カポエラやってみる
先週からブラジルカポエイラ協会の指導員をお招きしてカポエラクラスを始めた。空手とカポエラは全く違うもの。しかし同じ格闘技。試合クラスメンバーのみに限定した開催だけど円運動、足の運びを学んで欲しい。彼らの運動神経に刺激を与えたい。そんな思いから2月にカポエラの先生と会話し、その実現に至った。協力頂くブラジルカポエイラ協会の先生に感謝です。全ては子供達の脳にどうやって刺激を与えられるかだ。これからも、様々な取り組みを行い、チャレンジして行こうと思っている。
審査会
いつものように三か所に分散し100名の昇級審査会を開催しました。昇段は別の日に開催するなどコロナ対策を十分取ったうえでの開催でした。極真空手を習得する中で何かを心に宿して欲しい。型も組手も1日1日の積み重ねの結果です。いずれ黒帯を締めた自分がそこにいる。あきらめなかった自分を褒めてあげよう。
受験本番
1月は体調を整えて受験に挑まないと。最後は体力勝負だ。中学受験、高校受験、大学受験、国家試験のすべてが第四コーナーを回った。お正月気分なんか味わってられない。目指して来た目標にあと少しなんだから当たり前だ。息子達の受験をいくつも経験して思う事は、番狂わせはつきものという事。あの子があそこに受かるなんて、、、あの子がA判定なのに落ちるなんて何があったのかしら、、、。しかし、それが本当の力だ。今はそう思う。医師国家試験は3日間。その大事な3日間の初日に熱を出した人がいた。どんなに春から秋まで体調万全であっても最後の最後の冬、3日間の試験の当日に39℃を出す人は、悔やんでも悔やみきれないだろう。今年は試験会場にも入れまい。しかし、それが実力なんだと思う。もう一回チャレンジしなさいと言う事だ。国試浪人は精神的にきつい。極端に言うと家族、親戚に会わす顔がなくなる。東大医学部を卒業した子なら尚更だ。長男は1月1日の夕方から当直、翌日昼まで病棟の回診で今日3日に帰って来た。1日の当直では夜間に10人。心筋梗塞、胆嚢炎など。いろんな試験を受けて今は循環器内科医になって多くの人を診て来ている。中学受験が1番キツかったと今でも言う。まだ子供の身体なのに受験前は毎日10時間をこなして来た。その耐える力が医師国家試験に効いようだ。1月は受験本番だ。そこまでに育んで来た体力が最後にものを言う。私は今でもそう思っている。
年末最後の稽古
今日12月30日の稽古は黒帯、茶帯、少年部の動画撮影の1日だった。今年はコロナに始まりコロナで終わった1年。過去62年を振り返っても断トツで大きな変化があった1年だった。そんな1年でも新聞の切り抜きは変わらず続けている。何でかと言われても答えに困る。でも簡単に言うと将来の自分に伝えたいからとしか言えない。 今から17年前、ある会社の西日本統括部長で出張と接待に明け暮れていた頃。私は朝日新聞のこんな記事を切り抜いている。2003年3月1日土曜「病が変えた日本史」という記事。変な見出しだなと思って斜め読みしてみるとこれが意外と面白い。 平清盛1181年64歳でマラリア、電撃性しょうこう熱で死亡。現在では抗生物質で完治可能。もし亡くなってなかったら鎌倉幕府成立せず。足利義満1408年51歳でインフルエンザで死亡。現在では抗生物質で完治可能。もし亡くなってなかったら戦国の乱世はなかった。豊臣秀吉1598年62歳で消化器癌で死亡。現在では延命し5年はながらえた。もし亡くなってなかったら江戸幕府成立せず。 営業の最前線で右上がりの数字だけが宿命だったあの頃、私は何でこんな記事を切り抜いていたんだろう。当時の人々にとってこれらの事実はどれほどの驚きと、どれほどの変化を生んだ事だろう。先日、部屋の整理をしていて見つけたこの記事は病が本当に世の中を変えるんだと思い知らせてくれた。 今年、私は習慣と考え方を変えた。コロナが教えてくれた事を空手クラブの子供達には何度も何度も伝えている。すべては環境に如何に順応するかなのだ。最後に残るのは強い人ではなく環境に順応する人だと思う。
正々堂々
去年の10月12日は最強の台風19号が横浜を通り過ぎて行った。 翌13日、横浜文化体育館でIBKOの全国大会が行われケイタは 全国レベルを目の当たりにする事になる。初戦の相手、A君は 最強だった。ケイタはまるで台風19号のようなA君に吹き飛ば されてしまった。 ちょうどその日の夜、ラグビーワールドカップで日本は宿敵スコットランドに 正々堂々打ち勝つのを観て感動したのを今も覚えている。 正々堂々がいいんだ。子供達には、それを伝えて行かねば。 姑息な手段で勝っても感動なんてあるものか。力をつけよう。本当の力を。 あれから1年、今年も予選を勝ち上がり全国大会に駒を進め最強のA君に 会えた。初戦、2戦と危なげなく勝ち上がったケイタの前に立っていたのは 前年優勝の最強のA君だった。本戦、延長で決着せず旗判定で2:1で 惜しくも負けた。やはりA君は強かった。それしかない。また出直そう。 まだ及ばなかったケイタだけど、あのA君に延長、旗判定まで持ち込めたんだ。 よく頑張った。胸を張っていいぞ。ケイタ、強くなったな。 それもこれもみんなA君のお陰かもしれない。 大阪から来た内田塾のA君、本当にありがとう。 最近、毎週のように新しい子供達が増えて来ている。 その新しい子供達も正々堂々と胸を張って生きる子になって欲しい。 いつもそんな事を思いながら子供達を診ている。
IBKO全日本大会
横浜武道館に朝8時半に着いた。コロナ禍の中で空手道選手権大会は中止が 相次いだ。そんな中のIBKO全日本大会と神奈川県大会の開催は空手道を志す 子供達とご父兄、そして各道場の先生方に熱い熱気と夢を与えてくれた。 坂本派の方々には本当に感謝、感謝の1日でした。 全日本大会結果、二年生がベスト4、三年生がベスト8。 来年開催予定のワールドカップ出場権を獲得したのは一年生1名、二年生1名。 決して下がらずチャレンジし続けた君。 心臓が焼けるくらいフル回転するほど頑張っていた君。 焦って緊張し、いつものおどける仕草を失っていた君。 鉛の足を必死に前に蹴り上げていた君。 重りを担いだ身体で突きを放ち前に前に出て行こうとしていた君。 よく頑張った君達を誇りに思っているよ。今日の1日をありがとう。 勝っておごらず、負けて腐らず。
坂本派全国大会
今日は横浜武道館で坂本派型全国大会が開催され、横浜田中道場から マスターズ男子、マスターズ女子、シニア男子の三部門に6名が出場し 5名が、来年開催されるワールドカップへの出場権を獲得。 マスターズ男子 ハネダ2級が優勝。 マスターズ女子 オカ2級が3位、タマル2級が4位。 シニア男子 アラ初段が準優勝。 フクニシ2級は惜しくもワールドカップへの出場権は獲得出来ず。 2016年にササイ師範代がマスターズ女子で優勝、2017年も優勝。 この伝統を受け継いでくれた事が嬉しい。ササイ師範代は1月の連合会オープン トーナメント組手壮年女子で準優勝し、型と組手で成果を出していた。今回は みんなのサポート側にまわってくれて、みんなを励まし導いてくれていた。 よく練習していたし、よく踏ん張ったよ。おめでとう㊗️ 今日は指導があったので私は彼らの勇姿を見る事は出来なかったが明日は 指導を代わってもらい子供達の勇姿を見に横浜武道館に行く。 子供達の全国大会と神奈川県大会だ。 コロナ禍の中、よく頑張ってきたから。 この子達の汗と涙をずっと見て来たから。 明日はチャレンジするこの子達の純粋な心に会わずにいられない。
玉手箱
子供達はいつの間にか大人の背を超えていた。 はじめはみんな白帯、そしてオレンジ帯、、、 それが今では黒帯になっていて、大人の人達もスパーリングでは 歯が立たなくなっている。この子達、7年前は年中さんと1年生 だったのに今は3人とも中学生になって、みんな背が高く170cmを 越えている。マスターズの試合に出ている大人も気を抜けない存在だ。 私の息子達に空手を習わせていたのは25年前。小学校に通ってからだった。 その子達も今は大学を卒業し1人は28歳で羽田空港国際線に従事、もう1人は 31歳で循環器系内科医。来年4月に大学院に戻って医学博士号をとるらしい。 医者になったんだからそれで十分じゃないか? と言っても「医学博士号」が 欲しいらしい。これから大学院研究の道で4年、そのあと系列の病院でお礼奉公 を3年こなすようだ。なんと長い道のりかと思ってみても自分で決めた道なら、 やり通すだろう。今までもそうだったから。 2人とも9月が誕生日なので久しぶりに家族で食事に行った。 思えば会社員として、そして空手の師範として子供達を育てるのに 精いっぱいだった。子供達が産まれた時、幼稚園の頃、小学生、 中学生、高校生、大学といろんな思い出が詰まった玉手箱を空けたら 家内は60歳、私は61歳のじいちゃんになっていた。 玉手箱の蓋の裏に自分で書いた文字があった。 きっと、その頃の自分と将来に不安を抱えている自分に宛てた言葉だ。 「明日のことまで思い悩むな」 そうだった。 自分はそうやっていろんな峠を乗り越えてきたんだ。
きっと出来るから
すべらず、ころばず、登れる山などない。 すべってもいい、ころんでもいい。 何度も立ち上がって また歩き出せばいい。 悩んでこの先どうしたらいいか 分からなくなったら、いつもそう思うようにしている。 ころんでも、太陽は沈んだままじゃない。 また熱く輝いてくれる。 だから安心してころんで、安心して立ち上がればいい。 そして自分は、頑張れば、必ず出来ると信じるんだ。 人生にとって大事なのは、そう思い込むことじゃなかろうか?
頑張れKWF日本
今日は午前中に長津田クラスの稽古指導を終えてから千葉に向かった。 お世話になった千葉田中道場の田中師範が癌で亡くなられたのは5月。 コロナ禍にあってお別れの会は今日になったのだ。 今日の千葉田中道場の幹部の方々は水野副代表と幕張支部支部長を中心 に代表になられた奥様とユーリとケンをしっかりサポートして行こうと する思いがひしひしと伝わって来た。ユーリとケンには4年前、浜井派 中国大会の時に約束していた事があった。「2mm 130kgになって世界 で有名な選手になるんだぞ」「奥様がロシア人なんだから田中師範、 大丈夫ですよね」って聞いたら「僕の実家はみんな福岡の田舎の出だから 小さいんですよ」と冗談まじりに話されていた。 今日、最後の写真撮影の時、ちょうど奥様スウェトラーナさんとユーリ、 ケンが座ってる後ろに立つことになった。「ユーリ、ケン頑張れよ」と 肩に手を置いて囁いた。大連で約束した時、ケンは5年生、ユーリは中1。 早いものだ。 元々、8月30日は昇級審査会の予定だったけど、このお別れの会と重なった ので審査会は来週9月6日にずらした。今回の受審者は108人の予定。 浜井派神奈川県支部の頃は60人ほどだったから、浜井会長に相談して 独立させて頂いてから2年。なんとか順調に会員様が増えている。この コロナ禍でも、先週、そして昨日、今日も新規入会者が入って来て頂いた。 大変有難い。今いるメンバーが新しい人達を引き寄せてくれているに違いない。 それは体験、見学の時の印象なのかもしれない。さもなければ広告も出さない のに会員様が増える理由がない。と言うことは今いるメンバーに感謝しないと ならない。と言う事だ。稽古が終わると決まって「今日もよく頑張ったな、 偉いぞ。」と声を掛ける。これからはもっと心を込めないとバチが当たるなあ。 そうだ生きてるうちに感謝しておかないと。 「ありがとうよ、ガキ大将ども」 「アッ、間違えた。ありがとうございました。おぼっちゃま、おじょうちゃま。」