極真長野大会、栃木大会
先週の長野大会に続いて、今日は栃木大会が行われました。 神奈川県支部では近くに ある清武会と坂本派の大会をメインに捉えていたので長野も栃木も1名のみの参加でした。 しかし、長野では男子大学2年生が3位入賞し、本日の栃木大会では女子一般部で優勝 させて頂き、あらためて、このような機会を創って頂いた長野の中川師範、栃木の大塚師範に 感謝申し上げるとともにお二方の空手に対する熱意に頭が下がる思いがしました。 また浜井美香代表と北川師範、根本師範、小野師範は多くの試合に自ら足を運び選手並びに 先生方との交流を大切にされている。 空手を通じ多くの人達に感動のチャンスを与えておられる ことが素晴らしい。 これは子供達ばかりではなく大人の方も、子育て中のママ達にも 同じように感動を与えている。 そこがいい。 浜井派はそれぞれの支部が独立して、それぞれが個性的な運営をしている。 そこが面白いのだ。 今日は大きな満月。 今年一番大きい満月の日。何だかいい気持。 次の満月は1月2日らしい。 2018年で一番大きな満月は1月2日に出会えるらしい。 それは月と地球が一番接近している日。 潮が満ちて出産が多い日。 それまで頑張ってきたことが解き放たれ成就する日。 人間の身体の約7割は水分で出来ているから、この月の接近は潮の満ち引きと同じ状態になる。 今日の栃木大会で多くの人達の純粋な喜びと、こみ上げてくる涙に出くわしてみると、この感動を 導き出すにはあえて満月の日を選ぶことは意外と大事なことはなのかもしれないと思うのです。
出口のないトンネル
また新聞記事を読んで身につまされる想いがしました。 記事にはこうあります。 「一浪して大学に入り単位が足りず一年留年。大学院に進み就職が内定して安心した頃、実は 大学院に通ってない事が分かりました。〝連絡が取れない”という教授からの電話で夜中に 大阪へ車を走らせ、初めて事実を知りました。その後、息子を連れて帰って5年半、家で 引きこもりの生活を続けています。周りの期待が重すぎる荷物だったのではないか、、、 発信されるSOSをなぜ私は見逃してたのか、、、と後悔する毎日です。自分を悪く思う方が 楽である事を初めて知りました。明けない夜はない、やまない雨はない、出口のないトンネル はないと自分を励ます毎日です。私の大好きな子だからと信じて過ごしています。」 三重県四日市市 パート 58歳 今日、電車に乗ると満員電車の中に一歳くらいの赤ちゃんが泣いてました。母親は我が子と 周りの人への気持ちで小さくなってました。ところがどうしたことでしょう。みんな子供の事を 心配な目付きで暖かく見守っています。それでも子供はわんわん泣いてました。新宿に着く頃 には子供は泣き疲れて眠ってました。みな、子を持つ親として、大好きな子のために必死に 生きている。 そして毎週出会う空手クラブの子供達一人一人も、そんな愛情の中で育っている。 この子たちの将来にどんな困難が訪れ、どんな長いトンネルの中に沈み込んだとしても 必ず出口を探しだせるよう小さな灯火を点けて置いてあげよう。 未来の子らの心に残れ我が想い。
賢者の贈り物
日本では、だいたい20歳前後まで教育を受けて60歳近くまでの40年間を仕事に費やし それから10年から20年近くの老後を過ごして人生を終える。多くは18歳まで学校の勉強 、部活、塾、習い事に費やし、子供ながらプレッシャーの中で懸命に生きて、必ずしも自分の 好きなことに時間を割いて来れた人は多くない。その後の人生も、就職、結婚、出産育児などが 立て続けに起こり、受験の失敗、留年、失恋、仕事のプレッシャー、上司と部下との人間関係に 悩み、近所付き合いに気を使ったかと思うと、親の介護に出くわしたりして、下手をすると 定年の60歳まで自分の思うように時間を謳歌できる人はほんの一握りなのかもしれない。 そう考えると少しでも早くお金を貯めて、少しでも早く仕事を引退し自分の好きなことに充て ようと考えても不思議ではない。しかし、だからと言って、金のことばかり考えた人生を送り出し 分不相応な出世や分不相応な金持ちになることを夢みて、転職を繰り返す人生は危なっかしい。 宝物を積んだ小舟の行き先は海の藻屑と決まっている。子供達には失敗して分かることもあるから 好きにやってみなさいと言ってきた。でも、いざ、その場面に出くわすと「何でもっ早く相談しないの」 と叱るだろう。すると子供達はじっと見つめてこう言うのだ。「親に心配を掛けたくなかったから」 子供は親が心配してくれることに耐えられないから親には決して言わない。子供が辛く悲嘆に くれてる時に、何をさておいても飛んで行ってあげたいのが親心。子供の親を想う情けの深さに 親も心が揺さぶられ涙する。 子供は叱られても親を愛し、親はどんな失敗をしでかしても子を 愛してやまない。 街のクリスマスツリーに心暖まるこの季節。人の出会いとは言葉では言い表せない偶然の中にあって 言葉では書きつくせない感動を与えてくれる。毎週空手の稽古で出会う子らに、いつか「賢者の贈り物」 と「最後の一葉」を読んで聞かせてあげよう。この子らの尊い人生が多くの愛情に支えられますように。
昇級審査会
昨日は神奈川県支部の昇級審査会でした。 参加者の真剣な眼差しは何物にも代えがたいものでした。 毎回、三ヶ所で審査会を行い、その最後の締めの言葉で、こんな話をしました。 「一人一人の人生は、良いことも悪いことも必ず半分半分起こるからね。空手は厄落とし。 辛いこと、やりたくないこと、そして怖いことにも耐えて稽古に励む。その事自体、それが厄であり その悪いことを先食いしてると考えれば、あとは良い事だけが残るものだよ。」と。 一人で生きていると勘違いしてる若者が少なくないこの世の中。しかし何らかの形で他人と 関わりを持ちつつ社会の恩恵を受けている子供達に、その有難みを悟って欲しい。 そして 恩に報いる子供であって欲しい。 自分の好きな事だけしか興味がなく、他人の事は気にも 掛けない生き方よりも、社会のため、他人のために、嫌なことでも進んでやり遂げる人、 迷う人に手を差し伸べる人に育ってくれることを願い、そのことを悟るきっかけになればと 心を込めて話をしています。 君はたった一人で生きている訳ではない。 そして、君の生き様が誰かの役に立っていると伝えてあげよう。 そう思えば、ただそれだけで人は生きていけるものだ。 そんなことを思いながら真剣な眼差しの子ら一人一人の心模様を眺めていました。
いつの日か
11月6日の新聞に、こんな投稿記事が載っていた。 「次男が今春やっと大学を卒業し国家試験にも合格して研修医になった。」 「これまでに高校を2度、大学を1度中退し、2度目の大学も入学後すぐ2年間休学した」 とある。医学部だと卒業まで、順調にいって6年。 だとするとこのお子様は現在30歳を 過ぎたころだろうかと思い、ふと投稿者欄に目をやる。 群馬県みどり市在住、無職 69歳。 「息子はコミュニケーションがうまく取れず大学の飲み会に行く前に酒を飲んでテンション を上げないと参加出来ない気質だった。無理して努力して我慢して必死に耐えて、国家試験の 目標に向かっていたが、それが達成でき研修医として勤め始めて2ヶ月半後、とうとう ギブアップした。社会不安障害とも発達障害とも言われ九州の病院に入院している。」 遠い地にいるため、頻繁に様子を見にくことも出来ず、毎日、胸のつぶれる思いだという。 子を持つ親として共感するとともに身につまされる思いだ。が、しかし、よくよく読むと 何やらおかしな事に気がついた。元々、人と接することが苦手で高校を3回代わり、大学を 2回も代わること自体普通ではなく、幼い頃から外遊びを嫌い家の中で過ごす事が多かった 子供だという。 ならば尚更、医局の中の人間関係に苦労する医者の仕事には無理があったの ではないかと誰もが気付くはず。それが近親者は、子供に近すぎて分からなくなるのだろうか。 振り返ればうちもそうかもしれない。研修医2年目の子は病院近くに住み半年に1度しか家に 帰って来ない。果たして自ら描く夢と希望が今の仕事と合っているのか皆目分からない。 今となっては大きな望みはない。ただただ健康でいることだけを願っている。 医局の中で上手く立ち振る舞ってるだろうか? 風邪は引いてないだろうか? 今度、いつ帰ってくる?
連合会全日本大会
11月5日は駒沢で極真連合会の全日本大会が行われ、浜井会長と共に観戦させて頂いた。 試合前は正直なところ新極真レベルとはかなり差があって地方大会レベルとたかをくくっていた。 しかし、違った。特に少年部から上がってきた選手達の動きが早くしなやかだった。 決勝戦の宮崎県山下道場の重松選手と大阪の芦高選手はお互い100kg級。 しかも動きが早い。新極真全日本大会に出ても良いところまで行きそうだ。素晴らしい。 この連合会は華やかさがないが昔からの支部長方が多く参加されている貴重な大会。 私が芦原道場で稽古していた頃の全国支部長一覧。 故芦原館長の稽古が懐かしい。
運命
まさかこんな人生になるとは思ってもいなかった。 今の境遇は自分が自分で選んだ結果のようでもあり、人の出会いと偶然の積み重ねで 出来上がったようでもある。しかしよくよく考えてみるとどっちに転んでもこうなるように なっていたようでもある。 この先、どんな人生になるのやら皆目分からず、良い事も 悪い事も、過酷な現実に出くわす事もあろう。 でもそれは、こうなるようになっていたのであれば、すべてを受け入れるしかない。 それが運命に対する対処法と心得、それに従いつつも、自分なりに精一杯のことを 続けるしかない。 たとえ困難に陥り、不本意な状況に身を置いたとしても、ヤケになって 自ら不幸を招くようなことだけは避けたい。 悔いを残さず、最後の最後に、あ〜、生まれてきて良かったと心から思える人生であったと したら、この上ないことではなかろうか。 空手の辛い稽古を通じて、子供達にも、そんなことを伝えられたらと思っている。
アインシュタイン
この先が不安で、いまいち心が晴れなくても 子供の受験が心配でたまらなくても 変な夢を見て寝起きが悪く不吉な予感がしたとしても それでも穏やかに慎ましく生きる人は絶え間ない不安とともに成功を追い求める人達よりも より多くの幸福を得る事になるとアインシュタインが95年前に言っていた。 5歳まで言葉を喋らなかった彼が23歳でスイス特許局の3級技術審査官として働きだしたら 親として一安心だったろう。しかしその子は、それだけではなく博士号を取る為にあくせく 論文を出し続け、ようやく30歳で名誉博士号を得て大学の助教授に転職するとは思って なかったに違いない。 3歳まで喋らない子供はたまにいる。それでも親は心配なのだから5歳まで喋らなかったら ご両親はどれほど心を病んでいたことでしょう。 その子供が35歳の時に第1次世界大戦を経験し43歳でノーベル物理学賞を取るとは。 今、子供達とその親御さんを診ているとみんなと同じことで安心感を覚え、少しでも違う ところが見つかると親御さん自身が不安になったりもする。 しかし、子供はどう化けるか分からない。 日本にアインシュタインが育つには、塾で詰め込み過ぎずもっとゆっくりとした土壌が必要だ。
空手をやりながら100点を取る
中学1年生男子が中学1年〜3年生の部の試合で三位に入って喜んでいたら、一転した。 期末テストが思いのほか悪く、親御さんが「次の中間テストで同じような点数を取ったら 空手を辞めさせる」と言ってるという。 確かに空手においては才能があって素直だ。このままやらせてみたら2年生、3年生で まだ伸びしろはありそうだ。ただ勉強が出来ないようでは本末顛倒。 ということで中間テストまで、中学一年生達は夜の空手の稽古はさせず勉強に専念させる ことにした。まずは1年生3人と、英語の勉強会を始め、自分達の勉強方法を聞いてみた。 最初の彼らの印象は「甘い! 」。これでは100点は取れない。私の教え方は100点を いかにして取るかというやり方なので、面食らったと思う。 それと冒頭伝えた事は、毎回の テストに本気度が足りないこと。 そこから理解させて行くことにした。 長男の医学部受験 のやり方、そのままをこの子達にさせるのだ。 彼らの能力は医者になった長男と何も違わない。 違うといえば、集中力と持続力。これくらいなのだと、これも本人達に伝えた。 「先生の言った通りにやれば、君達は毎回100点を取るだろう。 どうするやってみるかい?」 空手の為に成績が下がったなど、あってはならないこと。ならば空手をやりながら成績を 上げて上げましょう。 家でやってきたことだけど、空手クラブの子達にもやらせてみるか。 この先の彼らの受験が楽しみだ。 さてと、「100点が普通だ」と彼らにも実感させて あげるとするかな。
クラブ活動.com
火曜の朝からサークルスクエアが接続障害を起こし会員専用サイトの閲覧が出来なく なっていた。まあ、よくある話だから午前中はかかるだろうと思っていたら夕方になっても 閲覧出来ない。さあ、困った。そのサイトを運営している会社に電話しても受付の女性は 恐縮しきって謝るばかり。こちらは謝って欲しくて電話しんじゃなくて、いつ頃復旧する のか、その目安を知りたかっただけなのに。しかしその受け応えが精一杯だったのかも しれないと気持ちを切り替え、待つことにしました。しかし待てど暮らせど復旧の目処どころか 逐一の状況報告もないので、ネットの苦情を見てみた。みなさん目処が立たないことに いら立ちはじめている。そうか、ならしようがないや。開き直って考えるしかなさそうだ。 あって当然のものがなくなると、その有り難みも分かるというもの。しかし困って ばかりはいられないから、他の手段を当たってみることにした。こんな時には思い当たる 2人がいる。 早速メールしてみた。やはり出来る2人だ。答えは同じだった。 なるほどと思いながら、この2人の能力の確かさと迅速な返答に感謝しきりだった。 そこで早速、クラブ活動.com で会員専用サイトを作り、その日のうちに会員にメールして そのサイトに登録して頂くことにした。このサイト、スマホ操作がし易く手軽さがいい。 水曜の10時半頃から水曜の夕方にかけての緊急措置だったけどいいものに出会えたかも。 あとはこの運用だ。それは自分で工夫してみるしかないけど、みんなに聞いてみよう。 私より面白いことを考え、私より上手く使いこなす人達がきっといるはずだから。 やはり、困った時に声かけ出来る人がいるというのは何と有難いことだろう。 そのことを再認識できただけでも、今回の一件は意味あるものだった。