阪大医学部の順です。旧帝大医学部の 偏差値が高いことは多くの方が認識してます、その後に続くのは慶応医学部、慈恵医大 でしょう。しかし2012年3月度の発表された今年の医師国家試験の合格率は東大92.7%、 京大83.8%、阪大91.6% という結果で有名な旧帝大は毎年、低いのです。一旦入学すると 留年しても学費負担が少ないために留年に寛容であったり、卒業、国家試験にも寛容さが 出てきてしまい勉強をしなくなって部活やバイトに精を出す結果、医師国家試験合格率が 低くなってしまうのでしょう。また問題なのは合格者数です。一般的に国家試験の合格率を 上げるためにレベルの低い学生は留年させるようです。現在日本で医学部を有する80大学 の多くは1学年をほぼ120名にしていますが医師国家試験を受験する医学生数は大学によって 差があります。毎年、120名 + 留年組の約10名程度を加えた数が医学部学生の受験数 であるはずですが医師国家試験受験者数が100~110名にも満たない大学が多く見受けられ ます。 これは学生の質が落ちてるため、国家試験を受けても通らない学生は卒業させずに 留年させて、合格率を上げるための大学の対策であることは過去から一般的な通念なのです。 ちなみに東大は110名、京大は117名、阪大が107名が受験し、合格したのは東大は102名、 京大は98名、阪大も98名と低迷しています。この傾向は過去からあまりかわりません。 大学別に医学部で力のある大学というのは医師国家試験95%以上を維持し、しかも合格者数 が毎年100名以上の大学であると自己判断してるのですが、そういう観点から見ると以下の 大学は堅実で、医学に真摯に向き合う先生方が多く、まじめに勉強に励む学生が多い大学 であるように思えます。                   合格率95%超       合格者数   国公立   浜松医大      98.1%         103名         広島大学      97.1%         102名 私立     自治医大      98.1%         105名         慶応大学      98.0%          99名         日本大学      97.3%         107名         北里大学      95.0%         115名 大学受験の偏差値は医師国家試験合格者数と合格率にはなんら関係性がなく大学で勉強した 人と、勉強しなかった人が、ここで大きく分かれるということを、実は昨日も息子に伝え、留年した ことへの戒めとして、また人生設計をする上での指針を息子に伝えたところなのです。 いやはや、いつになれば安心させてくれるのやら。 早く医者として活躍してもらいたいもの です。

医学部に入れることが はたしていいものか疑問に思えてきました。 我が子が複数の医学部に 合格した時は、こんなことは想像もしていませんでしたが、それが3年生で留年するとは。  3月17日、一通の書類が大学医学部学長名で送られ、成績不良により留年が決定したとの 通知を受けたのです。 医者のご子息なら こういうケースは稀でバイトをしなくとも親が 生活費、仕送りを十分提供するのでしょうが、そうでない場合は負のスパイラルに陥ること も想定しなければなりません。 息子も大変ショックだったようです。小学校4年生から空手 道場に通わせ、それと同時に、医者を目指すため塾にも行かせて中高一貫の医学系に強い 学校を選び6年間、空手と塾と家での勉強の指導を続けてきて、何とか複数の医学部に合格 することが出来た訳ですが、親が出来るのは、ここまでです。医学部の大学生になってしまう と、もう親の出る幕はありません。 親が導いてあげた路線を、この先どう歩むのかは本人 しだいです。あとは本人が学業に本腰を入れて精進してもらうことを祈るばかりです。 小学校、中学校、高校と一緒に取り組んできた空手と勉強。 過去を振り返ると懐かしく もあり、息子のいたいけながんばりに今でも胸が熱くなり、目頭がうるうるしてしまいます。 よくがんばったから、もう好きにしなさいという気持ちと、あと少しで医者になれるんだから 、がんばるんだよという相反する複雑な気持ちが沸いて昨晩は浅い眠りになってしまいました。 いずれにしても、これからは自分の人生だから、この先は自分で切り開いて行って欲しい。  いつでも相談に乗ってあげるから。 生きていくすべは自分で掴み取るしかないんだからね。

時を忘れて遊びほうけて気がつくと、あたりはすでにたそがれ時。西の空には 星が顔を出し、それを見上げながら家路を急ぐと、いつしか、その数は増えあたりは真っ暗に なっていた。家に帰れば母親のまな板の音を聞きながら支度を待った。父はビールを一気に 飲み干し、母を囲んだ食卓は当たり前に過ぎた。こんな昔の平凡な暮らしの幸せをもっと大切 にしたいと、そんなことを思いながら今日は、朝から すすき野小学校体育館に向かいました。 体育館の掃除とワックスかけをする日である。これもお手伝い。4月から毎週日曜場所を お借りするためのお手伝いでもあり他の団体の方々へのご挨拶の場でもありました。 夕方からはキックボクシングの試合を見に水道橋の後楽園まで足を伸ばしてきました。 新日本キックボクシング協会主催のキックだ。メインはMAGNUM28 ムエタイ ラジャダムナン の試合。昔、ルンピニーの選手と沢村忠選手がよく試合をやってました。真空跳びヒザ蹴りで 面白いようにタイ人選手をノックアウトしていたけど、ラジャダムナン相手には勝ち星は良く なかったと思います。それほどキックボクシングと言ってもルンピニーと伝統のある ラジャダムナンの選手とは差がありました。今回はそのラジャダムナンの試合が日本で行われたのです。 空手と違いヒジ打ちの使い方がうまいし、スピードがある。 首相撲からのヒザもいい。何人かは肘で額を切ってました。 熱気にあふれた会場で刺激を受けて帰って来た。昔は極真の選手もよくキックの試合に出て プロ空手と言って戦っていました。それほど極真とムエタイは関わりが深いのです。 3月11日は、なんだか感慨深い日でした。そして今、家に帰ってビールを飲みながら 7年前の3月3日に亡くなった父を思って乾杯しました。 ビールを飲みながら、ふと、「前を向いて 活きていくしかないだろう」 って言われた気がしておりました。

ラリーはいつもコースが変わる。だから、いつも始めての挑戦だ。先の見えない悪路が、 そこらじゅうに待ち構えている。そんな中でも、この先には必ず道があると信じて走る。 そう信じて走るしかないのがラリーなのだから。人生も、そうであるに違いない。ならば 自分の運を信じよう。恵まれた環境にいながら自分は運が悪いとあきらめ、嘆き、悲嘆に くれることはないよ。  生きるってなんだろう? 人間ってなんだろう? 誰もがその答えを見つけるために、必死にもがいている。 そして、その答えにたどり着くには、今、やりたい事を必死でやりぬくしかないように思える。 その先に きっと何かが見えてくるはずだから。そう自分は信じて活きて行こう。  3月11日を前にして そんなことを考えていました。

とりあえず、今日をがんばろう !!   それでいいんだよ。   勝とうと思わず、負けなければいい!!   それでいいから。   不遇を嘆くより、夢を追い続けよう!!   それがいいよ。   自分は無力で情けない存在かも!!   でも、それでいいよ。   そんな自分と仲良くしよう!!   ただそれだけでいいんだからね。

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