11月 2016

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夜な夜な思い出す事は、子供達のこと。 一人一人の顔や声が、いつの間にか成長して以前の写真が幼く見えてくる。 果たして、この子達の為になってるのだろうか? と今日の道を振り返り、夜も2時を回る頃ようやく眠りにつくのだ。 そんな時に先日、こんなメールを頂いた。 「親以外の大人に想いがあって叱られるのは幸せなことです」 「優しく言うのは簡単ですが、善くなってもらいたいと叱るのには エネルギーが入ります。」 「必ずや、そのありがたみを感じられる時が来ます。」 「親の私達も何とか自分の力で生きる道を見つけて進んで欲しいものです。」 何ともお恥ずかしい。 私は頭が下がる思いで読み返した。 そして、こういう方々に巡り会えた事がありがたいとつくづく思う。 今日、胃腸炎らしき症状で、二人の子供が体調を悪くした。 三年生の一人は、すぐ家に帰し、別のクラスの六年生は稽古中に休ませた。 胃や腸も、ちゃんと動いてくれて当たり前。 呼吸も出来て当たり前。 そう思って生きているうちは自分の身体に感謝する機会に巡り会うことはない。 五体を損ねて初めて身の回りの全てに感謝するようになる。 当たり前の事が愛おしく 当たり前のことが、また明日も訪れますように。 命ある限り、子供達にそんな他愛ものないことを一所懸命に伝えて行こうと思う。

母親が言う。 「あんたは、ほんまに親不孝や。」 病床の息子は微笑みながら応える。 「ほんまや。」 親より先に逝くなんて。 今、出会う子供達に大きくなったら何に成りたいのと聞く。 ハッキリと言える子もいれば、もどかしそうにはにかむ子もいる。 そんな時に、私は心の中でいつも思っている。 「親不孝な子にはなるなよ。」 ニューヨークのロックフェラービルで取材を受けたダウン症の娘がいた。 「今迄登った一番高い所はどこかな?」 「お父さんの肩車」と答えていた。 ダウン症は千人に一人授かる大切な子なのだと誇りに思っていた父親は 彼女が14歳の時に他界した。 親が子の面倒を見れるのは、産まれてたかだた20年ほどしかない。 その間、保育園を探しに回り、小学校にあがれば一人で登校出来るかハラハラ。 高校、大学を考え塾を探し求めて、受験に一喜一憂する。 しかし、今は大学を出てもいい仕事が見つからない。 こんなはずじゃなかったとため息の食卓を囲む。 そんな時、思い起こして欲しい。 本当は何に成りたかったの? 人の一生なんてあっという間に消えてなくなる。 ならばやりたい事をやるがいい。 精一杯、生きて、失敗して涙の日を過ごしても夢を持って生きればいい。 一所懸命に夢に憧れ、一所懸命に夢の実現に向かうしかなかろう。 そんな生き方を子供達に歩ませたい。 耐えて忍んで、目標にまっしぐら。 勉強に、運動に、そして何かを勝ち取る為に。 そんな事を思いながら空手を教えている。 稽古の最後は、子供達の一人一人の目を見ながら頭を撫でる。 そして、心の中で祈っている。 「どうぞ、この子たちがいつまでも純粋な心を持ち続けますように」 「どうぞ、親不孝な子になりませんように」

何と人間は小さいものか。 人は人の限度のうちでしか生きられない。 そんなことをまた感じている。 お役所の役人様や学校の先生方は誰か偉い方が出向いてくるとか、上からの言いつけでもあれば てんてこ舞いして、階段と通路の清掃などもゴミや塵も残さず仕上げるものだ。 でも弱い者の訴えなど、どうして本気で耳を貸してくれるものか。 だから、満身にみなぎる力やほとばしる生命力がフツフツ湧いてきたとしても 心を鎮め心の垢を落とさねば。 堅実に生きよう。 堅実に生き直ろう。 永久に戻れない冥途の激流に送り込まれたならしようがない。 でも、そうでないなら、生き直ろう。 複雑な事情を背負って生まれた子であっても弱気な人にはさせてなるものか。 暗黒の谷間に長らく生き患っていたとしても、あまりにも見え透いた不幸を 背負わせてなるものか。 植物の本能のように身体の内から外に向かって現れる力がある限り 大地を踏みしめ、自らの一歩を歩んで行くがいい。 この世に産まれて僅かな年月の子羊の為に。 なお私は祈る。 明日という日が生き直ったその子達の一歩となりますように!

10月22日、代々木第二体育館で四人の真剣な眼差しがあった。 全日本型選手権大会に浜井派神奈川県支部の女性四人が選抜されたのだ。 真剣な眼差しはカッコいい。 試合は運がなければ勝てない。 多くの人の中で今日は誰に運が舞い降りるんだろう。 私はそんなことを思いながら其処に居た選手たちを観ていた。 緊張感から足がすくみ、手が震え、口が渇く。 そして一人一人の型が始まった。 名前を呼ばれ、コートの真ん中に立つ。 審判5人の眼は誤魔化せない。 その10個の眼の前で、ただ一人、型をやり終えねばならない。 身体中の血管のうちをドクドクと駆けている血液の音がする。 呼吸は極めて平静を装いながらもガラス細工を創る時の高熱の息吹きを内に宿している。 頭の毛も眉毛も、全身の毛や、足の爪までも生理的に動員されそそけ立つのだ。 これが型の試合だ。 この緊張感の中で一番冷静でいたのはSASAI初段だったのかもしれない。 彼女は見事、日頃の成果を出し切り優勝した。 運は努力の跡を見落とすことはなかった。 翌日の10月23日の日曜日、私は子供達を引率して東京体育館に居た。 組手の試合にも必要なのは呼吸である。体勢の崩しあいの中で相手の隙を探す。 相手の呼吸を計る。そして決して下がらないと誓う。 あくまでも勝とうとするのだ。一種の圧迫感の中で自分を見失ってはならない。 心臓が焼けるくらいフル回転で息が続かない。 そして焦りが湧いてきて心がいよいよ騒がしくなる。 鉛の足を前に蹴り上げ、重りを担いだ身体で突きを放ち、前に前に出て行く。 勝つ時は、それでも身が軽く天地に自分の身体が融合しているのだ。 この大会は軽量級の選手のスピードと技が天下一品。 これを見ずして空手は語れまい。観るべきものは1流の技と心である。 この試合を観て夕方横浜に戻り、そのまま、すすき野クラスの稽古に立ち寄った。 日曜の夜、そこはいつものメンバーが清々しい眼差しで最後の挨拶をしている最中だった。 私が子供達を引率して型大会、そして組手大会を観戦できたのは その日の指導を受け持ってくれた指導員の方々のお蔭だ。 有難いという感謝の念が湧いて来た。 そして24日の夕方、青葉台で型稽古が行われていた。 指導は型大会で優勝したSASAI初段とNAKAEMA一級の二人だ。 試合のあともいつもと変わらぬ稽古をしている。 実はこういう姿勢が何よりも大事なのだ。 負けて腐らず勝手奢らず。 この姿勢がある限り、彼女たちの人生に陰るものがあったとしても いずれはそれも立ち消えて、おのずと道は啓けてくるのだろう。 世の中には多くの人がいるが、本当の人に出会くわすことは少ない。

逢い難いのは人である。 これほど多くの人が居るのに、本当の人と言える人に出逢うことは難しい。 私は夢を掴んだ。 私はやることをやった。 私は悔いることはない。 そう言い切れる人に逢うことは難しい。 飲み会や出会いの機会は山ほどあるのに人に逢うことは難しい。 30代で人生を諦め 40代で勇気を見失い 50代で酒に溺れる。 そんな人生を送ってなるものか! いくつになっても夢を持ち前進することの素晴らしいことよ。 昨日、平尾誠二さんが亡くなった。 世界も日本も、まだ暗い。 そんな世界の暗闇を照らそうとしていた灯火がまた一つ消えた。 耳を澄ませ。 心を開いて耳を澄ませ。 這いつくばって夢に向かう純真なダイヤがそこにある。 曇った眼で10年の間違いを生むなかれ! 五体の循環を止めて神経に火を点けろ! 燃え上がる血潮と 躍動する心臓は君のものだ。 過去のボロ着は脱ぎ捨てて生きてみないか? 逢い難いのは、本当の人である。 明日の君は、その一人かも知れない。

先生、神様はいるの? 小学1年生の女の子が聞いて来た。 ああ、居るとも。 何処に居るの? さて、何と答えたらいいものやら返す言葉が見つからなかった。 もし卑怯な人が我が物顔で闊歩し、正しい人が隅に追いやられ、正義でない人に裁かれ 挙句に陽の目をみず葬られていたとしたらこの世に神様など消え失せてしまったのだ。 先生、神様は居るの? 何だかいい運だの、悪い運だのが入り混じって子供達を待ち受けているとする。 そんなことも知らず、これからどっちへ行くかなと、気の向くまま、人生のきっかけを 探していたりする。しかし、まさにその今踏み出そうとするその一歩が人の人生に 大きな影響を与えてしまうのだ。 母子家庭で育った娘が東大を卒業し電通に入り、9ヶ月目に24歳の命を自ら絶つと 分かっていたら、踏み出したその一歩は躊躇なく戻したことだろう。 全身の毛に火がついたような熱気を帯びて、血が逆流する。 そんな憤りは母子家庭の母親だけのものではない。 神様、あなたは何処に居るのですか? まつりという女性の声を聞き逃すとは。

こういう時に子供達を叱るようにしている。 持って生まれた腕力と剛気はあるが粗野であること。 空手の激しさの一面だけを捉えて知恵を磨かず粗野な言動が目に付いた時。 そうかと言って、感情を表に出さない子供達も困ったものだ。 これも問題だ。 もしかしたらこちらの方が深刻な問題なのかもしれない。 それほど感情表現が苦手な子供がいる。 人間である以上、多少怒る事があっても良しではないだろうか。 寧ろ怒ってみなければ本来持ち合わせている生命力や人間味も出ては来ない。 それが最近の子供達には欠けている。 怒らないことを持って偉い子だと諭し 将来は知識人になるだろうとおだてる親御さんもいる。 そして感情を出さない事で人格の奥行きが深まったという学校の先生もいる。 しかし、本当にそうだろうか。 子供ながらにそんな老成ぶった振る舞いを真似るなどあってなるものか。 一人の子が世間の悪も知らず、人間の表裏も見ずに高校、大学を出て そして親となって、やがて晩年を静かに送ることもあるかもしれない。 しかし実際には、そんな平凡な道を歩む子供は稀で 多くは運命の荒い暴風雨に曝され大海に漂う小舟のうちにあるのだ。 それが人生というものだ。 荒波にのまれても藁をもすがって一所懸命生きねば。 一所懸命、自らを叱咤激励し泣いて、笑って、怒って、涙する。 決して粗野でもなく人間らしく生きる。 この空手クラブはそんな生き方を大事にして行こうと思う。

多くの母親の悩みは、子供たちの学業成績であり、 学校でのイジメであり、ご主人の給与、近所付き合い、そしてPTA。 何でうちの旦那はこんな給料なの? 何でうちの子はこんな成績なの? 最近、何をしても上手く行かない。 トイレ一人になると涙が出て来てしまう。 一体、自分は何がしたいんだろうと。 しかし、子育てとはそんなものではないだろうか。 人生には辛いこともあれば嬉しいこともある。 思い起こせば、子供が無事に産まれて来た時の喜びは如何ばかりだったろう。 無事に元気に産まれてくれたら頭が少々悪くても構わないと思ってなかっただろうか。 五体満足で産まれてくれたらそれだけで十分だと祈りはしなかっただろうか。 小指を掴んでくれた赤ん坊の小さな手のなんと健気なことだったろう。 子供らはいつの間にか3歳になり、5歳になり、7歳を迎える。 いつの間にか悲しい涙が嬉しい涙に変わったり いつの間にか我が子が逞しくなっていたことに気づいたりもする。 熱を出せば大騒ぎ。 そんな泣き笑いと涙の子らをこの空手クラブは預かっている。 空手を通してこの子らに何を気づかせてあげようか? この時間を通してこの子らの生きる道にほのかな明かりを灯してあげようか? いつもそんなことを考えながら私は稽古の最後に長い話を子らの耳に届ける。 当たり前のことを当たり前にする。 嘘はつかない。 お金をごまかさない。 ただ事を計るは我にあって、事を成すは天にあると思えばこそである。 そんな自己の運命を私は引き受けようと決めている。

今日は真樹道場 金子先生の道場に出稽古に行かせて頂いた。 各道場で稽古内容は多少は違う。 私が過去39年間に経験してきた剛柔流、極真芦原道場、正道会館、そして極真城西などと と比較してみると、36年前、私が22歳の当時の極真芦原道場の稽古内容に似ていた。 今の芦原会館はかなり捌き重視で極真時代の稽古内容から変わって来てしまっている。 私が極真芦原道場に居た当時に二宮城光先輩、中山猛夫先輩が指導されてた頃の 基本・移動だと感じた。 それもそのはずだ。 初代芦原英幸館長も真樹日佐夫先生も、元々は極真池袋本部道場の師範代をされていたのだ。 馴染があって当然だ。 私はいつも思って居る。 子供達には刺激を与えてあげたいと。 出稽古はその一つだ。 井の中の蛙であってはならないし、道は切り開いて行かねばならない。 そんな生き方を身に付けて行って欲しい。 あの時、あんなことをしなければよかった。という人生を歩んでどうする。 過去にこだわり、引きずられていては、せっかくの人生が暗く、侘しくなるばかり。 得することなど何もない。 ならば起こったことに決別し未来に目を向けて生きてみよう。 一度きりの人生、くよくよしてなどいられない。

浜井派で一番大きな組織を有していた先生が段位剥奪、破門となった。 詳しい経緯は知るところではなかったので尚更、驚いた。 しかし、そうなる火種は過去からあったという声は一人ではなかった。 熱心な先生であると感じていただけに返す返すも残念だ。 私自身、人と巡り合うべく無駄に思える時間も進んで費やして来た。 其処には陽の目を待っている人がいるし、私もそのうちの一人だと自認していたからだ。 運命は皮肉を極めている。 良くない事の後に期待する出来事が湧き上がって来たりする。 時の経過に従って舞い降りてくるその皮肉な結果を自分自身も知らずに生きて来た。 全ては天の定数であり、お天道様の約束事だとは知らなかった。 なるべくしてなった過去が積もって今を創る事も全く思いの外だった。 些細な出来事が人との関係を壊し平穏無事な時の土台を覆す。 覆水盆に返らずならば、この過去を後悔しても始まらない。 一度きりの人生をくよくよしていては秋の青空にも気づくまい。 しかし、災いを防ぐ力と苦痛に耐える力がなくなったとしても それも人生万事が塞翁が馬。 全ては天の方程式の中にあると思うしかないと今は心得ている。

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