夢十夜は三夜が一番
私の学生の頃の評価は優、良、可。 今はS, A, B, C, Dで分ける大学が多いようです。そんな中、まったく着いて行けなかった のがSEプログラムのゼミ。このことは以前にも書きました。 そして私が卒論に選んだのはプログラミングとは無縁の小説。 まるで文学部のように書いていました。 夏目漱石が好きだったお陰でSEプログラムのゼミは「優」。 粋な先生でした。 身体を動かすのも好き、でも本を読むのがもっと好きでした。 雨の降る日は格別。 「吾輩は猫である」、「ぼっちゃん」 よりも「草枕」、「それから」、「門」、「こころ」。 そして「夢十夜」がいい。その夢十夜のベスト3を上げると一番は「第三夜」、 次に「第九夜」、三番は「第一夜」。 おしいのは「第六夜」。 今でもたまに読み返してみるとやはり表現が上手い。 こんな夢を見た。六つになる子供をおぶってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼がつぶれて 青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと「なに昔からさ」と答えた。声は子供の声に相違ないが 言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。「田圃へかかったね」 と背中で云った。「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか 分らない。どこかうっちゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端に 背中で「ふふん」と云う声がした。「何を笑うんだ」 子供は返事をしなかった。ただ 「おとっさん、重いかい」と聞いた。 「重かあない」と答えると「今に重くなるよ」と云った。 自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則に うねってなかなか思うように出られない。 しばらくすると二股になった。自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。 「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。 なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、 右堀田原とある。闇だのに赤い字が明かに見えた。赤い字はいもりの腹のような色であった。「左が好いだろう」と小僧が 命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へなげかけていた。自分はちょっと躊躇した。 「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。 腹の中では、よくめくらのくせに 何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。 「だからおぶってやるからいいじゃないか」 「おぶってもらってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで 馬鹿にされるからいけない」 何だかいやになった。 早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。「もう少し行くと解る。 ちょうどこんな晩だったな」と背中でひとりごとのように云っている。 「何が」ときわどい声を出して聞いた。 「何がって、 知ってるじゃないか」と子供はあざけるように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれどもはっきりとは 分らない。 ただこんな晩であったように思える。 そうしてもう少し行けば分るように思える。 分っては大変だから、 分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。 自分はますます足を早めた。 雨はさっきから降っている。 路はだんだん暗くなる。 ほとんど夢中である。 ただ背中に小さい小僧がくっついていて、 その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実ももらさない鏡のように光っている。しかもそれが 自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。 「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」 雨の中で小僧の声ははっきり聞えた。 自分は覚えず留った。 いつしか森の中へ入いっていた。一間ばかり先にある 黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。 「おとっさん、その杉の根の処だったね」 「うん、そうだ」と思わず 答えてしまった。 「文化五年辰年だろう」。 なるほど文化五年辰年らしく思われた。 「御前がおれを殺したのは今から ちょうど百年前だね」 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で 一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。 おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に 背中の子が急に石地蔵のように重くなった。
原因と結果の説明
水を凍らせた氷結の状態で結晶を観ると綺麗なモザイクが現れます。それも水道水よりも自然水。また、クラシックを かけたところで氷結させるとより美しい結晶が出来ます。また何故か、「ありがとう」という言葉を見せたときと「ばかやろう」 という言葉を見せたときには結晶の形に差が出ます。水はさまざまな顔をもって、人間の意識を形にして見せてくれます。 これはどういうことなのかは研究成果として今だに分かっていません。私はこういう現象にヒーリングや癒しという言葉で 結論づけたくはありません。あくまで物理学的に説明がつかないと納得出来ないのです。安易な妥協と薄っぺらな理解で 片づけることなど到底出来ません。体重の60%を占めるのも水。そして地球の水は太古の昔から変わることなく循環を 繰り返しているだけ。地球表面の50%は常に雲に覆われていても、そのうち雨雲はたった3%。雨を降らすことのない雲の 役割は、地球から水分が拡散してしまわないようにカバーすること。地表から蒸発した水蒸気は大気圏中に拡散してしまう こともなく、ある日雨になって地表に降り注ぎ、ふたたび、地球の水として還ってくる。この水は、20億年前につくられた水が 何回となく循環を繰り返しているだけなのです。その純水は0度で氷結し100度で沸騰します。そして結晶の形には差が 生じるのです。何故なのでしょう。 人も土も、水もコンクリートも元を正せば原子核と電子で出来ているだけ。その電子が廻っている原子核の大きさは元素 によって違いますが、だいたい10のマイナス15乗。その30000倍の高さのところを電子が周っている。その間は真空。 これは10cmのボールを原子核とすると上空1500mのところを電子は周るということ。そういう原子核と電子で物は出来 あがっている。なのでこういう周るという動作をしているために全てが振動しているという人もいます。個体も液体も、その 微細な中心部はすべてが動いて、振動しています。 そのことを頭に置いて人間の性格を観てみると、陽気な人はその 振動はそういう陽気な波動を作り、陰気な人はそいう陰鬱な波動をなしているから外見上陰鬱に見えてしまうというのは、 漠然と理解出来ると思います。 つまり水が結晶の形を変えるのは、その人が感じている「ありがとう」のイメージを振動 としてその人が持ってしまっているのでそれが結晶を作っている原子に影響を与えるのであろうと推測出来ます。 だから漢字を読めない外人に「ありがとう」の文字を見せて、その人の前で水を氷結させてもその結晶に変化は現れない のです。つまり人間は言葉に出さなくても思いを外に伝えてしまう能力があるということです。 波動として伝わってしまう のです。 だからいいことを思い、イメージしている人とそうでない人では全く違った人生を歩んでしまうというのはそういう 原理からなのでしょう。 あなたの生き方はあなたの心の姿勢そのもの。あなたは考え、人生という旅を続けます。あなたは何かを愛し、それを 自分に引き寄せます。あなたは今、あなたの思いがあなたを連れて来た場所に立っています。そして明日のあなたは、 あなたの思いがあなたを連れて行く場所に立っているでしょう。あなたはあなたの思いの結果からのがれることは出来 ません。 原因を持たず発生する物事は何一つありません。発生することの全てがそうなる為の正当な理由を持っています。 そこに運命は存在しません。全ての事象が寸分の誤差もなく原因と結果の法則に基づく必然で成り立っているのですから。
わがまま病
映画と言えばアメリカかイギリス。 でもフランスもいい。 「やさしい語りで」も なかなかです。 アメリカ映画のような アクションとか派手なものはないけど、心に残るものです。 私はこれを飛行機の機内上映で観ました。 機内上映も 当然のようにアメリカ映画が多い中、見落としそうな端っこに、こっそり書かれていたフランス映画が目に留まったのです。 聞いたこともない俳優の、聴いたこともない映画。またこの作品、日本での公開もなく日本では知られていません。 主人公は40歳、独身女性。フランスのラジオ番組で恋や性の悩みに答える人気パーソナリティ。でも私生活は誰とも交流 せず、ひっそり暮らす、ちょっと影のある人。 幼少の時に母に孤児院に入れられて「絶対に迎えに行くから ママより」 という葉書を頼りに生きて来た人。他人を拒絶する感受性の豊かな人。そんな悩みを抱えた女性が他人の悩み相談をして 人気が出てしまう40歳の独身女性が生みの母親探しに出てその現実を受け入れて行く結末。これは映画の世界です。 しかし現実はもっと残酷です。 愛情表現が苦手な親の問題が子供に大きな影響を与えてしまうことは昔から山ほど事件になっています。 1977年10月末、東京都北区に住む飲食店経営の47歳の父親が家庭内暴力を振るっていた開成高校2年生が寝て いる間に帯で首を絞め殺害。 1980年11月には川崎市宮前平の予備校生、当時20歳の一柳展也が両親を金属バットで撲殺。大学受験に2度失敗 していた精神的負担が引き金とされた悲劇。 芸能界では積み木崩し。 これらすべては親の責任です。 何故なら、幼いころからぐれている子供などいないからです。 子供たちは自然で、みんな素直なのだから。 しかし、子供との接し方が分からず、距離感がつかめず腫れものに触るような育て方に陥ってしまう親や、エリート意識や プライドが高すぎる親たち自身が、心と考え方がいつの間にか変化して子供の心に目が行かなくなってしまった結果 子供を「わがまま病」に感染させ、発火装置に火をつけられた子供たちは事件を完結させてしまうのです。 あいにく思春期にバットを取り上げようとする対処法を選択する親には、このわがまま病は治せません。 原因と結果の法則は絶対です。
元素周期表
世界の全ては元素で出来ていると新聞に書いてました。 118個の元素で動物や植物や家、ビル、そして空気、水も。 全ての世界が元素で出来ています。 軽いのにロケットまで飛ばす水素は 陽子の数が一番すくないから原子番号は 1番。 空気よりも軽いヘリウムは陽子と電子が2個なので原子番号は2番。 常温でも液体である金属は80番の水銀。 2010年に発見されたばかりのウンウンセプチウムは117番。 最後はウンウンオクチウム。 人間は60億人もいるけど 身体を創っている材料は黒人も白人もみんな同じ。でも人は十人十色。考え方が違うから。育った環境が違うから。 みんな違う。 そしてみんな十色の人生を歩みます。いい大学に行こうとする人。手に職をつけようとする人。 土とともに生きる人。 どんな道でも構いません。ただ人間は動物と違って、迷い、悩み、泣いて、苦しむ心の動物。 大事なのは、心の姿勢を正しくして前を向いて活きて行く力。 壁にぶつかっても、それを乗り越えていく力。 一工夫する考える力。 思い悩んだら太陽のように活きたらいい。 そして考える力を子供のころから身に付けて おけば、どこで何をしようが活きていける。 そんな気がします。 大きな人生の波に揺られながら、その波に 逆らわず、生きていくこと。 自分自身では選べない天道があって、脇道にそれても、必ず自分の道に戻ってくるような、そんな自分に与えられた道 を見つけられたとしたら、そしてまた、その道をお天道様を仰ぎながら歩んでいけたとしたらどんなに幸せでしょう。 神経を働かせてくれるNa、神経と筋肉に欠かせないK、そして骨の成分のCa。 身体の中にあるCu、舌にはZn、 血液をつくるFe、皮膚に含まれるS。 元素周期表を見ていると人の違いは、やはり、その人の考え方と心の姿勢 だけなんだとつくづく思いました。
文武両道
極真の先生方も他の流派のフルコンタクト系の先生方の多くは試合重視。 しかし私はそうではありません。自分自身が 空手を専門に生きて来た訳ではなく企業人として生きてきている中で極真空手の教えが役立っているので、それを生き方 として子供たちに教えているのです。 だからこの空手クラブは試合だけ、ケンカに強く成るだけのものではありません。 以下にあるのは ある極真の先生の言葉です。この先生は総極真という団体に属しておられます。私がその先生に 共感しているのは仕事を別にもち、仕事と空手を両立しながら前を向いて生きておられるということからです。 以下がその先生の言葉です。 「今のフルコン空手界は、小学生で勝つ事だけに拘る人が多過ぎる。厳しい稽古をして勝利を掴むのは素晴らしい事だが、 やがて中学生になりサッカーや野球などの部活に傾倒していく。高校受験の頃には道場に来なくなり自然と道場から 去っていく。そのうちに空手をやっていた意味も曖昧になり、二度と道場に戻って来なくなる。多分、どこの道場でも直面 している問題であると思う。それでも多くのフルコンの先生方は、小学生の時の空手の経験が大人になって社会に出たら、 生きて行く事に役立つと言う。 しかし、一時期厳しい稽古をしたからと言って、それが生きる事にそのまま役立つ程人生は 甘くない。一時期を厳しい事に耐えるだけで心が強くなり生きる力がつくのなら、キックでもボクシングでも総合でもどんな スポーツでも何でも良い事になる。もちろん部活でも・・・。でも空手道は、武道は、生涯修行者として奉仕の心を以って 豊かな人間性を育む道である。強さの果てに、相手を労わる「やさしさ」を様々な修行の過程で身につけなくてはならない。 一時の重い負荷を耐えるよりも、軽い負荷でも長期間、常にあきらめないで耐え抜く事である。だからこそ社会で通用する 人間になれると思う。 一時期でも頑張ってチャンピオンになる努力は尊いし、結果を残す事は大変な事である。その努力を 無駄にせず、将来「あの道場で学んだ事が生き抜く力になっている」と言って貰える様に、我々指導するものは「継続」する 事の大切さを身を以って示していかなければならないと思う。 ある先生の言葉であるが、今のフルコンの先生は、社会に 出て仕事をした事がない、仕事をやっても続かない、社会性がない・・・そんな先生が沢山いると言う。 先生自身、社会生活 もままならなくて子供に夢を与えられるのか、社会性のある大人の方達がその道場に価値を見出し付いて来てくれるか。 そろそろ、一時期のプロパガンダから脱皮して真剣に考える時期であると思う。」 この先生のお考えは私のものと非常に近いように思えます。社会に出て苦労するのは当たり前。それをどうやって 生きて行けばいいのかを伝えていく場が田中空手クラブなのだと考えています。そういう訳で文武両道は必然なのです。
大人の背中
次男は自閉症だったので幼稚園の時は、前途多難だと腹をくくってました。集中できない、自分の世界にこもる、人と 交わらない。こんな子供ではこの先どうしたらいいんだろうと悩んでいました。ジャイアンツの桑田投手の奥さんと一緒に 悩んでました。太陽の子という幼稚園で桑田さんの長男も、うちの次男と同じように目立ってましたから。一般の小学校に 入れるなら、それはみっけものだと思っていたくらいです。その子が中学校2年生の時に学校の先生から電話をもらうなど 思いもよりませんでした。 「sakyou君がクラスの子を蹴って怪我をさせた」と。 そんな訳はない、あの子が。 でも事実でした。自閉症は年齢とともに軽度になっていたものの小学校の時には、廻りでなにが起こっているかはわからず、 というか構わず生きていたようです。それを大学生になった次男は冷静に振り返れるようになっていました。その頃次男は 極真の1級。ローキックの蹴り方や下突きの入れ方は自分の身を守るすべとして私自身が教えていたのです。この子は 間違いなくいじめられるから反射的に返せるように。という親心からです。 学校の野球部は「ライトで9番」の次男はバカにされ普通ではない奴だとされていました。その日もいつものように執拗な 嫌がらせがあったようです。次男は、何度も「やめろよ」、「やめろ」と言い続けたちょうです。それでも止めないのが中学生。 でもその日は違ってました。「やめろ!」と言いながら教えたローキック一発。 いじめっ子はその場にうずくまってしまった のです。大きな怪我にはならなかったのですが学校では、「あのsakyouが怒るのも無理はない」。と加害者でありながら 被害者のように扱われていたのです。一応先生は経過説明ということで家に電話をして来ましたが大事にはならずに済み ホッとしましたが。反面、よくsakyouは自分の枠を超えていじめっ子に向かって行ったものだと感心もしました。 小学5年生のころには友達が家に来て、置いてあった1万円の入った貯金箱まで持って行かれるような始末。親がいる間は いいけど、この子はこれからどうやって生きていくのか?、この先不自由なく生きて行けるのか? 本当に不安にかられる 日々が続いていたのです。 なので先生に何と言われようと私は「よし、よくやった。 わかったろう。自分の力が」と心の中で ほのかな光が射した思いでした。 小学校の時はまだいい、中学校になると陰湿になる。これは私自身が今でも思っていること。 大津の中二の自殺 の件は私は我がことのように今でも思っています。 中学生と小学生の違いは「自分で自分の命を絶つ手段を知っている 、もしくは実行出来ること」なのです。 だから私は今でも、そのような無神経ないじめっ子は許すわけには行かないのです。 しかし、いじめっ子をなくすなど出来ません。 ならば抵抗力を上げ、備えることです。 その子にどうすればいいかを教えて あげるだけのこと。 私の空手教室は、教えた空手の技は学校や幼稚園では使わないこと。と何度も言ってますが、 「逃げない心」、「あきらめない心」は浸透させるよう心がけています。 挨拶・礼儀はその根本。 しかし、それを子供たちに どう伝えればいいのか私は思い悩んでいました。 が、しかし、それは簡単なことかもしれないと思いました。 それは、すぐ そばにいるお父さん、お母さんがそのような方であれば、子供は何の抵抗もなく、それがどういうものかをも理解し易いだろう という思いです。 今日、7名のお父さん、お母さん達には5人組手をやってもらいました。まだ早いと思いつつも、私の 空手教室は「教育の場である」ことの実践をするため、この方々にこの投げかけをさせていただいたところ、みなさん 前向きに5人組手に勇気をもって挑んでいただけました。 通常、体重が20-30kg違うと蹴った方の足が痛くなるもの。 その軽量な女性が男性と組手をやって、前に前に向かう姿。 男性陣もあばら骨を痛めながらも、あきらめず最後まで 5人完遂された姿。 誰しも感動したはずです。 子供たちにとってどんな説教よりも価値ある時間を7人のお父さん、 お母さん達は創ってくれました。 子達の将来は決して平たんではないでしょう。しかし、平たんな人生を歩んでも どうするものか? 山あり谷あり、そんなことお構いなしの人生であって欲しい。 今日の審査会。 そんな子供たちの将来を思いながら、大人の方々のがんばる姿を見せて頂くことで私が考えている 子供たちへの指導はなされたように思えました。 ねんざ、打撲、うちみ。この勇気の代償は「逃げない心」の証。 こういう大人の後ろ姿が私は一番大事なことだと思っています。
医学部 その11
「医学部 その10」では過去10年間の医系大学別医師国家試験合格者数ベスト30を調べてみました。 今回は過去10年の合格者数 x 合格率 = 総合点ベスト30を書きます。 大学 総合点 1 昭和 1,033,827 2 日大 1,003,320 3 自治医科 982,431 4 慈恵会 968,627 5 筑波 959,347 6 滋賀医科 955,897 7 三重 951,179 8 東京医科 948,229 9 千葉 947,232 10 札幌医科 944,606 11 名古屋 932,962 12 浜松医科 930,496 13 弘前 924,246 14 東京 919,588 15 北里 917,641 16 慶応 915,438 17 九州 914,460 18 京都府立 910,398 19 北大 910,305 20 群馬 909,736 21 阪大 908,634 22 新潟 906,935 23 産業医科 906,912 24 神戸 906,391 25 広島 901,869 26 岡山 899,248 27 山形 897,465 28 宮崎 897,363 29 福井 894,861 30 藤田保健 893,285 公立の医大は元々入学者数が少ないので、ここでは下位にランクされてしまいますが、優秀です。 問題は京大、東北大 がベスト30に入っていないということです。 高知、徳島、琉球、長崎、山口、鹿児島、富山、大分の8大学は眉をひそめ ねばなりません。しかしその分入学時の偏差値も低いので、サラリーマン家庭でも狙い目です。逆に私学で医師国家試験 の総合点が低いのは12校。 不名誉な数値であるのでここでは大学名を書くのは控えておきます。 私が問題視している大学は別にあります。それはこの12校ではありません。全体では中盤に席を置く大学です。 80校中41位の大阪医科、43位の東邦。 両校ともに広告宣伝が多いという共通点があります。 今日5月3日の朝日新聞の38ページ社会面下部に広告を大々的にうったのは大阪医科。 羽田空港などやたらと宣伝が 目立つのは東邦。 本来、医学部は広告宣伝などする必要はないものなので目的が全く見えません。 あるとすれば 全てはお金に関わることなのでしょう。 もしくは大学の名誉。 今日の広告は明らかに学長ご本人の名誉を意識したもの のようです。 大阪医科入試部の広告;「医師には幸せと責任がある。」を読んだ受験生・とそのご父兄様方には、過去の 80大学の純粋な学業成果・実績としての、「医師国家試験の総合点」をお見せしたく数値をまとめた次第です。 とはいえども、我が息子もまだ4年生。 果たして留年せず卒業を迎え、この国家試験にストレートで合格してくれることやら。 その息子は一人で宝塚の祖母の家に。15年ぶりの再会を喜んだ母は「冥途の土産になるよ」と言ってくれました。 15年間も孫の顔を見せずに申し訳ない思いでいっぱいでした。 順調に行けば、あと3年で息子は国家試験。 母にはそれまで生きていて欲しい。 5月12日には、まだ早いけど、一人でいる母に3年後に花開く笑顔の種を届けたい。
遊就館
「1943年、大学生だった私は学徒動員で海軍に入隊し特別攻撃隊に志願しました。通称、特攻隊。爆弾を搭載した 飛行機に乗り、そのまま敵陣に突っ込む。出撃の指令が出れば、すなわち死を意味する。自身の命を掛けた出撃。 あまりにも非日常的な精神状態がそこには存在していました。突撃に向かう時は必ず二人乗り。操縦や偵察には 下士官が乗り、後ろの席には予科練の若い人が乗る。予科練は、まだ中学生の年齢。そんな年端もいなかい子供達 も軍務についていたのです。 その日の朝、親友が操縦席に乗り込みました。そこに予科練の子が乗り込もうとした時に、友が大声で叫びました。 「お前は来るな!」、「嫌です。私も一緒に行きます!」 その子は涙を流しながらそう叫びました。 「お前はここに 残れ。 これは上官である私の命令だ!」 友はそう言い残して空へ飛び立って行きました。 まだ子供であるその 子に対する情。ただそれだけを守る為にたった一人で飛び立ったのです。そういう人間がいたことを忘れない。 彼らのような人間のお蔭で私は生かされている。 そのことを私は決して忘れない。」 これは千利休から15代目のある有名な方の話です。 第2次世界大戦の戦死者は212万人。 陸軍は165万人、海軍は47万人。 その7割にあたる148万人の方が餓死で世を去りました。 海没では海軍18万人、陸軍18万人です。 遠くの父母、そして妻や子を思いながら土に還り、海の藻屑となりました。 まだ咲かない夢を抱いて。 まだ見ぬあどけない夢を描いて。 みんな消えていなくなりました。 まだ旅の途中なのに。 明治15年2月25日に開館した遊就館では、旅の途中に夢がついえた英霊のご遺徳に触れることが出来ます。 先日、九段下からすぐの場所に、思いを同じくする方と行ってきました。
スパイスの効いたスパーリング
私が空手を教えているのには、いくつかの理由があります。 一つはスパーリングの重要性を伝える事。そしてもう一つは 負けない心を育むこと。ですから身体が大きい人が勝つ空手ではなく、心が強い人が勝つ空手でなくてはならないのです。 それを噛み砕いて言うと「文武両道」です。 武道に長けているのみなら勉学に勤しむ心が備わっている子供達を育成する ことに空手を教える価値があると考えています。 そのような観点で空手指導をしている中で子供たちのご父兄方も参加 されるようになり、大人の方々への指導も行うようになりました。今日4月29日の稽古では子供達というよりも大人のスパー リングに重点を置いた稽古をやりました。 最近の極真道場の傾向はソフトスパーリングになりつつあります。以前から 私はそう感じてました。 しかし、それでは、どこかの局面で(試合、もしくは強い後輩=高校生、またはやんちゃなオヤジ) が現れた時に、アタフタ、ビクビクしてしまうのです。 極真では先輩である以上、プライドを持たねばなりません。 やすやすと後輩にしてやられてしまうようでは恰好悪く、自分の居場所が道場で無くなってしまい、気が付いたらいつしか 辞めていたという事態に落ち着きます。 その方は、意識する、しないに関わらず、それ以降「逃げることを覚えた」生き方 に安住することになります。 それは避けねばなりません。 子供達が様々な試練に直面するように御父兄方も大なり 小なり、そのような場面にこれからも出くわすはずです。仕事の場、世間一般社会において、そして道場においても。 私自身、過去何人も「逃げる人」を見てきました。 ある審査会の組手試合(4級以上はスパーリングではありません)で、他の道場の先輩を相手に、あまりにもボコボコ にやっつけてしまった為に、その方は結果として昇級したにも関わらず試合の恐怖からそれ以降、道場に顔を出さなく なってしまったと聞きました。別の審査会の組手の試合でも30歳台のマッチョマンが (この方も別の道場の方でした ので初めての対戦) 我が物顔でスパーリングをやっていたので、組手の試合では、もちろん、またしてもボコボコに。 その方はポニーテールにした長髪にマッチョマンですからみんな試合をするのを嫌がってました。当然です。私も最初 は対戦しないように願ってました。しかし、自分は強いんだぞというオーラを見せて、これ見よがしのマッチョの態度には 鼻持ちならない思いがムラムラ湧いていたところだったので、いざ対戦相手が自分だと発表された時には 「いっちょ、 やってやろうじゃないか」と沸き立つ思い静めながら逃げ道のない四角の試合場に出て行ったのです。 その試合は みんな興味津々だったようです。 私も42歳頃でしたがベンチプレスは130kgは挙げてましたので、ポニーテールと どっちが勝つだろうとワクワクしていたことでしょう。 試合の合図 「始め」の号令がかかるやいなや、突っかかってきた 相手の蹴りやパンチが意外に軽かったので、私はニヤッとしたのを覚えてます。その後は想定通り。一方的なパンチ連打 と蹴り倒し。しかし一本勝ちを取れなかったので私は不満でした。 今度、どこかの道場や試合で出会ったら、一本しかない と思ったものです。しかし、その後、その人も道場に顔を見せなくなってしまったと聞いて、その道場の先生には申し訳ない 思いでいっぱいになりました。 しかし、そういう経緯があってその後の試合でも勝つパターンを体得したのだと今では思って います。 私の頭の中は、かつて芦原道場にいた「人間凶器」のような中山猛夫先輩の姿。 それは恐ろしいスパーリング。 しかし、そういうスパイスの効いたスパーリングを経験しないと、どこかでアタフタしてしまうと思います。 今日の大人の方々のスパーリングは、いつもと違って、ちょっとハードなものとした背景にはこういう思いがあったのです。 そのことを説明せずに稽古を始めたものですから連休3日目を軽く汗でも流そうかと思った御父兄様には記憶に残る スパーリングであったかもしれません。 いずれ入って来るであろうヤンチャな後輩さんたちに負けない御父兄様で あって欲しいと思うので、そういう意味での抗体を付けるためにも、たまにはスパイスの効いたスパーリングは必要 だと思っています。 何事もソフトがもてはやされる昨今、私自身がスパイスの効いたスパーリングをあとどれくらい 出来るだろうと、いつも思いながらやってますが、この大事なことも継承して行ってもらわねばならないと思っています。
小学2年生
特トレには、決まった顔が集まる。 そしてよく泣いて、よくはしゃぐ。 痛くて泣いて、悔しくて泣いては、またケロッとして いる。 怖くて、痛くて、辛いだろう。 でも私はそんな些細なことに目を向けたりはしない。 頓着しないと言った方がいい。 太陽のように活きて行って欲しいから。 これから先の長い長い人生には谷もあって、山もあるはずだから。 当たり前の ことはやり過ごすしかないということを身を持って感じとって欲しい。 お母さんに泣いてる顔を見られたくないのだろう。 お母さんに甘えない顔を見ていると私も嬉しい。「そうだよ、それでいいぞ。よくお兄ちゃんになったものだ」と心の中で秘かに 思っている。 小さな肩が震えている姿、天井に向かっておお泣きしている姿、しくしく下を向いて泣いてる姿。 どれほど見て来たことだろう。 その度に子供たちが成長してきているように思えてならない。 この特トレに顔を出す子は 年長さん~4年生。 この子達のハシャイデいる顔。 がんばっている顔。 それらはみんな私の宝だ。 今日、そんな特トレを終えて家に帰って来てネットを見ると何やら調布の小学校の先生の肉声が話題になっていたので その内容を聞いてみた。 しかし、その音声だけではなかなか判断はつきそうにはなかった。 世間の多くの若者はすでに 過激な言葉を浴びせている。 いかにも日本人らしく逆に弱い立場に立った者をいじめている大勢はよろしくないと思えて その姿には賛同できなかった。しかし確かにその女性教師の言い方には特徴があるようには思えた。 だからと言って 私は、これだけでは、その人の良しあしをコメントすることは出来そうにない。 ただ、私はその先生に聞いてみたい。 「あなたはクラスの子供たちを好きでしたか?」 と。それだけです。 そして全ての学校の先生に聞きたい。 「あなたは 自分の学校の子供たちの顔に救われましたか?」、「純粋な心に接して、あなたは心が救われませんでしたか?」 「教師に才能はいらない、太陽のような気持ちがあればいい。」 私はずっと、そう思って来ました。 しかし、私自身は、なかなかそんな先生には巡り合えませんでした。 出会った先生は心の寂しい人ばかり。 だから その人の理屈は分かっても、そんな人の説明を素直に聞くことなどわたしには出来なかった。 心でぶつかってくる人 に私は出会うことがなかったのです。 だから東大出の、その先生に聞きたい。 「あなたは失敗して泣いてる子供の泣き顔がいとおしくないですか?」 「字が下手だと言われてうつむいている子供の肩に触れて元気を出しなさいと言ってあげたくはなかったのですか?」 そしてもう一度聞きたい。 「あなたは子供が好きですか?」 、「その子たちの将来が見えませんか?」と。