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毎年秋に行われていて今回で31回目を迎えた浜井派の大会がある。子供やシニア、女子の部を 写真は大会会長の羽場本部長。 いれると参加人数が650名にもなる北陸で最大の大会です。今回は中国からも2名の参加があり ました。 ジャン・ハイビンとスン・ロンチェン。野性味のある二人でガッツのあるいい選手。 この写真はジャンが顔面殴打を入れてしまった瞬間。カウンターで入ってしまいました。そして次の 写真はスンの上段跳び膝蹴りで一本勝ちのあとの写真。  左の内もも、ボディーへの右の膝、左の膝、そして再び右の膝のあと顎へ。相手の選手は4段。  わずか10秒で気絶したまま丸太が倒れるように前のめりに倒れてしまいました。 スンは181cmで85kg。ばねがあっていい選手です。何より20代で若い。 後列左から2番目がベスト8のスン、後列右端が浜井代表、そしてその左が敢闘賞のジャン。 優勝は桝田弐段。 来月、上海大会に出場されるようです。 是非、そこでも優勝を狙って頂きたい と思います。あと今回は女子にもいい選手がいました。 圧力をかけながらの下突きがいい。 審判団も強い人が多いです。一番左は松井派の重量級で2年連続で準優勝の中川先生。今でも 強い方です。スンの脇腹が万全ではなかったのは、中川先生とスパーをやったから。そして 聞けば、今は新極真の選手の出稽古も快く受けてらっしゃるようですが、その方とのスパーで は顔面パンチが入ってしまい、前歯が歯ぐきの奥に刺さって奥の方で折れたとのこと。 いや、長野の新極真の選手も災難です。100kgを超える中川先生の右手の包帯はその歯を折った ときの傷。 以前私が在籍していた東京城西の道場にも同じくらいの体型の先輩がおられました。 186cm120kgの吾孫子先輩。試合前には絞って100kgに落とされてましたが何をやっても効かない 熊のような方です。100kgを超える方とのぶつかり合った衝撃は半端ではありません。 中国の 上海大会もそんな100kgを超える選手がいるでしょう。しかし桝田選手には是非華麗な足技で 勝ちあがってもらいたく思います。

比叡山の山中を7年(1000日)かけて地球を1周する4万キロを踏破する荒行が千日回峰行。 700日目にはお堂に入り断食、断水、不眠、不臥を9日間行い不動真言を10万回唱える。 この間 体重は15キロほど減ってしまう。介添え役や一緒に読経をする僧侶が20人とお堂に入る。 その後 6年目からは比叡山の山中の回峰に加え京都の赤山禅院への往復が加わり1日60キロの行程を 100日、7年目は200日を巡る。その100日の前半は京都大回りで毎日84キロ、後半の100日は 元通りの山中で30キロをめぐり満行となる、すさまじい荒行のことを言います。 ここまで来るのも 大変なことですが、実はそれまでに「十二年籠山」を達成しなければなりません。 標高800メートル の比叡山で12年間下山せずに生活するという行。 その十二年籠山を達成した僧侶が願い出ると 比叡山幹部会議が執り行われて千日回峰可否を決めるようです。 織田信長公が比叡山を焼き討ち してから400年で満行者は47名。 その行を2回終えた方は3名しかおられません。 その内のお一人、酒井雄哉大阿闍梨様が昨日2013年9月23日午後に亡くなられました。 47歳で千日回峰を始められたのが73年のこと。私がテレビでその様子を見たのは79年1月。 ちょうど21歳のころでした。 日本にこんなことをされる人がいることに衝撃を受けたのです。 極真空手との出会いの前後です。 ただただ凄いという思いでした。 こんな方に出会えることは この先も、ないだろうともぼんやり感じていました。54歳で満行。そしてそのまま2回目の千日回峰へ。 そして60歳で2回目も満行されたのは1980年のことでした。 私のストイックなトレーニングは、間違いなく酒井雄哉大阿闍梨の後ろ姿を観てのこと。 昨日は、私自身一日外に居て、「寒い、寒い」と思っていました。 来るべき時が来たという思いと 大変残念な思いが入り混じった複雑な気持ちです。  9月23日は、二千日回峰を成し遂げられた方が旅立たれた日として忘れられない日となりました。

「桜台の帝王。いやぁ、みたけの組長ったぁオイラのことだい。 腹だしユウちゃん、なんて呼んだ日にや 許さねえからな。 でもオイラと仲良くなりてえなら、聞いてやらねえこともねえよ」   「いくら腹を出しているからって、惚れちゃあいけねえよ、オイラも忙しいんでなぁ。横向くとこんな感じ」 「いくら小学生相手でもオイラ容赦しねえんだ。 ほらね、手も足も出ねえったぁ、このこっだぁな」 「でも、たまにはこういうことも」、「でもこれ、泣いてるんじゃぁねえぞ」、「ゴミが目に入っただけよ」 「ほら、この通り」、「男はつれーよ」、「みたけの組長だもんよ、泣いちゃあいられねんだよ」 「さあ、もういっちょ、いくか」 「隙があったら、かかってきなぁ~」 「いや、ちょっと、痛えじゃねえかよ~、やめろってんだい、痛いって」 「桜台の帝王にかかって来るなんて、根性あるじゃねえか。まあ今日はこれくらいにしといてやるか」 「まあ、こんな感じだよ。なんなら一緒にやってみっかい。オイラの指導は、ちい~と厳しいぞ」 「稽古が終ってもオイラはいつも元気いっぱいだよ」 「桜台の帝王ってみんなは言うけど、一人だけ叶わねえんだよな」 「ママ~、アイス頂戴~」、「ちゃんという事聞くってば~。ママ~。」 この桜台の帝王が、いつの日か極真の黒帯を締めてくれることを願ってやみません。

5歳~11歳くらいの子供たちの中には泣きべその子、お調子もの、我慢強い子、自由奔放な子。 そしてこの子供達を見守るご両親たち。 子供達を見詰める心配な眼差しに自分自身を重ねて しまうことなど実は度々あって、懐かしくもあり、お母さん、お父さん、もうちょっと我慢ですよと 言いたくなる場面も多々あります。子供の稽古で親が我慢するなど変な話ですが、声をかけたくなって しまうし、叱咤激励の気持ちで背中を押してあげようとするのも親心。 分かっています。 でも、子供たちは、そこの峠を越えれば成長する、その局面を乗り切れば一回り大きく成ると 創造出来るときには実は親御さんは傍に居ない方が子供のためになると思っています。子供たちは 自分の力で急な坂道をよじ登って行けるのです。 その達成感が自信につながるのだと思います。  昔、いくら突き方を教えても猫パンチしか出さない次男に、このまま空手をさせていていいものかと 自問自答していたのは、もう12年も前の事。そしてその子が5年生の時に試合に出ようとしていた 前の晩。張り切り過ぎて熱を出して結局、試合に出たのは6年生の時。 しかし、その次男、初めて出た試合で対戦することになった相手は前年度の全日本ベスト8。  いきなり、こんな相手が。運の悪い奴だなと我が子を憐れんでみたものの、今更逃げるわけにも 行かず、そのまま試合に出させました。 私の立てた戦略はこうでした。 相手は蹴りが上手いから 必ず試合開始と同時に上段蹴りが跳んでくるから、それはかわすこと。 あとは小学生は腹筋が まだ出来あがってないのでボディーへの攻撃を集中すること。これだけを伝えて背中を押しました。 予想はまんまと的中。 世の中分からないものです。 観客の予想に反してボディーを下突きと 前蹴りで強打すると、次第にベスト8の子供は顔をゆがめ半泣きで堪えている状態に。  試合に初めて出た次男は、これで本戦で勝ちを修めて戻ってきました。 子供より私の方が信じ られない勝ち方でした。  親は試合の中には入ってはゆけません。 試合場に立てば大人も子供も一人です。 自分で やるしかありません。 そんな経験を子供は見事にやってくれてその成長ぶりを見せてくれたのです。  ある日出くわす子供の成長は、度々味わえる訳ではなく、そしていつ味わえるのかもわかりません。  しかし間違いなく出会える、その瞬間を楽しみにして頂きたいと思いながら日々指導しています。  他の道場に顔を出す機会があると昔、中学生だった子供が高校に。高校生だった子は社会人に。  面影はあっても別人のようです。もちろん突きも蹴りも威力が格段に違う。 そんな時にこの子も 人知れず努力して頑張って来たんだと感じます。 子供達は日々成長している。 目には見えない 程度だけれども日々考え方も変わり、体つきも変わります。 昆虫のように脱皮したり、さなぎに なったりしないので、近くで一緒にいるとその変化が分からないだけです。  人間はその場に留まらず間違いなくプラスにもマイナスにも変化しています。そして感動したことは、 いつまで経っても忘れないものだとつくづく思います。  先日NHKで7歳の子供達を7年ごとに撮影し現在56歳になっている人たちのドキュメンタリーがあり ました。 良く撮れたものだと思います。 それも49年間も何人かの行く末を追い続けるなんて凄い。  引っ越しをして結婚・離婚を繰り返す人。  昔、子供の頃に語った自分の夢をそのまま実現している人。  様々です。  現在のその人の映像と子供の頃、高校生の頃、大学生の頃の会話、その後、職に 就いた頃の会話。 一人の人生がそこにありました。 そこに映っていた子供たちは思っていた ような人になって、そういう人生を歩んでるのです。 やはり人間、幼少のころ、小学校のころの 純粋な心にどんな人生を描いてあげるか非常に大事なんだと思います。  日々子供は成長しているので、その子供達に感動を与え、そしてそうなりたいと思わせる紙芝居 を見せてあげていると、純粋な心であればあるほど、やはりそうなるものなんだと、あらためて そう思いました。  私は子供にはお節介を焼くのが好きな方でしたけれども、今思うのは、それはマイナスであって、 子供にはあまりあれやこれやと世話はやかない方がいいということ。 それとただ、将来の紙芝居 を見せてあげるだけで十分、子供は理解し自分で心に焼き付けて行くものだと思っています。 長男が7歳のころ医者のいいことばかりを話してました。 14歳のころ、夢をあきらめそうになって いました。21歳にころ、まだ夢の途中です。 来週長男は24歳。その夢が実現するのには、まだ あと2年半が必要です。 その夢が叶うまで、あまり近づきすぎないで見守っていようと思います。

8月15日、毎年民族性を意識してしまうのです。 中国や韓国からの見方もあるのは理解できます。  しかし私は日本で生まれ日本で育った日本人。 だから普通に日本を大事にする気持ちが湧いてきます。  ただ日本人は世界的にみると変わっているのかもしれません。 それは「菊と刀」に書かれている通り。  義理、恩、恥の感覚は日本人固有の物。そして日本人は礼儀正しいといわれる一方、横柄で実は 不遜も併せ持つようです。 電車に乗っていると、たまに横柄な人に出くわす事があります。  アジアに行くと不遜な態度を取る人もいます。 そういう人がいるのも事実。 でもそれは極一部に 過ぎず多くは平和的な国民のように思えます。 逆に平和ボケしている国民のように錯覚してしまう 時もあります。 日本人はもっと意思を貫かねばと歯がゆい思いもたびたびでした。 大昔、地球が凍える寒さに覆われていたころ日本は大陸と陸続きであったので大陸からいろんな民族が 流れて来ました。しかし、その後の温暖化で海面が上昇し、島国として固有の文化を築くようになるのです。 祖先を辿るDNAは韓国の方とは違い、中国、チベットやシベリアの民族に近く、その後の大陸からの 多くの渡来人との戦いと混血を繰り返し、今の日本人が創られたようです。    今、8月15日は東アジアでは特別な日になっています。 元を辿ればそれは同じ人種なのに近いからか なのか喧嘩をする相手になって久しいものがあります。 もうかれこれ1000年くらいは同じような いざこざを繰り返して来ました。 しかしいったいいつまで、このいざこざは続くのだろう?    子供たちはどこの国でも素直なのに。 

7月9日は大山総裁のお墓参りと観音様のお参りに護国寺まで行って来ました。 たまたま行った日が「四万6千日法要」という聞きなれない御利益のある日だったのでビックリでした。 夕方18時から境内で浄瑠璃があって、19時から「四万6千日法要」。 何が何やらわからない内の出来事で したが一升枡の入るお米の量が四万六千粒らしく、その一升と人間の寿命の一生をなぞらえて、年に1回、 その日にお参りに来られたら、四万六千日間毎日お参りをしたのと同じくらい御利益があるという有難い日なんだ と親切なお坊さんが教えてくれました。 それが7月9日と10日の2日間。 このことを全く知らずに、たまたま お墓参りに向かった日がその日であったというだけで結局、6時からの浄瑠璃と法要と偉い御坊様の説法を 20時過ぎまで聞いていました。 心が洗われる時間でした。  振り返ってみると偶然とは言え、 誰かがその説法を私に聴かせようとする意思があったような、ないような、何やら不思議なことの成り行きで 1日が過ぎました。 こんな日もあるんだなと思いながら四万六千日って何年? この日のお参りで125年 もの間、毎日お参りしたことになったんだと、帰りの電車の中でも感謝の気持ち、ひとしきりでした。

「将棋と言うのは、すぐに結果が現れる世界ではありません。ですから、努力しようという気持ちがだんだんと 萎えてしまうところがあります。でも長い年月で見ると、頑張って成果が少しずつ少しずつ現れてくるんです。」 というのは将棋の世界で有名な方の言葉。 今、突発的に努力したとしても、突然強くなることはない。 これは どの世界でも言える事です。 また努力しないからと言っても 突然弱くなることはない。というのもどの世界でも 言える事です。 そしてある程度のレベルまで来ると一生懸命にやってもなかなか成果が出ない。そんな時期が 必ずやってきます。 いくらやっても横ばい。 しかしそれでも続けてやって行くと、いつの日かグーンと伸びている 実感を味わう時が来ます。これが潜在能力出現の原理であると以前、書いたことがあります。コツコツ、コツコツ やっていくと莫大な能力を表す自分自身に出くわすということ。 上達のプロセスの中で、この潜在能力出現の原理 を体験して行くことが何より大切。  いくら頑張っても何も変わらない。 自分だけが変わらない。 我が子だけが進歩しない。 そして人間は必ず成長する はずなのに何故? と思い込んでしまっている人。 良くなったかと思うと期待に反し下手になったように思えたり、前に 進んでるはずが、いつしか元の位置に逆戻りしているかのように感じている人。 運動も勉強も全て同じこと。  そういう時にこそ力が貯まっている時。 その力はこの先の大きな飛躍をするための原動力。 偏差値が上がって行く 背景にも、この「貯める力」というものが不可欠です。  46億年も前から地球は自転し、地球から分離した月は44億年前から地球の周りを廻っています。 これは事実です。 この地球誕生から現在までを1年のカレンダーに例えてみると今日の6月23日はまだ24億年前。8月末時点は16億年前。 生物のかけらも存在しません。 11月20日に漸く魚類が出現。 恐竜が謳歌し出すのは12月25日頃。 現生人類が誕生 するのは12月31日の午前10時40分。これは今から700万年前のこと。 地球の歴史から見ると大晦日です。 50万年前のネアンデルタール人は大晦日の午後23時3分。 農耕を始めたのは午後23時58分52秒。 キリストの 生誕は午後23時59分46秒。 産業革命は午後23時59分58秒。 我々人間は、この大きな流れの中で活きています。  地球の持っている貯める力の中で我々は活きています。  あれやこれやと心配し思い悩む心など取るに足りません。 貯める力は遅々とした歩みの中でも、忍耐を崩さず待ち受ければ、必ずそれは大きな一歩を生みだすと、この地球は 物語っています。   あとはそれを信じるだけのことです。  

映画と言えばアメリカかイギリス。 でもフランスもいい。 「やさしい語りで」も なかなかです。 アメリカ映画のような アクションとか派手なものはないけど、心に残るものです。 私はこれを飛行機の機内上映で観ました。 機内上映も 当然のようにアメリカ映画が多い中、見落としそうな端っこに、こっそり書かれていたフランス映画が目に留まったのです。 聞いたこともない俳優の、聴いたこともない映画。またこの作品、日本での公開もなく日本では知られていません。  主人公は40歳、独身女性。フランスのラジオ番組で恋や性の悩みに答える人気パーソナリティ。でも私生活は誰とも交流 せず、ひっそり暮らす、ちょっと影のある人。 幼少の時に母に孤児院に入れられて「絶対に迎えに行くから ママより」 という葉書を頼りに生きて来た人。他人を拒絶する感受性の豊かな人。そんな悩みを抱えた女性が他人の悩み相談をして 人気が出てしまう40歳の独身女性が生みの母親探しに出てその現実を受け入れて行く結末。これは映画の世界です。 しかし現実はもっと残酷です。  愛情表現が苦手な親の問題が子供に大きな影響を与えてしまうことは昔から山ほど事件になっています。 1977年10月末、東京都北区に住む飲食店経営の47歳の父親が家庭内暴力を振るっていた開成高校2年生が寝て いる間に帯で首を絞め殺害。  1980年11月には川崎市宮前平の予備校生、当時20歳の一柳展也が両親を金属バットで撲殺。大学受験に2度失敗 していた精神的負担が引き金とされた悲劇。 芸能界では積み木崩し。 これらすべては親の責任です。  何故なら、幼いころからぐれている子供などいないからです。 子供たちは自然で、みんな素直なのだから。 しかし、子供との接し方が分からず、距離感がつかめず腫れものに触るような育て方に陥ってしまう親や、エリート意識や プライドが高すぎる親たち自身が、心と考え方がいつの間にか変化して子供の心に目が行かなくなってしまった結果 子供を「わがまま病」に感染させ、発火装置に火をつけられた子供たちは事件を完結させてしまうのです。 あいにく思春期にバットを取り上げようとする対処法を選択する親には、このわがまま病は治せません。 原因と結果の法則は絶対です。

極真の先生方も他の流派のフルコンタクト系の先生方の多くは試合重視。 しかし私はそうではありません。自分自身が 空手を専門に生きて来た訳ではなく企業人として生きてきている中で極真空手の教えが役立っているので、それを生き方 として子供たちに教えているのです。 だからこの空手クラブは試合だけ、ケンカに強く成るだけのものではありません。  以下にあるのは ある極真の先生の言葉です。この先生は総極真という団体に属しておられます。私がその先生に 共感しているのは仕事を別にもち、仕事と空手を両立しながら前を向いて生きておられるということからです。  以下がその先生の言葉です。 「今のフルコン空手界は、小学生で勝つ事だけに拘る人が多過ぎる。厳しい稽古をして勝利を掴むのは素晴らしい事だが、   やがて中学生になりサッカーや野球などの部活に傾倒していく。高校受験の頃には道場に来なくなり自然と道場から   去っていく。そのうちに空手をやっていた意味も曖昧になり、二度と道場に戻って来なくなる。多分、どこの道場でも直面   している問題であると思う。それでも多くのフルコンの先生方は、小学生の時の空手の経験が大人になって社会に出たら、   生きて行く事に役立つと言う。 しかし、一時期厳しい稽古をしたからと言って、それが生きる事にそのまま役立つ程人生は   甘くない。一時期を厳しい事に耐えるだけで心が強くなり生きる力がつくのなら、キックでもボクシングでも総合でもどんな   スポーツでも何でも良い事になる。もちろん部活でも・・・。でも空手道は、武道は、生涯修行者として奉仕の心を以って   豊かな人間性を育む道である。強さの果てに、相手を労わる「やさしさ」を様々な修行の過程で身につけなくてはならない。   一時の重い負荷を耐えるよりも、軽い負荷でも長期間、常にあきらめないで耐え抜く事である。だからこそ社会で通用する   人間になれると思う。 一時期でも頑張ってチャンピオンになる努力は尊いし、結果を残す事は大変な事である。その努力を   無駄にせず、将来「あの道場で学んだ事が生き抜く力になっている」と言って貰える様に、我々指導するものは「継続」する   事の大切さを身を以って示していかなければならないと思う。 ある先生の言葉であるが、今のフルコンの先生は、社会に   出て仕事をした事がない、仕事をやっても続かない、社会性がない・・・そんな先生が沢山いると言う。 先生自身、社会生活   もままならなくて子供に夢を与えられるのか、社会性のある大人の方達がその道場に価値を見出し付いて来てくれるか。    そろそろ、一時期のプロパガンダから脱皮して真剣に考える時期であると思う。」   この先生のお考えは私のものと非常に近いように思えます。社会に出て苦労するのは当たり前。それをどうやって   生きて行けばいいのかを伝えていく場が田中空手クラブなのだと考えています。そういう訳で文武両道は必然なのです。 

「1943年、大学生だった私は学徒動員で海軍に入隊し特別攻撃隊に志願しました。通称、特攻隊。爆弾を搭載した   飛行機に乗り、そのまま敵陣に突っ込む。出撃の指令が出れば、すなわち死を意味する。自身の命を掛けた出撃。   あまりにも非日常的な精神状態がそこには存在していました。突撃に向かう時は必ず二人乗り。操縦や偵察には   下士官が乗り、後ろの席には予科練の若い人が乗る。予科練は、まだ中学生の年齢。そんな年端もいなかい子供達   も軍務についていたのです。    その日の朝、親友が操縦席に乗り込みました。そこに予科練の子が乗り込もうとした時に、友が大声で叫びました。   「お前は来るな!」、「嫌です。私も一緒に行きます!」 その子は涙を流しながらそう叫びました。 「お前はここに   残れ。 これは上官である私の命令だ!」 友はそう言い残して空へ飛び立って行きました。 まだ子供であるその   子に対する情。ただそれだけを守る為にたった一人で飛び立ったのです。そういう人間がいたことを忘れない。   彼らのような人間のお蔭で私は生かされている。 そのことを私は決して忘れない。」 これは千利休から15代目のある有名な方の話です。  第2次世界大戦の戦死者は212万人。 陸軍は165万人、海軍は47万人。  その7割にあたる148万人の方が餓死で世を去りました。 海没では海軍18万人、陸軍18万人です。  遠くの父母、そして妻や子を思いながら土に還り、海の藻屑となりました。  まだ咲かない夢を抱いて。  まだ見ぬあどけない夢を描いて。  みんな消えていなくなりました。   まだ旅の途中なのに。   明治15年2月25日に開館した遊就館では、旅の途中に夢がついえた英霊のご遺徳に触れることが出来ます。 先日、九段下からすぐの場所に、思いを同じくする方と行ってきました。

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