医学部 その11
「医学部 その10」では過去10年間の医系大学別医師国家試験合格者数ベスト30を調べてみました。 今回は過去10年の合格者数 x 合格率 = 総合点ベスト30を書きます。 大学 総合点 1 昭和 1,033,827 2 日大 1,003,320 3 自治医科 982,431 4 慈恵会 968,627 5 筑波 959,347 6 滋賀医科 955,897 7 三重 951,179 8 東京医科 948,229 9 千葉 947,232 10 札幌医科 944,606 11 名古屋 932,962 12 浜松医科 930,496 13 弘前 924,246 14 東京 919,588 15 北里 917,641 16 慶応 915,438 17 九州 914,460 18 京都府立 910,398 19 北大 910,305 20 群馬 909,736 21 阪大 908,634 22 新潟 906,935 23 産業医科 906,912 24 神戸 906,391 25 広島 901,869 26 岡山 899,248 27 山形 897,465 28 宮崎 897,363 29 福井 894,861 30 藤田保健 893,285 公立の医大は元々入学者数が少ないので、ここでは下位にランクされてしまいますが、優秀です。 問題は京大、東北大 がベスト30に入っていないということです。 高知、徳島、琉球、長崎、山口、鹿児島、富山、大分の8大学は眉をひそめ ねばなりません。しかしその分入学時の偏差値も低いので、サラリーマン家庭でも狙い目です。逆に私学で医師国家試験 の総合点が低いのは12校。 不名誉な数値であるのでここでは大学名を書くのは控えておきます。 私が問題視している大学は別にあります。それはこの12校ではありません。全体では中盤に席を置く大学です。 80校中41位の大阪医科、43位の東邦。 両校ともに広告宣伝が多いという共通点があります。 今日5月3日の朝日新聞の38ページ社会面下部に広告を大々的にうったのは大阪医科。 羽田空港などやたらと宣伝が 目立つのは東邦。 本来、医学部は広告宣伝などする必要はないものなので目的が全く見えません。 あるとすれば 全てはお金に関わることなのでしょう。 もしくは大学の名誉。 今日の広告は明らかに学長ご本人の名誉を意識したもの のようです。 大阪医科入試部の広告;「医師には幸せと責任がある。」を読んだ受験生・とそのご父兄様方には、過去の 80大学の純粋な学業成果・実績としての、「医師国家試験の総合点」をお見せしたく数値をまとめた次第です。 とはいえども、我が息子もまだ4年生。 果たして留年せず卒業を迎え、この国家試験にストレートで合格してくれることやら。 その息子は一人で宝塚の祖母の家に。15年ぶりの再会を喜んだ母は「冥途の土産になるよ」と言ってくれました。 15年間も孫の顔を見せずに申し訳ない思いでいっぱいでした。 順調に行けば、あと3年で息子は国家試験。 母にはそれまで生きていて欲しい。 5月12日には、まだ早いけど、一人でいる母に3年後に花開く笑顔の種を届けたい。
遊就館
「1943年、大学生だった私は学徒動員で海軍に入隊し特別攻撃隊に志願しました。通称、特攻隊。爆弾を搭載した 飛行機に乗り、そのまま敵陣に突っ込む。出撃の指令が出れば、すなわち死を意味する。自身の命を掛けた出撃。 あまりにも非日常的な精神状態がそこには存在していました。突撃に向かう時は必ず二人乗り。操縦や偵察には 下士官が乗り、後ろの席には予科練の若い人が乗る。予科練は、まだ中学生の年齢。そんな年端もいなかい子供達 も軍務についていたのです。 その日の朝、親友が操縦席に乗り込みました。そこに予科練の子が乗り込もうとした時に、友が大声で叫びました。 「お前は来るな!」、「嫌です。私も一緒に行きます!」 その子は涙を流しながらそう叫びました。 「お前はここに 残れ。 これは上官である私の命令だ!」 友はそう言い残して空へ飛び立って行きました。 まだ子供であるその 子に対する情。ただそれだけを守る為にたった一人で飛び立ったのです。そういう人間がいたことを忘れない。 彼らのような人間のお蔭で私は生かされている。 そのことを私は決して忘れない。」 これは千利休から15代目のある有名な方の話です。 第2次世界大戦の戦死者は212万人。 陸軍は165万人、海軍は47万人。 その7割にあたる148万人の方が餓死で世を去りました。 海没では海軍18万人、陸軍18万人です。 遠くの父母、そして妻や子を思いながら土に還り、海の藻屑となりました。 まだ咲かない夢を抱いて。 まだ見ぬあどけない夢を描いて。 みんな消えていなくなりました。 まだ旅の途中なのに。 明治15年2月25日に開館した遊就館では、旅の途中に夢がついえた英霊のご遺徳に触れることが出来ます。 先日、九段下からすぐの場所に、思いを同じくする方と行ってきました。
スパイスの効いたスパーリング
私が空手を教えているのには、いくつかの理由があります。 一つはスパーリングの重要性を伝える事。そしてもう一つは 負けない心を育むこと。ですから身体が大きい人が勝つ空手ではなく、心が強い人が勝つ空手でなくてはならないのです。 それを噛み砕いて言うと「文武両道」です。 武道に長けているのみなら勉学に勤しむ心が備わっている子供達を育成する ことに空手を教える価値があると考えています。 そのような観点で空手指導をしている中で子供たちのご父兄方も参加 されるようになり、大人の方々への指導も行うようになりました。今日4月29日の稽古では子供達というよりも大人のスパー リングに重点を置いた稽古をやりました。 最近の極真道場の傾向はソフトスパーリングになりつつあります。以前から 私はそう感じてました。 しかし、それでは、どこかの局面で(試合、もしくは強い後輩=高校生、またはやんちゃなオヤジ) が現れた時に、アタフタ、ビクビクしてしまうのです。 極真では先輩である以上、プライドを持たねばなりません。 やすやすと後輩にしてやられてしまうようでは恰好悪く、自分の居場所が道場で無くなってしまい、気が付いたらいつしか 辞めていたという事態に落ち着きます。 その方は、意識する、しないに関わらず、それ以降「逃げることを覚えた」生き方 に安住することになります。 それは避けねばなりません。 子供達が様々な試練に直面するように御父兄方も大なり 小なり、そのような場面にこれからも出くわすはずです。仕事の場、世間一般社会において、そして道場においても。 私自身、過去何人も「逃げる人」を見てきました。 ある審査会の組手試合(4級以上はスパーリングではありません)で、他の道場の先輩を相手に、あまりにもボコボコ にやっつけてしまった為に、その方は結果として昇級したにも関わらず試合の恐怖からそれ以降、道場に顔を出さなく なってしまったと聞きました。別の審査会の組手の試合でも30歳台のマッチョマンが (この方も別の道場の方でした ので初めての対戦) 我が物顔でスパーリングをやっていたので、組手の試合では、もちろん、またしてもボコボコに。 その方はポニーテールにした長髪にマッチョマンですからみんな試合をするのを嫌がってました。当然です。私も最初 は対戦しないように願ってました。しかし、自分は強いんだぞというオーラを見せて、これ見よがしのマッチョの態度には 鼻持ちならない思いがムラムラ湧いていたところだったので、いざ対戦相手が自分だと発表された時には 「いっちょ、 やってやろうじゃないか」と沸き立つ思い静めながら逃げ道のない四角の試合場に出て行ったのです。 その試合は みんな興味津々だったようです。 私も42歳頃でしたがベンチプレスは130kgは挙げてましたので、ポニーテールと どっちが勝つだろうとワクワクしていたことでしょう。 試合の合図 「始め」の号令がかかるやいなや、突っかかってきた 相手の蹴りやパンチが意外に軽かったので、私はニヤッとしたのを覚えてます。その後は想定通り。一方的なパンチ連打 と蹴り倒し。しかし一本勝ちを取れなかったので私は不満でした。 今度、どこかの道場や試合で出会ったら、一本しかない と思ったものです。しかし、その後、その人も道場に顔を見せなくなってしまったと聞いて、その道場の先生には申し訳ない 思いでいっぱいになりました。 しかし、そういう経緯があってその後の試合でも勝つパターンを体得したのだと今では思って います。 私の頭の中は、かつて芦原道場にいた「人間凶器」のような中山猛夫先輩の姿。 それは恐ろしいスパーリング。 しかし、そういうスパイスの効いたスパーリングを経験しないと、どこかでアタフタしてしまうと思います。 今日の大人の方々のスパーリングは、いつもと違って、ちょっとハードなものとした背景にはこういう思いがあったのです。 そのことを説明せずに稽古を始めたものですから連休3日目を軽く汗でも流そうかと思った御父兄様には記憶に残る スパーリングであったかもしれません。 いずれ入って来るであろうヤンチャな後輩さんたちに負けない御父兄様で あって欲しいと思うので、そういう意味での抗体を付けるためにも、たまにはスパイスの効いたスパーリングは必要 だと思っています。 何事もソフトがもてはやされる昨今、私自身がスパイスの効いたスパーリングをあとどれくらい 出来るだろうと、いつも思いながらやってますが、この大事なことも継承して行ってもらわねばならないと思っています。
小学2年生
特トレには、決まった顔が集まる。 そしてよく泣いて、よくはしゃぐ。 痛くて泣いて、悔しくて泣いては、またケロッとして いる。 怖くて、痛くて、辛いだろう。 でも私はそんな些細なことに目を向けたりはしない。 頓着しないと言った方がいい。 太陽のように活きて行って欲しいから。 これから先の長い長い人生には谷もあって、山もあるはずだから。 当たり前の ことはやり過ごすしかないということを身を持って感じとって欲しい。 お母さんに泣いてる顔を見られたくないのだろう。 お母さんに甘えない顔を見ていると私も嬉しい。「そうだよ、それでいいぞ。よくお兄ちゃんになったものだ」と心の中で秘かに 思っている。 小さな肩が震えている姿、天井に向かっておお泣きしている姿、しくしく下を向いて泣いてる姿。 どれほど見て来たことだろう。 その度に子供たちが成長してきているように思えてならない。 この特トレに顔を出す子は 年長さん~4年生。 この子達のハシャイデいる顔。 がんばっている顔。 それらはみんな私の宝だ。 今日、そんな特トレを終えて家に帰って来てネットを見ると何やら調布の小学校の先生の肉声が話題になっていたので その内容を聞いてみた。 しかし、その音声だけではなかなか判断はつきそうにはなかった。 世間の多くの若者はすでに 過激な言葉を浴びせている。 いかにも日本人らしく逆に弱い立場に立った者をいじめている大勢はよろしくないと思えて その姿には賛同できなかった。しかし確かにその女性教師の言い方には特徴があるようには思えた。 だからと言って 私は、これだけでは、その人の良しあしをコメントすることは出来そうにない。 ただ、私はその先生に聞いてみたい。 「あなたはクラスの子供たちを好きでしたか?」 と。それだけです。 そして全ての学校の先生に聞きたい。 「あなたは 自分の学校の子供たちの顔に救われましたか?」、「純粋な心に接して、あなたは心が救われませんでしたか?」 「教師に才能はいらない、太陽のような気持ちがあればいい。」 私はずっと、そう思って来ました。 しかし、私自身は、なかなかそんな先生には巡り合えませんでした。 出会った先生は心の寂しい人ばかり。 だから その人の理屈は分かっても、そんな人の説明を素直に聞くことなどわたしには出来なかった。 心でぶつかってくる人 に私は出会うことがなかったのです。 だから東大出の、その先生に聞きたい。 「あなたは失敗して泣いてる子供の泣き顔がいとおしくないですか?」 「字が下手だと言われてうつむいている子供の肩に触れて元気を出しなさいと言ってあげたくはなかったのですか?」 そしてもう一度聞きたい。 「あなたは子供が好きですか?」 、「その子たちの将来が見えませんか?」と。
医学部 その10
過去10年間の医師国家試験の合格者数と合格率を整理した資料にお目にかかることはありません。多くは合格率のみ。 この合格率が曲者。 各大学医学部では合格率を上げるために国家試験受験者数を絞っている実態があるからです。 見せかけをよくしていても実際に医学部の学生が医者にならなければ意味がありません。その為に過去10年の合格 者数を見てみると以下のようになります。 ベスト30に東大は入っていません。入試では最難関なのに。 1 昭和 1,107名 2 日大 1,080名 3 東京医科 1,059名 4 北里 1,037名 5 藤田保健 1,027名 6 九州 1,023名 7 東京慈恵会 1,018名 8 東海 1,016名 8 三重 1,016名 10 久留米 1,012名 10 千葉 1,012名 12 東北 1,010名 13 名古屋 1,002名 14 自治医大 998名 15 獨協 997名 16 筑波 996名 16 京大 996名 16 札幌医科 996名 19 阪大 995名 19 滋賀医科 995名 21 愛知医科 994名 21 北大 994名 23 東京女子 993名 24 金沢医科 992名 24 弘前 992名 24 浜松医科 992名 24 宮崎 992名 28 福井 990名 29 神戸 988名 29 熊本 988名 以上がベスト30ですが、残りの50校を含めた資料をここに開示することはしません。 ご要望があればつたない 資料ではありますが個別に開示しようと思います。 全国80大学の国家試験合格者数と合格率の一覧表を 見ると一目瞭然。 そこに大学入試の難易度と6年間の授業料一覧を比較するとどこの大学にご子息を入れたら いいのかははっきりします。 全国80の大学の中で「大学入試の難易度が比較的低く」、また「学費が安く」、 なおかつ一番大事なのことは 「国家試験に受かり安い」 大学はどこなのか? を書いた本がないのです。 医学部入試から国家試験までを網羅し、80大学の良し悪しを押しなべて比較した資料がないので自分で創った のです。 その中には「入ることを薦められない大学医学部リスト」もあります。 小学生の時から医学部への道 を志すならば、約8年くらいは辛抱しなければなりません。 浪人をすると10年はざらです。 そこまでに要した 学費は回収したいのが親の本音。 子供の行く末を安泰にして、しかも投資の回収は出来るようにしたいものです。
金澤翔子
東銀座には歌舞伎座があります。 着物を着飾った上品なご婦人方の街。 そこから北へ歩くと3分ほどで書道家の美術館 に行き着きます。ダウン症の書道家。鉄の扉を引いて中に入ると心で書かれた文字の一つ一つが目に飛び込んで来ます。 つくろうものがない純粋さが、その空間に満ちているようで時間を忘れて観ていました。私は本物を感じたくて、その美術館 で時間を過ごしていました。 社会の構造や数列、科学的知性は持ち合わせない彼女には地位、お金、効率、合理的という 言葉もないようです。 でも幸せな日々を送っていることが文字から伝わって来ます。 純粋な魂の領域で書かれた書道 に感動するのかもしれません。 私はそんな無心な書道家にいつの日かお会いしてみたい。 そんな気持ちで帰って 来ました。 本物には時間を割いて出向いて行きたい。 いつも私はそう思っています。
医学部 その9
2010年2月17日の藤沢氏(外資系金融トレーダー)の見解に以下のようなものがありました。 「理・工学系で日本の最高峰といわれる東大理1の学位取得10年後の平均年収は約880万円、医学部卒業生の平均年収は 1,600万円以上。しかも理1卒業生は会社経営者などの非常に少数の成功者が平均値を釣り上げているが、大多数は 500万円~700万円しか稼げない。また約5%が東大に行ってまでワーキングプアに身を落とすことになる。その点医学部 卒業生は平均年収の高さもさることながら、そのバラツキの少なさは注目に値する。悪くても1000万円ぐらいは稼げるの である。つまり、医学部の方がリスクも少ないのである。リスクが小さくリターンも大きいなら、それを選ばない人はいない。 このようの考えれば「なぜ田舎の国公立医学部は東大より難しいのか?」という問いは馬鹿げているように思える。 その証拠として、東京医科歯科大学などの首都圏の医学部は、東大理1よりもはるかに難しい。以上のように、将来年収の 期待値を考えれば、日本の異常な医学部人気も、標準的なファイナンス理論の枠内で全て説明できる。偏差値の高い高校生 が医学部に進学し、親もそれを勧めるのは、要するに金なのである。また、結婚市場においても、医師の強さは突出してる。 いわゆるイケメン/ブサメンによる二分類で、ブサメン側にカテゴライズされる医師でも、かなりの美人と結婚するケースが 多数観測されている。その点、同じ側に分類される東大理1卒業生で年収500万円のエンジニアがかなりの美人と結婚する 可能性はほぼ絶望的といっていい。美人という限られたリソースの分配もやはり医師に集中しているのである。これでは 偏差値の高い理系高校生が、理学部や工学部に進学することこそ異常な行動であろう。ところで、美人と結婚したブサメン 医師の子供が、お母さんの容姿とお父さんの頭脳を受け継ぐかというと、実際にはその逆が驚くほど多い。つまり、お父さん の容姿とお母さんの頭脳を受け継いだ子供が生まれるのである。そんな子供が適齢期になると背中にNの字がついたリュック を誇らしげに背負い、中学受験にはげむというわけである。むろん、お母さんの頭脳を引き継いでいるので全く出来が悪い。 いきおい医学部入学のために何年も浪人することになる。これでは貴重な教育資源の浪費ではなかろうか。」 このコメントを書いた藤沢氏は医者になるまでの苦労とその道のリスクに目が向いていません。医学部を卒業するまでに親が 投資をする額と人生で一番輝いている青年期に脱落してしまう秀才達の数が年間1100名もいることが、この道の大変な リスクであることを知らないようです。 多くの学生と、これから医師の道を進ませようとするご父兄様には、このことは 最低限理解して、それでもあえて進むのどうか判断して頂きたいと思います。 世界の人口が19世紀から飛躍的に増加してます。 医学、科学、化学、薬学の進歩の賜です。 帝王切開も日本では 1852年に初めて行われました。欧州も19世紀から。しかし当時は80%の妊婦は亡くなられてます。その後の進歩でかつて は亡くなっていたはずの命が助かっています。ワクチンも開発され、多くの命が救われました。医者になる人はそういう 人の命を助けるという志がなければならないと強く思います。
医学部 その8
ご子息が小学生だとして、今から医者を目指すとするならどうするかについて書いてみようと思います。 確かに 国公立狙いは一番金銭的には楽なので、それがいいのですが、それは至難の業です。相当の天賦の才と運が ないと難しいと思います。 小学4年から中高一貫有名校を目指すのは当たり前。 その学校に入るには もちろん小学校で1番か2番でないとなりません。 それでも中高一貫有名校に入りトップ10に入らないと国公立 の医学部は遠いものです。 ならば国公立を諦めて私立一本で行くというのもいい方法。 私は今はそういう戦法の 方が良かったと思っています。 行きたい私立の医学を決め、その過去問を徹底的にやり抜いた方が国公立崩れ よりは合格しやすいはずです。もちろん国公立を狙っている学生の方が学力は上ではあるのに下手な戦略を組んで しまうということです。 今は私立でも6年間で2000万円(1年間の授業料が333万円)ほどで入れる医学部が ありますし、もし僻地に9年勤務するという覚悟があるなら授業料免除という医学部(自治医科、産業医科)があります。 つまり勉強の教科を絞って、徹底した過去問戦術で行けば、サラリーマン家庭でも余裕で医学部を狙えるということ。 私はそれを知らなかったために、国公立狙いで進めて、途中で私立へシフトしたのです。 中でもねらい目は 内部進学です。 医学部を大学受験で受ける場合、大変な偏差値に出くわしますが、ある高校に入りトップ5に 居れば医学部への推薦入学があります。 一般入試では68名しかとらないので偏差値は高いのですが推薦 の内部進学では42名も取ります。であれば目の色を変えた秀才ばかりの戦場ではなく、まだ戦火の緩やかな 高校受験でその学校に入っておくパターンは一番の楽かもしれません。 医学部を一般入試で受ける場合の苦労は 高校受験の比ではありません。 それが一番いいパターンです。 今、その大学の医学部学生の中で一般入試で 入った学生と内部進学の学生のレベルが違うというのは周知の事実。 但しその大学も1学年で110名も在籍してる はずなのに国家試験を受験するのは97名。 明らかに合格率を上げるために留年をさせています。 しかし、この パターンが一番楽で、しかも金銭的にも比較的負担が少ないと思います。 お金が有り余ってるなら帝京か東海。 偏差値が低くても何とか入れてくれます。 但し入ってから負のスパイラルが待ってますので、留年を繰り返して しまう可能性は否めません。 医師国家試験に弱いのは聖マリアンナ、東京医科、東邦、昭和、北里、東海、帝京。 国試浪人の道は避けたいなら、これらは避けた方がいいでしょう。 最近学力向上が目覚ましいのは埼玉医科。 偏差値が低いのに今年の国家試験は99名受験して99名が合格。なんと100%。 6年で3800万円の授業料が 負担でなければ、そこもいいかもしれません。 たぶん、そこの教授陣が奮起しているから100%の合格率になった のでしょう。 さあ、今日の講義はここまでです。 それでは、この続きは「医学部 その9」で。
波平
TVの漫画はあまり観なかった方なので、サザエさんのこともよく知りません。 ただ魚の名前ばかり使ってるのは 知ってました。 そこに出てくるお爺ちゃんみたいな人がサザエさんのお父さんだと知ったのも最近。 興味がないので 覚えないのです。 サザエさんがカツオとワカメのお姉ちゃんであったのも知りませんでした。 てっきりサザエさん の子供で波平さんは祖父なんだろうと思ってました。 日本の古い漫画でよくも続いてるもんだなぁ、くらいに斜に 構えて観ていたのです。 ところがビックリ。 波平さんは54歳。 私と同じ。 でも何であんなに剥げてるの? 会社は銀座の晴海通りにあって 以前の役職は局長。 それがいつの間にか降格して、今では平社員らしいです。 昭和26年に朝日新聞に連載されるころに福岡から東京の桜新町近くに住んでいると聞けば、いやに身近な漫画。 そうだったのかと、知らなかったことがいっぱいありました。しかし一つ言えることは波平さんが年を取り過ぎているという ことです。まさか同じ年だなんて信じられませんでした。 私はまだまだそんなに落ち着こうという気持ちすらありません。 新たなチャレンジの意欲も持たず、ただ漫然と同じ毎日を繰り返すだけ。 そんな人生もあるのでしょうが、 私は心がワクワクしていたい。 何歳になろうと夢と希望に溢れる心を持ち続けたい。 たえず夢を描いて、その 実現に果敢に挑戦し、努力を重ねる限り、たとえそれが失敗したとしても私はこの上ない幸せを感じ、満足の中 で心が躍動してることでしょう。 そんな人生を歩んで活きたい。
医学部 その7
毎年2月、3月は各大学の医学部1次、2次、繰上合否結果が発表され、3月には大学別医師国家試験結果が発表 される。 最終的に医者を目指して15-20年間、勉強してきた秀才たちの中で今年、医師国家試験に合格したのは 合計7,696名。 そのうち新卒=7,205名(93.1%)、 既卒=491名(59.4%) 出来る事なら6年間の学費が350万円程度の国公立大学医学部を希望しますが、それは容易い門ではありません。 私立の平均は6年間で約3000万円。 地方では家が一軒建ちます。 それを子供に託す訳ですから私立の医学部 に入った場合は勉強に専念してもらいたいというのが親心。 私もそうでした。 国公立医学部受験用に駿台予備校 の国公立医学部コースに長男を入れ挑んでもらいましたが、センター試験で90%を取れず志望校には縁がなかった のです。 私学も滑り止めとして受けてもらいましたが、本音は授業料を考えるとやめて欲しいというところでした。 ただ、国公立が落ちてしまうと医学部ならどこでもいいから受かって欲しいという気持ちに変わってくるのが2月、3月。 それまでにセンター試験で早稲田、昭和大学の歯学部は受かっていても、頭は医学部から離れない訳ですから初志 貫徹を願うのみ。 そこで受かったところが3校。 合否はすべてインターネット上で分かるので、会議中であろうが、 外出先であろうが、パソコン画面にくぎ付けでした。 受験番号を見つけたときの嬉しさは今でも忘れられません。 それが入試です。 歓喜と感動です。 これまでの10年の勉強の成果ですから、子供以上にガッツポーズをして いたかもしれません。 今、4年生になり親の気持ちとしては、あと3年頑張って欲しいという気持ちと、もう留年は 止めて欲しい。そして何より「国試浪人はやめて欲しい」のです。 医学部卒業後に国家試験で落第した場合の 翌年の合格率(既卒者合格率)は60%です。 贔屓目に見ても、二人に一人は落ちると考えるべきです。6年間の 授業料を払って医学部も卒業したのに医者にはなれないのです。 また問題が大きいのは、卒業寸前の6年生で 留年決定する場合です。 各大学共に今や国家試験合格率が偏差値に与える影響があるとみているために、 国家試験には受からないレベルの学生を卒業させないのです。 私立でこれが甚だしいのは帝京、川崎、埼玉、 北里、金沢医、福岡、岩手、昭和、愛知医、東京医、東海。 ここの学生の親は金銭的に大変だと思いますし 御子息は精神的負担が大きくのしかかり、留年が続けば社会から取り残されるという思いに駆られてしまうでしょう。 医学部受験生は、実はそういうリスクが付きまとっていることを知っておかねばなりません。 国家試験まで行き着いて 合格すれば天国。しかしそこまで行き着かない秀才の数は意外に多いのです。 ちなみに今年の国家試験出願者数に 対し不合格者は1,102名もいます。 毎年1,000名が落ちて再受験に挑むのは900名程度。 約100名はゴール 寸前で夢を諦めています。 悲惨です。 もう27歳~30歳でしょう。 その後の仕事は何をするというのでしょうか? 理系の大学を4年で卒業し、一般企業に勤めていれば5年~8年生。 そろそろ現場のリーダーともなろうとする年齢。 医学部受験にはこういうリスクが付きまとっています。 長男は昨日の4月1日から授業が始まる為に朝6時半に大学 に向かいました。 いつの間にか頭は私よりはるかに良くなってますが社会経験がありません。 そしてその応用・生き方 もこれからです。 私自身、あと3年 親として、その実感をこれからも書いて参ります。 空手とは無関係ではありません。 空手クラブに来られているご家族で医学部に関心のある方はいるはず。 どのように医学部に行かせたのかに興味のある 方もいるはず。 私はそういう御子息と直接接して、その道へのアドバイスをして行こうと予てから考えてます。 土曜のみすずが丘の稽古の後は、今度小4になる男の子との自主トレと自主勉強(本読み)を欠かさず続けています。 但し、この生徒を医者にする為に勉強をしているのではありません。 今の学力を伸ばすために一緒に本を読むのです。 私は空手だけを教えているのではありません。子供達に生き方を直接教えています。それはこれからも変わりません。